6-24 緋凰はどうにも高嶺の花 前
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○この回の主な登場人物○
御神野 緋凰(通称 凰姫)……主人公。この国のお姫様。九歳。
鷹千代……緋凰の従兄。十歳くらい。
瑳矢丸……緋凰の世話役。十一歳くらい。
岩踏兵五郎宗秋……御神野家の家臣であり武将の一人。緋凰達の武術の師。
どこまでも広がっているように見える田んぼの中で青々と伸びている稲の上を、さわさわと音を立たてて波を打たせながら風が通ってゆく。
田んぼの畔では子供たちがカエルや虫取りをして遊んでおり、農道ではご婦人方が仕事道具を片手に立ち話をしていたり、仕事を終えた男たちがもう数人集まってわいわい談笑しながら酒を身体に入れていたりもした。
鷹千代の父方の祖父である雷殿亥三郎が治める領地の平和な風景を、農道から外れた土手にある道で緋凰達一行がゆっくりと馬を進めながら眺めている。
午前中に晴れ渡っていた空が白や灰色の雲に覆われて日が陰ってきたので、緋凰は瑳矢丸と二人乗りをしている馬上で日除の笠を外しながら汗を拭いていると、斜め後ろから岩踏兵五郎の独り言が聞こえてきた。
「地酒かな……。ほぅ、なかなかいい女がいるなぁ〜」
その声につられて、緋凰は意識を農村の人々に向けてみる。
きょろきょろしながらあちこちを観察していると……、ふと気が付く事があった。
「…………お〜い、とっくりせんせー!」
「何だぁ?」
急に緋凰から呼ばれた岩踏は、乗っている黒毛の馬を軽く走らせて瑳矢丸の操っている馬の隣に並ぶと、不思議な顔を向けた。
「ここの土地の人って、男の人でも女の人でもとても背の高い人が多いね。お家もさ、戸口の高さがすごいですよ〜」
「……うむ。さすがは豪ノ進様(天珠)のご出身の地であるな。あそこの農夫もまた、いいがたいをしているじゃないか」
人々の中で、ときどき飛び抜けて背の高い人物がいる事を多く見てとった緋凰が面白そうに言ったので岩踏もまた、縦にも横にも大きくてムキムキのいかついがたいを持つ天珠を思い浮かべながら、近くで野良仕事をしているデカい男を惚れ惚れと見つめていた。
「とっくり先生だっておっきくてムッキムキでカッコいいよ」
「お、いい事言うじゃないかお前〜。だが俺も、豪ノ進様くらいデカくなりたかったものだなぁ〜」
その二人の会話が聞こえている瑳矢丸は、
——いやもう、岩踏先生……十分だろ。
隣で馬を操っている岩踏の大きな身体にある袂から見えるモリッとした筋肉をみて、呆気に取られている。
アハアハ笑っていた緋凰だったが、ふと前々から気になっていた事があるのを思い出し、折角なので岩踏に聞いてみようと思い立った。
「ねえねえ。さっき言ってたみたいに、とっくり先生のよく言う『いい女』って、どんな女の人なの? 美しい人って事?」
「ん〜? そりゃあ、『いい女』ってのは——、……いい女さ〜。別に容姿が美しくなくともいい女は良い」
全然答えになっていない言葉なのだが緋凰は反対に好奇心をそそられ、再度、興奮気味に問いかけた。
「美人じゃなくてもいいの? じゃあ、どうしたら『いい女』になれるのですか?」
「う〜……む。一口にいい女といっても、人の好みそれぞれだからなぁ〜。なんだ、お前は『いい女』になりたいのか?」
「うん! なりたい、なりたい! なりたいでぇっす‼︎」
元気よく答えた緋凰の言葉に、後ろで馬の手綱を取っている瑳矢丸が意外だといった顔で言ってきた。
「そうなのですか? 珍しいですね、凰姫様が男にモテたいと言うなどと」
「そう? だっていつかわたしをお嫁さんにしてくれる人には、わたしを好きになってもらいたいのだもの。わたしも兄上(鳳珠)や鶴姉上達のようにとっても仲良しの夫婦っていうのになりたいんだ〜」
「ああ、いろいろな人にモテたいと言うものではないのですね」
瑳矢丸の最後の言葉に緋凰は目をぱちくりさせて、顔だけを少し後ろに向けて返す。
「あ、ちがうよ。お嫁さんになれない人をすんごく好きになっても辛いだけだから『もう』しないし、気をつけようと思っているもん」
「…………」
ため息まじりで聞こえたその言葉に、瑳矢丸は若虎との失恋を思い出させてしまったかもしれないと、自身の発言に後悔しながら押し黙ってしまった。
(あれ? 瑳矢丸、どうしたんだろ?)
