7-55 モテすぎるのも考えもの
お読みくださって、ありがとうございます。
○この回の主な登場人物○
御神野 緋凰(通称 凰姫)……主人公。この国のお姫様。十二歳。
真瀬馬 瑳矢之介 光桐……緋凰の元世話役で許婚。真瀬馬本家の三男。十四歳くらい。
真瀬馬 輝薙之介 澄桐……真瀬馬本家の次男。分家へ婿養子に出た。
小蘭……輝薙之介の妻。
……止まらなかった。
緋凰の心に絶望感が広がっていくのが止まらなかった。
「えぇ⁉︎ 今朝早くに瑳矢之介は鳴朝城へ帰っちゃったのぉ⁉︎」
道を人に尋ねまわりながら、二日ほどかけてようやくたどり着いた真瀬馬の分家である屋敷の門前にて、箒で掃除をしていた使用人の男からそう聞いた緋凰は愕然とすると、思わず持っていた棒槍を手からガランと落としてしまったのであった。
「なるべく大きい道を通ってきたんだけど入れ違っちゃうなんて……。今から追いかけても鳴朝城へ着く前に追いつくのは無理だ……。しかも輝薙之介さんも見送りに出ていつ戻るか分からないって言っていたし……どうしよう……」
教えてくれた男に礼を言ってその場を後にし、大きな屋敷を囲っている土塀を沿うようにとぼとぼ歩いていると……。
午後の暖かな日差しの中、どこからかそよ風に運ばれて桜の花びらがひらひらと舞っているのが目に留まる。
緋凰はなんとなく足を止めて風景に意識を向けてみた。
(……綺麗だねぇ。桜ってどうして最期に散ってしまってもこんなに綺麗になるんだろう。道いっぱいに花びらの織物が敷いてあるみたい)
道の砂地の部分も、横に生えている草の上も、土塀の下を通っているちょっとした堀の水面も、下がほとんど見えなくなっているくらいに白色や薄紅色などで一面が埋め尽くされている。
その色彩にいくらか心を和ませて、緋凰は日除けの笠の中で微笑みを見せていた。
(私の部屋から見える瑠璃桜も、全部散っちゃったかな? 見たかったなぁ)
ひらひらと目の前を落ちてきた花びらを思わず片手で受け止めてじっと見つめてしまう。
(そういえば、都にある瑠璃桜って……。本当に花びらが瑠璃色なのかなぁ)
いつぞやに都方の御神野一族である奈由桜から聞いて、相当に美しいものに違いないと憧れすら抱いていたものである。
(このまま、都にでも見にいっちゃおっかな〜なんて——)
そんな事を思いながら、手のひらの中の小さな花びらを愛でていた時だった。
『——もしまた何かあったら、必ず俺に相談するんだぞ——』
そう言ってくれた従兄の懐かしい声が記憶から飛び出してきて、緋凰はあっと声を上げた。
「そうだ! 都! 都には翔兄様(延珠)がいる! 翔兄様なら相談にのってくれるだろうし、むっちゃくちゃお勉強ができる人だからなんとかできるかもしれない!」
絶望していた心境から一変してまたもや胸に希望が満ちあふれてくると、片手を花びらごとぐっと握り、都に行こう! と元気に叫んだ。
しかし、元気よく一歩を踏み出そうとしたその足はピタリと止まる。
(あ、でも……。このまま都へいってしまったら、瑳矢之介も私が死んじゃったって誤解しちゃうかもしれない。そうしたら——)
それならば仕方がないと、別の女と婚礼を挙げてしまう瑳矢之介を想像した緋凰は、
「ぎゃああああああ! いやだぁーーーー‼︎」
あまりの衝撃でぶっ倒れそうになったのを、かろうじて持っていた棒槍を地に突き立てて防いだのであった。
(ダメダメダメダメ! そんな事になったら私、耐えられない! もう、生きられないよぉ!)
ちょっと想像しただけであったが、辛くなりすぎてドバッと涙が溢れてきてしまう。
「うぅ……どうしたら……。戻りたいけどみんなを守らなきゃ……。どうにかして瑳矢之介だけにでも、私が生きているって伝えないと——って、んん? 伝える……そうか!」
以前、山で修行をしようとした時に、兄の鳳珠へ心配かけないように文を送った事を思い出したのである。
「これだ! 文を書いて伝えればいいんだ! ここの真瀬馬の人に頼めば確実に瑳矢之介へ届けてくれるよね! 紙なら『写し』のあまりが少しあるからコレを使えば——」
寺の道場へ行くときは、兄が目覚めますようにと写経をして納めてくるのを日課としていた為にその紙を懐から取り出すと、緋凰は袖で涙を拭ってから花びらの舞う道の脇で、一生懸命に文をしたため始めたのであった。
ーー ーー
「——それで? 我が義弟君に『恋文』を届けろと言う不届きな者はどこにいるの?」
真瀬馬の分家である屋敷の玄関先にて、たまたま近くにいた事でやむなく応対に出た輝薙之介の妻である小蘭が、その気の強そうな顔立ちの中にある美しい形の目元をスッと細めて問いかけると、
「はい! 私です! でも恋文ではありません、とっても大事な事が書いてあるのです!」
ビシッと片手を挙げて土間から元気よく返事をしたその子供を、まじまじと眺めてみる。
——身なりは悪くないわね。袴で帯刀していてちゃんとした笠を手に持っていて……。凛々しくて美しい『若君』だこと。武士の子よねぇ。こんな子、領内にいたら絶対に噂になるはずだけれども聞いた事がない。どこの子かしら。
式台の上から小首を傾げてさらに小蘭は問いかける。
「大事な……。そなた、我が義弟君とはどのような関係なの?」
「関係? えっと——」
緋凰は少し考えてみる。
(友——かな? う〜ん……。でももう、身内みたいなものだと思うのだけど……。そう言った方が早く届けてくれるかな? よし!)
