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飛凰《ひおう》の姫君〜武将になんてなりたくない!〜  作者: 木村友香里
第八章 旅は寄り道⁈ 飛凰編
231/239

8-25 鳳凰の絵

お越しくださってありがとうございます。

○この回の主な登場人物○

 御神野みかみの 緋凰ひおう(通称 凰姫おうひめ)……主人公。鳴朝城のお姫様。十三歳。

 橋一はしいち……根張城城主の次男、側室の子。十三歳くらい。

 翠一郎すいちろう……旅の途中で出会った見た目は美少女の少年。十一歳くらい。


 あけぼのの明るい光を隠すように、やや橙色に染まる薄雲が空を覆っている。


 そんな翌日の朝、西の丸にある屋敷では橋一はしいちが一人で台所に立ち、籠に入っている野菜を吟味しながらまな板の上に乗せて細かく刻んでゆく。


 「えっと、三人分ってどれくらいの量になるのかな……。昨日の夕餉ゆうげは二人ともたくさん食べていたから……。やっぱりあっちの大きい鍋にしよっと」


 なにぶん六年もの間、他人と関わる事がほとんど無く一人で暮らしていた為、橋一はしいちは共同生活の勝手が分からない。


 昨日さくじつ突然、緋凰ひおう翠一郎すいちろうの二人と共に一つ屋根の下で暮らす事となり、緊張と興奮のあまり昨夜はまともに眠ることができず、まだ外の薄暗いうちから起きてしまって使っていなかった部屋の掃除までしていたのでもう疲れているはずである。


 それなのに、今はうきうきと心をはずませながら朝餉の支度したくをしているのであった。


 「さてと、そろそろ二人を起こしてもいいのかな?」


 勝手(台所)から続いている茶の間へ大きな鍋を抱えて土間から上がり、部屋の中央にある囲炉裏いろりにそれをかけるとゆっくり奥へと進んでゆき、橋一はしいちは部屋と繋がるふすまに手をかける。


 ドキドキしながら静かに開いて中を覗いてみると……、部屋の至る所に積まれている書物の横でうつ伏せになり、両手を伸ばした先にも書物を握って力尽きるように眠っている翠一郎すいちろうの姿があるのだった。


 中へ入り木戸を開けて朝の光を入れると、


 「おはよう、すいさん。朝だよ」


 そう言って片手を伸ばそうとした。


 だが、やはり自身の顔にあるあざを意識して肩へ触れる前にピタリと手を止めると、サッと引っ込めてしまう。もう一度声をかけようかと思っている所へ、翠一郎すいちろうの目がもそりと開いたのであった。


 「……うぁ? 朝……ってしまった!」


 一瞬だけまどろんだ翠一郎すいちろうが急に勢いよく上半身を起こしたので、橋一はしいちはビクッとした。


 「あぁクソッ! いい所だったのに何で俺は寝てしまったんだ! 体勢がいけなかったのか? 寝転ぶのではなかったぁ!」


 どうやら握っていた書物を読破したかったようで、寝起きから盛大に悔しがる様子に橋一はしいちは驚きを通り越して呆れてしまう思いである。


 「君はよっぽど書を読むのが好きなんだね……。さて、次はおうさんを——」


 苦笑いを浮かべながら部屋の横まで歩いてゆき、さらに続いている部屋のふすまへ手を伸ばそうとした。


 しかし……。


 「ん? 何やってんだ?」


 大きく欠伸あくびをしてからぽりぽりと身体をいている翠一郎すいちろうが問いかける先で、橋一はしいちふすまの取手に手を伸ばしては引っ込めて……また伸ばすを繰り返しているのだった。


 「……だ、だって、女の子の寝ている部屋を開けてしまうなんて……」


 「いいのではないか? 昨夜『起こしてくれていい』っておうに言われていただろう? ほっとくとあいつ、昼過ぎても起きないぞ」


 「そうなんだ! でも……」


 どうにも決心がつかない橋一はしいち翠一郎すいちろうはため息をつくと、立ち上がってずかずかと進んでくるなり遠慮なくスパーンとふすまを開いてしまった。


 戸惑う橋一はしいちをよそに、部屋の中ほどで寝ている緋凰ひおうの身体を容赦なくまたいで奥まで進んで行った翠一郎すいちろうは、おもむろに縁側の引戸をさっさと全開に開いてゆく。


