7-21 瑳矢丸の元服、そして
読んでくださり、ありがとうございます。
○この回の主な登場人物○
御神野 緋凰(通称 凰姫)……主人公。この国のお姫様。十歳。
御神野 月ノ進 鳳珠……緋凰の実兄。若殿
御神野 律ノ進 煌珠……緋凰の父。お殿様
真瀬馬 瑳矢之介 光桐(幼名・瑳矢丸)……緋凰の世話役。十二歳くらい。
新春の澄んだ空気の中、満天の星が輝く夜空の下。
真瀬馬家の屋敷の広間にて元服の儀が粛々と行われている。
礼服を着、髪を結い上げ終わった瑳矢丸が、座って前を見据えながら小刻みに震えていた。
(瑳矢丸ってば、むっちゃくちゃ緊張しちゃっているね)
緋袴を履き、白地に金糸の模様が入り乱れている礼服にも使う神職姿の緋凰は、側で控えながらがんばれ〜と内心で応援している。
どちらかといえば肝の太い瑳矢丸なのだが、それでも緊張してしまう瞬間がついに訪れた。
ゆっくりと目の前に立った人物に、自然とより背筋が伸びる。
与太郎が膝を付いて掲げている三宝から烏帽子を取ったのは……、まさかの煌珠であった。
その様子を見守っている真瀬馬刀之介は、
——まさか、殿が烏帽子親を買って出てくださるとは思いもよらなかった。いや、買って出たと言っていいのやら……。
数ヶ月前の事を思い出している。
本丸奥御殿に呼び出された刀之介はそのまま囲碁の相手をさせられていると、ふいに向かいで煌珠が問いかけてきた。
「……瑳矢丸の烏帽子親は誰に決めたのだ?」
「ん? あぁ……とりあえずあそこの家とどこそこの御仁で迷っております」
すると煌珠が突然手前の碁石を一つ、碁盤からビシッとデコピンで弾いた。
「った!」
飛んできた碁石で額をしたたかに打った刀之介は、患部に手を当てて目をむく。
「何ですか⁉︎」
「他に適当なのがおるであろう。お前の目は節穴か?」
「え……? そう、でしょうか……。なれば、あちらの家の——」
ビシッ!
パシリ!
さすがに刀之介も武人である。二度目に飛んできた碁石は額につく前にキャッチした。
「そんなにお気に召しませんか? では、どこそこの——」
ビシッ!
パシリ!
「…………」
「…………」
読めた。と刀之介は思う。
——これは、おそらく殿が引き受けたいのだと見た。だが、あからさまに言ってはへそをお曲げになるに違いない。
受け止めた碁石を盤上に置き、一つ咳払いをしてから刀之介は背筋を伸ばすと、
「なかなかに適当な御仁が思いつきませぬ。かくなる上は……、恐れ多くも律ノ進(煌珠)様にお頼み致したく……」
そう言って頭を下げてみた。
「なんだよ、めんどくせぇな。他におらぬのか?」
この返事に思い違いか? と、刀之介が顔をあげてぽりぽりと頬をかく。
「失礼を。ではやはりどこそこの——」
「全くしょうがねぇなあ。俺がやってやるよ、仕方がない」
——かわいくねぇーー‼︎
無表情になりながら碁石を打ち始める妙な所で気難しい自身の主に、刀之介は内心で顔を引き攣らせているのであった。
——なんやかんや、殿は瑳矢丸を気に入ってくださっておられるようだ。周りの顰蹙を避ける為か、気づきにくいところで破格の厚遇をくださっているようだし……。
ありがたい事だと、刀之介は儀式の続きを眺めている。
カチコチになっている瑳矢丸の頭にそっと烏帽子をかぶせて顎紐をスッと結んだところで元服の儀が終わりを迎え、立ち上がって祝辞をのべた煌珠は、続けて『鎧着初』の儀式に入る確認をして声をかけた。
「そなたに鎧を贈る」
その言葉に深く頭を下げてから、瑳矢丸は国一番のお殿様からそのような物を頂ける僥倖に、
——どのような鎧だろうか?
