8-16 騙そうとしている!
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○この回の主な登場人物○
御神野 緋凰(通称 凰姫)……主人公。鳴朝城のお姫様。十三歳。
佐吉……商人らしき壮年の男。
根張城の出入り口となる大きく立派な木組みの大手門を出て歩いてゆき、すぐに見えてきた賑わう城下町へ入った辺りで、
「では、わしはここで」
そう言って佐吉が向き合ったので、先に書の蔵へ連れて行かれてしまった翠を諦めて一人ででも見送るべく隣を歩いていた緋凰が、被っている笠を上げて少し寂しげに笑ったのであった。
「たくさん経験してきたけれど、やっぱりお別れってさみしいものだね。夏の間、佐吉さんから商いの事を教わったり旅の貴重なお話が聞けたりして楽しかったよ。ありがとう」
「いやいや、こちらこそ〜。やもお(男やもめ)のわしには久しく賑やかな暮らしで……こっちも楽しかったですよ」
佐吉がポロッとこぼした言葉で過去に妻がいた事を知り、少し驚いた緋凰ではあったが、繊細な事情がありそうなそこには触れずそっと流しておくと、懐から先ほど城内の屋敷で貰った褒美の銭が入る巾着を取り出している。
「はいこれ、山での暮らしでたくさん商いの品をくれたお礼だよ」
そう言って差し出された手の中を見て、佐吉は首を横に振った。
「まったく凰さんときたら……、気にしなくてもいいのに。わしだってたくさんご褒美もらったよ〜。それは凰さんの旅に役立ててくださいな」
「私はしばらく仙之助さんのお屋敷で過ごすから大丈夫だよ! これも仕入れの元にしてね、佐吉さんの商いがとっても繁盛する事を祈っているから」
受け取らない佐吉にそう説得をして、緋凰はそっとその手に巾着を握らせたのだった。
「ありがとう凰さん。『瑳矢之介』さんが怒らなければぎゅ〜ってしちゃうトコでしたよ。あ、おっさんだし変態になっちゃうかな〜」
愛おしそうな顔をして礼を口にしつつそんな冗談を言いながら、よいしょと箱を背負い直し、折りたたまれていた『よろずや』と書いてあるのぼり旗を伸ばして手に持つと、
「まだまだしばらくはこの町にいますんで、見かけたら遠慮なく声をかけてくださいな。といってもわし……目立たないから見つけてもらえないかも〜」
ハハハと佐吉は自身に笑っている。
ふ〜むと腕を組んで考えた緋凰は、いい事を思いついた様子であっと声を出した。
「それだったら着物をもっと派手にしてみたらどうかな? 佐吉さんが今着ている物は無地の柿色だから目立たないのかも!」
「なるほど〜! ではいっそ、金ピカの着物にしてみようかな〜、ハハハ」
「それならどこにいても分かっちゃうね! アハアハ」
二人して腹を抱えて笑った後に、
「どうぞお元気で。それではね〜」
と片手を振って佐吉は歩き出したのであった。
「佐吉さんもお元気でね!」
緋凰もまた、大きく片手をあげて振り返していると、先ほどから斜め後ろで待っていた下男が待ちくたびれた様子で声をあげてくる。
「おい! 終わったならもう行くぞ!」
緋凰はその声へ応えるように一度振り向いてからすぐに顔を戻してみると、もうそこには佐吉の姿が煙のように消えてしまっていたのであった。
ーー ーー
佐吉との別れから城内に戻ると思いきや、下男は緋凰を連れて城下町を突っ切ってゆくと、町の出口となる木戸すら出てしまい、少し歩いた林の登り坂に入っていく。
眉を寄せた緋凰は前を歩く下男に問いかけてみた。
「ねえねえ、お城の台所を見せてくれるんじゃないの?」
「ああ? ……まずは食いもんを取ってくるところから見ればいいんじゃねぇの」
「そこから⁉︎」
振り向きもせず明らかに適当な答えを返してきた背に口を尖らせながら、
(あやしい……もう、あやしさしかない! これ、絶対に変なところへ連れて行かれるに違いない! 翠は大丈夫かなぁ)
緋凰は危険な予感を察しながらも、この後に翠一郎まで連れてこられてしまうかもとその企みを確認しておくべく、腰の刀をいつでも抜けるようにしておとなしくついていったのだった。
登っている山道の幅が徐々に狭くなってゆき、あまり人が通らない所に来たのか左右の茂みから生えている野草の背がとても高くなっている。それでも歩き続けていると急に視界の開いた場所が出でてくる。すると、遠く朽ちかけている木の門やちょっとした登り階段、そして所々が崩れている土塀が目に入ったのである。
「あれ、廃寺だよね?」
そう呟いて足を止めた緋凰が門の中をじっと眺めてみると、そこにはヨレヨレの小袖を着崩していたり暑さから上半身を脱いでいたりといった姿で、ぐだぐだな体勢になって座りながら談笑している男たちが数人ほど確認できたのであった。
(賊だ! まごうことなき、ならず者だよ! ここ、近づいちゃいけない所だよぉ〜)
やっぱり騙されている、と顔を引き攣らせて立ち尽くしていると、
「なにしてんだ! はよ来い!」
苛ついた下男が掴み掛かってきたので、
「私に触れないで!」
ムッとして緋凰はその手を避けたのだった。
ますます腹を立てた下男が何度も掴み掛かってくるので、緋凰はことごとく避けてやる。
「クッ! 避けんなや! さっさと歩け!」
「嫌だよ! だって明らかに変な所でしょ? ここは」
「うっせーよ! ここまで来て逃げられると思うな!」
