7-58 飛凰の姫君 [前半の終わり]
読んでくださり、ありがとうございます。
○この回の主な登場人物○
御神野 緋凰(通称 凰姫)……主人公。この国のお姫様。十二歳。
真瀬馬 瑳矢之介 光桐……緋凰の元世話役。今は許婚。十四歳くらい。
御神野 優ノ進 璉珠……緋凰の従兄。十三歳くらい。
平助……璉珠付きの荒小姓。十五歳くらい。
春を彩っていた桜の花たちから最後の花びらが散り終えて、山々では生命力に満ち溢れた緑が一面を包みこみ始めていた。
その瑞々しい葉や木々が陽の光を浴びて元気に群生している所へ、時折り青空を流れる真白な雲が墨色の影を落としてゆく。
鳴朝城の頂上にある壱の櫓の屋根上で眼下のそんな当たり前にある美しい景色を眺めながら、璉珠はお山座りで座ったままため息をついたのだった。
そんな主を見て、自分たち以外に誰もいない事で隣で同じように座っている平助が、竹筒の水をちびりと飲んでから声をかけている。
「どうしてでしょうね〜。何で優ノ進様(璉珠)と瑳矢之介殿は都まで凰姫様を追いかけてはいけないんでしょうかね〜」
「……父上たちが言うには『お前たちはまだ未熟者だから駄目だ』って事みたいなんだけど。まぁ、凰姫の事を考えると……私たちはここで大人しくしている方がいいのだろうね」
「優ノ進様が凰姫様をお迎えにいくのは、マズいんですか?」
「う〜んとねぇ——」
屋根の上とはいえ、一応誰も部外者が来ていないか辺りを軽く見回して確認した璉珠が、内緒だよと声を落として御神野家の内部事情をこっそり教えてやった。
「この国の人たちが凰姫を神様の化身だって崇めちゃうのと同じように、御神野一族の中でも『瑠璃姫』は一族の権威の象徴のように考えている人がいるみたいでさ。だから、凰姫が瑠璃色になるって知ってしまった都方の御神野一族がこちらへその『瑠璃姫』を渡すようにって何度も催促していたようで、それを伯父上たちが上手くかわしていたんだってさ」
もし都へ渡してしまえば、これまで通りの瑠璃姫たちのように緋凰は屋敷の奥深くに閉じ込められ、庇護される代わりに大きく自由を失い、政治やなんやらに利用されていくのが煌珠や閃珠には目に見えて分かっていたのであったが為に、何かと理由をつけて頑なにその要求を拒み、緋凰を都から守っていたのであった。
「なのにまさか凰姫の方から都へ行ってしまう事態になってしまって……。それでもしも私たちが追いかけていって捕まるかして、それと引き換えに都へ留まるように御神野一族が凰姫を脅してしまったりしたらって考えると……」
「あ〜それは行けないっすね、凰姫様ってそういう所はお優しいですから。……そう考えると瑳矢之介殿なんて美しすぎて御神野一族どころか都中の女たちから捕まるんじゃないっすか?」
「そうそうそれ! 父上たちも同じ事言って心配していたよ。『女の扱いも知らぬ瑳矢之介がその美しい容姿を引っさげて参上した日には、都中にお花の嵐を巻き起こすんじゃないのか』って」
特に御神野一族の女たちにとって、『瑠璃姫と琥珀の君』の恋物語は憧れのもの。
そんな崇拝している物語から出てきたような、琥珀の君と同じ特徴をもつ瑳矢之介を見た女たちが放っておくはずもないと思われるのである。
「おぉ、ナントカ物語みたいっすね。都中の女たちを嫁にしちゃうんじゃ——」
アハアハと笑い転げて冗談を言った平助の背筋が、突如ヒヤリとする冷たさに襲われた。
「——そんなワケないっすね〜。うん」
璉珠の座る奥から自身に放たれる壮絶な殺気を感じ取った平助は、前言を即座に撤回してスッと真顔になるのだった。
璉珠もまた、反対隣を向いて近くに背を向けて立っている瑳矢之介へやれやれといった顔で安心させようとする。
「大丈夫だよ、都には翔兄上(延珠)がいるのだから。必ず、凰姫を助けて国へ帰してくれるよ」
そう声をかけられても、瑳矢之介はずっと都の方角から目を離せずに振り向きもしないで返事をした。
「……そうですね。ですがそれ以前に、凰姫様がこのまま真っ直ぐに都へ辿り着いてくれるのかどうか……」
「え⁉︎ そこからなんすか⁉︎」
そう言って驚く平助の横にて璉珠は、いつも落ち着きのない緋凰の姿と、才能のついでにその性格をも色濃く受け渡したのであろう祖父の閃珠が、一人だと寄り道ばかりで目的地に真っ直ぐ行かない人である事を思い出し、確かに〜と両手を後ろについてなんとも言えない顔で天を仰いでいる。
「どのみち、私は成すべき事がありますゆえこの国で待ちます。ですがもし、万が一にでも凰姫様が都へ取られるような事になったその時には……誰が何と言おうと私が、奪い返しにいきます」
