7-57 本人不在の解決 後
読んでくださり、ありがとうございます。
○この回の主な登場人物○
御神野 緋凰(通称 凰姫)……主人公。この国のお姫様。十二歳。
真瀬馬 瑳矢之介 光桐……緋凰の元世話役で許婚。十四歳くらい。
御神野 優ノ進 璉珠……緋凰の従兄。十三歳くらい。
おたね……主人公の元子守りで虐待した罪により尼寺に入っていた女。
まだ朝靄が色濃く残っている早朝。
露に濡れている短い草を軽い足取りで踏みながら、おたねは山の中腹にある矯堪尼寺から麓にある矯堪寺(僧寺)へ使いを頼まれて山道を楽しそうな様子で下っていた。
朝日は昇っているのだが生憎の曇り空で景色は鈍色で薄暗いのだが、それとは反対におたねの心は晴れ晴れとしているのだった。
「あ〜、凰姫がやっと死んでくれたわ〜」
少し疲れて足を止め、物騒な事を言いながら、暖かく湿った山の空気を伸びをしながら胸いっぱいに吸い込んで笑顔で吐き出している。
「ほんっと目障りだったわ。この地上に生きているって思うだけで胸くそ悪かったし。戦に出されたっていうのに生きて帰ってくるどころか『あの人』の方が死んでしまうなんて……ありえなかったわ!」
思い出して腹を立てたおたねは足元に落ちている石を掴むと、八つ当たりでそれをアテもなくぶん投げてしまう。
あの日、鳴朝城の二の丸御殿にて緋凰を虐待していた罪により本当は死罪だった所を、矯堪寺の尼寺へ入れられてからはや七年程が過ぎていた。
尼寺へ放り込まれた最初の頃は、
『あの子が二の丸御殿にさえ来なければ、私は今頃、律ノ進様(煌珠)と一緒になって幸せに生きていたものを』
そんなありえもしない幻想に引きずられていて、とにかく緋凰が憎くてしょうがなかった。
ところが、鬱々と修行をさせられていたある日のこと。
おたねは矯堪寺へ食べ物などを運ぶ仕事で出入りしていた一人の男と出会う。
その男は気さくで明るい性格でもあり、容姿も悪くない。ただ、異常なほど賭け事が好きすぎてそちらにだらしないせいで、年頃になっても嫁がどうにもつかない人であった。
それでも、おたねのかなりな好みであり優しくしてくれる事、そして男の方でもとびきりの美女ではないがそれなりに美しいおたねに心惹かれたが為に、二人が恋仲になるのに時間はかからなかった。
だが、おたねは罪人であり尼でもある。
ゆえに禁断の恋であり、また男の借金問題もあるが為に到底結婚など出来ようもないものではあったが、それでも二人はこっそり付き合い続けていた。
そしてその間、おたねは幸せだった。修行は辛かったが緋凰の事も、あんなに追いかけた煌珠の事ですらキレイさっぱり忘れ、新しい恋に酔いしれて暮らしていた。
そんな日々が何年か続いた先で、苑我軍が攻めてきたあの戦が起きたのである。
『この戦が終わるドサクサに紛れて駆け落ちしよう(借金の踏み倒しも含む)』
そう言い残して、戦場に駆り出されていった男を今か今かと待ち続けたおたねであったのだが……。
思いもよらずに男はその戦で命を落としてしまった。しかもあろう事か、おたねの父親が戦の最中に謀反を起こして戦死し、一族が国外へ離散してしまったという悪夢までもがもたらされたのである。
さらに絶望に叩き落とされたおたねの耳に、緋凰が子供ながらに武功をあげて国を救った英雄になっているという噂が入ってしまったのだった。
『どうして……どうして、あんな瑠璃の化け物が生き残ってあの人が死んでしまうのよ! また私の幸せを奪うなんて……許せない!』
ぶつける先の無い怒りと悲しみが、事もあろうに完全なる逆恨みとなって緋凰へ矛先が向かってしまったのである。
そんな時、寺の御堂の前にて女が一人で手を合わせ、熱心に何かを願っている姿に出くわした。
何気なくすれ違う時に、
『あぁ、あとは凰姫がいなければいいんだけど……』
そう呟いていた声を拾ったおたねは足を止め、この藤枝の侍女をそそのかして緋凰を暗殺しようと企んだのであったのだった。
「私が関与した証拠は残していないしね。いい気味だわ〜。これでもう、私が幸せになるのを止めるやつなんていないわ。次こそは私をこの地獄から救い出してくれる素敵な人を早く見つけないと。……それにしても凰姫のやつ、きっとならず者の刀に怯えて最期には泣きながら斬られたのかしらね。ふふ……あはは、見てみたかったわ〜ざまぁみろ! アハハハ——」
