8-9 小さな策士
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○この回の主な登場人物○
御神野 緋凰(通称 凰姫)……主人公。この国のお姫様。十二歳。
翠……元旅芸人一座の美しき下働き。十歳くらい。
婉……元旅芸人一座の芸者。
一座から逃げ出したその日から三日後の昼過ぎ——。
夏の日差しを所々で木々の緑が柔らかく遮っている山の中、寝ている小吉をそのままにしておはよ〜と起きてきた緋凰へ、地に燃えている焚き火の前で食事の準備をしているお婉が『遅よう』だねぇと苦笑している。
その隣に座り込んで笠を被った緋凰がさっそく手伝い出した所へ、翠も起きてきたのであった。
「あ、今日は袴なんだ。そうやって髪を結い上げていると凛々しいものだね」
緋凰と同じく、着物にたっつけ袴をはいて髪をポニーテール風に結い上げた男装の姿で現れた翠は、眠い目をこすりながらどうもと言って焚き火の向かい側に距離を置いて座っている。
「あれ? なんでそんなに遠くで座るの? ご飯が出来ても届かないよ」
急に素っ気ない態度になっているように感じた緋凰が首を傾げていると、隣で婉がくつくつと笑った。
「そりゃあもう、お前さんにわざわざ媚びなくても良くなったからねぇ」
「媚びる?」
「要するに、このぼうやは初めからずっとお前さんを利用していたのさ。こうやって一座から逃げ出す為にね。私が付いてきたのは意外だったろうけど」
「え? そうなの?」
目を丸くした緋凰が見つめる先で、翠は澄ました顔をして竹筒の水を口に含もうとしている。
「な〜んだ、『やっぱり』翠くんも一座から抜けたかったんだね。小吉くんだけを連れていくのかなって思ったから、無理やり連れてきちゃったようで心配していたのだけど良かったよ」
「え?」
水を飲む手をピタリと止めた翠は慌てて顔を向けてくる。
「『やっぱり』ってどういう事だ?」
「ん? だって始めから何か『相談事』でもされるのかと思っていて……。一座を抜けたいのかな? とも思ったけれど、翠くんなら頭が良さそうだし一人ででも抜けられそうな感じだったから、結局は最後まで分からなかったよ」
その緋凰の説明に翠は眉を寄せた。
「まて。始めからって……いつからだ?」
「もちろん、初めて翠くんと会ったときからだよ。手巾を拾ったときから」
次第に目を丸くし始めた翠を見て、婉が面白そうだと口を挟んできた。
「するとなにかい? お前さんは自分が利用されると分かっていてこのぼうやに付いていったと? そうされる事に腹は立たなかったのかい?」
「う〜ん……。どのみち、小吉くんと一緒に抜けたいって相談されても協力していたと思うからなぁ。別に……」
その答えを聞いた翠は、
「……なんだよ、じゃあ始めからそう言えば良かった」
今までの努力は何だったのだと肩を落としてしまい、
「アッハハハ——、豪気だねぇ。ぼうやもまだまだ人を見る目が浅いってものさ」
婉は大きく笑ってしまうのだった。
そんな二人を尻目に、緋凰は火に焼べてある竹筒の世話をしながら話を続ける。
「それに、翠くんもお嬢さんを好きなのかなって思ったから本当に分からなかったんだよね」
顔を上げた翠の表情が苦いものとなる。
「冗談いうな。俺はあんな人を人とも思わないで平気で、しかも理不尽に殴るやつは嫌いだ。だけど、お嬢に気に入られていれば夜の芝居に出されないだろうから側にいてやっていたんだ。そもそも俺は、人に触れられるのがものすんごい苦手なんだよ」
物心がついた時から、かなりの潔癖症なのだと言う。
「触れられるどころか、人との距離が近いのも無理なんだ」
「え? それなのに私の代わりに夜のお芝居に出ようとしたの?」
「お前かお嬢が止めるのを見越していたんだよ。だけどまさか、お嬢が俺を殺しにかかってくるとは思いもよらなかったけど……」
その時の事を思い出して顔を引き攣らせている翠に、緋凰は遠くで感心している。
「すごいね、翠くんは子供だけどもう立派な策士だね」
「策士というか、詐欺師だねぇ」
遅い朝餉の仕上げを緋凰に委ねて、婉は近くにある大きな木の幹に背を預けている。
詐欺師と言われてムスッとした翠は、フンと鼻を鳴らす。
「せっかくだから一つ教えてやるよ。凰は俺と初めて会ったのは『手巾を拾った時』だと思っているだろう」
「そうじゃないの?」
「違うね。俺はもっと前からお前を見ていた」
あの町の入り口にある舞台で仕事を手伝っていた翠は、ある時その近くを横切って町へ入ってゆく緋凰を見つけた。
きちんとした身なりの旅装だが、子供らしいのに一人きり。
気になって後を追い、興味を持ったのでわざと手巾を落として自身と出会わせたのだった。
「賢い『策士』はもっと前もって準備をしているものさ。ん? まてよ……、あっ! もしかして俺が身の上ばなしをした時も嘘だと思って、途中で寝やがったのか⁉︎」
「ち、違うよ! 寝てないよ! たぶん……」
ぎくりとした顔で否定する緋凰に翠は疑いの眼差しを向けている。
「あれは本当の話だ、俺の身の上は同情されやすいからな。まあ、今だから白状すると……凰を俺に惚れさせて言う事を聞かせるつもりだったんだよな〜」
そのつもりでわざと仲良さそうにしたり、お嬢が虐めにかかったら庇ってやって英雄を演じるつもりであったが、ことごとく目算が外れる結果となっていた。
「あんなに誘って落ちなかったのはお前が初めてだよ」
