7-26 閃光のごとく 後
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○この回の主な登場人物○
御神野 緋凰(通称 凰姫)……主人公。この国のお姫様。十歳。
御神野 月ノ進 鳳珠……緋凰の実兄。若殿
御神野 律ノ進 煌珠……緋凰の父。お殿様
御神野 勇ノ進 閃珠……緋凰の祖父
御神野 豪ノ進 天珠……緋凰の叔父。煌珠の妹の夫。武将の一人
御神野 迅ノ進 玄珠……緋凰の従兄。天珠の長男。
真瀬馬 包之介 元桐……閃珠の世話役兼護衛。
真瀬馬 瑳矢之介 光桐(幼名・瑳矢丸)……緋凰の世話役兼護衛。
岩踏兵五郎宗秋……臣下。緋凰達の武術の師。武将の一人
峠の後ろにある平原にて、隊伍を整えて待っている楯木隊と荷駄隊の所へ続々と退いてくる味方の兵達が集まってきている。
敵の追撃に備えて横一列に並べた隊列の数歩前に出て、次々と味方が走り込んでくるのをもじゃもじゃの顎髭をさすって確認しながら、楯木五郎座は馬上で峠の方角を望んでいた。
程なくして山の間道からたくさんの騎馬武者や徒士の兵達が湧き出てきて速度を落としながらこちらへ走ってくるのが見えた。
「おお、本隊もほぼ無事か」
ほっと胸を撫で下ろしながら楯木五郎座がその場で待っていると、向かってくる騎馬武者の中で前列を走っていた栗毛の馬の騎馬武者が、勢いよく慌てた様で走り込んできた。
「あ、若殿!」
面頬をむしり取ってキョロキョロと何かを探すように首を巡らしている鳳珠の尋常でない様子に楯木五郎座は驚き、急いで隣に馬を進めて問いかけようとした。
「どうかなされ——」
「緋凰は⁉︎ 緋凰はどこに⁉︎ 大殿は⁉︎」
言葉を遮って喚くように言う鳳珠の話に、緋凰が荷駄隊に混じっていた事も知らなかった楯木五郎座は耳を疑う。
「お、凰姫様が? ——いえ、まだ大殿も——」
そう答えながら鳳珠と一緒になって辺りを見回している時だった。
「道を開けろーーーー‼︎」
大きく響いてきた慌ただしい叫び声に皆がそちらへ目を向けると、山の方から出てきた一隊の先頭で青毛の馬が一頭、独走するように前に出でており、速度を落とさず土煙をあげながら一心に走って来るのが見える。
「あの馬は——ってまずい! あれでは!」
味方の群れを突っ切るように勢いよくこちらに向かってくるその馬の異常な様子を見てとると、慌てて馬首ごと後ろを振り向きざま楯木五郎座は後ろへ叫んだ。
「道を開けろ‼︎ 馬が突っ込むぞぉーー‼︎ 道だぁーーーー‼︎」
並んでいた騎馬隊の部下達があわあわと左右に分かれたのを確認しながらもう一度振り向くと、止まらない青毛の馬が本隊の群れに差し掛かっていた。
その本隊の最後尾を守っている岩踏隊の岩踏兵五郎は、近づいてくる青毛の馬の上で閃珠が倒れかけている状態なのを見て取った。
——手綱が取れていない⁉︎
そう思った瞬間、
「大殿!」
青毛の馬が通り過ぎた直後に乗っている馬を返して道にバッと踊り出ると、その後ろを必死に追って横に並んだ。
「お祖父様——緋凰⁉︎」
人や馬をかき分けるように向かって走ってくる馬の上で閃珠の脇にくっついている緋凰を見た鳳珠もまた、青毛の馬が横を通り過ぎざまに平行して自身の馬を走らせると、岩踏兵五郎と共に左右で馬をなだめ、数十メートル先でようやく止めたのであった。
すると、足踏みをする青毛の馬から閃珠の身体がずるりと落ちかけてしまう。
「湧ノ進(閃珠)様‼︎」
後ろから追いついてきた真瀬馬包之介が、馬を乗り捨てるように降りて駆け寄りその身体を受け止めると、閃珠にくっついていた緋凰もぽろりと落ちたので、そちらは同じく馬を乗り捨てて駆けてきた瑳矢之介が受け止めたのであった。
ずっとかたく目をつむっていた緋凰は瑳矢之介の腕の中でパッと気がつくと、
「お祖父様! お祖父様は⁉︎」
慌てふためきながら首をめぐらし、包之介と岩踏兵五郎がゆっくり地に下ろした閃珠を見つけて飛びついたのだった。
その様子を遠目で確認した煌珠が、
「幕だ! あの周りに幕を打て‼︎ 早くしろ‼︎」
急いで指示を出しながら馬で駆け寄って行くので、天珠と玄珠もまたそれぞれの隊に指示を与えて閃珠の元へと急いでいく。
そのまま地面で仰向けに寝かされた閃珠の兜や面頬を外しながら、肩にある傷を見て鳳珠も岩踏兵五郎も絶句してしまった。
——この傷でよくぞここまで……。見事……お見事です、大殿……。
緋凰を守り抜く一心で起こした奇跡なのだと、岩踏兵五郎は泣きながら閃珠の頭を膝に置き、傷へ腰に携帯していた薬草粉を撒き散らしている緋凰をチラリと見たのだった。
