おまけの巻4前/ 光明の煌星《きらぼし》
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○この回の主な登場人物○
御神野 緋凰(通称 凰姫)……主人公。この国のお姫様。
鈴星……緋凰の母。
御神野 律ノ進 煌珠……緋凰の父。
御神野 湧ノ進 閃珠……緋凰の祖父。
美紗羅……緋凰の叔母。煌珠の妹。
美鶴……緋凰の従姉。美紗羅の娘。
その小さなお姫様は、ぱっちりとした瞳を大きく開いて立ちすくんでいた。
目の前では、陽の光に照らされた瑠璃色の瞳が、美しく輝いている。
「……違うのか?」
クチナシが甘く香る屋敷の庭で、九歳くらいの若君が足元に転がってきて拾った、鮮やかな花の模様が入っている朱色の鞠を、不思議そうな顔で差し出していた。
「あ……ありがと……ございます」
小さなお姫様は、そっと両手を出して鞠を受け取った。
それを見届けると、若君は踵を返して行ってしまったのだった。
小さなお姫様はしばらくの間、ぼんやりとしたまま動けないでいると、
「おぅい、鈴星〜。なにやってんだ?」
急に目の前で手のひらが上下にひらひらと現れたので我に帰った。
「あれ? 兄上」
「あのさぁ。お前、この辺りで若君を見かけなかったか?」
「若様?」
「ほら、さっきご到着された御神野の若君だよ」
ハッとなった。
「ん? どした?」
急に黙り込んだ妹に、兄は首を傾げると……。
鈴星がパッと笑顔を向けた。
「兄上! 私! その若様のお嫁さんになる‼︎」
「…………」
突然の宣言に目を丸くした兄は、頬を桃色に染めて大興奮している妹の両肩にポンと手を置いてにっこり笑ったのだった。
「……お前じゃ無理だ」
「えぇ⁉︎ どうして⁈ 兄上のいじわるぅ‼︎」
ーー ーー
「ねえねえ叔母上。私の死んじゃった父上ってどんな人なの〜?」
「え?」
自身の部屋で、姪っ子である三歳の緋凰と、娘の美鶴と共にほのぼのと生花をしている美紗羅は、驚いた顔で花を剣山に刺そうとしていた手を止めた。
「ま、待って緋凰! あなたのお母上様は、もうお隠れあそばしているけど、お父上様はご健在なのよ」
「生きてるの? でもわたし、いっかいも見たことないけど。どんなひと〜?」
興味津々の目で聞いてくる緋凰に、美紗羅は考える。
——ここできちんと話してあげないと……。兄上(緋凰の父、煌珠)が嫌われないようにしなくては。
煌珠を褒めるべく、美紗羅は彼の良い所を内心で素早く探した。
「そうね……えっと……。思ったことが顔に出ないから、何を考えているのか分からないお人ねぇ……」
「え〜。へんなひと〜」
けらけらと笑う緋凰に、美紗羅は間違えた! と焦ってしまう。
「でもね、あなたのお父上様は、海よりも深い考えで、山のてっぺんより高い所から物事を見ているすごい人なの! だから、思っている事を理解できる人がなかなかいないのよ」
胸の前でギュッと両手を組んで、美紗羅は緋凰へ力説した。
「すごい人なの⁉︎」
「そうよ、それにこの国のお殿様なのですよ」
「え〜⁈ 父上ってえらい人なの⁈ すっご〜い!」
尊敬の眼差しで目をキラキラさせている緋凰を見て、美紗羅はうまくいったと胸をなでおろしている。
その二人の様子を見て、いろいろな記憶が蘇ってきた美鶴は、
「そんな伯父上(煌珠)を伯母上(鈴星)はとっても大好きだったのよ」
そう言って緋凰へにっこり笑いかけた。
「そうなの? そんなに母上は父上が大好きだったの?」
「それはもう……。お母上様はお父上様のお嫁さんになりたくて、とても頑張ったのよ」
