6-8 上司はツラいなぁ〜 後
読んでくださり、ありがとうございます。
○この回の主な登場人物○
御神野 緋凰(通称 凰姫)……主人公。この国のお姫様。九歳。
御神野 月ノ進 鳳珠……緋凰の実兄。若殿
真瀬馬 弓炯之介 義桐……鳳珠の護衛。瑳矢丸の兄。
瑳矢丸……緋凰の世話役。
星吉……鳳珠の小姓
盾木五郎座……護衛頭。
——ついにわしも死ぬ日がきたか……。
どこもかしこにも霜が降りている朝、二の丸御殿の広い庭で五郎座は木刀を構えた。
向かいで対峙している鳳珠はもう木刀を構え終わっている。
——もう家族には別れを済ませてきた。……多分。
今朝方、妻にさらばだと言ってギュッと抱きしめたら、大袈裟だっての、と言って脇腹に拳をもらった。息子たちなどはもう結構なお年頃なので、ひげウザい剃れ、だのなんだの言って、近づこうものなら蹴りを繰り出してくるので接近は諦めたのだった。
——訓練と見せかけて処刑だな。あ〜あ、こんな死に方はやだったなぁ〜。
そんな事を思った時、鳳珠がパッと踏み込んできた。
突き出した木刀を僅かに左へ移動させて勢いよく払い、鳳珠は一気に相手の木刀を吹っ飛ばそうとした。
だが五郎座はそれをかわし、上段から相手に向かって木刀を振り下ろす。
すかさず鳳珠は振り上げていた木刀を手首を返して自身の頭の上にかざすと、その攻撃を受ける——。
そのまま打ち合いの稽古が進んでいくうちに、五郎座は不思議な気分になってくる。
——あれ? わし、殺されるんじゃないの? 普通に稽古付けてもらってるだけになってないか?
昨日、鳳珠の目の前にて、妹であるお姫様の緋凰を引っ叩いた。
仕事が終わって帰る時、鳳珠のお付きである星吉が『明日の朝、若殿が二の丸御殿のお庭で貴殿に稽古を付けてもらいたいそうで』と言ってきたので、これは死の宣告だと五郎座は覚悟をして今ここで鳳珠と打ち合っているのだが……。
ガキッと五郎座の手から木刀が叩き落とされた。
——見事だ! 強い!
気がつくと、鳳珠の木刀が横から顔に迫ってきたので、五郎座はバッと身を屈めて避けた。
すると、振り払った木刀をパッと離して、鳳珠が五郎座の顔めがけて片手を振り下ろしてくる。
その手は拳ではなく、開いていて——。
五郎座はハッとすると、
バシンッ!
自身の頬に鳳珠の平手打ちを受けたのだった。
「…………」
「…………」
しばしお互い無言になった後に、鳳珠が口を開いた。
「何故避けなかった? 十分にかわせたであろう」
五郎座はしゃがんでいる身体を整えて鳳珠に頭を下げると、おどおどと身体を揺らしながら答えた。
「あの……えっと、そのぉ……。ちょっと……叩かれたくて……」
「変態じゃんか〜」
「違うっての!」
向こうで弓炯之介と並んで見ていた星吉のヤジを怒鳴りつけて、五郎座は改めて鳳珠へ叩頭する。
「若殿。昨日、凰姫様につい手が出てしました事、平にご容赦願いたく……。ただ——」
五郎座の頭に、あの時の光景と緋凰の幼い顔が浮かんできた。
ふいに鳳珠が話を遮って問いかけてくる。
「そなたは、緋凰をどうみる?」
その問いに、今度は練兵場で元気に訓練をしている緋凰の姿を浮かべる。
「明るく元気で、健やかなお子にございます。愛らしい方だと……」
「やっぱ変態じゃん」
「違うっての!」
首だけ横に向けて、再び五郎座は星吉を怒鳴りつけると、改めて言葉を続けた。
「正直に申します。私としてはあのような愛らしい方を戦いの場に置くのは心苦しくてなりません。しかし、凰姫様のお命がかかっている以上、指導に手を抜く事は決してできませぬ。私は姫様に……皆にあらゆる事から『守る力』を、身につけてほしいと願っておりますゆえ」
