6-10 微兆
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○この回の主な登場人物○
御神野 緋凰(通称 凰姫)……主人公。この国のお姫様。九歳。
瑳矢丸……緋凰の世話役。真瀬馬の若君、十一歳くらい。
鷹千代……緋凰の従兄。十歳くらい。
平助……鷹千代付きの荒小姓。十二歳くらい。
岩踏 兵五郎 《ひょうごろう》宗秋……御神野の家臣。武将の一人で緋凰達の師の一人。
水時新衛門円慶……緋凰の武術の訓練相手。もと僧侶で護衛隊の一人。十四歳くらい。
楯木五郎座……護衛頭。
緋凰が半分くらいしか開いていない目で、てくてくと虚ろ気な様子で歩いている。
その横を、馬の手綱を引きながら歩いている瑳矢丸がずっとチラチラ様子を見ながら歩いていた。
しばらくすると、ハッとなった緋凰がパッと目を見開いて辺りを見回すと、目が合った瑳矢丸にスッキリとした顔を見せた。
「はい! 起きたよ! わたしどれくらい寝てた?」
「もういいのか? まだそんなに刻は経っていないぞ」
「そうなの? でも頭がスッキリしたよ」
歩きながらう〜んと伸びをしていると、目の前で歩いている鷹千代の背中が、ヨロヨロと農道の隅にある土手に向かっていって田んぼに落ちそうになったので、平助がその身体をガシッと掴んでいた。
そこでハッとして、緋凰と同じく歩きながらの居眠りの訓練をしていた鷹千代の脳も起きたのだった。
合戦がよく起こるこの時代の武士は、短い時間に休養を取らなければいけない事も多かった。
そんな事もあり、武士達は少しの間にも居眠りができるように訓練をしていて、立ったままだったり歩きながらでも居眠りができてしまう者もいるのであった。
空が分厚い雲に覆われて太陽が隠れているせいか、真夏の暑さが軽減されており、日陰のない農道を歩いていても疲れにくくなっている昼下がりだったので、緋凰達一行は走り通しだった馬を休めるためにも一度馬から降り、徒歩に切り替えて櫁堂家の領地へ向かっていた。
先頭には楯木五郎座と部下の男、櫁堂家の使者である男が歩き、真ん中の緋凰達四人の後ろで岩踏兵五郎、水時新衛門がそれぞれの馬をひきながら歩いている。
その際、せっかくだからと、岩踏が自身の弟子である緋凰達へ順番に居眠りをする訓練を指示したのであった。
「アハアハ。鷹ちー、田んぼにささって稲になっちゃうトコだったね」
「おっかしーな……。ちゃんと真っ直ぐ歩いている感覚はあったんだよ」
コロコロと笑っている緋凰へ、鷹千代は歩みを止めないで振り向きざまブーっと膨れっ面をしている。
ふと後ろを確認していた瑳矢丸が顔を戻すと、その場の三人にヒソヒソと言った。
「岩踏先生、あんなに目が開いているのにたぶん寝ておられるよな」
「え? あれ寝ているの?」
緋凰と鷹千代がこそっと後ろを向いて確認してみるが、岩踏は特に変わった様子も見られずに堂々と歩いているので疑問に思っていると。
「じゃあさ、寝ているか試してみません?」
平助がニヤリと悪い顔で笑うと、腰に下げている巾着から煎り豆を一粒取り出して親指と中指で挟むと、岩踏の顔を目がけて人差し指で思い切り弾き飛ばした。
シュッと飛んでいった豆が顔に当たる寸前!
