8-17 やっぱり人助けしていた
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○この回の主な登場人物○
御神野 緋凰(通称 凰姫)……主人公。この国のお姫様。十三歳。
翠一郎……一緒に旅をしている見た目は美少女の美少年。十一歳くらい。
太陽が頭上近くに到達しそうな頃、気晴らしもあるのか店の軒下で職人がモノづくりをしていたり、道ではボテふりが声を上げ女たちがまばらに行き交い、子供があちこちで走り回ったりして遊んでいる——。
人通りがいつもより少なく感じる今日の根張城の城下町を、翠一郎が汗だくになりながら必死にあちこちを走って緋凰を探し回っていたのであった。
——まさか七日もの間、凰が居なかった事に気づかなかったなんて……。俺も大概だな。
仙之助の部屋近くにあった書の蔵に案内されてからというもの、翠一郎は大喜びでずっと蔵の中に入り浸っていた。
食事も忘れるくらい夢中になっていた所、今朝方に青い顔をした仙之助から、緋凰の姿がずっと見えないので探していると聞いてようやく居なくなっていた事に気がつき、血相を変えて探しに出たのであった。
——凰は妙なところで律儀だったりするからな、俺に黙って旅に出る事はないはず。おおかた、佐吉さんを城下町で見送った後に人助けに巻き込まれたかして戻って来られなくなったに違いない。
辺りを見回しながらそう考えていた翠一郎の背中へ突然、のんびりとした声がかけられる。
「お〜い、翠さ〜ん。おひさし〜」
聞き覚えのある男の声に翠一郎が足を止めて振り向いてみると、どこかの家の板塀あたりで、白地に富士山やら鷹やらド派手な柄のついた小袖がひらひらと揺れている……。
「ん? なんだ?」
よくよく目を凝らして見てみると、ようやく着物の上に見慣れた男の顔が浮かび上がってきたのであった。
「佐吉さん! あのさ、凰を知らないか? もう何日も城にいなかったみたいで探しているんだ!」
これだけ目立つ小袖を着ていながら存在に気がつかなかった事実に驚愕しながらも、翠一郎はこのとんでもなく影の薄い男である佐吉の近くまで走り寄っていって尋ねている。
あぐらをかいて座る目の前の茣蓙にいくつか商品を並べて辻売りをしている佐吉は、その切羽詰まっている様子に目を瞬かせてある方向を指差したのだった。
「凰さんなら、ずっと前からあそこで『お手伝い』をしているよ〜。ね、ね、この着物どう? わし、目立ってる〜?」
「え? あぁ、うん。目立ってたよ……」
着物だけが、との言葉を隠した翠一郎は、そそくさと目線をずらして佐吉の指の先を辿ってみると、そこでは城下町の出入り口になる大きな木戸の近くで土木工事をしている人々の姿がある。
「え? あんな所に?」
「なんでも、こないだ城にいたあの使用人の男に人買いへ売られそうになったのを逃げてきたそうな」
「なに⁉︎ 城の台所に案内されたのではなかったのか? クソッ、あの男め!」
「そこから翠さんの元へ戻ろうとしたんだけど、そこの工事中の事故に出くわしちゃって怪我した人の代わりに手伝ってやってるってところだな」
「やはり人助け、全くもう……。だが売られなくて良かった、いや、凰が大人しく売られるわけがない——って、いた!」
話の途中にもかかわらず遠目で緋凰を発見して走っていってしまった翠一郎へ、佐吉はひらひらと片手を振って見送ったのであった。
ーー ーー
根張城を拠点としている山間部の多いこの国でも、戦国期の幕開けと共に周辺国との不穏な空気が後を立たない。
東西南北、隣接する他国には、互いに姫を嫁がせたり若君を養子に出したり貰ったりと人質を交換したり、商売などの利益の兼ね合いといった外交やらでなんとか首の皮一枚の綱渡りにて余計な戦は避けてこられたのだが……。
