8-27 夢で逢えたら助けよう
お越しくださってありがとうございます。
遅くなりました、よろしくお願いします。
○この回の主な登場人物○
御神野 緋凰(通称 凰姫)……主人公。鳴朝城のお姫様。十三歳。
橋一……慶之助の次男、側室の子。十三歳くらい。
翠一郎……旅の途中で出会った見た目は美少女の少年。十一歳くらい。
茉雛……篠御前(正室)の娘。十二歳くらい。
陽明……茉雛と橋一の守り役であり学者。
緋凰と翠一郎が橋一と暮らし始めてから二ヶ月ほどが過ぎてゆき、世間では間も無く訪れる年の瀬にむけて人々が大いに忙しくしている。
そんな賑わいとは程遠い山奥にある西の丸では、朝に積もっていた雪がまだ残る庭にて曇り空の下、三人が一緒になって武術の訓練をしているのであった。
「敵から目を逸らさないで——素早く!」
そう号令を飛ばしながら、緋凰が空高く放り投げた土の入る袋を見据えた橋一が、胸元で一気に弓を開き、間髪入れずに放った矢は力強くその的の端へ突き刺さったのだった。
「当たったぁ!」
「わっ凄いよ!」
初めて的へ当てた事に頬を赤くして喜ぶ橋一へ、緋凰が手を叩いて称賛している最中である。
いきなり横から放たれた矢が、落下して着地しかけた的のど真ん中を射抜いたのだった。
「ふん、俺の方が凄いから」
命中させた当人である翠一郎が橋一の横に立ってドヤ顔を向けているので、
「もう! なんで君はいつも張り合ってくるのさ——って、ん?」
やや呆れた様子で言う緋凰であったのだが、言葉途中で急に目をわずかに開いて固まってしまっている。
「どうしたの?」
走り寄っていった橋一が不思議そうに問いかける向こうで、腰に手を当てて見ている翠一郎はもしやといった顔をしていると……。
しばし目線を空に遊ばせていた緋凰がはたと我にかえるなり、
「なんか……眠りたい! 今すぐ眠りたいから寝てくる!」
両拳を握って一声叫ぶように言うと、ターッと部屋に向かって走っていってしまったのである。
「えぇ⁉︎ 寝るって……急に?」
驚く橋一が小走りに後を追ってゆくと、縁側でぽいぽい草履を脱ぎ捨てて部屋へ飛び込んでいる姿が遠目で見える。その縁側に立つ頃には、部屋の真ん中にて倒れるようにうつ伏せとなっている緋凰が、もう寝息を立てて眠ってしまっているのであった。
「気にしなくていいぞ。凰は、たま〜にああやっていきなり眠る事がある。ほっといても半刻くらいで起きるものだ」
庭先で茫然としている橋一の隣に翠一郎がそう言いながら歩いてくると、昨日の続きでもしようと縁側に座り出している。
訳が分からぬまま橋一もまた持っていた弓を置いて縁側から部屋へ上がると、着ていた羽織を脱いで緋凰へそっとかけてから将棋の駒と地図の束を取り出してきたのである。
サッと縁側に地図を広げると、その上に将棋の駒を配置して、二人は模擬の戦評定をはじめるのであった。
「——南の国との境ではこの大きな川沿いの近くの……ここだね。この林の所に抜け道があるから——」
一つ一つ丁寧に説明をしながら将棋の駒を橋一が動かしていると、
「どうしてここに抜け道があると知っているのだ?」
対峙して座っている翠一郎が、六年もの間ここに一人で暮らしているはず、と言いたげな顔で首を傾げてきたので、穏やかに笑いながら橋一は答えてやる。
「あぁ……。僕がこの城へ引き取られる前にね、一度だけ父上がこの辺りに連れてきてくれた事があったんだ」
病にかかる少し前の小さかった頃、初めて馬に乗せてもらい慶之助と二人で遠出をした。
川沿いから近くにある山の頂上まで登ると、風を受け、大きく視界が開いた場所にて不意に慶之助が橋一を肩車している。
喜ぶ橋一と楽しそうに笑い合いながら慶之助は南の方角を望み、息子を落とさないように気をつけながらある場所に向かって腕を上げて指を差したのだった。
『あそこにお前の母の故郷がある、よく覚えておくがいい。……お前の国だ』
『ぼくのくに〜?』
『そうだ。…………お前の国だよ』
父の言葉に何となく違和感を覚えた幼い橋一が尋ねながら下を向いても、父の頭頂部のみが見えるだけでその表情は分からない。
だが、最後の一言には呟くような小さな声であったのに、妙な力強さを感じ取っていたのであった。
