7-52 誓う求婚 前
読んでくださり、ありがとうございます。
○この回の主な登場人物○
御神野 緋凰(通称 凰姫)……主人公。この国のお姫様。十二歳。
御神野 月ノ進 鳳珠……緋凰の実兄。
真瀬馬 瑳矢之介 光桐……緋凰の元世話役。
御神野 優ノ進 璉珠……緋凰の従兄。天珠の三男
御神野 星ノ進 双珠……緋凰の父の養子となった緋凰の兄。
銀河……鳳珠の妻。
月銀……鳳珠と銀河の子。緋凰の姪っ子。
百敷 喜左衛門 博楽……御神野家の重臣の一人。
午後の暖かな陽射しを受けて、花の甘い香りを運ぶようにそよそよと流れている春風に乗って、一羽の小鳥が悠々と雲一つない青空を飛んでいる……。
整然と手入れされている広大な庭の一角では、連翹の低木が枝いっぱいに黄色い花をつけて扇を広げたかのように満開で咲き誇っていた。
そこから地に向かって伸びている細い若枝へ先ほどの小鳥がパッと留まると、あの日から二度目になる春の訪れを告げるかのようにホケキョウと一声鳴いてからもう一度大きく羽を広げると、今度は大空へ向かって力強く羽ばたいて飛んでゆくのであった。
庭の中で静かに佇んでいる二の丸御殿にある館の一室では、淡い桜色の小袖とそれに合わせた打掛で、頭には同じく桜色の飾り紐をカチューシャのように飾っているお姫様姿の十二歳になっている緋凰がいるのだが……。
「よ〜し、じゃあ私はここに弓隊を配置して迎え撃つよ!」
「待ってください凰姫様。姫様は先ほどここに弓隊を使ったのでもう無いですよ」
「え⁉︎ そうか、しまった! じゃあ、追加で弓を買おう!」
「だけど、凰姫は砦の補強にたくさんお金を使っちゃったからもうお金が無いでしょ」
「ふぬーーーーーー‼︎」
こんなに愛らしい格好をしながら床に広げた地図上の駒を動かし、向かいに十三歳くらいの従兄である璉珠を相手に、平助の審判で経済を視野に入れた本格的な模擬戦の戦評定(軍議)の討論をがっつりしている。
その三人から少し距離を置いた所では、学問の師を勤めている百敷喜左衛門が座してその様子を監督しているのであった。
「あ〜だめだぁ〜また負けちゃった……。百敷せんせぇ〜」
がっくりと項垂れてから眉をハの字にしてこちらを向く緋凰へ、百敷は微笑んで近くまで進んできた。
「惜しかったですね。しかし、だいぶ姫様も広い視野を持って物事を見られるようになりましたよ」
そう言って緋凰の考えが及ばなかった点をいくつか指摘して丁寧に説明を終えた百敷へ、今度は緋凰がにこりと笑った。
「あ〜そうかぁ〜。……それじゃあ、今日のご講義はここまでにしましょ。先生も今日は早くお帰りにならないといけないでしょ?」
「おや。そうなのですか?」
言われて不思議な顔をする百敷に緋凰は少し焦れた様子を見せる。
「もう、先生ったら〜。隠さなくたっていいよ〜、『隼千代』くんに会いたくてうずうずなのでしょ〜? 早くしないと」
昨年、緋凰の従兄である玄珠と、百敷の娘である藤枝との間に第一子である男の子が生まれた。その子が無事に一歳を迎えたことでこの度、拝領先から玄珠一家が先日に天珠の屋敷へ里帰りをしていたのだった。
あぁ、と思い至ってわずかに困った顔をした百敷に代わって、玄珠の弟である璉珠が横から声をかけてきた。
「そうだ! ごめん凰姫! 言い忘れていたよ。実は昨日の夜から隼千代が熱を出しちゃってさ、この後にするはずだった宴会を伸ばす事になったんだ」
「えぇ⁉︎ 隼くん大丈夫なの?」
驚き、青ざめてしまった緋凰に百敷は安心させるよう穏やかに答える。
