7-1 予兆
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○この回の主な登場人物○
御神野 緋凰(通称 凰姫)……主人公。この国のお姫様。九歳。
御神野 律ノ進 煌珠……緋凰の父。この国のお殿様
御神野 勇ノ進 閃珠……緋凰の祖父。この国の大殿。
鷹千代……緋凰の従兄。十歳くらい。
瑳矢丸……緋凰の世話役。十一歳くらい。
平助……鷹千代付きの荒小姓。十二歳くらい。
もう日が中天に差し掛かろうとしているのだが、昨夜まで降っていた雨の名残で舗装された石の段がまだ乾ききっていなかった。
進む山道には草木や土の匂いがむせ返る。
残暑がいまだ厳しいのに、風がなく、左右に伸びている木々の葉はほぼ動かない。
大気が湿気をはらんでいるので、少しの息苦しさとまとわりつくような感覚が不快感を誘ってくる。
山頂が近くなるにつれて細く、急角度になっていった道を抜けてようやく曲輪に辿り着くと、無表情のまま煌珠は門をくぐって中へ進んでゆく。
鳴朝城、壱の櫓まで来ると、付近の守備兵を自身の小姓も含めて全員下がらせた。
「…………」
櫓の真下まで来ると一度足を止めて考え込む様子を見せたが、すぐ上に続く階段に足をかけ、スッスと登ってゆく。
階段を登りきった所には……、父の世話役をしてくれている真瀬馬包之介がいた。
下にいた時に守備兵を指示した声が聞こえたのであろう。
階段のすぐ側に片膝をついて控えており、煌珠が歩き出すと一礼の後、入れ違うように階段を下って消えていったのだった。
前を向いて歩いていく視線の先には——、父の背中があった。
櫓の柵に両腕を乗せ、軽く体重を預けて風景を眺めている。手に持っている紐の先では、愛用の徳利がプラプラと揺れていた。
その閃珠から少し距離を取った所で煌珠は足を止めた。
「…………」
無表情で見つめるその後ろ姿は、隠居しているとは思えぬほど筋骨たくましく、現役の若い武将と同じように見える。
そう……見える。
自身の子供の頃から見ている頼もしい姿と、なんら変わりのないように。
そのはず……なのだが。
なぜなのか、このとき煌珠は妙に月日の流れを感じているのであった。
「わしの可愛い小狐ちゃんの方から会いにくるとは珍しい。そんなに見つめてくれるな♡」
振り向きもせず、ひょうきんな口調で言う閃珠だが、その表情はぼんやりとしたまま動いていない。
それでもやはり、前を向いたままおどけた言葉を続けてきた。
「北東の苑我ちゃんがな〜に言ってきたんだ? ば〜かとでも言われたか? わしが行ってしばいてやろうぞ〜」
「…………」
苑我家の使者が鳴朝城に来たのは今朝の事だ。ふらふらしていてもちゃんと情報は早く掴むものだと、煌珠はフッと息をついてから口を開いた。
「……樒堂禅右衛門岔実が亡くなりました」
「……まったく。『死せるは戦さ場、槍こそが我が墓標』などとほざいておきながら畳の上で死にやがって、あの男〜」
「うらやましいのか?」
「べつに〜。自身の死に場所など、どこでもよいわ。あ、いい女の膝枕とかがいいな〜♡」
「あぁ? ふく——」
「ただのひざっまくっらーー‼︎」
息子が縁起でもない事を言おうとしたので、閃珠は慌てて話を戻した。
「岔実が逝ったとなると、あいつの息子だけでは苑我を抑えるのは無理そうだな。いい奴なんだがな〜」
そう言いながら手にとっくりを手繰り寄せているのを見て、煌珠は忘れないように用件を切り出した。
「……この後、軍評定(戦になる前の会議)を開きます。父上もおいでください」
「え〜? わしも〜? めんどくさっ! (苑我の使者の口上が)そんなにクソみたいな悪口だったんか」
「貴方が行って、しばいてきてくれるのでしょう」
がっくりと肩を落とした閃珠は、冗談で返してきた息子の方へようやく身体ごと振り向いた。
「……仕掛けてきたら迎え討つのは決めておるのだな? やれやれ」
そうは言ったものの、今まで自身が見聞きしてきた情報を考えると、そうはなる事の予想がついていた閃珠はそのまま歩いていって煌珠の横を通り過ぎてゆく。
「『瑠璃の姫をこちらに縁付け』ろと。他の要求もクソだったゆえに、その場で断った」