本音を言い終わった五郎座は、依然として叩頭したままの状態でいる。
じっと鳳珠の瑠璃色の瞳が五郎座を見つめている……。
庭に静寂が続いたが、突如、鳳珠の激しく咳き込む音でそれが破られた。
驚いた五郎座が顔を上げた時には、もう星吉と弓炯之介が鳳珠の左右に駆けつけている。
やがて咳が止まって落ち着いた鳳珠が、神妙な顔を五郎座に向けた。
「緋凰を……よろしく頼む」
「……は、承知……いたしましてございます」
再び頭を下げた五郎座を後にして、鳳珠は部屋へ戻っていったのだった。
人の気配が完全に消えると、五郎座は地に座ったまま上半身を起こしてブフーッと息を盛大に吐いた。
「あ〜死ななかった……。良かったぁ〜」
そう安堵した五郎座だったが、次の瞬間、
「あ! でも姫様を頼まれちまったぁ! どうしたらいいんだぁ〜」
と、頭を抱えてしまうのであった。
ーー ーー
五郎座が二の丸御殿の外門を潜り抜けたと同時だった。
「お〜い、楯木さま〜」
背中から呼び止める声が聞こえてきたので足を止めた五郎座が振り向くと、緋凰が瑳矢丸と一緒に元気に走ってくるのを見た。
——子ネコが子ウサギみたいに走ってくるなぁ。
男ばかりの環境で育ってきた五郎座にとっては、女の子などは皆、愛らしい小動物にしか見えない。
走り込んできた緋凰は、笑顔で五郎座を見上げた。
「おはようございます。お屋敷にお帰りですか?」
「おはようございます、姫様。いえ、練兵場に行く所で」
「そうなんですか。あ、これどうぞ。よもぎのお茶です。兄上と朝のお稽古をなさったと聞きましたので喉渇いているかなって思って」
「これはこれは。お気遣いありがとうございます」
差し出された茶の入った竹筒を受け取ると、五郎座は緋凰と自然に並んで歩き出した。
「わたしはこれから町へいくんです」
「城の外へお出かけに? くれぐれもお気をつけくださいよ」
五郎座は四角い顔についているもじゃもじゃの顎ひげをさすりながら、心配そうな顔で緋凰の瑠璃色に光る髪と瞳を交互に見る。
近ごろは城内で特に瑠璃を隠さないで緋凰は出歩くし、練兵場での訓練でも笠は被らないので、城内で働く五郎座達もだいぶ見慣れてきていた。
大丈夫だろうか? 付き添った方がいいのか。五郎座が考えていると、ふと緋凰が質問を投げてきた。
「楯木さま。昨日の事、聞いてもいいですか? もしかして、楯木さまは目の前で助けてあげたくても助けられないみたいな事にあった事があるのですか?」
ん? と緋凰へ五郎座は顔を向けると、こともなげに答える。
「そんなの、しょっちゅう出くわしますよ。護衛の仕事であれば日常です」
「ええ⁉︎」
「戦さの場などは無法地帯だから、自分の身くらいしか守れんし」
「楯木さまは武術の腕もすごいのに?」
ふいにぴたりと五郎座が歩をとめたので、緋凰と瑳矢丸も一緒に足を止めた。
迷い気味な顔を見せた五郎座が、重く口を開いた。
「……姫様。戦さの場において『強さ』は武術の強さだけでは足りない事があるのです。『心の強さ』も必要で……」
「心の?」
目をぱちぱちさせて、緋凰は首を傾げる。
苦い顔で五郎座は口をもごもごさせて話を続けた。
「特にあそこは、あらゆる事が起こる『地獄』で……。何というか……独特の異常な空気があって、人の理性などぶっ飛ぶから正気など保てないしぃ……その……」
戦さの場に置いての凄惨な現実を、まだ九歳の緋凰へどう言葉にして伝えるべきか、五郎座は大いに迷った。
特に巻き込まれる女、子供の末路は吐き気がするほど酷い。