橋一が閉じていた目を開いて、ゆっくりと思い出の幕を下ろしたその時だった。
急にバタンバタンと派手な音が聞こえてきた為に、何事かと振り向いてみると……。
部屋の中で寝ている緋凰が掛けられていた羽織りを吹っ飛ばす勢いで、手足をバタつかせているのだった。
目を丸くしている橋一へ、翠一郎が地図を見つめながら声を出す。
「気にしなくていいぞ、あれもよくある事だから。凰がああして寝ながら暴れている時には、決まって『瑳矢之介』の夢を見ている」
「瑳矢之介……あの凰の想い人?」
「そうだ、起きたらだいたいそう言うのだ。『瑳矢之介が旅をしていたから一緒に歩いた』だの『瑳矢之介が武術の訓練をしていた〜』だの」
他にも、釣りをしているのを横で見ていたり碁を打っていたやらなんとか、嬉しそうに話すのだと説明している。
「釣りや囲碁って、そんなに暴れるもの?」
目を瞬かせながら橋一が静観していると、やがて手足を落ち着かせた緋凰が目をゆるゆると開かせ、目覚めたのであった。
上半身をむくりと起こしてまだ夢見ごこちな様子で辺りを見回している緋凰へ、縁側から橋一が声をかけてみる。
「大丈夫? 何か大変な夢を見ていたの?」
ぼんやりしてからその声に気がついた緋凰は、笑顔を向けて答えたのだった。
「……うん。瑳矢之介がね、戦に出ていて危なかったの! でも、無事に逃げられたんだ〜」
頭をかきながらよかったよかったと胸を撫で下ろしているので、地図上の駒を移動させながら、ほらな、と翠一郎が得意気に呟く。
「そうなんだ、良かったね」
小さく笑って相槌を打った橋一だが、よく見るといつの間にかこちらを見ている緋凰の目線が自分たちよりズレている事に気が付いた。
「どうしたの?」
不思議そうにその目線を追って反対を向いてみても、いつもの通りに少し雑草の多い庭と奥の板塀が見える風景だけしかない。
「……誰かいるね」
「え?」
その言葉に橋一が振り向くよりも早く、緋凰が部屋を飛び出して裸足のまま庭へ降りると、勢いをつけて二段跳びにて板塀に登ったのである。
その上からひょこりと頭だけを出して外を覗いてみると……。
「あれ? 雛姫ちゃんだ!」
「凰さん⁉︎」
向こう側にはなんと茉雛が立っており、驚いた様子で顔を上げたのであった。
「久しぶり! どうしてここに居るの〜? ってあれ? 一人なの? 陽明さんか誰かは? そんな所では寒いでしょ?」
茉雛は姫君であるのでどこへ行くにも侍女か守り人の陽明が共をしているのだが、見下ろす先には一人しかいない。
辺りを見回している緋凰へ答えようと茉雛が口を開きかけると、板塀の上に翠一郎の顔もひょこりと現れたのだった。
「雛姫! どうしたのだ? 何かあったのか?」
翠一郎からも問いかけられた茉雛が、
「翠さん……」
切な気な表情になって思わず瞳から涙を溢れさせたので、板塀の上の二人はギョッとした。
するとそこへ、
「誰がいるの? 雛姫ってもしかして御前様の(娘)?」
梯子を立てかけて板塀の上まで登ってきた橋一が、緋凰の横からそ〜っと顔半分を出して向こう側をのぞいたのだが、涙で頬が濡れてしまっている女の子の姿が映ると、勢いよく上半身まで飛び出させたのである。
「泣いているの⁉︎ 大丈夫——あっ……」
驚いて声をかけた橋一だったが、こちらを向いた茉雛が目を見開いた事で顔の痣を思い出し、怖がらせてしまったと慌ててしゃがみ隠れたのであった。
「今のお方は……。もしかして、橋一兄上でしょうか? あのっ! 初めまして! 私、雛です! その、いつも文や贈り物をくださってありがとうございます!」
向こう側から来る澄んだその声を聞いて、緊張が出てきてしまった橋一がぷるぷる震えながらも、隠れたまま声を返す。
「こ、こちらこそ! いつも文と一緒においしいお菓子や楽しい書物をくださって、ありがとうございます! えと、いつも、嬉しくて……あの……」
強張り真っ赤な顔をしていても嬉しそうな橋一と、
「あの! 私、橋兄上のお顔、さっき見ても、怖くはありませんでした! だから——」
手のひらで涙を払ってから必死に話しかけている茉雛のふたりを見ていて、どうにももどかしくなった緋凰がよいしょと足をかけて板塀の上にまたがると、片手を伸ばしてぽんぽんと梯子の途中で丸まっている橋一の背に触れながら話す。
