7-14 失う恐怖
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○この回の主な登場人物○
御神野 緋凰(通称 凰姫)……主人公。この国のお姫様。九歳くらい。
御神野 月ノ進 鳳珠……緋凰の実兄。若殿。十九歳くらい。
御神野 律ノ進 煌珠……緋凰の父。お殿様
御神野 迅ノ進 玄珠……緋凰の従兄。十八歳くらい。
瑳矢丸……緋凰の世話役。十二歳くらい。
銀河……鳳珠の妻。
星吉……鳳珠の小姓。十六歳くらい。
遠く茜色の空の端から薄闇が流れ込んできている……。
二の丸御殿の廊下を、煌珠が険しい顔で小走りに進んでいた。
程なくして奥の部屋にたどり着くと、
「殿の御成です」
そう言って自身の小姓である与太郎が開いた襖から中へ入ると、手前にいる医者、隅で控えている瑳矢丸、奥で座っている息子の嫁の銀河と、寝ている鳳珠を挟んでその向かいに座っている玄珠が振り向いて、皆が一斉に礼をとったのだった。
そのまま煌珠が部屋の中ほどで横になっている鳳珠の褥まで進んできたので、玄珠が腰を上げて枕元の座を譲る。
足を止めて立ったまま心配そうな顔を向ける父へ、鳳珠は寝たまま少し青白くなっている顔をニコリと微笑ませた。
「ご心配をおかけ致しまして……。この通り、ちょっと今は動けませぬゆえ、このままで申し訳ありません」
「…………」
煌珠が見下ろした先では、鳳珠の右側でがっしりと身体にしがみついたまま泣き疲れて眠っている緋凰と、左側には寝転びながら腕にしっかり抱きついて離れようとしない星吉がいる。
ふうとため息をついた煌珠は、なおも心配している様子で声をかけた。
「……無理はするな」
すると、右手で肩にのっている緋凰の頭を撫でながら、鳳珠は声に力を込めて返す。
「父上、私は『大丈夫』です」
「…………」
目を閉じて小さく息をつくと、煌珠は再び目を開けて部屋の者達に命を下した。
「玄珠、緋凰を部屋へ。他も皆、下がれ」
一礼の後、部屋の者達がそれぞれに立ち上がり、玄珠は鳳珠の身体からそっと緋凰を離すと横抱きにして退出してゆく。
その後ろを瑳矢丸が追っていった。
医者達も下がっていく中、星吉だけがいつまでも鳳珠から離れようとしない。
「さあ、星吉さんも」
「…………やだ」
銀河が声をかけるも、いよいよ鳳珠の左腕をギュッとかいこんで顔をそむけると、星吉は小さな子供のように嫌がった。
「星吉。すぐに終わるゆえ、向こうで月銀を見ていてくれ」
懐いている煌珠に穏やかな声でそう諭されると、
「…………は……い」
星吉はしぶしぶ了承してのっそり起き上がると、大人しく銀河に連れられるようにして退出していった。
二人だけになり、部屋の襖が閉じられたところで、煌珠はゆっくりと横になっている鳳珠の枕元に腰をおろしたのであった。
ーー ーー
神妙な面持ちの玄珠は、緋凰を抱いたまま薄暗くなりかけてきた廊下を静かに進んでいる。
やがて、横並びに見えてきた煌珠の部屋を通り過ぎて緋凰の部屋の前に立つと、後ろに付いてきていた瑳矢丸が横を通りぬけ、先に中へ入ると急いで褥の準備に取りかかった。
待っている間、玄珠は立ったままそっと腕の中に目を落とす。
「…………」
まるで気を失っているかのような寝顔に、先ほど倒れた鳳珠がなかなか目を覚まさない事に取り乱して泣いていた緋凰を思い出していた。
「——どうぞ」
支度を終えた瑳矢丸のかけた声に、玄珠は我にかえると部屋に足を踏み入れて用意された褥の前に立ち、ゆっくりと膝を折って緋凰の身体をそっと寝かせようとする。
瑳矢丸は玄珠の後ろに数歩下がり、部屋の隅で控えた。
背中に広がる降りた感触で緋凰がパッと目を開き、驚いた様子で辺りをキョロキョロ見渡した。