 部屋全体が眩しくなるほどに朝日を呼び込んだのだが……緋凰ひおうはやはり起きなかったのだった。


 「刀を抱っこして寝ている。寝顔も……可愛いね」


 恐る恐る部屋に入りしゃがんで見ている橋一はしいちがそう小さく呟いて顔を赤くしているのを見ると、翠一郎すいちろうはムスっとした顔になって戻ってくるなり、


 「おい! 起きろって!」


 片足を使ってぐいぐいと緋凰ひおうの身体を押し出したのである。


 「こ、こら! 人を足蹴あしげにしてはダメだよ!」


 慌てて橋一はしいちはその足を止めようと手を伸ばしたが、やはり触れる前にサッと引っ込めている。そして代わりに両手を口元の横へもってゆくと、


 「おうさん! おはよう! さっきね、いいものを見つけたんだよ! だから起きて!」


 大きな声で呼んでみるのであった。


 すると、



 「………………いいものぉ」



 ようやく緋凰ひおうがゆるゆるとまぶたを開いたのである。


 「あっ! 起きた! そうそう、こっちだよ! 来てきて〜」


 橋一はしいちが先ほど翠一郎すいちろうが寝ていた部屋まで戻るなり高速で手招きをするので、はかま姿の緋凰ひおうはのそのそと立ち上がると抱えていた脇差わきざしを腰に差しつつ後に続いてゆく。


 やかたの最奥にある部屋まで来ると、


 「これだよ」


 そう言って部屋の隅にかけられていた埃よけの布をサッと取り払って見せたのである。


 「わあぁ! すごい〜」


 寝ぼけまなこだった瞳をパッと輝かせた緋凰ひおうが見たものは、縁起物の彫刻が施されている文机の上に置かれた木組みの台にかけてある鏡であった。


 鏡はこの時代、庶民には普及しておらず、よほどの高い身分の者しか持てない代物の為にめったにお目にかかることがない。


 着飾るのは大好きな緋凰ひおうなので、嬉々としてその化粧台に走り寄っていったのだった。


 (私が鳴朝めいちょう城で使っていたものとは厚みが違う……。もしかして、これが蓬莱鏡ってものかな? 隣に置いてあるお盆も上品でいいなぁ〜)


 フンフンと鼻息荒く眺め回している緋凰ひおうの様子に、橋一はしいちも嬉しそうに笑う。


 「気に入った? だったらその鏡、あげるよ。だからこの部屋もおうさんの部屋にしようね」


 この提案に緋凰ひおうは顔を上げて目を合わせると、首を横に振った。


 「え? でもこのお部屋は——」

 「だってさ、ここは『鳳凰ほうおうの部屋』なんだよ。おうさんの名は鳳凰の『凰』でしょ? だからご縁があるんじゃないかって……。ほら、あそこに——」


 つい言葉を遮って興奮気味に話す橋一はしいちが指を差した方を見てみると、奥にある壁には華麗な表装をほどこしてある掛け軸があり、そこには壮麗な鳳凰がえがかれていたのである。


 「わぁ……とっても、綺麗な絵だね……」


 「すごいでしょ。僕の一番気に入っているものでね、養母上ははうえになってくれている椿殿つばきどのが描いてくれたものなんだ」


 「えぇ!? 椿殿つばきどのが? すっごぉい、お上手だ〜」


 立ち上がって近くまでゆき、惚れ惚れして眺めている緋凰ひおう橋一はしいちが得意げに説明をしていると、隣で一緒になって絵を見ている翠一郎すいちろうが振り向いた。


 「ねえ、橋一はしいち様にとって椿殿つばきどのはどのようなお人なのか?」


 「どのような? ……良い人だと思うよ、会った事はないけれど。でもふみを出せば必ず返してくださるし、よく珍しい物を送ってくださる」


 わらわは容姿が命だから会えない代わりに、好きな物を届けるから今の暮らしも楽しみなさい、とこの屋敷にきて初めて貰ったふみに書かれていた内容を思い出しながら橋一はしいちは穏やかに話す。