思わず高笑いを出しながら歩きはじめると——。
パキリ……。
近くで何かが折れる乾いた音が小さく響き、おたねはどきりとした。
「え? なに? 誰かいるの?」
早朝の静まり返った山中であって、まだ自分以外に誰もいないと油断していた事で声を出していたのだが、
——今の話、誰かに聞かれていて寺へ告げ口されてしまうと厄介だわ。
そう思い、音のした方を向いて目を凝らして誰かいないか探してみる。
道の横にあるその茂みでは、まだ朝靄が薄くかかっていて暗い為に先がほとんど見えなかった。
「誰かいるなら出てきなさいよ! ……それとも、ただの鳥?」
少し緊張しながらも、おたねは睨みつけた顔のまま道の端までくると意を決してそっと茂みをかき分けてみた。
朝露で手のひらと袖が濡れてしまったが、構わずにそのまま上半身を入れて中を確認すると……。
茂みの奥では、目の前に佇んでいる木から伸びている細い枝の途中が折れて、皮一枚で繋がったままぷらぷら揺れているのが見えるだけで、人影は全くなかったのだった。
「ただ獣か何かが通っただけね。びっくりさせないでよ」
ふぅと息をついて安心した様子で茂みから上半身を出したのだが……。
足元に白色が強い布切れが一枚落ちているのが目に留まり、ギョッとした。
「え? こんなの……落ちていたかしら?」
指先でつまんで拾い上げてみると、内側に何か黒く文字が書かれているのがわかる。
「何かしら? うーんと……お、うひめ、はいき、てい、る……。——え⁉︎ まさか! 『凰姫は生きている』なの⁉︎」
読み上げた瞬間、驚きのあまり茫然としてしまったのだが、緋凰の姿が頭に浮かぶとすぐに怒りが込み上げてきた。
そしておそらく、暗殺に雇ったごろつきがしくじった事を報告しにきたのだと思い、辺りに向かって喚き出したのであった。
「ちょっと! 凰姫は殺したんじゃなかったの⁉︎ 何やっているのよ! わざわざ泣き言なんて言いにきたわけ? 最初の男がしくじったのなら、人質を取ればいいって言ったじゃないの! お金が足りないならまた百敷の女から出させるから、子供を殺すごろつきをもっと雇いなさい! 悪いと思って隠れるくらいなら確実に殺してから来なさいよ! まったく……」
一気にまくし立てて言い切った直後だった。
パキリ……。
またもや枝が折れる音が間近で響いたかと思うと——。
ゾクリとおたねの背筋が急激に凍りついたのである。
——な、な……。
目の前に不審なものは何もないし、人影が視界に入ったわけでもない。
なのに、ズシリと突然襲ってきた謎の強い恐怖心と圧力で身体までもがブルブルと震え始めてきてしまい、おたねは訳が分からずに混乱してしまう。
その時、背中の方から山中の静寂を破って大量の小鳥が一斉に空へ飛び立っていった。
そしてその鳥たちの気配とは別の何かが……後ろに迫ってきたのをようやくおたねは感じたのだった。
——だ、誰なの? え? 人……なのかしら……でも足音がない……。怖い! でも、足が震えて動けない……声も……出せな……い……。
まるで蛇に睨まれた蛙のようだった。
足から冷たいモノが這い上がってくるような感じを覚えて気持ち悪くなり、全身に脂汗が吹き出し、自分の中では何かが逃げろ逃げろと激しく警告しているのだが……動けない。
身体中が金縛りにあっているのに、心臓の鼓動だけが破裂するのではないかと思うくらいに激しく打ち付けるように動いていた。
やがて……。
微かに、妙に……生温く感じる気配が……真後ろまで来ると、呟くように声のようなものが聞こえてきたのであった。
「……オマエガヒメサマニシタコトト……オナジコトヲシテヤロウ……」
耳に届くと同時にドクンと刃のような恐怖が胸に突き刺さり、おたねの目からは無意識に涙がぼたぼたと溢れ落ち始めた。
——人なの⁈ に、逃げたい! 誰か! 誰か助けてーーーー‼︎
内心で力いっぱい叫んだ時、急にフッと身体の金縛りが解けた。
あっとなったおたねは死に物狂いで走り出そうとしたのだが、数歩のところで慌て過ぎて足がもつれ、派手に土道の上へ転んでしまった。
ガタガタと震える手でなんとか上半身を起こしたおたねは、
——一体、私は何から逃げているの?