「あ、あれ? ここは? 迅……兄様。——あ、兄上は⁉︎ 兄上はどこ⁉︎」
慌てて起きあがろうとする緋凰を、玄珠は片膝をついたまま落ち着いて制する。
「大丈夫だ。若殿はもう起きておられる。顔色もだいぶ良くなっていたからもう心配はいらぬ」
「起きたの⁉︎ 起きてるの⁉︎ じゃあ兄上に会いにいく‼︎」
緋凰が興奮気味になって立ちあがろうとしたのを、もう一度玄珠は軽く腕を掴んで制した。
「待て凰姫。月ノ進様は今、伯父上(煌珠)とお話をなさっておられる。ゆえに、ここで少し休んでから参ろう」
「やだやだ! 今から! 今、兄上に会いたい‼︎ 待てないよ‼︎」
叫ぶように言う緋凰の目に涙が盛り上がってくると、すぐにぽろぽろと溢れ出てきてしまう。
掴まれている腕を振り払おうともがくが、逃れる事ができずに緋凰はとうとう声を上げて泣き出してしまった。
「大丈夫だ、心配ない。……そんなに泣いてはいけない」
玄珠は掴んでいた手を解くと、片腕でそっと緋凰の身体を胸に引き寄せ、もう片方の手で頭を撫でてやりながら気持ちを落ち着かせようとする。
目の前にきた袂を両手で掴んでギュッと握りしめると、緋凰は震える声で玄珠に訴えかけたのだった。
「だって……だって……兄上が……このごろ、ご飯……たべるの減ってきて……痩せてき……て——」
「うん」
「病……悪くなってきた……の? どうしよう……」
「そんな事はない。今は至る所で戦さの小競り合いが続いているせいで、少しお疲れになられただけだ」
そう言われても不安が消える事のない緋凰は、取り乱している頭の中から恐怖がわきあがってくると、身体がガタガタと震え出してきてしまう。
「どうしよう……どうしよう……もし、このまま……兄上がご飯食べられなくなっちゃったら……兄上まで……母上のとこ……いっちゃったら……。……わたしも、わたしも一緒に極楽に行く!」
その言葉でグッと眉間に皺を寄せた玄珠は、咄嗟にパッと緋凰の身体を強く抱きしめた。
緋凰の兄である鳳珠は、家族の情が深い男である。
というのも、かつては緋凰が生まれる前に、煌珠と正室である鈴星の間には鳳珠の他に二人の子供が生まれていた。
しかし子供が、特に七歳くらいまでは無事に育つのが難しい時代であり、その二人は幼くして夭折している。
その事もあってか、鳳珠が唯一の妹にかける愛情はとにかく深い。
緋凰が幼い頃に天珠の屋敷へ預けられていた時も三日と空けず、会いにきている。
そんな事なので緋凰の方もまた、鳳珠に返す愛情が人一倍に強かった。
そして、血のつながりのある従兄弟達にも、弟のように共に育ってきた星吉や弓炯之介にも鳳珠は深い情けをかけている事で、玄珠達も敬愛する心が大きい。
ゆえに、今のこの言葉が玄珠には痛いほど理解ができた。
もし、鳳珠の身に何かあれば緋凰は確実に後を追ってしまうであろう——。
「落ち着くのだ凰姫。そのような事を言ってはいけない」
「だって……だって……」
「月ノ進様はずっと凰姫の側にいる。そして、お前の側には皆もいるのだ」
「でも……」
「私がいる。大丈夫だ」
「…………」
それでも涙を止められない緋凰は、しゃくりあげながら玄珠の袂をことさらに強く握りしめると、自然、不安な気持ちが言葉として口からこぼれ出てくる。
「……こわい……こわいよぉ……迅……兄——」
抱えている腕に力がこもる。
玄珠はただひたすらに、緋凰が落ち着くまで抱きしめる事しかできなくなっているのだった。
その様子を、部屋の隅では瑳矢丸が伏目がちになって聞いている。
膝の上にのせている拳は、強く……握られているのであった。
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