「初めての旅で少し興奮して疲れてしまったのでしょう。大事は無いそうです」
「そっか、良かった……。あ、でもこの後、お見舞いにはいくのでしょ? やっぱり早くしないと」
そう言うなり緋凰は床にある教材をあわあわと片付け始める。
その様子に璉珠がくすりと笑った。
「そうだね〜。凰姫としても瑳矢之介が会いに来るから早くしないとね〜」
からかい口調のその言葉に、緋凰はパッと振り向いた。
「あれ? 優兄様(璉珠)も瑳矢之介が今日帰ってくるの知っていたの?」
「知らないけど、凰姫を見ればすぐに分かるよ。だって、瑳矢之介と会う時にはいつもうんとおしゃれしてその飾り紐をつけるでしょ? 朝からうきうきしているし」
おもいきり心を見透かされていた緋凰は思わずボッと全身を真っ赤にしながら、
「そ、そんな事ないよぉ〜。今日は宴会があるから〜っておめかし、しただけで……」
恥ずかしさのあまり、瑳矢之介から貰ったその飾り紐を、いじいじしながらはぐらかそうとしたのだが、
「そうなの? 瑳矢之介の為に綺麗にしたって言えば本人もすんごい喜ぶと思うよ」
「…………はい、そうです。瑳矢之介の為に全力でおめかし致しましたぁ〜」
両手で顔を覆って自白をしたのであった。
ちょうど一年くらい前、瑳矢之介は『どうしても成したい事がある』と言って緋凰の世話役を離れ、今では別のお役目についている。
元々は人並みに向上心が強く、文武共に優れている瑳矢之介をいつまでも自身の手元に置いておくのはもったいなく思っていた事もあって、寂しい気持ちは強かったが思い切って緋凰は送り出していたのであった。
「今回、瑳矢之介は他国の調査の手伝いに行っていたから会うのは随分と久しぶりになるよね。さあ、早く片付けよう」
「うん!」
そう言い合って急いで片付けている平助を含めた三人を、百敷は微笑ましく見ているのであった。
ーー ーー
館の玄関先で百敷を見送った緋凰は、その背が見えなくなるとすぐに璉珠と一緒に中へ戻るなり奥の部屋に進むべく廊下を早足で歩いていた。
「今日はお天気も良くて暖かいから、兄上は沐浴をしているかも」
倒れてから一年と少しが過ぎているのだが、兄の鳳珠はいまだ目覚めてはいない。
それでも心の臓はゆっくり動いているので世話を続ける日々の中で、緋凰達は希望を捨てずにいるのであった。
璉珠と話ながら回廊に差し掛かると、庭先では様々に咲いている花たちの間を沢山の蝶がひらひらと遊ぶ春の穏やかな情景があった。
なんとなく歩速を緩めて庭を眺めていると、
「凰姫様。ご講義は終わりましたか?」
前方から声がかかり緋凰がそちらを向くと、タライを持ちその小柄な身体を前かがみにするように歩いてくる小姓頭の耕吉を見つけたのである。
「あ、もう兄上に会いにいってもいい?」
「はいどうぞ、沐浴は終わりましたので」
わし鼻の顔をニコリと笑ませて答えたので、ありがとうと言いながら横を走っていった緋凰達へ一礼すると、耕吉は再び反対方向を歩き出したのであった。
ーー ーー
「入るよ〜」
開け放してある襖からひょこりと顔を出した緋凰に、部屋の中央で寝かされている鳳珠の身体へ夜着を掛けていた妻の銀河がどうぞと笑顔で答えている。
そのまま緋凰と璉珠が中へ進むと、手前では双珠が一歳になっている月銀を座ったままでたかいたかいをしてあやしていた。
その様子を横目で見てから、緋凰は先に鳳珠の枕元で膝をつく。
「兄上の調子はどうかな〜」
隣にきた璉珠も膝をついて鳳珠の顔を一緒になって覗き込んでいる。