半年ほど前に、南の国から根張城の城主へ側室に出されていた姫を、同じ側室の椿殿が追い払ってしまった事で南国との国交に亀裂が生じてしまった。
ゆえに戦の備えの一つとして今、城下町の周りを強固にする工事が行われている。
元は簡単な木の柵が貼られているものだったので、そこへ堀を作るべく主に力の強い男たちが土を掘ったり天秤棒やらで運んでいる中に混じって、一人の娘が担いでいた土の重さに耐えきれずに転んでしまったのだった。
「大丈夫かい?」
そう言って一緒に土運びをしている野良着姿の男が駆け寄ってくると、親切に手を貸して女を立たせようとしたのだが……。
「おい! てめぇはさっきから転んでばっかで何しとんのじゃ、この女!」
どすどすと足音を地に響かせてここの現場監督の男が飛んできたかと思うと、転んだ娘をいきなり長い木の指揮棒で強かに打ったのだった。
「なにをなさいます! やめて下さい! 女子なのですよ」
娘に手を貸していた男が悲鳴のような声で抗議をしたのだが、工事の総監督であるこの男はでっぷりとした身体をふんぞり返らせてフンと鼻で息をつく。
「そいつは確か怪我した親父の代わりに来ているやつだ、代わりをちゃんとやるべきだろうが。ひょろい奴は引っ込んでろ!」
「ひえっ」
ブンと横に振られた指揮棒を避け損ねて尻もちをついた弱々しい男の横で、起き上がれずにいた娘がたまらずに勢いよく立ち上がった。
「この人は親切にしてくれただけで関係ないですよ! それに、確かに父の代わりで来ましたが……。アタイは力が無いのでここは辛いです。でも、料理は得意なのであっちの炊き出しに場所を替えて欲しい。その方が役に立ちますから」
「つべこべとうるせぇ! 人が足りねぇんだ、黙って土をたくさん運べ! 女だろうが男だろうがここでは何にも関係ない! ナマ言ってんじゃねぇ!」
こめかみに青筋を立てて癇癪を起こした監督の男がそう叫んで指揮棒を振り上げたので、さすがに気の強いこの娘も打たれる恐怖でギュッと目を瞑った。
ところが。
腕が振り下ろされたと同時に二人の間に笠を被った緋凰がサッと入ると、両手で指揮棒を白刃どりで受けたので娘の頭は無事に終わったのだった。
「何だテメェは! どけっクソ餓鬼が!」
気色ばむ監督の男であったが、次の瞬間には自身の肩を大きくてたくましい手が掴んだ事でビクリと身体を震わせた。
「ほ〜う、なかなかいい事を言いますね。出鎚様」
「その声は!」
出鎚と呼ばれた監督の男が恐る恐る横を向いてみる……。
するとそこには、自身よりも背が高く、がっしりとしていても、出るところは出ていてしまる所はたくましく引き締まっているダイナミックな身体つきの大きな女が一人、にこやかな顔でかつ迫力満点の雰囲気で立っているのであった。
「き、『桔梗』!」
「『何にも』関係ないのであれば、あなた様も『身分に』関係なく手伝ってくださるのか。アタシも手伝っておりますので」
現場の副監督を務めている武士の娘である桔梗は、近くにあった重い土の入る大きなザルを軽々と持ち上げると出鎚に向かって差し出している。
「はあ? わしを誰だと思っている! そんな仕事をする身分ではないわ! もういい、わしはあっちを見に行く!」
若干声を震わせて、出鎚は妙に感じる恐怖で顔を青くしながら後ずさると、逃げるように去っていったのだった。
その背を見送ってホッとした娘と野良着の男は、
「ありがとうございます、桔梗様。それにあなたも、ありがとう」
「いやどうも、助かりました」
緋凰たちへ頭を下げている。
