6-17 主から離れないよ
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○この回の主な登場人物○
御神野 緋凰(通称 凰姫)……主人公。この国のお姫様。九歳。
瑳矢丸……緋凰の世話役。真瀬馬の若君。
樒堂禅右衛門……樒堂家の隠居老人。同盟の為の使者として同行している。
杭打権大夫……国境を治めている領主。
峻険な山に築かれている山城の麓に、そのひときわ大きな屋敷がある。
敷地全体に濠がめぐらされおり、内側にある高い土居には隙間なく生垣が立ち並んでいる立派な屋敷であった。
「城主さまだけど、杭打さまの住んでいるお屋敷はお城の外なんだね」
樒堂禅右衛門と笹野甚兵衛が濠に沿って歩いている後ろをちょこちょこ付いていっている緋凰は、キョロキョロとその屋敷を観察している。
隣を歩いている瑳矢丸が一緒になってさり気なく観察しながら、説明を始めた。
「あそこまで急な山の城では、人が住むには不便すぎるのだろう。鳴朝城(緋凰の住む城)は平城に近い高さで幅も広いから城の敷地でも暮らせる。山城を守っている多くの領主はその麓に居館を作っているものだし」
「ふ〜ん。そうなんだ。てっきりみんなお城の中に住んでいると思ってたよ」
そういえば松丸の父である国衆の鶯鳴靖三郎も、居館は持ち城の麓にあったな、と思い出した緋凰は納得した顔を見せると、歩きながら後ろを向いてみる。
緋凰達の後ろには楯木五郎座とその部下二人が付いてきており、そのさらに後ろの方ではここで待つと言っていた鷹千代や岩踏兵五郎達が、豆粒になりながらもまだこちらを眺めているようだった。
せっかくなので緋凰は鷹千代に手を振っておき、前向きに直って歩いていると間も無く屋敷の外門に到着した。
そのまま笹野甚兵衛が門番に挨拶をし、一行が取り次ぎ役に玄関まで案内された時にちょっとした問題が起きてしまった。
「え〜? わたし、瑳矢丸さまの隣にいてはいけないの?」
従者の方々はこちらでお待ちを、と言って玄関脇にある部屋を促した取り次ぎ役に、緋凰はぶーぶーと文句を言い出した。
すると、禅右衛門が睨みつけるような目を向けてたしなんでくる。
「そなたはここに残っておれ。よいな」
しかし緋凰は、前々からの禅右衛門に対する不信感があるからか、素直にその言葉を受け入れない。
「いやだ。瑳矢丸さまはわたしが守るもん。絶対に離れないからね」
そう言ってパッと瑳矢丸の腕に飛びつくと、負けじと相手に睨みをきかせる。
——ちょっと……可愛いかも。
飛びつかれた瑳矢丸は、まんざらでもない顔になった。
緋凰と禅右衛門が互いに険悪になっていると、取り次ぎ役が面倒くさそうにぽりぽりと顔をかいて、
「ではそのお子も、部屋の廊下あたりまで付き添わせたら良いでしょう」
と声をかけた事で、その場は荒れずに済んだのであった。
ーー ーー
一室に通された禅右衛門と瑳矢丸の二人が部屋に入ってゆき、その前にある廊下で、
(ここなら瑳矢丸が見えるかな?)
緋凰がキョロキョロと控える場所を探していると、突然スッと黒い影がさした。
「ん?」
顔を上げると、目の前に二十代中ほどのやや背の高い大柄な体つきの男がいる。
目の大きい印象があるなかなかの美丈夫であった。
(誰だろう? わたしの事、すんごい見てくる……怖っわ)
少し緊張した面持ちで目をぱちぱちさせている緋凰を、男は興味深そうにふむふむと言いながら眺めた後に、
「お前は中に入らないのか?」
そう言って腰に手を当てている。
部屋の中ほどまで進んでいた禅右衛門がその声に気がついて振り向くと、一瞬だけ動揺したそぶりを見せたが、すぐに落ち着いた顔で口を挟んできた。
「権大夫殿、その者はただの小者にございまする」
その声に男が部屋の中へ顔を向ける。
(ああ、この人がこの土地の領主様なのね。う〜む、強そうだな。でも強いと言ったらやっぱ、とっくり先生(岩踏)の方が強そうだ——)
そんな事を考えながら立っている緋凰の前で、杭打権大夫は禅右衛門の隣にいる瑳矢丸へ目線をずらす。
「ふ〜ん」
そう言ってもう一度緋凰へ目線を戻してからなにやら含み笑いをすると、のしのしと部屋へ入っていった。
(何だったんだろう?)
