7-45 繋がる心
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○この回の主な登場人物○
御神野 緋凰(通称 凰姫)……主人公。この国のお姫様。十歳。
御神野 月ノ進 鳳珠……緋凰の実兄。若殿
真瀬馬 瑳矢之介 光桐(幼名・瑳矢丸)……緋凰の世話役兼護衛。十二歳くらい。
勢いよく大手門から飛び出した騎馬隊の先頭付近で、金の鳳凰の前立て兜に緋色の陣羽織をひらめかせ、大きくたくましい栗毛の馬を走らせる鳳珠の姿を瞳にとらえた緋凰は、驚きのあまり今見ている光景が信じられなかった。
(そんな! 兄上が出陣するはずがないよ! だって本陣の指揮を——まさか!)
ここであっと気づいた緋凰は本陣のある本丸の方向へ勢いよく振り向く。
(じゃあ今、本陣で指揮をとっているのは……優兄様(璉珠)⁉︎)
この憶測は当たっていた。
鳳珠は璉珠へ軍略補佐役を担っている紫衣那らをつけて総指揮を命じ、自身は苑我軍に押され気味となっている天珠達を助けに自ら出陣したのであった。
大きく動揺しながら目線を戻した緋凰の心臓が苦しくなるほど大きく波打ってくる。
(どうして……どうしてわたしを……置いていくの?)
ふいに耳の奥で、
『お願いだ、緋凰。お前が死んでしまったら私は耐えられない——』
鳳珠に言われた言葉が響いた。
(でも……わたしだってそうなんだよ? 兄上がいなくなったら生きていけないんだよ?)
鼻がつんとして両の瞳にじわりと涙が滲み、半分歪んだ視界の奥では大手坂を駆け下ってゆく鳳珠達があっという間に小さくなって消えてゆく。
(お願い兄上! 置いていかないで! わたしを……置いて——)
この時、内心で懸命に鳳珠へ叫んでいた心の中で、何かがふつりと切れたようになった。
突如、頭に冷然とした何かが降りてきたように感じた緋凰は一度きつく瞼を閉じる。
(兄上が行くところにはわたしも一緒……)
たとえそれが死地であろうとも。
(だから——)
命を投げ出す覚悟を決めた瞬間——。
カッと見開いた瞳の瑠璃色は、深く深く……底が見えぬほどに澄んでいるのであった。
(置いて、ゆかれるものかぁーーーーーー‼︎)
魂で叫んだ緋凰はすぐに踵を返すと兄を追うべく中門の屋根から飛び降りて槍を拾い、一目散に走り出そうとした。
ところが、目の端にこちらへ走ってくる人物が映るとその足を止める。
(瑳矢之介……)
その姿をきちんと認識すると、緋凰の心に迷いが生じた。
(瑳矢之介はきっと……一緒にきてしまう……。一度は反対するのだろうけど、それでも……死ぬと分かっていても、わたしに……絶対についてきてくれる……)
そういう義に厚い男なのだと、瑳矢之介の事を理解していた。
緋凰としても一緒にいることは何よりも心強く思う。
しかし、ただただ兄の側にいたいという自身の我儘のせいで大好きな瑳矢之介を死なせてしまうのはもっと嫌であった。
(どうしよう……)
目まぐるしく葛藤をしていると、間も無く瑳矢之介が目の前に来てしまう。
「凰姫様、どうしました? え? 顔色が悪くないですか? 気分が悪いのですか?」
事情を知らずに心配してくれるその声を聞いた時、さっきまで冷えていた胸が温かくなるのを感じた緋凰はそっと拳を握ると素早く心に決断を下した。
グッと眉を寄せて険しい顔を作ると、
「瑳矢之介! お願いがあるの!」
そう言って素早く腰につけていた巾着を一つ外すと、それを瑳矢之介の手に握らせる。
「ごめん! 兄上にこのお薬を渡しておくのを忘れちゃった! 兄上のお熱が出たらこれがないと……。お願い! 『本丸』の兄上に今すぐ渡してきてほしいの! わたしは先に急いで耕吉さんの所へ用事を聞きにいくから!」
切実な顔で勢い込んできた緋凰に、思わず巾着を握りしめて瑳矢之介はたじろいだ。
「だ、だけど……」
「お願い! 兄上が倒れたら大変だから! 早く! 早くぅ!」
「分かった、分かったから!」
地団駄を踏んで緋凰が喚き出したので、仕方なく瑳矢之介は訝しげな顔をしながらも、反転して元きた道へ走っていく。
小さくなってゆくその背を見ていると、これで永遠の別れになるかもしれない寂しい気持ちが胸にじわりと広がり、目頭が少し熱くなったのだが、
「瑳矢之介……。ぜったいに生きて帰ってね……。もぅ、大好きだから……」
そっと別れの言葉を呟くと、やがて緋凰は反対を向いて大手門へ向かって走り出したのであった。
ーー ーー
奇跡だと思った。
大手門の近くにある厩へ飛び込んだ緋凰が見たものは、いつでも出られるように鞍を載せているのにも関わらず、馬房の中でつまらなさそうに目を半開きにしながら思い切り両耳を後ろへ倒して不機嫌を露わにしつつも、巨大な岩のように佇んでいる馬の青嵐であったのだった。
(良かった! 青嵐なら必ず兄上に追いつける!)