「雛姫ちゃんは本当に怖がっていなかったよ。だから、ちゃんと顔を合わせてみてごらんよ」
「でも……」
「大丈夫だから、さあ——」
緋凰の穏やかな笑顔に促され、橋一が思い切って再度そ〜っと板塀の上から顔を覗かせてみる。すると、目が合った茉雛がにこりと笑った事で、橋一もつられてぎこちないが笑顔を見せたのだった。
横にいる緋凰と翠一郎もまた、そのふたりの様子を微笑ましく見ていた時、
「姫様! 雛姫様‼︎」
どこからか切羽詰まった声が大きく聞こえてきた為、皆が首を巡らしてみると……。
曲輪の出入り口の方から、血相を変えた陽明が走り込んできたのである。
「姫様……。良かった、こちらにおいででしたか! 侍女も連れないでいなくなったと、御前様のお屋敷では騒ぎになっておりますよ! ご無事でなにより……。なぜお一人なのですか?」
「そうなの? ごめんなさい……」
しょんぼりと謝る茉雛の前で膝をつき、度を失うかのように話している陽明を上から見ている橋一が、
「いつも落ち着いている陽明が珍しい、女の子だからとても心配したのだね。何だかお父さんってみたいだ」
そう言って横の緋凰と何の気なしに笑い合ってから顔を下に戻してみると、顔面を蒼白させたままこちらを見上げている陽明と目が合いビクリとした。
その様子を見ている翠一郎がわずかに眉を寄せたが、すぐになんでもないような態度で口を挟んでいる。
「そりゃあ、守り役なのだから心配もするだろう。いつも一緒にいるのだし」
口まで開かせて硬直していた陽明であったが、その声ですぐに我にかえると、いつものように穏やかな顔つきに戻して自身の頭をひと撫でしたのだった。
「そう……ですね。雛姫様におかれましては、お生まれになったその日から私はずっとお世話をさせて頂いておりますので……。どうにも、心配が過ぎてしまうというか……」
最後にはバツの悪そうにハハっと笑っているので、つられて笑っていた橋一が、
「それだけ一緒にいればもう家族みたいなものだよ。だからかな、そうやって雛姫様と並んでいると雰囲気も似ていて親子みたいだね」
そう言うと、陽明の顔からスッと表情が消えたので、またしても橋一はビクリとした。
「陽明は、私と似ているのがお嫌なの?」
急に真顔となってしまった事で眉を下げながら茉雛が拗ね始めたので、慌てて陽明は膝を折ったまま片手を振り、おどけた感じで笑う。
「まさかまさか! 私としてはとても光栄にございますよ。ですがそのような事は、姫様をとても可愛がっておられる慶之助様が聞いては拗ねてしまわれますゆえ」
その言葉に、緋凰と翠一郎は以前に篠屋敷で過ごしていた頃、
『可愛い可愛い茉雛よ〜。ほ〜ら、お土産だぞぉ〜』
嬉しそうな声をしてとびきりの笑顔で簪を振っていた慶之助を思い出して、確かに、と納得している。
「殿は拗ねてしまわれるとなかなかに厄介なのですよ、姫様みたいに」
「まぁ! 陽明ったら〜」
ぷうと頬を膨らまして、からかうように笑う陽明の袖をとって軽く振り回している茉雛を見て、緋凰と同じく足をかけて板塀の上に腰掛けた翠一郎はここぞと言わんばかりに本題に切り込んだ。
「それで? 雛姫様はどうしてここへお一人で来られたのか。何から逃げてきたのだ?」
この上から降ってきた鋭い質問に、ハッとした茉雛は顔を曇らせて俯いてしまう。
「え? 逃げてきたの雛姫ちゃん、何があったの?」
緋凰の心配そうな声が降ってきても、茉雛は顔を上げられずに一言も喋らないでいる。
橋一もまた心配そうな顔を向ける中で、ふと何かを思い出した陽明がそのまま口を開いたのだった。
「もしや姫様。あの話を、誰かからお聞きになったのですか?」
それを聞いてぴくりと身体を揺らし、膝あたりの小袖の布を巻き込んで拳を握った茉雛に、陽明は静かにため息をついた。
「『あの話』って……何?」
橋一の問いかけに、茉雛の腕をさすってやっていた陽明はしばし考える素振りを見せた後、ゆっくりと立ち上がって板塀の上の三人へ顔を向け、事情を話したのであった。
ここまでお読み頂き、本当にありがとうございます。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。