「どういたしまして。だけど、あの人ってすっごく乱暴だね。この国ではあんな人が多いの?」
クソ餓鬼とか言われたと口を尖らせている緋凰の横へ進んできた桔梗が、軽く眉を下げて諭してきた。
「すまない、凰。だが勘違いしないでくれ、この国の人たちは、上の人たちも含めて気の良い人たちの方が多いのだ。たまたまあの『成り上がり』の一族たちが傲慢なだけで」
「成り上がり?」
「そうさ、元はあいつら旅商人の一族なんだ。その中の男の一人がずる賢くて、いろいろな所で他人の手柄を奪って武士になり数年でいきなり高い地位についた奴なのだ。さっきの男も元はしがない商人だったのがいきなり地位の高い武士になって、調子に乗っているのだろう」
ため息をついた桔梗の横で、娘は怒り心頭で話をし出した。
「ほんとそれ! アタイ、あの人たちが商人だった時の頃を覚えているけど、その時から『あこぎ』な商売していたんだよね。しかもお殿様ったらアイツらから娶ったとんでもない美女に夢中で何でも言う事を聞いちゃうってのよ! 男ってのはもぉ〜」
近くで聞いている野良着の男がハハっとバツの悪そうな顔で笑っているので、桔梗は腰に片手を置いて呆れた顔で娘をたしなめる。
「こらこら、男が皆そうではないだろう。それにここのお殿様だって女好きってだけで決して悪いお方ではないはずだと思う。そうアタシの父も言っている」
「そうかなぁ。でも、その美女を使ってあいつらがお殿様を操って甘い汁を吸っているって聞いたし」
ここで仙之助が山で話していた事を思い出した緋凰は、何となく気になって聞いてみる。
「美女って『椿殿』って人の事?」
「あら、そうよ。もうあまりに評判が悪いからみんな妖女だのなんだの言っていて……。でもね、内緒だけど……アタイは椿殿に憧れてんだ〜。あんな風に遊んで暮らしたいし。あ〜、アタイもどっかの領主様の側室になりたい」
目をキラキラさせて願望を語る娘に、緋凰は自身とは全然違う考え方だと唖然とする。
「えぇ⁉︎ 側室がいいの? それに奥さんがいっぱいなんて嫌ではないの?」
「アタイは貧乏が何よりも怖いし、奥さんがいっぱいでもわりと気にならないかな。色恋の争いも別に平気なんだよね〜」
逆に燃えるわと娘がカラカラ笑っていると、向こうから土を運んでくれと呼んでいる声が聞こえてくる。
桔梗が片手を振って応えた後に、
「では、そなたは炊き出しの方へ行ってくれ。頼んだ」
そう指示を出した事で娘は喜んで礼を言って走って行くのであった。
「いいな〜。桔梗さま〜私もお料理したいな〜」
工事の事故の時に初めて出会った日から意気投合して桔梗と仲良くなっていた緋凰は、そっと袖をとって甘えてみる。
「ん? そうだな、お前は愛らしいのに力が強いのだが料理やらが好きだったな。まあ、いいだろう」
「やったぁ! ありがとう桔梗様、好っき〜♡」
笑顔になってパッと腕に飛びついた緋凰の肩を撫でてやりながら、仕方なしと笑っている桔梗へ野良着の男が気をつかって言う。
「では貴方様も炊き出しの方へゆかれるがいいです。女子なのだし、その可愛い顔が怪我でもしてはいかんですよ」
思わぬ言葉に、いっときだけ桔梗は目を点にして自身より背の低い男を見つめたが、次の瞬間には大きく笑い出してしまうのであった。
「あっはっは——! おっさんは凄いな、『可愛い』などと初めて言われたぞ。アタシは鍛えているからそこいらの者より力が強い、案ずるな」
「カッコいい……頼もしいですな〜。あれ? ってかわしはそんなにおっさんに見えます? まだ若いと思うんだけどな〜」
ほんのり頬を赤くして羨望の眼差しを向けてから参ったなと頭をかく男に、二人が笑っていた所だった。
「おーーーーう‼︎」