出陣していなかった事に感謝しながら走っていった緋凰は馬房の前に立つなり開口一番、
「行こう、青嵐! わたしと一緒に思いっきり暴れようよ‼︎」
勇ましく笑って誘ったのである。
その声と雰囲気に今は亡き主の閃珠が重なった青嵐は、耳をピンと前に向けて目をしっかり開けると、待ってましたと言わんばかりにひと声唸り足踏みをして興奮し始めたのだった。
その様子に破顔した緋凰は、急いで青嵐を外へ連れ出すと短槍を片手に素早くその背に飛び乗り大手門まで走ると、声高に叫んだのである。
「開門、願います‼︎」
それを聞いた門番の兵達は動揺した。
急に目の前に現れた巨大でかつ立派な青毛の馬の背にいる者はあまりにも小さく、しかもなぜか単騎だ。
開けていいものなのか迷っていたが、やがて緋色の立派な陣羽織を着て髪と瞳を瑠璃色に輝かせ、堂々と前を向いている緋凰の美しくも勇ましい姿に気圧されて、あわあわとしながら兵達は門を開いたのであった。
重厚な音を響かせて門が半分ほど開いた瞬間、
(今行くよ、兄上!)
逸る気持ちを抑えきれずに馬腹を蹴って緋凰は走り出す。
門が開ききる前に外へ飛び出した直後だった。
ドスンと緋凰の真後ろに、上から勢いよく何かが落ちてきた衝撃で青嵐が驚いて嘶き、その場で竿立ちになってしまったのである。
(えぇ⁉︎ 何が——)
突然の事で驚きながらも、振り落とされないように慌てて馬首にしがみついた緋凰の後ろから、左右の脇を通って腕が伸びる。
その手が手綱を握り、丁寧に指示を出した事により青嵐は前足を戻すと、その場でくるりとひとつ回って勢いよく前方へ走り出した。
背に感じる慣れた雰囲気。身体の横から伸びている腕に装着された見覚えのある籠手と手に持つ短槍。
すごい速さで風景が流れていく中でゆっくりと上体を起こした緋凰には、もう振り向かなくとも真後ろにいるのは誰なのかが分かっているのであった。
(やっぱりダメかぁ〜)
いつぞやに、
『私には凰姫様の嘘などすぐに分かりますよ』
瑳矢之介に言われた言葉を思い出すと、もはや自分に失笑してしまう。
(今さら戻ってなんて言っても無理だよね……それに——)
この我儘に巻き込んで申し訳ない気持ちとは別でやはり、一緒にいる事を心強く思う気持ちも確かに感じているのに気が付いていた。
(ごめん……でも、ありがとう……。もし瑳矢之介が死ねばわたしも共に逝く!)
ここまで来たらもう、後ろの愛しき者へ伝える言葉は一つしかなかった。
疾走する馬上で緋凰は前を向いたまま右手を瑳矢之介の手の甲に重ねて握ると、ひときわ大きな声で想いを叫ぶのであった。
「瑳矢之介ぇ! 死なばもろとも! 行こう‼︎」
その声が伝わるなり瑳矢之介はハッとして驚きの顔をみせた。
——てっきり迷惑だと言われると思っていたのだが……。
その予想に反した緋凰の言葉が、胸をどんどん熱くさせてゆく。
同時に、いつからだろうとも思った。
——俺はやはり、緋凰が好きなのだな。こんなにも、慕っていたなんて……。
死ぬ時は一緒だと言われただけで、どうしようもなく心が舞い上がっているのを感じた事で、瑳矢之介は緋凰に対する自身の心をここにきてようやく気づき、素直に受け入れたのであった。
——緋凰! 死んでも俺は緋凰から離れない! 絶対に!
嬉しさで笑顔になり、握られた手をパッと反転させて緋凰の手のひらを強く握り返すと、
「応‼︎」
瑳矢之介もまた、自身の想いを力強く叫んで返すのであった。
それきり言葉を交わす事なく前を見据える二人の先では、修羅場の口が開いている。
それでも、もはや恐れる事なく緋凰と瑳矢之介は一緒になってその地獄へ飛び込んでゆくのであった。
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これからも、どうぞよろしくお願い致します。