 「ふ〜ん、しかし世間では——」


 そう言いかけた翠一郎すいちろうの口元にサッと緋凰ひおうが片手を上げて続きを止めた。


 「噂ばかりが本当の事とは限らないよ」


 「しかしなぁ……あの、人とは思えない美しさを見ると——」


 「ん? 美しくあるのは、椿殿つばきどのが頑張っているってだけでしょ」


 「頑張る?」


 首を軽くかしげる翠一郎すいちろうに、少し前に椿の屋敷で働いている料理人と話をした事があると緋凰ひおうは言う。


 「あのお方は、自分で食べるお料理の献立は自分で決めているのだってさ。それとさ、前に言った私の家に伝わる家訓集の中で健康を保つ秘訣ってものと重なる事をしていたの。剣舞もできるって言っていたでしょ? あれも書いてあるから、私の叔母おば上も一族の女の人はみんなできるんだよ」


 ただし、叔母の美紗羅みさらは剣舞の才能が無かったが為に一度も見せてくれた事はない。


 「ふ〜ん。椿殿つばきどのの事は俺に関係ないから何でもいいけど、その家訓集がマジで読みたい」


 「門外不出だって」


 「くそっ!」


 悪態づいてから鳳凰の絵に目線を戻した翠一郎すいちろう苦笑にがわらいをしながら、改めて緋凰ひおう橋一はしいちの方へ顔を向ける。


 「やっぱりこのお部屋を私が使わせて頂くわけにはいかないよ」


 「どうして? この部屋は気に入らなかった? 元はお祖母ばあ様が隠居の時に使っていた小さなやかたみたいだから、しつらえもつまらなかったかな……」


 そう言ってわずかに項垂うなだれた橋一はしいちに向かって、緋凰ひおうは慌てて今度は両手を左右にぶんぶんと振る。


 「違うよ! つまらないどころかとても素敵なお屋敷だから! そうではなくて、この部屋は一番奥にあるからあるじ橋一はしいち様が使わなければいけない所だよ。鏡だって橋一はしいち様に必要なものだから」


 「そんな事、全然気にしなくていいよ。僕は一人だったから囲炉裏いろりの所で寝起きしていて、部屋なんてどこも使っていなかったから。それに……鏡だって……見たくは……」


 悲しげな顔で痣のある頬を撫でる橋一はしいちの近くに来た翠一郎すいちろうが、苦言をていする。


 「あのさ、これから貴方あなた様は若君として人前に立ってゆくのだから、礼儀に慣れておかないと恥ばかりかくぞ。武士としては身だしなみも重要で馬鹿にはできないものだ」


 「ぼ、僕が人前に出る? それはないでしょ? だって僕は庶子だから——」


 「それがどうした? このまま一生ここでのうのうと生きていけるとでも? 人の命など明日をも知れぬ世の中だぞ。今、貴方様を守っているお殿との様がいなくなれば、おのずと出てゆかねばならないだろう」


 橋一はしいちとてそれを考えなかった訳ではない。


 だが、目をらしていたこの事実を改めて他人の口から聞いた事で、急に現実味を帯びてきた感覚を覚えて身体が怖さでガクガクぶるぶると震えてきてしまった。


 「すいったら……。大丈夫だよ、橋一はしいち様。これからゆっくり人に慣れていけばいいのだから。礼儀作法の練習も私たちが付き合うからちゃんと身につけられるよ。だから怖がらないで、ね」