実家にいた時も、分家の男に殺されまいとその娘や女親の心をなんとか捕らえ、庇護させて身を守っていた。あわよくば男の娘と婚姻でもして惣領としての実権を奪い返してやる腹づもりであったのだが、そこまでは上手くいかなかったのだった。
「私を色恋で落とすつもりだったの? それは無理だよ」
目をぱちぱちさせながらもそう言い切ってくる緋凰に、見た目の美しさに自信のある翠は怪訝な顔をする。
「なんでだ?」
「だって、この世に瑳矢之介よりもいい男なんていないもの」
「どれだけそいつに盲目なんだよ!」
そんな二人の会話を楽しそうに聞いていた婉が、確かに綺麗だったと呟いた言葉を緋凰は聞き逃さなかった。
「あれ? お婉さんって、瑳矢之介を知っているの?」
問われてあっとなった婉は軽く口もとを隠している。
「おっと口が……。まあ、知っているというか……。私も白状しちまうとね、もう何年だったか前にお前さんをどこかの町で見たことがあるんだよ。たしか、良い体つきの色男な武人に口説かれたんだっけねぇ」
なんとなく緋凰の頭に、浮気性な岩踏兵五郎の姿が浮かんでくる。
「その時、お前さんの隣に珍しい琥珀色の目をした美しい男の子がいたのを覚えているよ。そもそも、お前さんの顔もねぇ……。昔、ちょっと好きだったくそじじいによく似ているから忘れられなかったんだよ」
好きなのにくそじじいって言っちゃっている、と内心で緋凰がツッコミを入れている向こうでは、翠が妙に面白くなさそうな顔をしている。
「ふ〜ん、そいつそんなにキレイな男なんだ」
「綺麗もあるけど、瑳矢之介はね〜優しいし、頼りになるし、カッコいいし声も素敵だし、いい匂いもするし、あ〜——」
抑えられなくなったニヤニヤ顔を両手で隠して足をバタつかせてから、頬を赤く残したまま顔を出した緋凰は翠に気を遣って言ってやるのだった。
「だから遠慮なく私の遠くにいていいよ。その方が瑳矢之介も怒らないからね」
「ふ〜ん、じゃあ——」
ますます面白くないといった顔をした翠はいきなり立ち上がると、スタスタ歩いて行くなり緋凰の真横にボスンと座ったのである。
「えぇ! 何でぇ⁉︎」
「そ〜言われると、しゃらくさい」
「ムキにならなくたっていいよ!」
喚く緋凰をよそに、そっぽを向きながら内心で翠は、
——でも、凰が初めて俺に触った時にあんまり違和感が無くてけっこう驚いたんだよな。家族以外ではそういう人があまりいなかったし。
緋凰にそっと腕を引かれて庇われた時の事を思い出して不思議に思ったが、そこを言葉にはしなかった。
そして反対に今度は仔猫のように愛らしい顔を作り、わざとらしく甘えた声で緋凰へ『お願い』をしているのだった。
「あ、俺の元の名は『翠一郎』だから。それからさ、俺って学問が好きなんだよね〜。だけど一座では書物すら読ませてくれなかったからキツかったし。だから都に興味があるからさ〜、一緒に連れて行ってくれよ〜」
「分かったからもう! 何でもいいから離れてよぉ〜」
パッと立ち上がって反対隣に逃げてきた緋凰へ、婉はやや呆れた目を向けている。
「お前さんは本当にお人好しだねぇ。こんな信用できるか分からない子を連れて行くなんてさ。私も人の事は言えないけど……」
そう言われた緋凰は、少し考え込んだ後でばつの悪そうに人差し指で軽く頬をかくと、
「えっと……実は私もみんなに話していない事があるんだよね。これから一緒にいるとなると、すぐに分かる事だけど……」
そう言いながら二、三歩ほど先にある木漏れ日の下へ進んで行って、そっと笠を頭から外してみせたのだった。
さらりとこぼれ出た長い髪と、陽の光に照らされた瞳が美しく瑠璃色に輝き出す。
それを見た瞬間、翠の脳裏で五色に光り煌めく大きな翼がはためいたのだった。
——そうか……。やっぱりあれは吉夢——。
明け方に、瑠璃の瞳と冠羽を持つ鳳凰が飛んでゆくあの『夢』を見たその日に、
『私? 私は……『凰』だよ』
その名を聞いて大きく胸が震えた。
ゆえに翠は、どうしても緋凰をあのまま離さなかったのだった。
「人によっては化け物に見えるようだけど……」
ふいに耳へ届いた緋凰の声で翠は我にかえると、引き寄せられるようにゆっくりと歩いてゆく。
傍らで座る婉は、以前にも壮年の男が持っていた『瑠璃の瞳』を見ていた事で、さほど驚いた様子はなく、緋凰を静かに眺めていた。
目の前まできた翠もまた、陽の元で輝いている瑠璃の瞳を息が止まるほど見つめている。
「……綺麗だな。俺には神様にしか見えないよ。……嘘じゃない」
「よかった、ありがとう」
安心して微笑んだ緋凰に、見上げていた翠がふと真面目な顔を向けてくる。
「隠してくれていて良かった。もしこの瑠璃が一座の人たちに知られていたらもっと大変な事に……。『芝居』の方も……危なかったな」
「でも、翠くんでは『組討』したら大怪我しちゃうから良かったよ」
「へ? 組討?」
「え? 違うの? じゃあ、夜のお芝居って何をするものなの?」
互いにキョトンとした顔でしばし見つめ合った二人であったが、やがて翠の方がブフッと吹き出してしまった。
その後ろでは婉も大笑いをしている。
「もうそれでいいよ、お前はさ〜」
そう言って腹を抱えている翠は、随分と久しぶりに年相応の顔になって大きく笑っているのであった。
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