6-23 夢現の再会
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○この回の主な登場人物○
御神野 緋凰(通称 凰姫)……主人公。この国のお姫様。九歳。
鷹千代……緋凰の従兄。
瑳矢丸……緋凰の世話役。真瀬馬の若君。
岩踏兵五郎宗秋……御神野家の臣下。緋凰達の武術の師。
楯木五郎座……護衛頭。
水時新衛門……緋凰の武術の訓練相手。もと僧侶で護衛隊の一人。
樒堂禅右衛門……北の国境を治めている樒堂家の隠居老人。
笹野甚兵衛……樒堂家の家臣。禅右衛門の従者。
竹林の間を風が通り抜けて、さらさらと葉の重なる音が響いている。
その手前にある垣根の中ではきちんと整備された庭の小道が続いていた。
笹野甚兵衛が気遣わし気に後ろを確認しながらゆっくりと歩いていく後ろで、樒堂禅右衛門もまた、飛び石を踏み締めるように一歩一歩静かに進んでいく……。
丁寧に剪定されて所々に佇んでいる低木、幹に蝉がとまっていて大きく鳴いている松の木、時折り咲いているのがみえる夏の花。
その美しい庭園の景色を眺める事なく、禅右衛門は真っ直ぐに前を向いて無言で歩いてゆく。
やがて甚兵衛が歩みを止めた。
その後を付いていて足を止めた禅右衛門へ甚兵衛は軽く向かい合い、目線を合わせると、今度は顔だけを横に向けた。
禅右衛門もその目線を追って横を向くと……。
屋敷の一番奥にある館の奥部屋がある前の庭で、一人の年老いた女が侍女達と一緒に笑いながら籠を持ち、楽しそうに花を摘んだり愛でたりしていた。
禅右衛門は動かず静かにその様子を見ている……。
夫を亡くしてから出家したのであろう、尼の装いでいるのだが、頭から覆い被している白絹の布からのぞくその顔には、皺が刻まれた今でも往年の美しさが色濃く残っており、穏やかな雰囲気をまとっている。
禅右衛門の妹は、気の強い凛とした印象の女であった。
なので、その女はやはり別人かと思う。
しかし……最後に会った時の面影もまた、その女に見てとれるのであった。
禅右衛門はなおもじっと見つめている。
——もしかすると……屋敷の奥から出られないながらも、家族に大事にされ、その家族を慈しみながら幸せに生きてこられたのかもしれぬ。
それゆえに今、あのように穏やかに笑っているのだと禅右衛門は思った。
いや、そう願ったのだった。
……すると、向こうでその女がこちらに気が付いた。
禅右衛門と目が合うと、驚いた顔で手元の作業を止めている。
そしてしばし立ち尽くしていたのだが、我に帰ると花籠を持ったまま、急ぎ足で歩いてきた。
禅右衛門は動くことなくその場に立ったままでいる……。
その目には、歩いてくる女の姿が昔の妹の姿と重なって見えていた。
やがて女は近くまでくると、ゆっくりと禅右衛門の前に立つ。
目を合わせると、その女は瞳に涙を浮かべながら笑いかけたのだった。
「兄上……」
その声を聞いた禅右衛門もまた、応えるように微笑む。
その時、頬にはいく筋もの涙が伝ったのだが……禅右衛門は気が付かなかったのであった。
ーー ーー
「瑳矢丸〜。はい、お水だよ」
川で馬に水を与えた後に手綱を近くの木にかけている瑳矢丸へ、緋凰は水を汲んできた竹筒をにこにこしながら差し出したのだが……。
「…………ありがと」
ぶすーっとした顔で竹筒を受け取ると、瑳矢丸はさっさと鷹千代達が先に座って休憩している場所へ歩いてゆく。
「あ〜も〜。瑳矢丸ったらまだ怒ってるぅ〜」
杭打家の領地から帰るときも、きのう一晩、滞在した樒堂家の屋敷を出てからも、ずっと瑳矢丸は恐ろしく不機嫌な態度を見せていた。
どすんと座り込んだ瑳矢丸の横に緋凰も並んで腰をかけると、ため息をつきながら諭し始めた。
「だってさ〜。杭打権大夫様はわたし達になんのお咎めもなく帰してくれたじゃない。だからさ、禅右衛門さん達だって許してあげてもいいと思ったんだもん」
あの日、権大夫の屋敷の部屋へ瑳矢丸達が緋凰を助けに来た直後、頭に触れた途端に緋凰から回し蹴りを喰らわされて伸びていた権大夫はすぐに意識を取り戻した。
ズキズキするうなじを押さえて起き上がった権大夫は、子供達をみて瞬時に今の状況を察すると、まさか武勇を誇っている自分が油断していたとはいえ、たった九歳の女の子に一撃でのされてしまった事実に驚愕し、この事を絶対に口外しない事を条件として緋凰達をなにも咎める事もなく帰したのであった。
「だからって、殿にさえ何も言わないで内緒にするだなんて……」
むくれたまま目も合わせないで、瑳矢丸は竹筒の水を飲みつつ文句を言う。