この国でも本人が希望すれば女兵士を育てはするものの、よほどの剛力な者ではない限り、後方支援や諜報活動へ主に置かれているものだった。
眉間に皺を寄せている五郎座へ、緋凰は静かに言った。
「知ってます」
「え?」
「わたし、一つの村が野武士たちに襲われているのを見た事があります」
「ええ⁉︎」
「そして、戦さに負けてしまった一族が処刑されるところも……」
「な、なんと……」
思いもよらない緋凰の話に五郎座も、また隣にいる瑳矢丸も絶句してしまった。
忘れる事などできるはずもない光景と、女、子供の悲痛な叫び声はいつも脳裏にこびり付いており、時折り頭をかすめてゆく。
緋凰は思わず俯いてギュッと拳を握ってしまった。
「……」
言葉を失ったまま五郎座はゆっくりと片膝をつくと、緋凰と目線を合わせた。
——あぁ、そうか。だからなのか。この子が武術の訓練で見せるあの目は……。
普段は子供らしく愛嬌もあって、年相応の顔つきをしている緋凰なのだが、練兵場で打ち合う顔は全く違う。
たくましく引き締めている顔の中で目は鋭く、その瞳の奥には異常な闘士の炎が燃えている。
とても普通に育てられているお姫様が見せられる顔ではなかったので、ずっと五郎座は不思議に思っていたのだった。
じっと目の前の瑠璃色の瞳を見つめる。
そのあどけない顔には、練兵場で見せる表情が混じっていた。
五郎座は静かに息を吐いて問いかけた。
「現実を知っていてもなお、人を守りたいとお思いですか?」
「……はい」
短く答えた緋凰の瞳に、迷いがなかった。
つられて隣の瑳矢丸もまた、緋凰を見つめながら琥珀色の瞳を強めている。
五郎座は、己の中の緋凰に対する迷いが払拭されていくのを感じていた。
「……頬は、痛かったですか?」
ふいにきた質問に、緋凰は一瞬だけ目を丸くした。
「え? あ、はい……。だけど、その時の楯木さまのお言葉の意味の方が痛かったです」
その答えに、寸の間ぽかんと口を開けた五郎座だったが、次の瞬間にはニッと笑った。
「なれば、わし……私などがどこまでお役に立てるか分かりませぬが、あなた様に『人を守る方法』などを、しっかり指導させて頂きましょうぞ」
「はい! よろしくお願いします!」
力強く返事をして緋凰は頭を下げた。
——素直なお子だ。教え甲斐のある。
微笑んで立ち上がった五郎座は、先ほどの竹筒の詮を開けた。
「せっかくなので、頂きます。——うむ、うまいですなぁこれ」
「やったぁ〜。それ、わたしが作ったお茶なんです」
「うお! これは恐れ多い。見事な腕前ですな」
「へへ〜♡」
五郎座と緋凰はまた自然と並んで歩き出し、その斜め後ろを瑳矢丸も付いていく。
間もなく、分かれ道に差し掛かったので、緋凰は五郎座に向き合った。
「それではここで失礼します」
「どうか、お気をつけてお出かけ下さい」
はいと返事をして向こうの道へ、緋凰と瑳矢丸が小走りに駆けていく。
その背を見送りながら、五郎座は竹筒の茶を口にしていた。
すると、少し行った先で緋凰が走りを止めると、くるりとこちらを向いて叫んだのだった。
「楯木さま〜。わたし、護衛のお仕事はするけど戦さ場には行かないよ〜」
「——武具一式持ってんのに⁈」
五郎座は文字通り、ブフッとお茶をふいた(降参という意味もある)のであった。
その日から普段、気の荒い五郎座だったが、人に指導を施す際に手を出さずにいられる効果的な指導方法を考えるようになり、周囲を驚かせたのであった。
ここまでお読み頂き、本当にありがとうございます。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。




