8-13 影の薄い男
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○この回の主な登場人物○
御神野 緋凰(通称 凰姫)……主人公。鳴朝城のお姫様。十三歳。
翠一郎……旅先で出会った元若君である少年。十一歳くらい。
見上げた先で銀色にギラリと光る刀身が、己の頭上を目がけて一気に振り下ろされる寸前だった。
絶望と恐怖の感情が襲ってきた時、どこからともなく目の前にサッと瑠璃色の眩しい輝きが現れるやいなや、先ほどの刀とそれをかざしていた刺客が空気に弾かれたように突如、後ろへ吹っ飛んでいってどこぞへ消えてしまったのである。
——この瑠璃色は! 『あの』鳳凰——⁉︎
直感した瞬間に『もう一度』、片手を伸ばしてみたのであった。
ーー ーー
「うぎゃぁ!」
その甲高い男の叫び声に驚き、失っていた意識を取り戻した若者がうっすらと目を開けると……。
「や、やめ、はなしてー! 最近だいぶ薄くなってきちゃったのぉ、大事な資源がぁ……」
庶民のかぶる烏帽子ごと側頭部を鷲掴みにされた壮年の男の頭が目の前にある。
意識と共に感覚が戻ってきた片手から感じる細い束の触感に、自身が男の髪を握りしめていると気がついた若者が慌ててその手を離したのだった。
「あぁ……抜けちゃったかなぁ……」
引っ張られる被害を最小限におさえる為に這いつくばるようになっていた上体をゆっくりと持ち上げた男は、涙目になりながら自身の頭皮を撫でくりまわしている。
そんな男の背後に若者がさらに目の焦点を合わせると、だいぶ朽ちてきている梁と表面がささくれている屋根の板葺が見える事で、自身はだいぶボロな小屋に寝かされているのだと分かった。さらに背中の感触からして板も張られていない土間だとも推測できたのだった。
「こ……こは……?」
倦怠感が酷く、かろうじて動かした口で右横の男へ尋ねていると、
「五日目にしてやっと起きたか。もう死んだと思ったけど」
そんな声と共に、若者の視界の左側からぴょこぴょこと愛らしく美しい顔が二つ並んで現れたのである。
その世にも稀なる綺麗な顔を見て目を丸くしている若者の脳裏に、ふと河原で賊に襲われた記憶が戻ってきた事で再び目線を戻している。
「そうか……。そなたが助けてくれたのか……かたじけない」
納得した顔の若者に礼を言われた男は、首と手のひらを横に振った。
「いやいや、お礼はこっちの女子さんの方へ……。『誰かー』って聞こえたから誰かがきたよ〜ってわしが着いた時には、もう凰さんがあなたさんを助けていたんだから」
そう説明されて目線を左側に戻した若者は、かたじけないと二人が座って並ぶ奥にいる方へ向かって目礼する。
「どういたしまして、うふ♡」
性別も一緒に間違えられた事でそう可愛こぶって返した翠一郎を、男がこらっとたしなめた。
「人をからかっちゃいかん! 違う違う、この子はこう見えても男だかんね。隣のかわい〜い女子ちゃんの方だから」
手のひらを向けられた緋凰はアハアハと笑いながら、
「どういたしまして。身体はだるいかな? お水か白湯でも飲める? 熱をみたいから少しおでこを触るよ〜」
そう言って座ったまま軽く身を乗り出すと、人差し指の背をそっと額に寄せている。
ピトリと触れた指先に小さく胸を弾ませて、間近にきたこの愛らしくも整った顔をぼんやりと眺めている若者が、
「……美しい」
と呟いた言葉を聞いて、横で見ている翠一郎はなぜだか無性に腹が立ってきた。
「おまえ、なに触っているんだよ! こいつ男だぞ!」
急に怒鳴りつけられて緋凰は驚くと、思わず指を額から離して振り向いてしまう。
「いきなりどうしたの⁉︎ だって熱をみないとどうするか決められないから仕方がないでしょ?」
「男に触れると『瑳矢之介』が怒るのじゃないのかよ! 俺にはいつも触るなって言うくせに!」
「こういう時は瑳矢之介だって怒らないよ。それに、翠にだって風邪をひいたりした時にはこうしていたよ」
「ん? 俺にも? …………って、なに勝手に触っているのだ!」
「えぇ⁉︎ 触っていいのかいけないのか、どっちなの? ……もういいよ、お水取ってくる。あ、ついでにあそこにあった薬草もむしってこよう」
何を怒られているのか分からず困り顔で立ち上がった緋凰へ、向かいの男が待ったと声をかけた。
「薬草なら後でわしが他のものと一緒にむしりに行ってくるから、先にこっちを溶いてやればいいさ」
そう言って背負い箱から小さな紙の包みを取り出し、座ったままそれを手渡している。
「ありがとう、佐吉さん! でも、佐吉さんは商人だからこれは商いのお品だよね? あ、銭でよければ払うよ」
「あぁ、いらんいらん。困った時はお互いさま〜」
佐吉と呼ばれた男が笑う向いで、おもむろに立ち上がった翠一郎は緋凰の手から包みを取ると匂いを嗅いで眉を寄せた。
「……おっさん、見ず知らずの俺たちに少し気前が良すぎないか? これけっこう高い薬だろ? なんか怪しいな」
じとりとした目で見つめられたのに、佐吉は何やら嬉しそうな顔になってゆく。
「お、それの価値をよく知ってんな〜。確かに仕入れれば高いが、その中にあるのは歩いている途中で生えている薬草を見つけてわしが作ったものだから、そう損にはならんのさ。なになに、わしをよく見てくれるんか〜?」