首を傾げながら緋凰が部屋の前でその後ろ姿を目で追っていると、禅右衛門の向かいに立った権大夫は、顔を横に向けて今度はしげしげと瑳矢丸を眺めた。
「——またずいぶんとすごいのを連れてきたものだ。……化け物じみた美しい容姿だな。どこを探せばこんな奴がいるのか」
嘲けるように笑った権大夫に、ムカっときた緋凰が、
(瑳矢丸が化け物だとぉ⁉︎ なんて腹たっつぅ〜! 銭でもおもいっきりぶん投げてやろうかな)
悶々とよからぬ事を考えている。
「目が金色のようだ」
権大夫が瑳矢丸に触れるべく手を上げた。
わずかに怪訝な顔をしつつも、瑳矢丸が動かないでいると——。
「ダメだぁ!」
「あたっ!」
ばっと二人の間に走り込んできた緋凰が、バシーンと勢いよく権大夫の手を払いのけた。
「何をしておるのだお前は⁉︎」
ギョッとした禅右衛門が青い顔をして怒鳴りつけてきたが、緋凰はつーんと聞こえぬふりをする。
突然の事に目をぱちくりさせている瑳矢丸を背にして緋凰は顔を上げると、両腕をいっぱいに広げて真っ直ぐに権大夫を見据えた。
「若様にふれませぬように!」
「…………」
予期せぬ事に目を丸くして止まっている権大夫へ、禅右衛門は急いで詫びを入れると、今度は鋭い目つきで緋凰を叱りつけた。
「誠に申し訳ございませぬ。——おい、お前は屋敷の外で沙汰を待っていろ!」
禅右衛門は現役時代、猛将で名を馳せた武将である。
その頃の目つきで睨まれたら、普通の女、子供——男ですら怖くて縮みあがってしまうものなのだが……。
しかし緋凰は、様々な猛将、剛将、知将らに育てられているものなので、怯むことなく禅右衛門へ楯突いた。
「いやだね。わたしの主は瑳矢丸——おっと、瑳矢丸さまだもの。他の人の言うことなんてきかないよ」
「なに⁉︎」
禅右衛門がますます顔を険しくし、部屋に緊迫した雰囲気がたち込める。
——主……。ちょっといいかも。
そんな場面であるのだが、先ほどの緋凰の言葉に瑳矢丸は小さく胸を躍らせると、まんざらでもない顔になっていた。
部屋の隅では、権大夫の小姓や案内人も息をのんでその場面を見ている。
緋凰と禅右衛門が睨み合っていると——、ふいに横で笑い声が響いて緊迫した雰囲気を破ったのであった。
その声に部屋の皆が権大夫を見る。
「ハハハ。威勢のいいガキだな、なかなかに悪くない」
そう笑いながら権大夫は、次に緋凰へ触れるべく手を上げかけると——。
とっさに瑳矢丸が緋凰の両肩を掴み、そのままスッと後ろにさげて自身の胸に引き寄せたのだった。
「私の小者が大変な失礼を致しました。どうか、お許し下さい。凰、楯木殿の所へ行くんだ」
え? となって背中がピタリと瑳矢丸の胸にくっついている緋凰は顔だけを後ろに向けて、間近にある瑳矢丸の顔へ心配そうな目を向ける。
「でも——」
「大丈夫だから、さあ」
安心させるような微笑みを見せる瑳矢丸に緋凰がまごまごしていると、その様子を見ている向かいの権大夫がフッと息を吐く。
「凰とやら。俺は別段、お前のその主に『興味はない』からその者に何もせぬし、お前も咎めはしない。ゆえに安心して下がっているといい」
この言葉に、禅右衛門がぴくりと反応して目を伏せると、苦い顔をみせる。
「ほんとに〜?」
じと〜っと疑いの眼差しで見つめてくる緋凰に、権大夫はやれやれといった感じで両手を軽く上げ、何もしないという意思表示をしておくと、
「おい、この者を『部屋へ』下げておいてくれ」
そばに立っている小姓にそう命じたのであった。
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