つい、そんな疑問が頭に浮かんでしまったが為に、肩で大きく息をしていながらもよせばいいのに……恐る恐る後ろを向いてしまったのである。
直後——。
おたねの両目は目玉が飛び出さん限りに、口も裂けんばかりに大きく見開かれ、恐怖に慄く顔となる。
後ろを向いた事を激しく後悔したのだが——後の祭りであったのだった……。
ーー ーー
「えぇ⁉︎ 死んだ⁉︎」
天珠の命を受け、おたねを捕らえに行った兵達に同行していた瑳矢之介と璉珠が、まさかの出来事にそろって驚きの声をあげて互いに顔を見合わせていた。
「そうなんですよ。今朝早くに麓へ使いに出たきり戻らないので、おかしいねってみんなで探しに行ったらこれですよ」
矯堪尼寺の境内へ一行を連れてきた尼が、先ほど運び込まれて地面に寝かされたばかりの筵の上の部分を軽く持ち上げてみせた。
「うぐっ! これは……ひどいね……」
璉珠が思わず口を押さえて呟いた先では——。
着物があちこち破れて身体中が打撲と傷だらけになっており、目を思い切り見開き、人相が変わっているのではないかと思うほど顔が引き攣ったまま絶命しているおたねの遺体が横たわっているのであった。
崖の下で発見された事で、上から足を滑らせて落ちてしまったのだろうとの尼たちの言葉で、瑳矢之介たちは念の為にその遺体発見現場の崖上まで足を運んでみたのである。
「あ〜。たしかにここなら、通り道だし道幅も細めだから霧に迷って足を踏み外してもおかしくはないっすね〜」
「そうだね……。ここに来るまでに何かと争ったような形跡もなかったから、よほど慌ててしまったんだろうね。あれ? 瑳矢之介、どうしたの?」
自身の小姓である平助とそう結論づけた璉珠が、崖の先で神妙な顔をして口元に拳をあてて考え込んでいる瑳矢之介に気がついて不思議そうに声をかけた。
ふと我にかえった瑳矢之介が振り向いて慎重に歩いてくると、やや腑に落ちない顔で疑問を口にする。
「なんか……あの遺体、この崖の上から落ちた割には損傷が激しすぎるような気がして……」
「あ、それね。私も少し思ったよ。だけど、本人は死んじゃっているし見た人もいないからもう、どうしようもないんじゃない?」
事故であろうと自害であろうと、もしくは他殺であろうとも、真相はもはや闇の中だとの璉珠の言葉に瑳矢之介も納得すると、兵たちと共にその場を引き上げるのであった。
山道を下っている途中、瑳矢之介は風景の中に小さな違和感を感じて不意に足を止めた。
——なんだろう?
横にある茂みの奥をじっと見つめていると、離れた先で後ろに付いてきていない事に気が付いた璉珠が、
「お〜い、いくよ〜」
と大声で呼ばわった為に、
「いま行きます!」
慌ててその場もまた、後にしたのである。
瑳矢之介が見ていたその先では、木の幹から伸びていて途中で折れ、皮一枚で繋がっている枝が無造作にぷらぷら揺れているのであった……。
ここまでお読み頂き、本当にありがとうございます。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。