意を決して緋凰は正直に答えるのだった。
「瑳矢之介とは、将来を誓い合った仲です!」
「なんですってぇ⁉︎」
緋凰を男の子と勘違いしている小蘭は度肝を抜かれてよろめいてしまう。
——そ、そんな! 我が義弟君は男の方が好きだったなんて! そう……だから、あんなにも女子にモテるというのに目もくれなかったのね。あぁ、どうしよう! こんな一大事、私だけでは対応できないかも……。いいえ、大丈夫! こっちだって夫に言い寄ってきた女達をどれほどあしらってきた事か。
結婚していても、色男である夫の輝薙之介に言い寄ってくる数多の女たちを(ごく稀に男も)撃退してきた歴戦を思い出して自分を奮い立たせると、大きく深呼吸をしてしっかりと背筋を伸ばし、毅然と緋凰へ向き合ったのだった。
「お、男といえども、『慕っている』のであれば……それは立派な恋文であろう。そんなもの、届ける義理などないわ」
「へ? ……あ、私、女です。よく間違われるんですけど。ほらこの脇差、かわいいでしょ? お花柄〜」
「なんですってぇ⁉︎」
にこにこしながら腰の脇差の可愛さをアピールしてくる緋凰に、信じられない思いで小蘭はまた腰を抜かしかけたのだが、
——たしかに、よく見れば可愛らしい顔立ちね……。男装で雰囲気が凛々しい上に、男でも女でもどちらにもいそうな感じで整っている顔だから間違えてしまった……。
気を取り直して一つ、咳払いをすると改めて尋ねたのであった。
「本当にそれは『恋文』ではなく急ぎの用事なのね?」
「はい、そうです」
「嘘だったら怒るわよ」
「嘘じゃないです」
「…………そう」
真剣な緋凰の眼差しと男の子と間違えてしまった罪悪感で、小蘭はもう根負けした。
「いいでしょう。明日、本家へ届け物をするついでにその文も義弟君に渡してあげましょう。……もう、下がりなさい」
「やったぁ! ありがとうございます! よろしくお願いします‼︎」
大喜びで二回もその場にて頭を下げた緋凰は、外口まで下がると笑顔で手を振って行ってしまったのであった。
「…………さて、それをこちらへ」
式台の上から声をかけられて、使用人の男は受け取った文を差し出された小蘭の手へ渡したのだが……。
そのまま預かるのかと思いきや、なんと文を解いて中の紙を取り出し始めたのを見て男は大いに驚いたのである。
「あ、あの……勝手に見て、よろしいので?」
「念の為よ。恋に狂った女なんてすぐ『私たちは想いあっているのよ〜』だなんて妄言を吐くもの。あなたも知っているでしょう」
確かに。と使用人の男は思う。
なぜならば、輝薙之介に惚れ込んで屋敷まで押しかけてきた女たちが、盲信的にそう言っていたのをこの男もよく見かけていたからだ。
その度に、小蘭は夫の耳をねじり上げている。
「それに、いろいろ驚きすぎてあの者の名を聞き忘れてしまっていたわ。——どれ」
その取り出した紙には三枚にも渡って事の子細が書かれている。
一枚目と二枚目に、命を狙われて家に戻れない事と、阿三郎から聞いた情報、そして都の延珠に相談しに行くので着いたらまた文を出すとの事を書き、三枚目にその返事を都で待つと短く結文してあった。
だが、ここで一つ、まずい事が起こっていた。
緋凰は焦るあまりに、その三枚目が一番上になるように畳んでしまっていたのである。
ゆえに……。
「へ、下手な字なこと——。もう、名前の所の墨が滲んでしまってよく読めないわ……。本文はええっと……、『都にて君の文をいつまでも待つ』——って、とんだ恋文じゃないの!」
その恋文に使われる呼びかけにも見える文章に、やはり瑳矢之介の『追っかけ』だったのかと誤解をし、騙されたと頭にきた小蘭はその場で文をビッと真っ二つに割くと忌々しげに土間へ投げつけてしまった。
「まったく人騒がせな……。モテすぎるというのも考えもの——」
ぶつぶつと文句を言いながら立ち去る小蘭の後ろ姿と捨てられた文を交互に見つめながら、使用人の男は唖然として立ち尽くしているのであった。
ーー ーー
輝薙之介が屋敷に戻ったのは次の日の昼ごろであった。
「——それで、その女武者はかように凛々しかったのか。男にもいそうな美しさとは……、俺も見てみたかったものだな。ハハハ」