次第に緋凰の方も口を尖らせてきた。
「しょうがないでしょ〜。この責任を取って禅右衛門さんが切腹するっていうし、笹野甚兵衛さんだって一緒になって切腹するって言って聞かなかったんだし……。そんなに死なないといけないのかな?」
最後には首を傾げている緋凰へ、近くで座っている水時新衛門が答えてきた。
「御神野家の家老である真瀬馬家の若君を拐かして売るといった事になるのですから、真相が明るみに出れば一族の命も危ういですね。どのみち成功しようが失敗しようが、禅右衛門殿はこの計画を立てた時から死ぬおつもりであったと思います」
「え⁉︎ どうして……」
驚いている緋凰へ、今度は鷹千代の向かいにいる岩踏が説明した。
「病を患っていて先も長くないと悟ったのだろう。自分の命を犠牲にしてでも、生きているうちに杭打との同盟を果たして一族の安泰をはかりたかったといった所だ」
「そんな……」
「それほどの脅威なのだ。北東の苑我家というのは」
「…………」
緋凰の背筋が……ゾクリとした。
初めて聞く一族の名前なのだが、その名を聞いただけで肝が冷えてくるような感覚が襲いかかってくる。
ギュッと拳を握った緋凰は、えも知れぬ恐怖を振り払うように努めて明るく瑳矢丸に話しかけた。
「あ、そうそう。それにさ、ここにくる前に父上が禅右衛門さんは功績の多い人だって言っていたし……でも瑳矢丸だって許すので良いって言っていたのに、なんでまだ怒っているの?」
「…………別に怒ってない」
「むちゃくちゃ怒っているでしょ!」
肩を掴まれて緋凰にぶんぶん揺すぶられている無表情の瑳矢丸を見ながら、周りにいる鷹千代や岩踏ら護衛達は内心で、
——いやあれ、怒っているのではなく拗ねているだけだよな〜。
と面白がっている。
「瑳矢丸殿が拗ねているのは禅右衛門殿の事じゃないですよね〜」
「うん、ぜったい松丸様との事だよ。凰姫ったらあんなに仲良くお別れしちゃうんだから瑳矢丸、ヤキモチやいてるよね〜」
その瑳矢丸の隣で座っている平助とうしうし笑っている鷹千代へ、向かいから楯木五郎座が全然別の事を問いかけてきた。
「鷹千代様、この後はそのまま豪ノ進様(天珠)のご実家である雷殿家のご領地へ向かってもよろしいでしょうか?」
「え⁉︎ 父上のご実家へ? どう言うこと?」
予期せぬ内容に鷹千代が驚いていると、その声が聞こえた緋凰が身を乗り出して尋ねてきた。
「え? なに? 叔父上のご実家に行けるの?」
「はい、左様で。帰る際に少し迂回して鷹千代様に雷殿家のご領地をご覧いただくよう殿よりお指図を頂いております。豪ノ進様からは文を預かっておりまして」
五郎座の説明を聞いて期待に目をきらきらさせた緋凰と鷹千代が、やった〜と歓声をあげた。
「叔父上のご実家なんて初めて〜」
「僕もだよ! 楽しみ〜」
「それでは——」
言いかけた五郎座がピタリと止まり、ふいに笑顔を消した。
それと同時に周りの護衛達にも緊張が走り、岩踏は面倒くさそうな顔をする。
間も無く、周りにある茂みの奥からぞろぞろと不穏な空気を出してくる男達が現れてきた。
「また賊か……」
新衛門が立ち上がったのにつられて、瑳矢丸や平助も立ち上がる。
すると緋凰も瑳矢丸を守るような形で立ち上がったので、あっとなった瑳矢丸は慌ててその肩を掴んだ。
「お役目は終わりましたので下がっててください。もう私が凰姫様をお守りしますから」
そう言って顔を引き締めながら警戒をする凛々しい瑳矢丸の姿に、
(おぉ、カッコいい♡)
緋凰はなんだか胸がときめいてしまい、守ってくれると言う嬉しい言葉に顔がニヤついてしまいそうになるのを、懸命に堪えて反論した。
「え〜なんで? 鳴朝城に帰るまでがお役目だもん。まだわたしは瑳矢丸の護衛だよ。それに狙われているのって絶対に瑳矢丸だよ、綺麗だもの」
「いや、凰姫と鷹千代様だってそうで——」
「来るよ!」
言い合っている二人に鷹千代が声を掛けつつ抜刀して、平助と共に走り出した。
「じゃあさ、守り合いっこにしよう」
「あぁ! もぉ〜」
呑気にそう結論づけて走り出した緋凰を追って、瑳矢丸も共に賊へ立ち向かっていったのであった。
後日、無事に鳴朝城に帰り着いた緋凰達は杭打権大夫との同盟が成せなかった事を本丸御殿にて報告すると……。
「ふ〜ん、あっそ」
そのように予想をしていた煌珠の返事は、あっさりとしたものなのであった。
ここまでお読み頂き、本当にありがとうございます。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。




