8-31 想い悩み
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○この回の主な登場人物○
御神野 緋凰(通称 凰姫)……主人公。鳴朝城のお姫様。十四歳。
翠一郎……緋凰の旅についてきている見た目は美少女の少年。十一歳くらい。
食氷慶之助……根張城のお殿さま。
食氷仙之助……慶之助の長男、正室の子。十五歳くらい。
橋一……慶之助の次男、側室の子。十三歳くらい。
桔梗……慶之助の近習の一人。力強い女の人。
六畳一間の真ん中に切られている囲炉裏の中で、滲むように赤赤と燃えている炭の傍らにある灰の中から、桔梗が器用に餅を掘り出している。
焼け具合を確認してから器へ移していると、隣で手伝いをしている緋凰の方でも茶の支度が終わりそうだったために、顔を上げて全開にしてある戸のさらに奥にある外へ目を向けた。
あれから呼んでおいたもう一人の息子である仙之助と合流した慶之助は、散策した城下町を出て馬で近くの農村まで走り、隣の山の中腹にあるこの小さな庵まで橋一たちを連れてきていた。
山の岩壁にあたる庭先では慶之助と仙之助、そして橋一が遠く根張城を望みながら話をしており、
「お茶が入りました」
と、桔梗が声をかけた事で三人は部屋へ戻ってきたのであった。
部屋の隅で文机に齧り付くようして書を読んでいる翠一郎にも声がかかる中、囲炉裏の前に座った慶之助へ入れた茶を出しながら緋凰は笑う。
「静かで景色も素晴らしくて、とても良い所ですね」
「おっ。そなたはまだ若いのに、ここの良さが分かるとは。結構こだわって作った所でな、ムフフ〜男の隠れ家ってやつだ」
「隠れ家! 何かカッコいいね!」
「そうか! 私はカッコいいか? ハハハ——ならばそなた、私のお嫁さんにならないか〜?」
「またまた〜、アハアハ」
その会話に、慶之助の両横で聞いていた橋一と仙之助が眉をよせて苦言を呈する。
「父上! そのような事を凰へ言わないで下さい!」
「冗談にもほどがありますぞ!」
「うお! そ、そんなに怒らなくても……。え〜と、酒が飲みたいな〜ちょっとお勝手(台所)に行ってこよっかな〜。あぁ、お前たちは先に食べているがよい」
息子二人がたいそう怒る様子に狼狽した慶之助は、そう言うなりバツの悪そうな顔をしておもむろに立ち上がると、そそくさと部屋を出て行ってしまったのであった。
台所は庵を出た先の近習たちが待機場所として使っている長細い小屋にある。ゆえに部屋を出てすぐの玄関から草履をつっかけて外へ出てみると、
「お待ちを」
そう後ろから呼び止められたので慶之助は振り向いていた。
すると、同じく玄関から出た桔梗が足早に目の前まで来たのである。
「あの、慶之助様。差し出がましいとは思うのですが一言を……。先ほど凰へ言った事は、冗談でも軽々しく誰にでも言うものではございませぬ。貴方様のお立場もありますゆえ」
スッと切れ長の美しく整っている目を引き締め真面目な顔つきで諫言してきた事に、慶之助は目をぱちぱちさせてからハハっと笑う。
「やれやれ、そなたもまた手厳しいものよ。だがな桔梗、そなたは勘違いをしている。先の言葉は冗談ではないぞ」
「え?」
思ってもみなかった返しで今度は桔梗の方が目を丸くしたが、構わずに慶之助は片手を腰に当てながら意味ありげな笑みを浮かべて続けている。
「私とて己の立場はよく分かっている。ゆえに本気でそう思った者にしか言わない、『誰にでも』ではないぞ」
ドキリとした桔梗は咄嗟に口を開きかけた。
——では『あの時』も?