「……ほんに、本家の殿方はよくよくおモテになる事。もはや、驚きを通り越して恐ろしいわ」
帰ってきたというのに出迎えもしないで拗ねていると聞き慌てて妻の部屋を訪ねた輝薙之介の横で、小蘭は正座をして花を生けながらムスッとした顔をしている。
「やれやれ。昨日に押しかけてきたのは瑳矢之介の女であろうに、そなたが怒ることもなかろう。そら、今宵は共に飲み明かそうではないか、久しぶりに」
そう言って、輝薙之介が徳利の入った包みをひらひらとチラつかせてくるのを横目で見ると、小蘭はフンと息をついて軽くそっぽを向いた。
「どうせまた、お仕事が終わらなくていらっしゃらないのでしょう」
だが、人の心情をよく察する輝薙之介には分かっている。
そんなつれない事を言ってはいても、お酒大好きな妻は今、内心で大喜びをしている事を。
なので、すかさず追い討ちをかける。
「いや、今日はもう仕事はしない。ゆえに今から飲もうではないか」
「今から⁈ まだお昼ではありませんか」
「構わぬであろう、共をしてくれるな?」
「……仕方のない人ねぇ」
「そうだ、俺は仕方のない奴なのだ。だから良いであろう」
ここぞと言わんばかりに、愛想と色気を全力で振りかざしながらにこりと笑う年下の甘え上手な夫に、小蘭はふふッとつい笑みがこぼれてもうお手上げ状態になるのであった。
「……では片付けますゆえ、あなたもお召し替えをなさってくだされ」
そう穏やかな声で言われてホッと胸を撫で下ろした輝薙之介は、また後でと包みを残して部屋を出たのであった。
「……全く瑳矢之介のやつめ、とんだとばっちりであったな。それにしても、あいつはあんな短い滞在でいつの間に女を口説いていたものやら」
そう笑いながら回廊を歩き始めた輝薙之介に、庭先から使用人の男がパタパタと走り込んでくると、おずおずと何かを差し出してきた。
「あの、若様。これを……」
「何だ? 紙か? ……見事に真っ二つだな」
「これが昨日の女の子が持ってきたものでして……。わたしは字が読めませんので本当に捨ててもよろしいものかどうか……」
「おっ。例の恋文か? ——瑳矢之介は父上に似て堅物だと思っていたがやるではないか。ハハ、どれどれ……」
縁側まで出て文を受け取るなり、破れた上の部分をめくって文章を読んだ輝薙之介の表情が……一変した。
急に勢いよくその場に這いつくばるように両手をつき、青ざめた表情で紙の上下を合わせて食い入るように文章を読む様子に、使用人の男はギョッとしている。
「しまった……。蘭! 小蘭!」
鋭く呼ぶその声に驚いた小蘭が部屋から飛び出してくると、上半身を起こしざま輝薙之介は問いかけた。
「昨日の武者は、本当に凛々しく美しい女子だったのだな? 他に何か目立つものはなかったか?」
初めて見せるような夫の切羽詰まった表情と手元に広げられているその破れた文に、小蘭もまたギョッとしてあわあわと答える。
「え、……はい、あの、元気な子供でしたが……稀に見る綺麗な顔立ちの子で。——あ、お腰の刀が珍しく花の形をあしらったものでした」
言われた瞬間、輝薙之介の脳裏に緋色の可愛い脇差をいつも携帯している緋凰の姿が思い出された。
「間違いない……姫様だ! 誰か! 誰かある!」
並べてあった文を懐にねじ込んで立ち上がった輝薙之介の袖を、慌てて小蘭が急いでとる。
「あの、姫様とは……」
「凰姫様だ、そのお方は御神野の殿の妹君であられる凰姫様! 瑳矢之介の『真の主』だ!」
「えぇ⁈」
このとんでもない事実に、小蘭は驚きすぎて大きく開いてしまった口元を無意識に袖を離した両手で隠して固まってしまった。
「——早馬を用意せよ! 鳴朝城へゆく! 義父上はいずこに——」
呼ばれてすっ飛んできた小姓らに指示を出し、慌ただしく走り去っていった輝薙之介の背を茫然として見送った小蘭は、またしばらく大好きな夫との晩酌が無くなってしまった事に気がついて、己の早とちりにがっくりと項垂れてしまうのであった……。
ここまでお読み頂き、本当にありがとうございます。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。