この時。
この様子を隠すように慌ただしく周りに陣幕が打たれていく音に、緋凰達が必死に呼びかける声で失っていた閃珠の意識がわずかに戻ってきた。
息も切れ切れになりながらうっすらと開けた目に、涙をボロボロこぼしている美しい瑠璃色の瞳が飛び込んできた。
綺麗だな、と閃珠はぼんやり思う。
そして、緋凰の顔の位置からして膝枕をされているのであろうと予想もできたのだった。
——まさか、おのれがこんなに愛しい者の膝の上で逝けるとはな……。
戦いに身を投じる者として戦場で討たれれば、遺体など身包み剥がされ、褌一つでそこいらに打ち捨てられるようなもの。
閃珠ほどの身分であれば、兜首を持ってゆかれ敵地に晒しものにされてしまう。
また、普段からの大好きな旅の途中で死んだとしても似たようなものである。
日頃から自身の死に方はこうであろうと覚悟をしていた為、最後まで幸運な事だと閃珠はこんな時にでも呑気に思っていたのであった。
目の前で泣いている緋凰の涙を拭ってやりたいが、もう自身の身体はどこも動いてくれない。
——泣かなくてよいぞ、緋凰。俺はもう自由に生きた……。なんの……悔いもなし……。
口も動かない代わりに、閃珠は精いっぱい笑ってみせたのだった。
「あっ……」
懸命に呼びかけていた緋凰の声が止まった。
傷の処置を続けている包之介と鳳珠や周りを囲んでいる煌珠達も皆、小さく笑った閃珠の顔にハッとなって動きを止める。
だが、次の瞬間には——カクンとその顔が傾いたのであった。
「おっ、おじい——‼︎」
それを見て絶叫しそうになった緋凰に瑳矢之介がガバッと後ろから抱きつくと、その腕で口元を塞ぎ、それが合図になったかのように皆が一斉に動き出した。
「凰姫様、こちらへ」
閃珠から離れようとしない緋凰を瑳矢之介が抱きついたまま必死に後ろへ下げようとするが、
「うーー! うーー!」
ジタバタと暴れて抵抗されるので、鳳珠も手伝って引き離していく。
慌ただしく煌珠が指示を出している中、なおも取り乱して暴れる緋凰の耳元で瑳矢之介が必死にそれを押さえながら、小さくだが強い声で言い出した。
「駄目だ、緋凰! 声をあげてはいけない! (兵の)士気が下がってしまう。落ち着くんだ!」
その言葉に緋凰はドキリとした。
(……そうだ。まだ……まだ戦は終わっていない……)
幕の向こうにいる兵達を意識してふいに落ち着きを取り戻すと、向こうで閃珠の全身が白幕で包まれていくのを、大きく肩で息をしながら叫びたい気持ちをグッと堪えて凝視している。
その様子である事に気がついた瑳矢之介は、緋凰の両手を自身の籠手にしっかりと置いてもう一度耳元で小さく言った。
「緋凰、歯を食いしばるな。ここを握ればいい、手のひらから怒気を逃すんだ」
頭のどこかでその声を受け止めた緋凰は、素直に瑳矢之介の腕を両手でグッと握ると、巻かれた白幕が馬の背に括り付けられていくのを依然として凝視していた。
すると突然、鳳珠が瑳矢之介の腕から緋凰を剥がしてギュッと一度抱きしめると、
「行くんだ、緋凰。このままお祖父様と共に鳴朝城へ帰りなさい」
そう言って立たせざまその背をグッと押し出した。
だが緋凰はくるりと反転すると、
「いやだ! 行かない‼︎」
バッと鳳珠の胸に飛び込んでしまう。
「ここにいては危ない! さあ、行って!」
鳳珠は懸命に諭すのだが、
「やだ! いやだ! 兄上と一緒にいる!」
頑として緋凰はしがみついて離れない。
「お願いだ、緋凰。お前が死んでしまったら私は耐えられない。お祖父様を守って戻りなさい!」
「わたしだって兄上が死んでしまったら生きていけないよ! 死ぬのなら、兄上の側で死にたい!」
「緋凰‼︎」
もし鳴朝城に戻った所で、戦に負ければ敵に捕えられる前に御神野一族は自害するであろう事で、緋凰の言葉に鳳珠の心が大きく揺れた。
その時、準備を終えた包之介が白幕を乗せた自身の馬にひらりと乗ると、どうするのかといった顔でこちらを向いたのだが、
「頼みます」
横目で二人の様子を見てから顔を馬上へ戻した煌珠がそう促した事で、緋凰を連れていくのは諦め、巡らされていた陣幕の外へ素早く出ていったのであった。
抱く腕に力を込めながら、鳳珠はその背を見送っている。
緋凰もまた、鳳珠にしがみついている腕に力を入れる。
二人の耳には、去ってゆく馬の足音だけが響いているのであった。
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