だが、思った事は声に出る事はなく、息をつきながら口を閉じると目を逸らしてわずかに俯いてしまう。
何かしら納得のいかないといった顔をしてみても、慶之助は最後には穏やかに笑って踵を返し、さっさと小屋へ入っていったので、桔梗もまた慌てて後を追っていったのだった。
「ちと子供たちとナイショ話をするから、誰も近付かせぬように」
台所で温かい酒の入った瓢箪を手に持って近習たちにそう命じ、小屋を出て行った慶之助の背をぼんやりと見つめてから、桔梗は自然に出てくるため息と共に土間と部屋の境になる段差に腰を下ろしている。
「どうした? 疲れてんのか、飲むか?」
それを見て竈門の世話をしながら酒を温めている暫枝源九郎がかけてきた声に、桔梗は笑って片手を振って見せてから、反射的に思っていた事を口にした。
「すみません、ちょっと変な事を聞きますが……。慶之助様って、本当に女人にモテないお方なのですか?」
「ん〜? どうだろうなぁ〜。今まで慶之助様がいろんな女を口説いているのを見てきたが……、上手くいったのを見たことはないな」
長い髭が燃えないように気をつけながら、斬枝は棒で竈門の中を慣らしつつ遠い目をして笑ってしまう。
そうですか、と小さく言ってぼんやりと大きくなってゆく竈門の炎を眺めている桔梗の頭に、先ほどの慶之助が意味ありげに笑った顔が浮かんでくる。
——だけどあの笑顔は……。何だろう、ずるい……気がする。
すると突然、目の前に近習仲間の女の顔がひょこりと現れた事でふと我にかえる。
「わ〜、ぼんやりしている桔梗さんってな〜んか色っぽくて素敵♡ 頬が赤いけど外はそんなに寒かった?」
屈託のない笑顔で言われて急に焦り出した桔梗は、自分でもなにゆえ動揺しているのか分からないまま顔を両手でペチペチと触ってから慌てて立ち上がると、
「え? あ、そ、そうだろうか? えと、外の見回りにでも行ってくる」
「あっ、外の見回りは今終わったばかり——」
仲間の声が耳に届かず、小走りに小屋を出ていってしまうのであった。
ーー ーー
「え⁉︎ 雛姫ちゃんを私の故郷へ逃がしたい?」
庵に戻ってきた慶之助から打ち明けられた話に緋凰が驚きの声を上げたので、斜め向かいに座る仙之助が慌てて人差し指を口元に当てて見せている。
「左様。私もな、思っていたのだ、雛に西の領主の側室は無理だろうと。しかも、橋一が文に書いていた女人を見つけて問うてみたらなんと、二つ返事で承諾したそうだ」
しっかりライバル達を蹴散らして側室の一番になります、と目を輝かせながらそんな抱負を語ったその娘に、慶之助たちは頼もしすぎると開いた口が塞がらなかったものだった。
「しかも、そなたの故郷へ遣わした者が一人、戻ってきてな。良い国だとたいそう褒めておったぞ」
その言葉に大きく胸を鳴らした緋凰は、
「瑳矢之介から文がきたのですか⁉︎」
つい言葉を遮って囲炉裏を挟んだ向かいに座る慶之助へ、前のめりになりながら尋ねてしまう。
両脇に座る仙之助と橋一は思わず息をのんで横を向き、翠一郎もまた、妙に胸を緊張させて慶之助の顔を見つめている。
だが、返ってきた答えは期待通りではなかったのだった。
「それがな、その瑳矢之介という者が屋敷に居なかったようで、なかなか会えずにそなたからの文すら渡せていないとの事だ」
「そうですか……。瑳矢之介はお仕事が忙しいから……」
落胆を隠せず肩を落とした緋凰に、橋一が慌てて励ましの言葉をかける。
「大丈夫だよ、今頃はきっとその人に文が届いているはずだよ。春には必ず返事もくるから」
「そうだね……そうだと……いいな」
期待が大きすぎた分、落ち込みも大きかった緋凰の瞳からついに涙がこぼれ出てきてしまった。
「こ、こら。泣くな、泣くのではない」
「凰、泣かないで」
ギョッとした仙之助と橋一が急いで側にきて宥めるので、緋凰はうんうんと頷きながらグッと口を引き結んで涙を堪えている。
隣で三人のやり取りを見つめながら、翠一郎は考えに耽っていると、
——瑳矢之介というやつ、実は本当に凰の事を忘れているとか……。もう、いっそ俺がそいつに凰の事をどう思っているか聞いてやりた——あっ。
ここまで考えた時、ある提案が頭をよぎった事でハッとなったのだった。
——そうか、雛姫が凰の故郷へ行くというのなら……。
あぐらの上に乗せている拳をグッと握ると、目を閉じて一度深く深呼吸をする。
自身の心にある決断を下して目を開いた翠一郎は、顔を横に向けて緋凰へ確認をするのだった。
「凰、あのさ。お前には故郷で瑳矢之介の他に頼れる者はいないのか?」
橋一に手巾で涙を拭かれていた緋凰が、不思議そうに顔を上げた。
「頼る? えっと、そうだね……叔父上や先生たちがいるけど」
「何だ、たくさん頼れる者がいるではないか。それならば——」
翠一郎は改めて慶之助へ身体を向けて背筋をのばすと、
「殿様、お願いがございます。私も凰の故郷へ行きとうございます。ゆえに雛姫様にご同行させて頂けませぬでしょうか?」
そう願い出て頭を下げたのである。
「そうか! そなたが共に行ってくれるか! いやいや実はここ数日の間、雛に凰の故郷へ行くように勧めていたのだが責任感が強くて聞かなくてな……。友である翠一郎と一緒ならば雛も説得できるであろう、有難い!」