「えぇ⁉︎ 本性が出ちゃっているよ!」
二人して大きな声で言い合っている所へ、
「なんだなんだ〜? おお、てめえか」
その声を聞きつけた賊たちがわらわらと階段から数人降りてきて二人を囲むように立つと、下男の前に横幅の広い巨大な人影が来たのだった。
「あ、お、お頭さまがいらっしゃったとは。どうもどうも、えと、とんでもなく美しい上玉を連れてきやしたので……その……」
目の前に漂う強烈な威圧感で完全に萎縮しながら告げた下男の言葉で、賊の頭であるこの大男は緋凰の方へ顔を向けるなり低く唸る。
「おい、顔が見えんぞ」
「は、はひ! ただいま!」
飛び上がる勢いで返事をした下男が被る笠に手を伸ばしたので、緋凰はやはりサッと避けている。
その様子に眉を寄せた大男は首を傾げると、しゃがみながらググッと上体を横に倒して笠の中を遠目から覗き込んだのであった。
「ほぉ、なかなか。まあ、これくらいだ」
男が片手で示した指の数に、
「なっ! 少なすぎですよ! こんな上玉、もう手に入りませ——」
不満爆発で訴えた下男であったが、次の瞬間には大男の岩のような拳の裏拳で殴られ、横に吹っ飛んでいったのである。
(いま私、売られようとしているぅ⁉︎ そしてこの大きい人、何事も暴力で解決しようとする性格だ。しかも短気……)
着地した先で白目をむいて気絶してしまった下男を見ながら緋凰が冷静に観察していると、その振り払われた巨大な拳が開くなり自身を捕まえようと襲いかかってきたので慌てて後ろへ退いて避けたのだった。
「およ? すばしっこい鼠だな。よっ」
大男が今度はブオンと空気を切り裂く音を出して、開いて掲げた左の拳を振り下ろしてきた事で、緋凰もまた横に飛んで躱していると、数人の手下たちも一斉に捕まえにかかってきたのである。
(逃げようと思えば逃げられるけど、私と入れ違って翠が売られてしまったら……どうしよう)
迫り来る賊たちの手をひらりひらりと躱しながら考えると、
(仕方がない! よし、戦術の基本! 隊を散らすには大将を狙う!)[難易度高し]
緋凰はすぐに決断をして、大男の脇を全力で走り抜けていった。
「うお?」
あまりの速さにまだ子供だと油断をしていた大男も賊たちも一瞬だけ緋凰の姿を見失ったが、たった一人の賊だけ目を見開いて思わず両手を広げた。
それは大男の真後ろにて土塀を背にしていた男で、正面から突っ込んでくるその身体を捕まえようとしたのだが——。
手前で緋凰は両手をついて素早く側方倒立回転の捻り飛び(ロンダート)をして男の目の前で背を向けると、その勢いで上に飛び、男の頭に手をかけて後ろ手に半回転をしながら塀の壁を蹴って前方に向かった。
(いまだ!)
弾丸のように飛んでゆく緋凰は空中で腰の刀に手をかけると、逆刃での抜刀術で後ろから大男の後頭部付近の急所を打ったのだった。
悲鳴をあげる暇もなく気絶し、前のめりにズシンと倒れた自分たちの頭を見てその場の全員が凍りつく。
「な、な、何して……くれとんのじゃあ!」
手下たちは驚愕しながらも、手に手に鎌を持ったり小刀を抜いたりして前へ突き出してみたのだが、緋凰の放つ鋭い気迫とあっという間に頭を倒された事実に、腰がひけていたり小刻みに震えていたりしてしまう。
彼らの虚勢を見抜いた緋凰は、
(あっ! これは、『強い言葉』で威嚇すればいいやつだ! そうすれば、父上たちがやってたみたいに、ガーッて言うだけで敵は逃げちゃうもんね!)
可愛らしい顔つきであっても、雰囲気が武御雷神といった軍神ばりの気迫をもっていた煌珠が落としていた強烈な言葉の雷を思い出し、静かに刀を鞘に収めると背をぴしりと正して言い放ってやるのだった。
「ものども! 聞け!」
高くはあるが切り裂くような声で、賊たちはその第一声にビクッと身体を震わす。
「私は『売れない』ぞ! しからば、この戦いは無意味だよ!」
だが、最後のこの語尾で、
「ん?」
と目を点にして賊たちの動きが止まってしまったのだった。
(やっちゃった! つい、『だよ』とか言っちゃったよ! これでは怖くなくて逃げてくれないかなぁ……)
とりあえず無表情を作りながら緋凰は内心でドキドキと動揺していると、やがて恐る恐る互いの顔を見て頷き合った賊たちが、
「そうだね……意味ないね〜。じゃあ、えと、どうぞ……」
ぼそぼそと言いながら後ろに下がって帰り道を開いたのであった。
(思ったのと違うけど、これ以上戦わないで帰れるなら……まあいっか)
ホッとしながらも、その様子すら表に出さないように毅然とした態度で歩き出した緋凰であったが、賊たちの横を通り過ぎる際に、
「そうだ、ここに『翠』という子が売られにきても買わないでよ! いや、そもそも悪いことなんてもうしないでよね‼︎」
忘れずに伝えておいてから、賊たちが茫然としている中で颯爽と巨人が倒れるその場を後にしたのであった。
このように、旅をしていて戦どころか練兵場にも行っていない緋凰なのではあるが、本人が望まずとも武術の腕ばかりは上がっていってしまうものなのであった……。
ここまでお読み頂き、本当にありがとうございます。
柿色の着物、ちょっとしたヒントです。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。




