7-42 親の心(回想) 後
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○この回の主な登場人物○
御神野 緋凰(通称 凰姫)……主人公。この国のお姫様。十歳。
御神野 律ノ進 煌珠……緋凰の父。お殿様。
まさかの出来事が起こった。
否、武人である以上は常に覚悟をしている事ではあった。
だがしかし、それでも武術が異常なまでの達人であった父の閃珠が、峠の戦いで命を落としてしまったのである。
——一応の予想はしていたが、初戦で討たれたのはいかんせん、早すぎた。
一人で寺の本堂にある御本尊の前に立ちながら歯を食いしばった煌珠は、込み上げてくる怒りを抑えるためにきつく目を閉じる。
苑我軍を相手に戦う事は初めての事ではない。他国の援軍に出た際にも相見えている事で向こうの計り知れない力量を知っていたが為に、あらゆる手を打ってはいたものの、時の運には勝てなかったものだったというのか。
——しまったな。次の戦いでは俺と父上の首を餌に、苑我軍を奥の地へ誘い込むつもりであったが……。俺一人でどれだけの数の気を引けるものであろうか。大軍の目を引く——。
そこまで考えた時、煌珠のまぶたの裏で瑠璃色の髪が光った。
ある考えが浮かび心臓が跳ねた事で、思わず両目を開く。
——緋凰なら……『瑠璃姫』なら大軍の目を引きつけられる。だが……。
血が苦手であり、まだ十歳でしかない娘を戦場へ出すのは心苦しくはあった。
——だがどのみち、戦いで負けた時は御神野家の一族浪党の全てが壮絶に死ぬ事となる。しかも運が悪ければ緋凰一人だけが生かされてしまう。
そして、一族を死滅させた憎き相手の嫁となって生きねばならぬであろう。兄弟とも親族とも浪党達とも仲の良い緋凰が、その現実に耐えていけるとは到底思えない。
——ただでさえ、緋凰は鳳珠を失おうものなら生きる事をやめそうで怖いくらいに大事としている。他にも従兄弟達や瑳矢之介にも命の危険があれば、迷わず自分の身を犠牲に出来てしまうようなやつなのだ。もしそうなったとしたら正気を失うか、なんとしても自害を果たすかのどちらかであろうな。
臓腑がねじ切れそうに苦しい予想をしている煌珠の手は、固い拳となって震えていた。
——そして、これは戦なのだ。
どんな手を使ってでも、何がなんでも、勝たなければならない。
そして今、連れてくるはずではなかった緋凰がここにいる……。
顔をあげてしばし、目の前に鎮座している御本尊を険しい顔で見つめた後に腹を決めた煌珠は、ゆっくりと後ろを向いて足早に本堂を出てゆくのであった。
ーー ーー
『出来ぬのなら、鳴朝城へ戻れ』
正直な所、こちらの命令に従って欲しい気持ちであった。
緋凰が次の戦へ出るには閃珠の死を嘆いている暇はなく、無理矢理にでも立たせて前を向かせなければならない。
そう腹をくくって来たのだが、いざ背中を丸めて泣いている娘を目の当たりにすると、わずかに決心が鈍ってしまう。
縁側を降りて無表情のまま、煌珠はなんとなく以前のことを思い出していた。
緋凰へ武術を習わせて間も無い時、過酷な訓練にベソをかきながら挑んでいる姿を見て、
——本当にこれで良いのだろうか……。そもそも、こうまでして生きて欲しいという思いは、単に己を満足させているだけではないのか。
ちらりと、そのように悩んだ事があった。
しかしそれもある日、腕に傷を負った緋凰が宣言してきた、
『わたし、兄上を守る護衛になる!』
このひと言で、その迷いも打ち消される事となる。
自身を守る為に強くなってほしい煌珠と、兄を守るために強くなりたい緋凰とで理由は違えど、目標が重なったのであった。
——帰りたいと言えば、必要であっても俺は引き留める事をしないかもしれぬ。だが、あいつの思いはあの時と変わっておらぬ。ゆえに……。
「——やるから戻らないよ!」
予想通りの言葉を叫んで追いかけてきた緋凰に、複雑な胸中を悟られないよう振り向くと、差し出された棒を受け取ってから対峙してやる。
そしてやると言ったのにも関わらず、涙を流しながら動けずにいる緋凰を見かねてこの言葉をかけてみた所、
『お前は、ジジイを忘れるのか?』
涙で揺れていた両目の奥で、小さく火が付いたように感じたのである。
——あの様子だと、あいつはすぐに立ち上がる。そして今こそ鳳珠を命懸けで守りたいと思うであろう。もし緋凰が父上の大技の事を思い出した場合、悔しいが俺では相手をしきれぬな。
本堂へ戻る途中にそう考えた煌珠は、与太郎に命じて閃珠と同じく途轍もない武術の才を持つ男である岩踏兵五郎を呼び出しておいた。
すると案の定、本堂に乗り込んできた緋凰は岩踏兵五郎へ一目散に飛びついたのである。
そしてその後、二人は想像を絶する激しさで打ち合い、激闘を繰り広げた結果、ついに緋凰は閃珠の強さを身につけてしまったのだった。
——まさか、本当に今、父上の強さにまで達してしまうとは……。
声も出ないほど驚いて立ち尽くしていた煌珠であったが、緋凰が打ち合いを止めて身体の緊張を解いたのを見ると、そのまま倒れるだろうと気づいて走り出す。
その身体が地に着く前に受け止めると、腕の中で緋凰は激しく肩で息をしながらも微かに笑って言うのであった。
「……わたし……みんな……守るよ……」
いや、自分を守ってくれ。と煌珠は内心で思いはしたが、この大きな力を正しく使う精神も閃珠から受け継いでいると考えると、もはやそれでも良いと思い直す。
また不思議と、ただ、ひたすらに、娘を褒めたくなったのだった。
そしてこの時、ふと感じたのである。
もう大丈夫だ。と。
どうしてなのかは分からない。
まだまだ不安に思う事が他にもあるはずなのだが、
——必ず……生きられるであろう。十五をこえて……。
そう、確信したのであった。
煌珠はゆっくりと額を緋凰の額へ重ねる。
小さな温もりを感じると同時に、応えるようにくりくりと小さく額をこすり合わせてきたのが愛おしい。
目を閉じた時に涙が一粒だけ落ちてしまったのを感じながら、煌珠は娘へ強く願うのだった。
——生きてくれ……この乱世を、自由に、たくましく、……幸せに——。
そう、のびのびと思うがままにこの世を生き抜いていった、父である閃珠のように……と。
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これからも、どうぞよろしくお願い致します。