背を向けたままの瑳矢之介がそう言って拳を握りしめたのを見た璉珠は、
「そうだね。その時は必ずや凰姫を助けにいこう」
平助と顔を見合わせると、瑳矢之介の気持ちが落ち着くまで根気よく付き添ってやるのであった。
——緋凰は……あの時の俺との約束を忘れているのであろうな。そうでなければ叔父上の領地で必ず俺を待っていたはず。
瑳矢之介は俯いて目を閉じると、あの日の事を思い出す。
『もし凰姫様がまた旅に出る事になったら……その時は俺も共に連れていってください』
『——いいよ、そんな時があったら一緒に行こうね!』
『……約束です』
『うん』
元気に返事をした緋凰の笑顔を想うと、肩で息を吸って大きくため息に変えてしまう。
——あの時の俺は自分の気持ちに気づいていなかったが、それでもこんな風にもう離れたくなくて約束をしたというのに……。
ゆっくりと顔をあげ、再び目を開けると、
——戻れ緋凰。必ず——俺の元へ。
雲の切れ間から差し込んできた陽の光で鮮やかに光る琥珀色の瞳で見据えながら、瑳矢之介は永く都の方角を望んでいるのであった。
ーー ーー
その同じ頃。
峠道からぐるりと視界が開けている雄大な山頂での景色の中で尾根道に沿って歩いていた緋凰は、途中にあった大きな岩の上に座って一休みをし、先ほど麓の農村にて畑仕事を手伝ったお礼にもらった握り飯を食べながら被っている笠を軽く上げて、遠く鳴朝城の方角を眺めていたのだった。
「瑳矢之介に文、ちゃんと届いたかなぁ〜。私がちゃんと生きているって分かったかなぁ〜。待っててくれるかなぁ〜。もしも……他の女の人に……目がいっちゃったら——ふぐっ! ぶぐふぉっ‼︎」
余計な想像をしてしまったがばかりに、握り飯が喉の変なところに入って鼻から米粒が吹っ飛ぶくらいにむせてしまう。
「いいや大丈夫! 瑳矢之介はそんな事しないって信じているもん!」
ゲホゲホと咳き込んでから竹筒の水を慎重に飲むと……、喉も気持ちもいくらか落ち着いてきたのである。
涙目を手巾で拭いて握り飯を食べ終わると、口をふきふき手早く片付けを済ます。
そのまま岩の上に立ち上がって大きく伸びをすると、改めて鳴朝城の方角を望むのであった。
(兄上だってきっと大丈夫だよね。銀姉上も星兄上も、みんなが側で守っているのだから……。寂しいけど、兄上たちが私のせいで悪い奴らに見つかったらいけないもの。……寂しいけどぉ〜!)
帰りたくなる気持ちを抑えようと、被っている笠を誰もいない事を確認してから外し、そよ風にポニーテールで束ねた瑠璃色の髪を揺らしながら胸いっぱいに深呼吸をした。
「どうかみんな、兄上をよろしくお願いします。すぐに戻ってくるから待っててね、瑳矢之介!」
ふんっと拳を握って勇ましく気合いを入れると気力が湧いてきて、早く都にいこうと気持ちが奮い立ったのだった。
この時、
『——束だ』
「——ん?」
フッと記憶の片隅から滲み出るように何かを思い出しかけた。
「あれ? なんだろう? 私、何か忘れてるような……。え〜……と」
両こぶしを握りしめながら懸命に記憶を掘り起こそうと頑張ったのだが……。
「思い出せないや。……ま、いっか」
出発したい気持ちが逸ってしまって諦めてしまうのである。
地上の緑を眩しいくらいに弾きながら降り注いでいる陽の光に透き通るような瑠璃の瞳を煌めかせると、笠を被り直して槍棒を持ち、岩の上からぴょんと飛び降りて緋凰は尾根道を元気にかけていくのであった。
——ところが。
しばらく道を走った所で、向こうから歩いてきた大荷物の老人が何かにつまづいて転んでしまうのを目撃したのである。
「わあぁ! 大丈夫⁉︎ ……怪我がなくて良かったね。え? この大荷物を麓の村まで一人で持っていくの⁉︎ それは大変だから私、手伝うよ! さっきその村に居たから道も分かるんだよ——」
すまないねぇと感謝の言葉を口にする老人と一緒になって、緋凰は笑いながら都とは全然別の方向へ歩き出してしまうのであった……。
そんな緋凰の横を、すれ違うように一羽の大きな鳥が地を蹴って飛び立っていく。その白い両翼を力強くはためかせて、どこまでも続いている大空へと舞い上がっていったのであった——。
ここまでお読み頂き、本当にありがとうございます。
お読みくださる皆さま、ブクマや評価に感想まで頂いた皆さまのおかげさまをもちまして、無事に前半を書き終える事ができました。
言葉ではどうにも伝えきれないのですが、とても深く感謝を致しております。
後半では、煌珠が祈りを込めてたくましく育てた緋凰がどのように生き、願い通りに十五歳を超えて生きるのかと、恋の結末を書いてゆこうと思います。
これからもどうぞ、よろしくお願い致します。