「何で疑われたのに笑っているのだ? 余計に怪しい」
そう言ってより眉を寄せている翠一郎に、佐吉はフッと息をついて今度は苦笑いを浮かべた。
「怪しいもなにも……。わしは顔立ちも平凡で姿形も平凡。声だって名にしたって何もかもがどこにでもいそうな平々凡々の男でさ〜。だからかわしって、妙に影が薄いんよ」
「影が薄い?」
「何と言うか、人にわしと言う存在が頭に残らないというか……。あ、ねえねえ、ちょっと鷲鼻ぎみな所なんて目立ったりしない?」
「う〜ん。もっとすごい鷲鼻の人なんてたくさんいるから、そこはあまり……」
翠一郎の返す答えに、緋凰は実家の小姓頭で立派な鷲鼻を持ってる耕吉を思い出し、佐吉はがくりと肩を落としている。
「そもそも、あなたさんたちだってわしを五日前に初めて会ったと思っているだろ? 実はもう半年くらい前にわしらは会っているんよ。あの村で一緒に冬越しした仲だというのに〜」
「ええぇ! 会っている⁉︎」
全く覚えのない話に翠一郎も緋凰も仰天してしまい、そんな二人を見て佐吉は口を尖らせながらもう少し詳しく語る。
「そうさ。なのに『久しぶり〜』って言われるかと思ったのに『誰ですか』なんて……。あの村ではあなたさんたちと一緒に、べっぴんさんとちっこい子もいたでしょ? わしはあの家のちょっと離れた隣の小さい小屋で過ごしていたから、おはよ〜とか挨拶したりすれ違ったりもしていたのに〜」
「嘘だろぉ⁉︎」
そこまでの交流がありながらも、その存在が記憶に残っていない事に翠一郎は信じられぬ思いで立ち尽くしてしまったが、緋凰は反対に眉を下げている。
「もう、佐吉さんったら。一人で小屋に住んでいたの? 言ってくれたら私たちと一緒に過ごしていたのに……。寂しくなかったの?」
「いやいやいや。わしはどちらかと言うと一人の方が気楽で好きなんでな。それに、あんなべっぴんさんと一つ屋根の下だなんて……毎日こう、鼻血がぶーだ、ぶぶー」
「それはたいへんだ〜、アハアハ」
そのようなやり取りをしておどけていた佐吉がふと、
「凰さんは『本当に』優しいなぁ。……おっと。あぁほら、早く水を」
しみじみとした最後には笑顔でそう促したので、笑っていた緋凰は慌てて外に出てゆくと、水いっぱいの竹筒を持って戻ってきたのであった。
鼻から出てこないように、寝ている若者の枕にしている荷物を増して上体をわずかに上げ、水を少しずつ飲ませて様子をみてからいざ、薬湯を口に入れようと緋凰が匙を使って飲ませようとした時だった。
「それは嫌だ……」
熱でぼんやりしながらも、若者はそう呟いて口を閉じてしまったのである。
「どうしたの? これを飲めば後から熱が落ち着いて楽になれるよ。毒ではないから安心して」
知らぬ相手に警戒しているのだろうかと、緋凰は匙の薬湯を自身の口に放り入れて毒味したのを見せてみる。そして改めて薬湯を差し出したのだが、どうしても若者は口を開こうとしないのであった。
「これは苦すぎるから嫌だ。それに、よく飲まされるが私にはあまり効かない」
「そうなの! この薬が効かない人って初めて聞いたよ。でも、『あまり』ってことは全然効かないってものではない? 今のままでは命が危ないから少しでも飲んでみてよ」
「嫌だ……。どうしてもって言うならば、先に甘味が欲しい」
「あ、だめだめ。この薬は何かを食べる前に飲まないといけないものだから。それに、ここには甘いものなんてないよ」
「では飲まない」
「だけど——」
ここで、困ってしまった緋凰の横で二人のやりとりを黙って聞いていた翠一郎が急にまた激怒し始めたのだった。
「お前! いい年をしてなに餓鬼みたいな事言ってんだよ! わがままいうんじゃねぇ! さっさとこれくらい飲めよ!」
君も大概なわがままだよね、という言葉を緋凰は飲み込んだ。
「どうしても嫌いなんだよコレ。むり……」
怒鳴られた若者が弱々しく言ってしくしく泣き出してしまったので、翠一郎の苛立ちが余計に増してしまう。
「はあぁ⁉︎ 武士が何泣いているのだ、情けない! てかコレくらい、鼻つまんで飲めばいいだろうがよぉ!」
そう勢い込んで飛びかかろうとしたので、慌てて緋凰が匙を置いて間に入った。
「落ち着いて翠! さっきからどうしたの? 武士だって泣く時はあるでしょ? 私の国の練兵場でだって『女に振られた〜』とかで、よく武士の男の人が泣いていたよ?」
そんな日は皆で馬鹿騒ぎをした後、二次会の酒盛りが朝まで続いていたのを思い出している。
「知るかそんなもの! そもそもこんなクソわがままな奴に構う義理もないだろうが! もう捨ておけよ!」
「そんな事できないよ!」
「こんなどうでもいい奴を甘やかせるな! それならもっと俺を甘やかせ!」
「これ以上君を甘やかしたら、書物を持った石の像になっちゃうよ! さざれ石だよ!」
「何でだよ! こんな奴は望み通りにとっとと死んじまえ!」
「翠一郎‼︎」
二人がぎゃあぎゃあ言い合っているうちに、佐吉がすす〜っと若者の前まで進んでくると、
「大好きなお姉ちゃんが他の男に優しくするからヤキモチ妬いている『弟』ってやつだな〜」
そう笑いながら、熱で半分気絶しかけている若者の口へテキパキと薬湯を流し込んで処置をしているのであった。
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