 慰めるように言って笑う緋凰ひおうを見て、涙目にまでなっていた橋一はしいちが無言で何度もうなずき、落ち着きを取り戻してゆく。


 完全に気持ちが鎮まった様子を見てとった緋凰ひおうが、


 「じゃあ、私は庭で少し身体を動かしてくるから」


 そう言って足早に部屋を出ていったので、橋一はしいちも慌てて追いかけたのだった。


 「何をするの?」


 「私の旅には身を守る武術が不可欠だから、毎日少しは身体を動かさないとすぐに鈍ってしまってね——」


 歩きながら返ってきた答えを聞いて、橋一はしいちはパッと顔を輝かせると緋凰ひおうを小走りに追い越した。


 「武術の訓練!? じゃあさ、いい所があるよ! こっち来て!」


 またしても高速で手招きしてくる橋一はしいちへついていった緋凰ひおうは、やがて裏庭の奥に案内されたのである。


 そこには案山子かかしが無造作に立ててあったり、大木の枝から垂れているひもの先に小枝がくくり付けてあったり、遠く弓の的らしきものが立てかけてあったりする。


 「ここ! どうかな? 一応さ、僕も武士の子だって聞いてから刀や弓ができた方がいいかなって思って作った場所なんだ。武器だってあるんだよ」


 橋一はしいちは意気揚々と近くの納屋へ若干じゃっかん顔を引き攣らせている緋凰ひおうを連れていくと、戸を引いて中にある弓や刀、槍などを見せている。


 後ろからついて来ていた翠一郎すいちろうが立てかけてある立派な刀を手に取って眺めながら問いかけた。


 「誰に武術を習っているのだ?」


 「習ってはいないよ。僕が勝手に書物に出てくるぶんとかで想像してやってみるだけで……」


 「ふ〜ん、ではちょっと見せてくれないか?」


 そう言われて、ズイッと刀を差し出された橋一はしいちが戸惑いを見せる。


 「そ、そんな……恥ずかしい……」


 「何を言う。どうせこれから一緒に訓練してゆくのだからいいだろう」


 「一緒に……?」


 思ってもみなかった翠一郎すいちろうの言葉に橋一はしいちが横を向いてみると、


 (本当は武術は嫌いだなんて言えない……)


 と、内心でげっそりしながらも無理やり笑顔を作っている緋凰ひおうが頷いていた。


 「そっか……。じゃあ、見ていて」


 嬉しさが込み上げてきた橋一はしいちが、ほおを赤くしながら刀をはかまひもへ差しているので、


 (大変だ! 刀の重みではかまが落ちちゃう!)


 ふんどしが丸見えになるという事態にならないよう、慌てて刀の扱い方を教えてやっている。


 そうなんだね、と恥ずかしそうにしてきちんと腰に刀を差した橋一はしいちが大木の元まで歩いくると、緋凰ひおう翠一郎すいちろうが見守る中で刀をスラリと抜き、大きく振りかぶった。


 「えい!」


 気合いの声と共に顔を横に向けつつ刀が振り下ろされる。


 しかし、切先は紐にぶら下がる小枝に当たる事なく空を切っていったのだった。


 続いて槍に持ち替えると、


 「やあ!」


 気合いと共に下を向いて突き出した穂先は、案山子かかしの横を通り過ぎる。


 続いて弓に持ち替えると、


 「てい!」


 気合いと共に離した弓弦が頬へ当たる恐怖にギュッと目をつむって放った矢は、的を外れてあさっての方向へヒューンと飛んでゆくのであった。


 「どうだった? なかなか難しいんだよね」


 どこか満足そうな笑顔となって聞いてきた橋一はしいちに、翠一郎すいちろうは絶望的な顔となっている。


 だが、真剣な顔で一部始終を静かに見ていた緋凰ひおうが、


 「うん! スジはいいよ!」


 と、にこやかに返したので翠一郎すいちろうは二度見して愕然とした。


 「お、おい。今のへっぴり腰のどこが?」


 「これから武器の重さに耐えられる身体を作って、敵から目を逸らさないようになれば——」


 緋凰ひおうが自身の見解を述べている途中で、ぐ〜っと腹を鳴らしてしまう。


 すると、つられて橋一はしいちの腹も鳴る。


 ついでに翠一郎すいちろうの腹も主張をして鳴らしたので、三人は思わずそれぞれの腹に手を置いて目を点にしてから……ブブっと吹き出した。


 「朝餉あさげの事、すっかり忘れてた。ずは、食べないとね」


 アハアハと笑いながら歩き出した橋一はしいちを追って、緋凰ひおう翠一郎すいちろうも笑いながらやかたへ戻ってゆくのであった。

 


ここまでお読み頂き、本当にありがとうございます。

これからも、どうぞよろしくお願い致します。

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