6-5 温故知新、鎧でだってオシャレしたい!後
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○この回の主な登場人物○
御神野 緋凰(通称 凰姫)……主人公。この国のお姫様。
甲堅……甲冑師。
紬……甲堅の妻。
糸緒……甲堅と紬の孫。
鷹千代……緋凰の従兄。
瑳矢丸……緋凰の世話役。
少しずつ日が落ちてゆくごとに大気に冷たさが混じり、茜色の夕陽に照らされている庭では木枯らしが木々の葉や草をざわざわと揺らしている。
羽織を一つ腕にかけて紬は廊下を歩いていくと、たどり着いた部屋の前で一度、両膝を折ってかしこまり、中へ声をかけた。
「私です。お呼びだそうで」
「……あぁ」
甲堅の返事は短いものであったが、それでも、妻の紬には充分なものであった。
声の抑揚、今出している雰囲気からして部屋に入って良いのだと分かる程、もうずっと連れあっているものだった。
紬が立ち上がって部屋へ入っても、甲堅は部屋の奥でずっと正座をして神棚を眺めたまま動かない。
縁側にある襖が開かれていて、庭から時折り入ってくる風がひんやりとしているのを感じると、紬は足早に甲堅の後ろへまわり、手に持っていた羽織をそっと背にかけた。
それに気が付いてはいても、甲堅は何も言う事もなく変わらずに神棚をぼんやりと見つめている。
紬は甲堅から二、三歩下がると、自身も正座をしてじっとその背中を見つめながら声が掛かるのを待ち始めた。
その状態のまま、二人の間にゆっくりと刻が流れてゆく。
やがて——。
甲堅が大きく一つ深呼吸をすると、前を向いたまま紬に話し出した。
「……今度の凰姫様の鎧作りを、紬。お前と糸緒に手伝ってもらう」
この言葉に、紬は内心で激しく動揺すると、膝の上に置いていた両手を知らず知らずのうちにぎゅっと握り込んでしまった。
甲堅は神棚を見つめたまま、後ろからの返事を黙って待っている。
しばらくして、ようやく紬が口を開いた。
「『また』あの『しきたり』を……破ってしまわれるのですか? 女を工房に入れてしまっては……」
小さく震える声を聞きながら、動くこともしないで甲堅は答えた。
「凰姫様の鎧は工房では作らない。私が『この部屋』で作ってゆく。その際、お前と糸緒に手を貸してもらう。さすれば、『しきたり』を破る事にはならないだろう」
驚くべきその提案に、紬は目を見開いて目の前の背中を凝視した。
「もしこの製作の中で、糸緒に物作りの才能を見出す事があるのであれば……。あの工房とは別でもう一つ、お前の工房を構えようと思っている」
甲堅の口から思いもよらない考えを聞いて、紬はいよいよ驚いて開いた口元を隠すのも忘れてしまっていた。
「私の……女の……工房を? そんな、いけません」
「なぜだ?」
「女の工房だなんて……。それに私はもう……『あの日』、甲冑師としての心を……川の底に置いてきたのです」
紬の脳裏に昼間、糸緒たちに語って聞かせた『自身の昔話』がまた思い出されてくる。
あの日、憧れの、大好きだった工房が無くなると聞いてあまりの絶望に川へ身を投げた。
薄れゆく意識の中、暗く冷たい水底で何度も何度も、神に願っていた。自身が入る前の……あの……眩しいほどに憧れていた工房に戻してほしい、と。
もう、何十年経った今でも、あの時の胸が張り裂けるような苦しみを紬は忘れてはいなかった。
部屋に張り詰めた空気が流れてくる。
神棚を見つめながら甲堅はこともなげに後ろへ言葉を返した。
「それならば、今すぐそれを拾ってこい」
紬は小さく首を振った。
「願をかけているのです。この工房が私の入る前のように戻して欲しいと」
紬は俯いて目を閉じると、またあの日へ意識を向ける。
川の中で意識を失い、気がついたら川辺にずぶ濡れで横たわっていた。その隣に同じくずぶ濡れのこの夫がいて、助けてもらったのだと知った。
泣きながら謝る自身を、震える身体で抱きしめながら、
