7-20 アルバムと世話役の終わり
読んでくださり、ありがとうございます。
○この回の主な登場人物○
御神野 緋凰(通称 凰姫)……主人公。この国のお姫様。十歳。
瑳矢丸……緋凰の世話役。十二歳くらい。
「——おっと、間違えちゃったなぁ〜。はい、次どうぞ」
「……はい、私も間違えました。どうぞ」
「いや、何を言っているの? 絶対わざと負けようとしているでしょ? こんなに貝の大きさが違うのだから間違えるわけないでしょ? 気を遣わなくてもいいよ〜」
「凰姫様もわざと間違えましたよね?」
「いや、さっきのは〜……あせって間違えたんだよ〜」
二人の手元にある畳の上には、大小の蛤貝が残り四枚となっており、大きさが違うのですぐに決着がつくようなものなのだが……。
もうだいぶ夜も更けてしまっているのでこれが最後の勝負であり、終わるとさすがに散会となる。
同時に瑳矢丸の世話役が終わる事となり、別れの時となるので、緋凰も瑳矢丸も互いに離れがたく思い、だらだらと終わらせない勝負を続けているのであった。
(さすがにもう引き延ばせないなぁ。あ〜あ……)
俯いた事で下ろしている髪が顔にかかってきたので、緋凰はそっと片手で横髪を直してから、
「じゃあさ、最後は一組ずつとって終わろう。結局、引き分けだね」
笑ってそう提案をしたので瑳矢丸も微笑んで返すと、先に小さい方の貝をそれぞれに両手で取ったのだった。
絵柄を見ようと緋凰が晴れ着の袖を抑えて身体を寄せ、その手の中を覗き込むと左には童子が、右には女童が手に手に羽子板を持って遊んでいる様子が描かれていた。
「ほんと、楽しそうだ。かわいい♡ でも、この貝桶にある貝たちの絵柄ってきっと珍しいものだよね」
「え? そうなのですか? ……でもたしかに、母の物とは絵柄の趣向が全然ちがいますね」
「そうそう、奈由桜おばちゃんのと叔母上のは同じで『源氏物語』の場面が多く描かれているんだけど、この貝たちの人の絵は全部、女の子と男の子が二人で遊んでいる場面ばかりだよね。あ、でも一組だけ大人の貴人があったっけ」
そういえば、と緋凰は取った貝の中から慎重に一番大きい一組の貝を持って蝋燭の明かりに照らしてみる。
そこには片方の地貝に男女の貴人がふたり、仲睦まじく寄り添っており、対の出貝には満開の桜が咲き誇っているのであった。
「綺麗で嬉しくなる絵だな〜。でも、源氏物語にこんな場面があったかな? 懐かしい気にはなるんだけど……」
「状態はとてもいいのですが、おそらくかなり古い物だと思うので源氏物語が書かれる前の物なのかもしれません。別の物語なのでしょう」
「そっか! それだ、きっと! だから珍しいんだね。子供がいっぱい描いてあるから最初の持ち主は小さな子供だったのかも」
そう結論づけた所で、一番大きい貝をそっと置き、緋凰は二番目に大きい最後の出貝をめくった。
すると、そこには瑞々しい緑で三又らしき大きな葉をもつ花が描かれている。
「あ、『楓』だ! これも不思議だよね〜。普通、楓って言ったら紅葉になっているものの方が目に付くのに。これ、緑色なんだよね〜」
「……違いますよ。それ、楓ではなく青桐です」
「え⁉︎」
「だから地貝は『鳳凰』のはずです」
「…………あ、ほんとだ!」
急いで畳の上に残っている一枚をめくると、そこには壮麗な鳳凰が空に遊んでいたのであった。
その一対をくっつけて確認しながら緋凰は笑う。
「てっきりこの葉っぱ、楓だと思っていたよ。そういえば、前に父上が描いてくれた鳳凰の絵にもこの葉っぱが描いてあったね。なんでだろう」
「ちょっ、むしろ何でそれを知らないんですか? ……言い伝えで鳳凰は青桐の枝にしか宿らないとされているからですよ」
「へぇ〜、よく知っているね!」
「いやもう、覚えておいて下さい! 鳳凰は御神野家の家紋でもあるのに……」
「そうだった……」
ははっとバツの悪そうな顔をしていると、瑳矢丸が貝を片付け始めたので緋凰も慌ててそれにならう。
貝桶についている琥珀色の紐をきちんと結ったところで、
(これでもう終わり……)
そう思った緋凰は改めて瑳矢丸の向かいにきちんと座ると、
「瑳矢丸、今日まで本当にお世話になりました。ありがとうございました」
感謝の意を込めて深々と頭を下げたのである。
それを見て、瑳矢丸も急いできちんと座り直すとこちらも深々と頭を下げた。
「あ……こちらこそ……これまでに身に余るご厚意をたくさん頂いてまいりました。その……出会いは最悪でしたが——」
身を起こした緋凰は遠い目をする。
「そ、そうだね。わたしがいきなり殴りかかっちゃったんだよね……」
「それでも、このように貴方様にお仕えする事ができて私は……」
「うん」
ゆっくりと瑳矢丸は上半身を直し、顔をあげると、緋凰の瞳を見つめて素直な気持ちを口にしたのである。
「嬉しく思います」
この言葉に胸がキュッとなるのを感じながら、それでも緋凰はずっと不安に思っていたことを尋ねてみた。
「本当に? 嫌ではなかったの? 女の子の子守りなんてさ。城下の男の子にからかわれたりもしていたし」
「前にも言いました通り、そのようなやっかみ事、私は全く気にしません。それに私は子守りをしていた訳ではありませんし、凰姫様は共に武芸に励み、学問を学んだ仲間であり、友であり、大切な——」
ここでハッとなると、一旦続きの言葉を飲み込んでから、
「——大切な主だと思っておりますので、嫌なはずはありません」
努めて落ち着いた素振りで言ったのだが、瑳矢丸は内心で自身が言おうとしていた言葉にとんでもなく動揺していた。
——うおぉ! うっかり『大切な人』とか言ってしまう所だった! それじゃあまるで慕っていると言っているようなものはないか! え? 慕う……何を考えているのだ俺は!
