7-31 予期せぬ交代劇
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○この回の主な登場人物○
御神野 緋凰(通称 凰姫)……主人公。この国のお姫様。十歳。
御神野 律ノ進 煌珠……緋凰の父。お殿様。
真瀬馬 瑳矢之介 光桐(幼名・瑳矢丸)……緋凰の世話役兼護衛。
苑我 隚鐵……北東の国の豪族の惣領。敵である苑我軍の総大将。
寒気を忘れてしまいそうなくらい清々しく透き通った青い空がどこまでも続いている……。
雲ひとつない晴天であるその日、太陽が中天に差し掛かった頃。
峠の南出口を出たすぐにある台地に本陣を構え終わると同時に、苑我軍の総大将である苑我隚鐵はその台地の端まで行くと前方を見据えた。
遠く対峙している御神野軍はもう布陣が終わるようで、馬が乱れる様子もなく不気味なほど静かな様子を見せており、こちらをうかがっているようである。
「なかなか……見事に構えているではないか。弓の後ろの先手は二(隊)、次いで三、そして——ん? お? おぉ——」
相手方を見渡しながら戦力を目視している際、ふと三段目の中央にいる騎馬武者が身につけている兜の前立てが目につき、苑我隚鐵は思わず二度見して驚いたのであった。
「まさか……あそこにいる者は……。いや、そんな筈は! なぜあんな所に——」
ーー ーー
この少し前——。
「すげぇ……、すげぇぞおれ! 馬だぞ馬! 騎馬兵! かっちょいいぜ、おれ〜」
集落を出て進軍している御神野軍の隊列の中で、道場の少年である源太は馬上で手綱を操りながら憧れの騎馬武者になっている自身に酔いまくっている。
「これで、手柄が取れれば——ブックク……」
隣でその声を聞いた道場仲間の湯吉が、グフグフ笑っている源太へ同じく馬を操りながら呆れた顔で振り向いた。
「まだ言うか。お前さぁ、今朝の話聞いてたんか? おれらみたいな低い身分の奴に馬が与えられたのは、あの姫武将を守る為だけだって言ってたろ? そんな事して姫武将が守れなかったら首がふっ飛ぶだけだぞ、バカじゃねぇの?」
「いやいや、姫武将を守っていたら、たまたま敵の首取れた〜とか、あんじゃね?」
「はぁ? 一応、脇差しもらったけど、騎射なんてやった事ないから、おれらの武器ってこの袋にある石つぶてだぞ? どうやって首とるんだよ。だいたい言われただろ? ただ姫武将と一緒にとにかく馬で駆け回れって。いらん事すんなよ」
「はいはい、分かっておりま〜すぅ」
「嘘こけ」
ニヤニヤ顔が止まらない源太に、湯吉はもうダメかもしれないと匙を投げたのであった。
ーー ーー
進軍を続けて広大な平野まで来た御神野軍は、遠く向こうで峠から出てきた苑我軍を目で確認するなり素早く行動にかかった。
平野への入り口付近は雑木林の低い山で両横を囲まれているだだっ広い空間のちょっとした盆地が続いてる。
その中で短く坂を作っている台地に本隊が布陣をし、そこから坂を降りた前方に距離をあけて盆地が尽きる辺りで右備えの真瀬馬隊と左備えの雷殿隊が置かれ、さらにその前に広がる平野では、先頭の弓隊の後ろで三段構えとなっていた。
その三段に構えている三列目に隊が二つ並んでおり、その中央で守られるように緋凰がいた。
髪を隠すよう大きく烏帽子をかぶり、小桜威の軽い鎧と緋色の陣羽織を身にまとい、筋肉隆々の力強く壮麗な青毛の馬である『青嵐』にまたがり、瑠璃色の瞳をしっかりと開いて内心でドキドキしながら前を見据えている。
するとその目線の先では、ぞくぞくと敵である苑我軍の兵達が峠の方からわいて出てくると、大軍を見せつけるかのように大きく横に広がって展開を始めているのであった。
(うわ……。やっぱり今朝聞いた通りだ。敵の数……多いなぁ。たしか三千くらい居るかもって……。こっちは二千人くらいとかだったかな)
無限にわき出てくるような敵の黒々とした威圧感に、不安が差し込んできた緋凰はキョロキョロと左右を見回してしまう。
真剣な様子で皆が静かに居並ぶ中、騎馬兵の馬が緊迫した雰囲気を敏感に感じ取ってブルルと唸っていたり、長い馬面を揺らしたりしている隊列の左右の斜め後方では、後ろ手から伸びてきている小山の裾上で無数に伸びている常緑樹や、その根元の地面に生えている隈笹であろう茂みの葉がそよ風に吹かれてさらさらとなびいているのが遠くに小さく見える。