膝を打って喜ぶ慶之助に頷いて見せた翠一郎は、わずかに驚いた顔をしている緋凰へ内心の緊張を隠しつつ落ち着いた声で話す。
「もう、俺がお前の故郷へ行って様子を調べてきてやるよ。旅に出て長いのだから、もしかしたら凰が戻っても良くなっているのかもしれない。さっさと済ませれば春には戻って来られるだろうから」
「……うん」
「うまくいけば、その瑳矢之介も引っ張り出してここへお前を迎えに連れてきてやるよ」
「うん、そっか……ありがとう翠。……よろしくお願いします」
元気づけるように言われてようやく微笑んだ緋凰は、きちんと翠一郎へ身体を向けると深く頭を下げたのであった。
その様子を見ながら瓢箪を傾けて慶之助が愉快そうに酒をあおる。
「よしよし、西から花嫁を迎えにくるのが正月三日であるからその前日までには旅立てるように手はずを整えようぞ。あぁ、元日には橋一、お前の元服を行うが聞いたか?」
「はい、父上。御前様がお知らせ下さいましたので」
養母となっている椿殿は武家のしきたりをあまり知らないようだったので、こちらで支度をします。と言った内容の文が篠御前から届いた事を思い出して橋一が答えていると、緋凰を挟んで反対隣にいる仙之助が小さく息をついた。
「だいぶ慌ただしくなりますね、戦の支度もある事で」
「え⁉︎ 戦があるのですか?」
「こらこら、そのような物騒な話は後だ後。ささ、凰よ。私にそなたの故郷の話をもっと詳しく聞かせてくれないか——」
そう言ってにこにこしながら立ち上がった慶之助が、部屋の隅から菓子箱を手にして戻ってくると、緋凰たちの目の前で重箱の蓋をサッと開けている。
中で綺麗に並んでいる饅頭を見て皆の目が輝いた事で、今し方の物騒な話は流れていったのであった。
ーー ーー
その後、一通り歓談を楽しんだ緋凰と翠一郎は、橋一の初めてとなっている家族の団欒に気を遣ってひと足先に庵を辞していた。
桔梗たちに馬で城下町まで送ってもらってからは、ここからなら大丈夫だからと護衛たちと別れて、今は二人で町中を歩いているのであった。
茜色になりかけている西日が眩しく感じて緋凰が笠を斜めにする横で、翠一郎は思い悩むように節目がちになって黙々と歩いている。
——これでいい。俺は凰を気に入ってはいるが、まだ慕うほどではないはずだ。それならば……。
まだ自身の気持ちを否定している翠一郎の耳に、こないだ仙之助へ言った言葉が蘇ってくる。
『これ以上、凰と共にいてその想いが大きくなってしまえば、別れる時に苦しむのは——』
——そうだ。凰には瑳矢之介がいる、そして出会えば必ず別れの時が来る。今日と同じ日がずっと続くはずもないのだ、それが当たり前なのだから良いではないか。
これまでの人生において一期一会が多かった事で別れなど慣れているものと思うのだが、先ほど庵で緋凰の国への同行を願い出た時から妙に胸がチクチクと疼いている。
——凰だって、別に俺がいなくとも……。
無意識に、翠一郎はちらりと横で歩く緋凰の横顔を見てみる。
——凰は、どう思っているのだろう。俺と別れても、別に何とも思わないだろうな。でも、もし……もしも……。
妙に胸を騒がせた翠一郎の歩みがゆっくりとなり最後にはピタリと止まった。
数歩先を行った緋凰がそれに気付いて足を止めるなり、こちらを振り向いている気配を感じる。
——ありえない、そんな事……。
そう思うのだが顔をあげた翠一郎はつい、問いかけてしまうのであった。
「あのさ、凰は……俺がいなくても平気か?」
いつものようにからかってきたのかと思った緋凰は、笑いながら答えようとしたのだが、笠を上げて翠一郎の表情を見た瞬間に口をつぐんだ。
(どうしたのだろう、とても真剣な顔になっている)
そして、真っ直ぐにこちらを見つめる翠一郎の眼差しには、見覚えがあった。
(同じ……あの時の若虎と松丸と……)
『俺は、お前が好きだ』
『僕、緋凰が大好きだよ』
そう言って小さく笑った二人の顔を思い出すと、緋凰の胸に緊張が走る。
(今なら分かる……。あの二人が言ってくれた言葉の意味が。だから……だから、ちゃんと『答え』ないといけない気がする)
緋凰はゆっくりとまばたきをしながら悟られないほどわずかに深呼吸をすると、小さく微笑んで言うのだった。
「心配してくれてありがとう。大丈夫だよ」
見つめていた翠一郎の眉がぴくりと動く。
だが、すぐにいつもの何でもない顔に戻ると、
「だよな〜。俺と出会う前は一人で旅をしていたのだから、まぁ、大丈夫だよな」
そう軽口をたたきながら足早に緋凰を追い越してゆく。ところが、何かを思い出したように翠一郎は再び足を止めて振り向いたのであった。
「なあ、佐吉さんってまだこの町にいるだろうか? ちょっと探してみないか?」
このまま城の屋敷へ戻って橋一が戻るまで二人きり、という状況に耐えられる自信が感じられない事で、何となくそう思いついた翠一郎が笑って前を向いてみると——。
「——ん? あっ! あれは!」
町の角から、白地に富士山やら鷹やらド派手な柄のついた小袖がひらひらと歩き出てきたのを見つけたのであった。
ここまでお読み頂き、本当にありがとうございます。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。