嬉しさのあまり顔が綻びるのを必死に堪えていると、横をむいた煌珠の合図で庭先の敷物まで進み出てきた人物を見て目が吹っ飛ぶほど驚いてしまった。
——こ、こ、甲堅さん⁉︎
この国の宝とまで言わしめる物作りの天才であり、なかなか予約が取れない程の人気ブランドである甲冑師組筆頭の甲堅が、弟子に鎧櫃を運ばせて礼をとっている。
瑳矢丸がドキドキしながら見ていると、広い敷物の上に置かれた鎧櫃の横に筋肉ガチムキの足が立ったのであった。
「うっし。鎧親は俺だ! 泣いて喜べよ」
「あっ! 岩踏先生!」
武術に天賦の才を持ち、武芸に励む子供達から大人気の岩踏兵五郎へ破顔して立ち上がった瑳矢丸の肩を、片手でがっしりと掴む者がいた。
「? 父上?」
「よいか、お前があやかるのはあの男の武術の才のみだ。間違っても生活態度を真似るではないぞ。肝に銘じろ」
語気を恐ろしく強めて目を底光させつつ言っている刀之介に、そりゃないっスよ〜と苦笑いをした岩踏は、はいと返して目の前に来た瑳矢丸へ庭先で鎧を着付けてやるのであった。
その様子を見ながら煌珠は思う。
——よくもまあ、あのような微々たる禄(給料)で緋凰(娘)の世話役を勤めあげたものだな。
正直なところ、瑳矢丸が世話役などすぐに辞めるものだと思っていた事で適当に決めた禄の量であった為、ずっと瑳矢丸が羨ましがっていた甲堅の鎧を(高級品)今までの褒美として選んだのであった。
間も無く着付けが終わった所で、
——うお〜、カッコいい〜、ヤバい! 嬉しすぎる! 頑張って働いてきてよかった……。
自身に装着されている最新の技術を駆使して作られた黄威の鎧をしげしげと眺めまわしながら、瑳矢丸がポワポワと悦に浸っていると……、
「さあ、こちらへ」
明るい声に呼ばれてそちらへ顔を向ける。
縁側では、一振りの太刀をのせた三宝を両手で胸の前に持っている緋凰が篝火の明かりに照らされて立っていた。
——緋凰……。
瑳矢丸は一度、兜を脱いで小脇に抱えると、縁側から伸びている階段の下まで進み、片膝を折って仰ぎ見る。
目を合わせた緋凰はニコリと微笑んで祝いの言葉を述べたのであった。
「『真瀬馬瑳矢之介光桐』。貴方に神のご加護とたっくさんの幸の恵がありますように——」
一礼の後にもう一度目を合わせた瑳矢丸こと瑳矢之介もまた、心からの微笑みを返したのであった。
ーー ーー
その日から二日後。
二の丸御殿の自室にて、褥からがっつりはみ出した状態で緋凰はゆるゆると眠りから目覚めた。
(あれ? もう朝……)
半分寝ぼけている状態で首をひねり、明かり取りの障子に目をやると……、眩しいくらいの光を放っている。
「ぎゃああ! 寝坊したぁ!」
ガバッと上半身を起こすも、
「あ〜も〜……。おととい瑳矢丸に『一人で起きられるからヨユーだよ〜ん』とか言っちゃったのにこれだよ〜」
自身に呆れながら再びパタリと大の字で後ろに倒れ込んだのだった。
その時、手に当たった物があり顔を横に向けてみると、畳の上の間近で蒔絵の貝が一列に並んでいるのが目に入った。
「あ、昨日の夜、遊んでいて片付けるの忘れてた〜。やっぱり可愛い〜♡」
ぼんやりと眺めていたら……、腹が鳴る。
「お腹すいた〜。先に何か食べてから片付けよっ。瑳矢丸がいたら怒られるトコだったぁ〜。でも……会いたいなぁ……会いにいっちゃおっかな〜」
苦笑しながら身体にかかっていた夜着をぽ〜んと放り投げて袴は穿かず小袖に着替えると、手櫛で適当に髪を整えながらスタスタと歩いていって襖をサッと開いた。
「ま〜ぶし〜」
縁側の向こうに見える庭の明るさに思わず目を細めていると、
「おはよう? ございます」
「——ん?」
真横からいつもの声が聞こえてきて、緋凰がパッと横をむいてみる。
すると……。
部屋の前で控えていた瑳矢之介がスッと立ち上がったのであった。
「あっ、あれ⁈ 瑳矢丸だ! どうしたの? もう会いにきてくれたの⁈」
自身が会いに行こうと思っていた矢先だったので、緋凰は鼻息も荒く大興奮になった。