その瑳矢丸の曇った表情が目の端に入った緋凰は、戸惑いながら話を続けた。
「えっと、それにさ。もしわたしがお嫁にいくときに違う人を好きになっちゃってたら、お相手の人に悪いでしょ」
すると、それが聞こえた横の岩踏が口を挟んでくる。
「そんな小さなうちから誰か分からぬ相手に気を遣っているのか? どうせ、その相手とやらの方にだって別で好いた女がいるかもしれぬぞ」
まさかの発言に、緋凰はいっときポカンと口を開けた後、
「…………そこまで思いつかなかったぁ‼︎」
と、頭を抱えてしまうのであった。
「やだやだ! 別で好きな人がいる人のお嫁になんてならないもん‼︎ 側室とか持たれるのはいやだ!」
「…………」
鼻息荒く拳を握って力説してくる緋凰に、側室持ちの男である岩踏はついっと遠い目をしてから話題を逸らそうと思い至った。
「なあ、凰姫はどのような男に嫁ぎたいと思うか? 男の好みはあるのか?」
この質問に、実は先ほどから緋凰達の前方で馬に乗って進んでいる鷹千代達が、後ろは向かないが耳をでっかくしてわくわくしながら聞いている。
瑳矢丸としては、以前に緋凰の好みの人柄は分析しているのでだいたい何と答えるかの予想はついていた。
「え〜? わたしはね、兄上や迅兄様(従兄の玄珠)や弓炯之介さんみたいに優しくしてくれる人だったらいいな〜♡」
緋凰の答えに、やはりと瑳矢丸は思う。
すると前にいる鷹千代が振り向いて少し驚いた顔を見せた。
「え? 凰姫は迅兄上も好みなの?」
「うん! だって迅兄様は静かな人だけど、わたしにとっても優しくしてくれるから。あ、もちろん、鷹ちーだって大好きだよ〜♡」
「へへ、僕も凰姫が大好きだよ〜」
そう言って手を振り合っている二人の近くにいる平助が、馬上から話に入ってきた。
「凰姫さま。では後ろにおられる瑳矢丸殿はいかがですか〜?」
からかうように言ったその言葉に、瑳矢丸と緋凰の心臓がぴょこんと跳ねた。
余計なことを聞きやがってと、瑳矢丸が鋭く目を光らせてきたので平助は慌てて前を向いている。
そしていつものように緋凰は、
「瑳矢丸は〜——」
先ほど鷹千代に言ったように——。
こないだ杭田権大夫の屋敷でもそう言ったように——。
『大好きだよ〜』と何の気なしに平助の質問に答えようとした。
ところが——。
(あ、あれ? 何だろう、胸がどきどきして緊張してきた気がする……)
今まで、瑳矢丸に感じてこなかった感情が急に湧き上がってきた事に驚いた緋凰は、思わず下を向いてそっと自身の胸に手を当てると不思議そうに首を傾げた。
後ろに座っている瑳矢丸は、緋凰の表情が見えないことと、答えの途中で急に黙ってしまったことに、
——ぜんぜん興味がないとか言われるのだろうか。……まあ俺は作法の師としてよく叱ってしまうからしょうがないよな……。
そうは思っても、妙にハラハラと緊張してきてしまう。
「凰姫、瑳矢丸は〜?」
馬を操りながら後ろをチラチラ見つつ、続きを促した鷹千代の声にぼんやりしていた緋凰が我にかえった。
「ん? あ、えっと、瑳矢丸はね——」
ぽりぽりと頭をかき、少し恥ずかしそうに続きを答え出した緋凰の後ろで、瑳矢丸が興味なさそうな顔を作りながら、内心でどきどきしていると……。
「怒ってないときが好き〜」
「…………」
瑳矢丸は微妙な顔をした。
「でしたら、いつもきちんとして私に叱られないようにしてください」
「え〜? わたしちゃんとしているよ〜」
「どの口が言うのです?」
「アハアハ、凰姫はしょっちゅう瑳矢丸に叱られるよね。怒られるのは大嫌いなのに」
鷹千代の言葉を一緒になって笑っている緋凰の頬が少し赤く染まっている。
それを見ている岩踏が、
——ほぉ。これは凰姫の方も……?