岩踏はパッと片手で飛んできた豆を取ると、そのまま元きた方向へぶん投げたので、ビュッと空を切って飛んでいった豆は平助の額にスコーンとぶち当たったのであった。
おぉ! と鷹千代と瑳矢丸が感心する横で、
「ねぇ! とっくり先生って起きてたの? それとも寝ていて気がついて豆取ったの? どっちどっち?」
緋凰が興奮して問いかけている。
「さあなぁ〜」
「えぇ⁉︎ いいじゃん、おしえてよぉ〜」
ふふん、としたり顔の岩踏の横までいって袖をひいている緋凰の目に、一行の向かいから歩いてきて通り過ぎようとした一人の商人の男が持つ荷物が映る——。
(あれ? あの荷物からはみ出ているやつ!)
あっとなった緋凰が、
「待って! お兄さん、ちょっと!」
その商人の男を呼び止めたので、一行は何事かと歩みを止めた。
突然声をかけられて少し驚きながら立ち止まった商人の横までくると、緋凰は笑って男を見上げた。
「お兄さん、薫皮を売っているひと?」
「ん? ああ、そうだけど……。これはもう買い手がついているから、薫皮は売り切れなんだよ」
「そうなんだ。ねぇねぇ、これっていくらするの? ——えぇ⁉︎ 高っか!」
商人から値段を聞いた緋凰は、自国の相場より倍も高い値段を聞いてぶっ飛んだ。
「いくらなんでも高すぎるだろう。ひでぇな」
いつの間にか緋凰の横に来ていた新衛門が怪訝な顔を向けるので、商人は慌てて片手を振った。
「今は品薄だから仕方がないんだよ。よく売れるから」
この言葉が聞こえた岩踏や、列の前方にいる楯木五郎座達が、わずかに顔を引き締める。
そんな中で、瑳矢丸と鷹千代が緋凰の後ろへ走り込んできた。
「え〜? うっそだ〜。そんな値段で買う人なんていないでしょ」
「そんな値段、どこで売れると言うんだろうな」
二人は無邪気な感じで、商人へ疑うように問いかけた。
「うそじゃないさ! ここよりも、もっと北の東寄りにある国でバカ売れしてんだよ!」
ムキになって言い返している商人へ、新衛門が何気ないそぶりで、さらに問いかける。
「北で東寄りっていうと、あの何とかというデカい川よりも向こうか? ずいぶん遠いな、あんたも大変だな」
ねぎらいの言葉をかけられた事で落ち着いた商人は、気をよくして笑った。
「まあ、あの辺りが今一番の稼ぎどころだからねぇ。だが、賊も多いからあんたらも気をつけるといい」
「そうか、ありがとう。引き留めて悪かったな。あんたも道中、気をつけて」
新衛門が笑うと、商人は軽く頭を下げて歩き去って行ったのだった。
その背中を見送って後ろを向いた緋凰は、皆が険しい顔をしている事に気がついて不思議に思い、手前にいる瑳矢丸へ聞いてみた。
「どうしたの?」
「……薫皮が北の東寄りにある国ですごい売れている」
「うん、それで?」
「…………」
「?」
すなわち、その国では大掛かりな戦の準備をしているのかもしれないという事なのだが……。
何も気が付かない緋凰に瑳矢丸がため息をついたので、隣の鷹千代が続きを代弁する。
「もう、凰姫ったら。まえに夏芽先生に教えてもらったでしょ? こういうのがやたらに売れるのはどう言う事なのか、ってさ」
「……そうだったっけ?」
「あ〜、まったくぅ〜」
もともと武術が好きでないせいか、緋凰は軍事面での物覚えがあまりよくない。
ぽりぽりと頭をかく緋凰に、鷹千代もまた片手で顔を覆ってがっくりした。
すると突然、瑳矢丸が緋凰の肩をがっしりと掴んで琥珀色の瞳を底光りさせて言ってきたのだった。
「……さあ、歩きながら勉強を始めよう——な」
「ぎゃああーーーー‼︎いやだーーーーーー‼︎」
逃げようにも逃げられるはずもなく、瑳矢丸と鷹千代に挟まれて、道中ずっと緋凰はみっちりしっかり、苦手分野を学習する羽目になったのであった。
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これからも、どうぞよろしくお願い致します。