反対に、瑳矢之介は少しソワソワした素振りでわずかに目を逸らしながらぼそぼそと話し始めた。
「えっと……、とりあえず名をちゃんと呼んで下さい。『瑳矢丸』ではなく『瑳矢之介』ですので。なんなら……『光桐』の方でも……かまいませんけど……」
「そっか! 『瑳矢之介』だったね! ごめんごめん。……でも、真名はお父上や主といった人しか呼ばないものではないの? わたしはもう主ではないし」
「…………」
小さくぽりぽりと頬をかくと、瑳矢之介は緋凰と目を合わせてからゆっくりと片膝で跪いて礼をとると、しっかりとした口調で挨拶をするのであった。
「今日より凰姫様の小姓を兼ねた『護衛』を務めさせていただく事になりました『真瀬馬瑳矢之介光桐』です。どうぞ、よろしくお願い致します」
そう言って頭を下げた一瞬の間をおいて……。
「……えぇーーーー⁉︎」
緋凰はすっとんきょうな声をあげて驚いてしまった。
「わたしの『護衛』ってーー……何をするものなの?」
「まぁ……お側でお仕えして——あ、でも、他の仕事の手伝いに呼ばれる事が増えるそうですが……その、今までとほぼ変わりなく……」
「…………」
「…………」
目を点にして茫然と見下ろしている緋凰と、なんともいえない顔で見上げている瑳矢之介が、しばし妙な空気で見つめあっていると……、
ブフッ!
同時に吹き出してしまったのである。
「な〜んだぁ! 全然、お別れじゃなかったんだね! 昨日泣いてソンしたぁ〜、アハアハ」
「え? 泣いたのですか?」
「あわわ! いやいや、その、じゃあ、こちらこそよろしく〜」
いそいそと抱え込むようにして瑳矢之介を立たせると、緋凰は嬉しそうに笑った。
「なんか……よかった〜。あ、ねえねえ、ぎゅーしてもいい?」
「……えっと、さすがにもう大人ですから……気軽にそれはもう……」
「え〜、だめなの? じゃあ、ほっぺにちゅーしてやる〜」
「うお! それはもとより駄目だろ!」
ふざけてタコのように口を尖らせてくる緋凰の顔を瑳矢之介は鷲づかみにすると、
「それより、こないだ『一人で起きられる』って言いましたよね?」
思い出したように言い、ズイッと踏み込んで凄んできた。
ぎくりとした緋凰は、
「あ〜……明日からは、ちゃんと起きるつもりだったよぉ……」
そっと顔にある手を外して一歩下がっている。
「……それから、身だしなみはきちんとして下さいと言っているでしょう。ここ、髪が絡まっているじゃありませんか? 櫛でといたのですか?」
いつものように小言を言い出した瑳矢之介が部屋の入り口に立とうとしたので、ギョッとした緋凰が、
「わあ! 待——」
止めようとしたが、遅かった。
足をぴたりと止めた瑳矢之介が目にしたものは——。
出しっぱなしの蒔絵の貝たちに、バラバラに吹っ飛んでいる夜具、脱ぎっぱなしになっている寝巻き……。
あまりの部屋の散らかりように仰天して瑳矢之介はわなわなと震え出すと、
「凰姫ぇ!」
カミナリを落とすべく横を向いたのだが、その琥珀色の瞳にはすごい勢いで逃げてゆく緋凰の背が映っているのであった。
ーー ーー
同じ刻、本丸奥御殿の書斎にて。
「——それでは、そのように致します」
立ち上がって部屋から出ようとした鳳珠はふいに止まって振り向くと、書院台に向かって筆を走らせている父の煌珠へ話しかけた。
「そう言えば。結局、瑳矢之介は緋凰の元へ戻したのですね」
「………………ああ」
手を止めず、こちらも見ないで生返事した煌珠にふふっと笑いかけてから、鳳珠は今度こそ部屋を退出してゆく。
一人になり、書状を書き終えて筆を置いた煌珠は息をつくと、そっと呟いたのであった。
「……そんなにいたいなら、共にいればよい。…………今世こそは」
ーー ーー
その日、鳴朝城から『触状』を携えた走り馬達が、四方へ駆けていったのであった。
ここまでお読み頂き、本当にありがとうございます。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。