煌珠もまた、振り向かないで忌々しげに答えたのだった。
階段の手前まで来た閃珠はハッと呆れたように笑って言う。
「まあ、それが『正しい』だろうな。苑我はそのように欲しいものを事前に差し出させておきながら、結局、最後には攻め滅ぼしている一族がちらちらおる。あいつは一度刃向かった者は許さぬ。そんな奴に可愛すぎる緋凰をやれるかっ。苑我の惣領などお前と年、変わらねぇし〜——(ぶつぶつ)——」
のしのしと階段を下りてゆく閃珠に、煌珠は一度振り向いて念を押した。
「必ず(軍評定に来い)」
だが、階段からの返事は返ってこなかったのであった。
大きくため息をついた煌珠は、先ほど閃珠がいた場所まで進み出てゆくと、同じように柵の上に片腕をかけ、軽く体重を預けて前方を見た。
遠く、向こうの山に小さく三羽山城の一部が見える。
瑠璃が瞬くその両の瞳は、そのさらに奥を見据えているのであった。
ーー ーー
崖の岩肌にしっかりと足をかけて慎重に登ってゆく。
わずかな出っ張りを探していると、右上にてごろなものを見つけて緋凰は手を伸ばすと、しっかりとそれを掴んだ。
右手に体重を乗せてよいしょ、と上にあがろうとしたら——。
「わっ!」
掴んでいた出っ張りがボロッと崩れてしまい、その拍子に足も滑らせ、緋凰の身体が下にズルズルッと落ちそうになってしまった。
ガシッ! ガシッ!
その両手を、左右で一緒に崖登りの訓練をしている瑳矢丸と鷹千代がパッとそれぞれに掴んだ為、緋凰の身体は落ちていかなかったのだった。
「大丈夫か?」
「しっかり!」
手を持たれている間に、こんどこそしっかり確認してから出っ張りに足をかけると、ふ〜っと緋凰は息を吐きながら岩肌にぴたりとへばりついた。
「ありがとー! 二人とも。あっぶな〜」
「凰姫さま、このまま落ちたら岩踏さまのお顔の上に尻もちをつくところだったっすね」
鷹千代の左斜め下から登ってきている平助がそう言うのを皆で笑いながら、また慎重に崖を登ってゆく。
そこまでは高くないものだったので、すぐに頂上に辿り着いたのであった。
崖の上に立つと、木々に囲まれた平たい空間がある。
その端まで緋凰は歩いていくと、大きく視界が開けてきた。
眼下に見える城下町の奥には、緑豊かな田園風景がどこまでも広がっているようだった。
鳴朝城の裏にある山の頂からみる美しい景色を、緋凰は立って汗を拭きながら眺めているのだが、その表情がふいに曇り出した。
「どうした?」
隣に歩いてきた瑳矢丸に声をかけられて、考え込んでいた緋凰が我にかえった。
「あ。ねえねえ、ここからだとよく見えないけどあの田んぼの稲、背が低くない? あまりうまく伸びなかったのかなぁ……」
「——たぶんそうだと。今年の夏は暑いは暑かったけどいつもの夏よりは暑くなかった気がするし、梅雨が変に長くていつまでも肌寒かったような天気だったから。……あれだと豊作にはならないだろうな」
「え? じゃあ……飢饉がくるの?」
「あの感じならまだこの国では持つはず。大殿(閃珠)が持ち帰って広めて下さった二毛作の麦が、今ではだいぶ広く定着しているし。海の方でも不漁とは聞こえてないと思う」
「よかった〜!」
ゾッとしていた顔の緋凰を安心させるように瑳矢丸が笑ったので、
——わあい、瑳矢丸の笑顔好き〜♡
つられて緋凰も笑っていると、後ろに鷹千代と平助が歩いて来た。
「昔、お祖父様(閃珠)が二毛作やいろんな技術を持ち帰ってきてくれなかったら、危なかったかもね。ただ、他の国はどうだろう。飢饉になると戦が増えてしまうね……」
「それはいやだ……。戦なんてこの世から無くなっちゃえばいいのに。なんとか食べものとか土地とか奪い合わなくてすむ方法ってないのかな……」
「そうだね……」
暗い顔になって四人が沈黙してしまっていると、
「おうい! 何をやっているんだ〜? 休憩するぞ、火をおこしてくれ!」
向こうでいつの間にか登ってきていた岩踏が、ここにくる前に皆で釣った川魚を広げて呼んできた。
「は〜い!」
その声で考えを止めた緋凰達は返事をすると、一斉に食事の準備に取りかかったのであった。
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