空を悠々と飛んでいる鳥に意識が向いた時、殺気だっている青嵐が急にブルブル唸りながら足踏みをしたので慌てて緋凰は意識を戻したのであった。
すると真横から言葉が飛んでくる。
「おい、よそ見をするな。青嵐を落ち着かせろ」
「あ、はい、すみません——というか……」
どうどうと言いながら青嵐をなだめた後に、緋凰は不思議そうに眉を寄せて隣を向き、その声の主を仰ぎ見ながら先ほどからずっと気になっていた事を問いかけてみた。
「どうして父上がここにいるの?」
なんとそこには、軽い鎧と兜姿である騎馬の煌珠が何食わぬ顔をして隣にいるのであった。
「……俺が居たら悪いのか?」
すました顔で目を合わせてくる煌珠に緋凰は口を尖らせて言う。
「だって、総大将がこんなに前にいるなんて……」
軍のトップである総大将は、討たれれば全軍総崩れとなって敗戦になってしまう為、大体は本陣の奥に守られているようなものである。
とはいえ、このような乱世であるが故に例外も多かった。
「別段、総大将とて先陣を切る奴もいる。そもそも、俺はもう総大将ではない。今朝の話をもう忘れたのか?」
今度はジロリと見てくる煌珠に緋凰はスス……っと尖らしていた口を戻すと、
「あっ……。そうでした」
そう答えながら今朝、出陣の直前に聞いた衝撃の話を思い出していた。
ーー ーー
集落の出口付近に整列している軍と、その前方に集合している主だった部将達の前に出て向かいあった煌珠が声を上げて全軍に伝えたのである。
『先ほど私は嫡子である御神野月ノ進鳳珠へ家督を譲った。今日からあの者が御神野の惣領でありこの軍の総大将である。私はただ一個隊を任されている隠居ジジイだ、よいな。間違えるなよ!』
『なんですとぉーーーーーーーー⁉︎』
戦の真っ只中で行われた突然の交代劇に、全軍へ動揺の波が押し寄せたのだが……。
しかし、御神野一族はほとんどの者の人望が厚い。
鳳珠もまた家中及び下々の者達からの人気が絶大であったので、
——まあ、月ノ進様ならいっか。守りがいもあるし〜。
といった感じになって、すぐにその不穏な波も去っていって皆がすんなり納得してしまったのであった。
ーー ーー
「でもさ、なんでまた急にそんな事をしたの?」
「……俺はもうそういう年だ」
緋凰の問いかけに煌珠はボソリとはぐらかすように言うと、ついっと前を向いてしまった。
そうかな? と不思議な顔を続けている緋凰ではあったが、この二人を守るように囲んでいる周りの近習達は煌珠が急に総大将をやめた理由のひとつが、なんとなく分かっていた。
緋凰の反対隣で騎乗をして守っている瑳矢之介は、二人の会話を聞いて何とも言えない顔をしながら思う。
——殿が急に隠居としたのは、緋凰を自らの手で直接守る為だよな……。昨日から散々俺たちに『とにかく凰姫を守れ』と念をおしていたのに、結局、自身が出てきてしまっている……。
総大将のままでは軍の為にも、一族の為にも否応なしに自身の身を一番とせねばならない。
——娘を守りたいが為に全てを捨てたのだな……このお方は。
瑳矢之介はちらりと煌珠を見てみる。
——初めはこのお方を誤解していたな。本当に緋凰を疎んでいるものかと思ったのだが……。でも違う……。本当は……。
怖い存在であった最初の印象から一転して、長く言葉を交わしてきた今では畏敬の念すら感じている。
そんな事を思っているからか、瑳矢之介の目には兜の影になっている煌珠の横顔が、どこか満足そうに見えているのであった。
その煌珠が不意に顔を引き締めた。
「緋凰、前を見ろ」
その強い声に、心臓をひとつ跳ねさせて緋凰もまた、真剣な顔つきで背筋を伸ばし、再度前を見据えた。
瑳矢之介ら近習達も、険しい顔つきとなって前を見据える。
向こうではいつの間にか苑我軍の布陣も終わっており、ずらりと並ぶ双方の金剛力士達による睨み合いとなっていた。
ピリピリと大気を震わせて、一触即発の緊迫した雰囲気が続いてゆく……。
その緊張を破り、ついに苑我隚鐵がゆっくりと片手に持つ軍配を空へ向かって掲げていき、頂点から一気に振り下ろしたのであった。
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