「……調子、だいぶ良くなってきたね。最初に比べたらもう顔色がとてもいいよ」
「やっぱり⁈ 私もね、そう思ったんだよ!」
璉珠の言葉に嬉しくなった緋凰が少し興奮気味に返していると、急にとてとて歩いてきた月銀がポスッと腕にしがみついてきたのだった。
「なぁ〜どうしたのぉ〜このかわい子ちゃ〜ん♡」
くりくりとした瞳に見つめられてメロメロになった緋凰は、そのぷにぷにのほっぺに頬ずりをしていると、目尻が下がっている顔つきのせいでぼんやりしているように見える双珠と目が合う。
この時、ふと緋凰は思い出した事があって聞いてみたくなった。
「そう言えば、星兄上(双珠)ってさ——」
急に声をかけられて双珠は少し首を傾げる。
「どうしてお嫁さんをもらわないの? もうずっと縁談を断り続けているって聞いたよ」
そう問いかけられた双珠は、目をぱちぱちさせて答えた。
「嫁さんなんかいらないよぅ。オレはずっと月兄上(鳳珠)と一緒にいるし。だからお父上様(煌珠)も『ずっと鳳珠の側にいれば良い』って言ってオレを養子にしてくれたんだし」
「え⁉︎ そうだったの?」
どうして煌珠は双珠を養子にしたのか、その意外な理由に驚いている緋凰と璉珠を不思議そうに見つめてから、双珠は言葉を続ける。
「オレは月兄上がいて、一緒に銀河がいて、緋凰がいて、月銀がいて、こうしてみんな笑っている側に居られればそれでいい。ずっと、死ぬまで、それがいいんだ。他には何も望まないよぅ」
のほほんとした顔つきとは裏腹にキッパリと言い切って鳳珠を見る双珠へ、緋凰は一度目を丸くしたのだが……すぐに笑って言うのであった。
「じゃあ、みんな一緒だね。ずっと、ず〜っと」
変だと言われるかと思っていた事で、その言葉に少し意外そうな顔をして双珠は目線をこちらへ戻す。
緋凰は鳳珠に出会う前の双珠の辛かった生い立ちを知らない。
それでも、彼にとっての幸せのかたちを否定する事は無かったのだった。
ふわりとしたその笑顔につられて、双珠もまた屈託なく笑う。
すると、緋凰の腕の中にいた月銀が立ち上がって両腕を伸ばしながらとてとて歩いてゆくと、座っている双珠のあぐらの中へぽてんと落ちるように飛び込んだのだ。
「またかよ〜う」
慣れた手つきでその幼子を起こすと笑いながら双珠はまた、たかいたかいであやし始めたのであった。
その時、なんとなく気になった璉珠がそっと横を見てみると……。
その三人の様子を銀河もまた、微笑んで見守っていたのであった。
「失礼いたします、凰姫様」
襖の辺りで掛けられた声に部屋の皆が振り向くと、銀河の侍女であるおひさが縁側から言づてを受け取ってにこにこした顔を見せている。
「お待ちかねの『琥珀の君』がお見えになられたそうですよ〜」
「あ! 瑳矢之介がきたの? ——ってやめてよ〜お待ちかねだなんて〜アハアハ」
「ふふ、とりあえず凰姫様のお部屋へお通しされたそうですよ」
その二人の会話に璉珠も口を挟む。
「早く行ってあげなよ。瑳矢之介もお待ちかねなんじゃない?」
「優兄様までもう〜、アハアハ」
うきうきしながら立ち上がった緋凰は、行ってくる〜と部屋を飛び出すとそのまま走っていってしまう。
「あ〜あ、また廊下を走っていっちゃって……。あれでは、いつまでたっても瑳矢之介に注意されちゃうよね」
呆れた顔で言った璉珠の言葉に、思わず部屋の皆は笑ってしまうのであった。
ここまでお読み頂き、本当にありがとうございます。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。