フフンと面白そうに笑うと、好奇心そのままで遠回しにその気持ちを探ろうとした。
「凰姫。さっき言っていた好みの御三方のうち、誰の容姿が一番好みなのだ?」
「容姿の?」
「若殿と迅ノ進殿、それに弓炯之介殿では見てくれがそれぞれに全然違うであろう」
瑳矢丸の兄であり、顔つきも似ている弓炯之介を選べば緋凰も瑳矢丸に脈アリなのではないかと岩踏はふんでいる。
「う〜ん……」
問われた緋凰は、腕を組んで三人の姿を頭の中で思い起こしてみた。
優しげな顔つきで穏やかな雰囲気のある鳳珠。
(安心する〜♡)
獅子のようにいかつい顔つきでたくましい雰囲気の玄珠。
(かっこいい〜♡)
端正な顔つきで凛とした雰囲気の弓炯之介。
(素敵〜♡)
真剣に悩んでみた緋凰だったが——。
「……だめだぁ〜。みんな素敵すぎて誰が一番かなんて選べないよ♡ そもそもわたし、人の容姿はなるべく気にしないようにしているのだし」
「そうなのか? またどうしてその様にしているのだ?」
年頃の者なら見た目はかなり重要なものでありそうなのだが、と腑に落ちない顔をしている岩踏へ緋凰は笑って言った。
「だってさ、夫婦ってなると、どんなに見た目が素敵な人でも性格が合わなければどうしようもないって誰かからきいたよ。反対に見た目が怖くても、一緒にいて楽しければ仲良くなれるものだって。あ、……わたし『築紫さん』、みんな怖いって言うけど面白くて好きだよ」
「なに? お前、築紫殿の良さが分かるのか」
鳴朝城の勘定奉行の一人に築紫という中年の男がいる。誠実な良い人柄であるのだが、無口な上に全体的に身体の線が細く、髑髏のように異様な顔つきをしている事で皆に無条件で恐れられてしまうような男であった。
「そうか。お前はなかなか人を見る目があるな。いい女ではないか」
感心して言った岩踏へ、
「ほんと⁉︎ わたし、もう『いい女』なの? やったぁ〜! いつか仲良し夫婦ってやつになれるのかなぁ。あっ、その前にそこら辺にいる素敵な人に声をかけられちゃったりして〜」
緋凰がふざけながらきゃ〜きゃ〜喜んでいると、
「あ〜、『今の』お前じゃ男に声はかけられねぇな」
そう岩踏が断言してきた。
「えぇ⁉︎ だってわたし、『いい女』じゃないの? どうして?」
「さあな〜。そのうち分かるかもな〜」
「なんでぇ⁉︎ 今教えてよぉ! とっくりせんせ〜」
そう切実さを含んでせがんでくる緋凰の後ろで、無表情な顔をして馬を進ませている瑳矢丸を横目で見てから、岩踏はカラカラと笑っているのであった。
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