『お前は何も悪くない。俺が浅はかだったのだ』
そう言って何度もすまないと詫びた最後に、『生きてくれ』とこの夫は言った。
そしてこの腕の中で声をあげて泣きながら、物作りへの『心』をそこに捨て去ったのだった。
紬が口を閉ざそうとしているのを感じつつ、甲堅は言葉を続けた。
「……もう戻ったぞ」
「え?」
「むしろ、昔以上の名声になっている。おつりがくるくらいだ。……なれば、次の願をかけるのもいいだろう」
「次の……」
思いもしない言葉に、紬は目を開いて顔を上げると、背を向けたままの甲堅がため息をついた。
「あの頃は、互いに若かっただけだ。若いから、性急だった。……物事の深い所にも考えが及ばなかった。あとはまぁ……、お前が男にやたらモテる魅力的な美人だった、てのが誤算だったな」
「…………」
「とりあえずは、作る場所を男と女で一緒にしなければ良いのだ。必要であれば工房の外でお互いの意見を交わしたり、やり取りをすれば『しきたり』を破る事なく、女であっても、甲冑師としてやっていけばいい。これから少しずつ、進めていく」
「しかし……」
「今の世では叶わぬ事もこの先、いつかの世では普通になっているやもしれん。自分たちが失敗したからと言って、若者の未来まで閉ざす事もあるまい。だいたい『これしきの事』でへこたれていては、この乱世の先を走ってゆく事などできやしない」
「……あなたという人は……」
あれ程の苦労をそんな一言で片付けてしまう甲堅に、紬は驚きを通り越して呆れてしまう思いだった。
「そして、皆はお前が工房の復興を命懸けで支えていたのを知っている。あの頃の職人の間でも、あの時の事は『事件』ではなく、そんな事があったと『思い出』になっている。お前の苦労を皆が認めているのだ。そして——」
「そして?」
「今回、凰姫様の鎧の注文が舞い込んできた。男達ではあのような女の子の身体の構造など分からぬ。かと言って、あんな子供の命を、戦場でなど散らしたくもない」
緋凰の鎧は父であり、この国のお殿様でもある煌珠が、緋凰の兄である鳳珠の時と同じように、自らこの工房を訪ねてきて注文していったのだった。
『娘の命もまた、自分達と同様に守ってほしい』と。
甲堅は神棚をじっと見据えた。
「だから……お前の立つ時が来たのだろう。私には神が『お前に』やってやれと言っているとしか思えん」
正座している紬の身体が、小刻みに震え出してくる。
それでも背中をむけたまま、甲堅はキッパリと断言したのだった。
「お前にもまだ、甲冑師としての『熱意』があるだろう」
ドキリとした。
また、紬はその言葉に反応した自身にも……驚いた。
たしかに、甲冑師としての『心』は捨ててきた。
それでもなお、この『想い』だけは、時折、感情となって現れてくる。
見て見ぬふりをして……気付かないようにしてきた。
でも、この夫には……『夫』だからなのだろうか。この気持ちを見透かされていたのだった。
次第に、涙が溢れてくるのと、心臓の鼓動が高鳴ってゆくのを、紬は抑えられなくなってくる。
そして——
「別段、物を作りたいと『想う』心と、人を守りたいと『願う』心に、男も女もないだろう」
甲堅のこの言葉が、『またしても』紬の甲冑師としての魂を揺さぶられてしまった。
——本当に、この人ときたら……。
甲堅自身は忘れているのだが、かつて若い時に同じ言葉を言っていたのを、紬は忘れていない。
工房に入りたくても認めてもらえなくて、挫けそうになっていた時に、まだ近所の『物静かで優しいお兄さん』だった甲堅が、そう言って手を差し伸べていた。
あの時に湧き上がってきた強い『熱意』を、紬は今——思い出している。
涙を袖で拭うと目を閉じて、ゆっくりと深呼吸をした。
「やるわ……私……」
そう呟くと、紬は両手をついて前に向かって頭をしっかりと下げた。
「どうか私にも、凰姫様をお守りするお手伝いを、させて下さい」
依然、神棚を見つめている甲堅の口元にわずかな微笑みが浮かぶ。