心臓が急速に早鐘を打ってきたので、それを抑えるためにぎこちない顔になりながら、瑳矢丸もまた緋凰へ問いかけた。
「その、凰姫様こそ、私を嫌だとは思いませんでしたか? 毎日のように厳しくしておりましたので……」
ふるふると首を横に振って緋凰は笑う。
「でもそれはわたしのお行儀がヤバいときだけでしょ? 理不尽に怒られたと思った事なんて一度もなかったよ。優しいときだっていっぱいあったから、わたしは瑳矢丸が大好き——」
ここでハッとなると言葉を切ってから、
「——な友達だといつも思っているよ」
語尾が少し上擦ってしまいながらも慌てて言葉を追加したのだった。
(あ、あっぶなぁ〜! つい『大好きな人』って言っちゃうところだったぁ‼︎ その言い方じゃあ、瑳矢丸に恋してるかもってバレちゃって怒られるトコだった〜)
胸をドキドキさせながら冷や汗が出る思いで、緋凰の方もぎこちない顔になってしまう。
互いに少し俯いてそわそわとしていると、瑳矢丸が先に口を開いたのであった。
「……それでは、もう下がります。さすがにこれ以上遅くは……よくないですから」
「あ、そうだね。えと、じゃあ明かりを……今日は月明かりがあまりないから暗いよね」
そう言って緋凰は手早く灯明を一つ作ると、立ち上がって襖まで歩いて行った瑳矢丸に明かりを手渡した。
「……ありがとうございます」
礼を言って襖を開き、一歩外へ出た瑳矢丸を見ると……、緋凰の心にとんでもなく寒々しい冷たさが広がってくる。
(あ〜あ……もういっそ今夜は夜通し一緒に遊びたかったな。やっぱり瑳矢丸は真面目だなぁ〜。最後にぎゅ〜したいなんて言ったら怒られるかな? 実は瑳矢丸の匂いってむちゃくちゃ好きなんだよね〜、香木みたいでなんだか落ち着くような——ってわたし、ヤバい事考えてない⁉︎ あああ……寂しくなってきたぁ)
縁側に出た瑳矢丸が後ろを向くと、目の前に立っている緋凰は眉尻を下げて目線をせわしく上下させながらもじもじしている——。
——何だ? 寂しいのだろうか? 身分が許せば眠るまで付いていてやりたいものだが……。そんな顔しないでくれ。ぎゅ〜でもしてなだめて——ってダメだ! 俺ももう大人だ! いつまでもそんな子供扱いをしていては……。くっ、でも、そんな顔をされたら……ぎゅ〜するべきなのか? うあぁ……。
感情が表にでないように瑳矢丸は無表情を作りながら、内心で壮絶に葛藤をしている。
襖一枚の距離で向かい合い、互いに離れがたく、じりじりしていたのだが……。
やっとの思いで瑳矢丸が取っ手に手をかけたのであった。
「それでは……おやすみ……なさい」
「うん……おやすみ……」
スー……と襖が閉じてゆき、徐々に瑳矢丸の姿が無くなってゆく。
タンと小さく閉まる音を聞き、向こうの気配がうごいたのを察したとたんに、
(ぎゃああ! むっちゃくちゃ寂しくなってきた! え? これ、辛すぎない? わ、わぁぁ‼︎)
緋凰の心にズシンと雪崩でも降ってきたかのように急激な寒さと苦しさが襲ってきた為、思わず閉まったばかりの襖に手をかけてスパッと開いてしまった。
その音を聞きつけて、数歩先を歩いていた瑳矢丸が足を止めて振り向いて見ると、暗い中で首だけがにょきっと襖から出でてこちらを見ている影が薄くみえる……。
「うお! 怖っ! 生首みたいになっているぞ!」
思わず悲鳴を上げた瑳矢丸をよそに、緋凰はそのままの体勢でそっと問いを投げてみた。
「……瑳矢丸ぅ。最後に……ぎゅ〜してもいい?」
「——え?」
寸の間、目を見開いた瑳矢丸だったが——。
すぐに持っていた明かりを横に置くと、わずかに両腕を広げてみせたのだった。
(やったぁ‼︎)
嬉しくなった緋凰はパッと部屋を飛び出すと、そのまま勢いよく胸に飛び込んでゆく。
それを瑳矢丸はしっかりと受け止めたのであった。
背に両腕をまわし、力いっぱいギュッとして胸に顔を埋めたまま、緋凰はぼそぼそとお願いをしてみた。
「さみしすぎるよぉ……」
「うん」
「これからもいっぱい瑳矢丸に会いに行ってもいい?」
「ああ」
「明日だって会いに行っちゃうかもしれないよ」
「構わない」
「いいの? あんまり行くと迷惑ではないの?」
「それはない」
瑳矢丸は片方の手のひらで緋凰の頭を撫でながら、そっと目を閉じて想いを言葉にする。
「俺も……寂しいと思うから」
この瞬間、
(あぁ……だめだ……わたし、瑳矢丸が大好きだ。いつの間にか……とっても慕っていたんだね)
緋凰は自身の心を素直に認め、受け入れたのであった。
ここまでお読み頂き、本当にありがとうございます。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。