大きな声で呼ばれた緋凰が振り向くと、向こうから勢いよく翠一郎がかけてきたのを見る。
「良かった! 探したんだぞ!」
そういって飛びついてきた腕を緋凰は笑顔で躱しているのだった。
「だから! こんな時くらい避けるな!」
「駄目です」
むやみに自身へ触れさせない緋凰へ翠一郎はブスッとむくれながら、喚くように問いかけてきた。
「なあ、城の奴らに人買いへ売られかけたって本当か⁈ 恩を仇で返しやがってあいつら……」
歯ぎしりをして悔しがる翠一郎へ、それが聞こえた野良着の男が慌てた様子で話に割り込んできた。
「なに? 城って根張城の事で? あそこのお城へ行くと人買いに売られるのかい? しかも恩を仇で返すって……」
「ああそうだよ。こっちはあの若君を助けて連れてきてやったというのに、とんだろくでなし連中だ!」
憤慨する翠一郎を緋凰がまあまあと諌めていると、隣の桔梗がすまなさそうな顔で詫びてきた。
「何かの間違いであってほしいが……。凰、ひどい事をしてしまって申し訳なかった。謝って済むものではないのだが、城の人たちに代わり謝らせてくれ、すまなかった」
そう言って頭を下げた桔梗の隣で野良着の男までもがすまなかったと頭を下げたので、緋凰は慌てて両手で抱えるようにして二人を起こしている。
「いいよ、大丈夫だったから。それに、この国には桔梗さんやおじ……おにーさん達のようにいい人がたくさんいるのも分かっているからね。そうだ、仙之助さんはもう元気になった?」
振り向いて問われた翠一郎は、怒りが収まっておらずさらに喚き出す。
「この期に及んであんな奴の心配などするな! お前に置いていかれそうになった俺を心配しろ!」
「翠を置いて行ったりなんてしないよ。ちゃんとここのお手伝いが終わったら迎えにいくつもりだったよ〜」
「俺が見つけなかったら永遠に来ないだろう!」
自身とて緋凰がずっと居ない事に気づいていなかったものを棚に上げて怒る翠一郎を、必死になだめていた時だった。
野良着の男がついっとさり気なく遠くを見やり、小さく頷いて見せている。
誰もそれに気が付かないまま、一通り怒った翠一郎が、
「もうこのまま旅に出るぞ!」
そう緋凰を促して連れて行こうとしたのだが、急に目の前にて武士らしき風貌の男が二人、立ちはだかるようにして現れたのだった。
「凰様と翠一郎様とお見受けいたす。我ら、根張城城主の家来にてございます。我が主より、御二方へ若君を救って頂いたお礼と『無礼があった』事へのお詫びをさせて頂きたく、迎えに参じました」
「誰が戻るか! 礼も詫びも不要だと伝えろ!」
口上を一蹴して鋭く言い放つ翠一郎へ、弾かれたように武士の二人が片膝を折り頭を下げる。
「先のお話、聞かせて頂きました。お怒りはごもっとも、平にご容赦いたしたく……。なれど、若君もまた一大事にございまして、凰様にどうしてもお会いしたいと伏せておられるのです」
「知るか! そんな——」
「まって」
翠一郎の顔の前に片手を上げて怒鳴りかけたのを制した緋凰が、
「仙之助さん、またお加減が悪くなったのですか? おかしいな……山であそこまで元気になっていたのに。ねえ、翠一郎」
眉を寄せて戻ろうと言った目で見てくる。
——凰には病でずっと倒れたままの兄がいたんだっけな。
ゆえに、ただでさえ人助けばかりをする緋凰がその兄と境遇が似ている仙之助を無意識ではあろうが見捨てられないのだと翠一郎は察すると、
「あぁもう。あんな奴、甘やかすなよ……」
肩を落として大きくため息をついたのだった。
ここまでお読み頂き、本当にありがとうございます。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。