そしてその閉じた目の瞼の裏には、かつて自身が心を震わされた、妻の強い熱意を秘めた力強い笑顔が、映っているのであった。
ーー ーー
後日。
二の丸御殿の応接の間にて、緋凰と瑳矢丸、そして甲堅がくるとの話を聞いて訪ねてきた鷹千代までもが、ワクワクしながら目の前に出された緋凰専用の鎧にかかっている布を、座って見つめている。
「じゃあ、いっきま〜す。それ!」
隣に立った糸緒がその布をパッと取って、その新作の鎧をお披露目した。
「おぉ〜」
小さくも立派な小桜威の鎧や具足の一式と、御神野家の証でもある背中に鳳凰の刺繍が施された緋色の陣羽織もセットで付いていた。
歓声をあげた三人は、さっそくその装備品をそれぞれ手に取ってしげしげと眺め出す。
「うわ! すごいここ細かっ! さすが甲堅殿!」
「ここはこんな感じなのか……。なるほど」
鷹千代と瑳矢丸が鼻息も荒く見入っている横で、
「可愛くてすっごいきれいだね! ありがとう! 糸緒ちゃん、甲堅さん」
緋凰は満足した顔で甲冑師の甲堅と、その見習いである糸緒に礼を述べた。
「どういたしまして〜。ほんとはね、もっと可愛い見かけにしたかったんだけど、おじい……師匠がね、『ほぼ男しかいないむさ苦しい戦さ場で、そんなに可愛くしたらクソ野郎共に目をつけられるから駄目だ』って怒るんだよ」
「アハアハ。これでも十分可愛いよ♡」
「ねえ、さっそく着けてみてよ」
促しながら、糸緒はテキパキと緋凰に鎧をつけ始める。
「ここの所は蹴りを高く繰り出せるようにこうなってて——あ、おばあちゃん……じゃない。紬先生が『女はお腹を冷やしちゃいけないから』ってここからこの布を腰巻きみたいに巻いて——」
着付けながら説明している糸緒の言葉を、瑳矢丸と鷹千代が目をきらきらさせながら聞いていた。
「よし! できた! どう? 師匠」
仕上がった緋凰をよくみて、甲堅はうんうんと頷く。
「凰姫様、どこかお苦しい所などはありませんか?」
「大丈夫です! よし、瑳矢丸! 相手して!」
「はい!」
身体をあちこち動かして問題ない事を確認すると、試しをするために緋凰は元気よく瑳矢丸と二人、庭へ降りていく。
「あ〜うらやましいなぁ〜」
呟きながら縁側に腰を下ろした鷹千代の近くで、陽の光で瑠璃色に輝く緋凰に驚きながらも、甲堅と糸緒は最終チェックに乗り出す。
練習用の槍棒をもって対峙したのだが、瑳矢丸がちっとも動かない。
「瑳矢丸〜。どうしたの?」
不思議に思った緋凰が問いかけると、
「……うらやましー」
瑳矢丸が投げやりになって言葉を返してきた。
「あぁもう! 行くよ!」
仕方がないので、緋凰の方から先手をうって走り出すと、試しに大きく振りかぶってみた。
(思ったよりも軽く出来ていて動きやすい。腕も目いっぱいあげられる! きっと普通の鎧とは違う——新しいんだ!)
感心しながら打ち合っている緋凰を、じっくり観察しながら甲堅と糸緒は調整点などを打ち合わせ、素早く手元でメモを取っているのだった。
やがて一通りの打ち合いを終える。
夢中で身体を動かしたので、肩で息をしながら緋凰はにこにこ顔で自分の鎧を見つめていると、その様子を瑳矢丸が、息を整えながら、じぃ〜っと眺めている事に気がついた。
「どうしたの?」
うっかり緋凰がまた分かりきった事を聞いてくるので、瑳矢丸は口をへの字に曲げてふてくされるのであった。
「……うらやましすぎる‼︎」
「しょうがないでしょ! もぉ〜」
後に、甲堅と紬のこの工房は、互いに切磋琢磨をしながら伝統を守りつつ、それでもその中から新しい技術を模索し、取り入れながら成長をつづけ、長く後世に受け継がれていく。
そして、この工房の神棚には、いつの頃からか『温故知新』の四文字が掲げられているのであった。
ここまでお読み頂き、本当にありがとうございます。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。