あきれてしまう程、煌珠に一途であった生前の鈴星を思い出して、美紗羅は微笑みを見せる。
「じゃあ父上もずっと前から母上が大好きだったの?」
笑顔で問いかける緋凰に、返事に詰まった美紗羅は首を傾けながら記憶を探ってみた。
「えっと……そうねぇ。あの人はいつからあの方を気に入っておられたのかしら……。でもあの時にはもう……」
「あの時って⁈」
恋のお話し大好きな緋凰と美鶴が、きらきらした目でどーんと詰め寄ってくるので、美紗羅は懸命に記憶をたどりながら話しを始めるのであった。
ーー ーー
鳴朝城の二の丸にある屋敷の自室で、若君である煌珠が書に目を通していると、
「やっほ〜。俺の可愛い無愛想な子狐ちゃ〜ん。元気?」
開け放たれた襖の向こうから、閃珠が突然ひょこっと現れた。
「……用がないなら消えろ」
「お前はほんっと、口が悪すぎるな。父親に向かって言う言葉か? もっと俺を尊敬しろ、お殿様だぞ」
「うるせー」
こちらを見向きもしないで答える反抗期の長い息子に閃珠はため息をつくが、めげずに用件を切り出した。
「ふふ〜ん。喜べ! 今日はいい話を持ってきてやったぞ」
「……嫌な予感しかしねぇな」
「なんと! お前に可愛いお嫁さんを決めてきてやったぞ」
「…………あっそ」
「えぇ⁉︎ 反応薄っ!」
煌珠の全くの予想外な反応に、閃珠はたじろいでしまう。
「……てっきり『勝手に決めるな』っつって怒ると思ったんだがなぁ」
やはりこちらへ振り向きもせず、煌珠は淡々と述べた。
「今の世は婚姻など家同士の繋がり。政略でするものだ。相手は自身で選べるものではなく親である貴方が決めるものだし、俺の邪魔にならなければ誰でもいい」
ふぅ、と閃珠はため息をつく。
「やれやれ、可愛げのない事を。お前は誰か気に入っている女はいないのか? 側室は自分で選べるものだし」
煌珠がピタリと止まった。
「……側室? 正室を決めてきたのではないのか?」
やっとこちらに顔を向けた息子に、閃珠はヘラっと笑う。
「いや、まだ正室はどこにしようか迷っているからとりあえず側室でも〜と思って。だってお前も、もうハタチになっちゃったからさぁ」
「ならば断れ!」
「えぇ⁉︎ 誰でもいいんじゃないんかい!」
急な心変わりに驚愕した閃珠を睨みつけながら、煌珠は怒鳴りつけた。
「側室などいらん! 女など一人いれば十分だ。正室だけを決めてこい!」
「でももう決めちゃったし。別段、お前の言うように、御神野家にとって良い話でもあるからさ」
「……どこの家の者だ?」
おっ、となった閃珠はニヤリと笑う。
「それはだなぁ……。ナ、イ、ショ♡」
「殺すぞ」
「物騒だな、おい! 何でお前はそう冗談が通じないんだ? もぉ、すぐに分かる。側室ではあるがまぁ、ちょっとした祝言の席を設けるからな」
「いつだ?」
「今日この後」
ポカンと口を開けた直後、
「……貴方はどうしてそんなに阿呆なのだ‼︎ 急すぎるだろ!」
とうとうブチ切れた煌珠を見て、
「じゃあよろしく〜」
そう言うなり、目にも止まらぬ早さで閃珠は逃げていったのであった。
ーー ーー
逃げた閃珠と入れ違いに来た小姓達に支度をさせられた煌珠は、仕方なしに宴会場に向かうべく屋敷を後にした。
春の暖かい陽気とはうらはらに、足取りを重くしながら歩いていると、目の前をハラハラと桜の花びらがいくつか通り過ぎていく。
ふと足を止めて桜の木を見上げると、頭に浮かんでくる顔があった。
——しまったな、予定外だ。……あいつは怒るだろうか? それとも……悲しむ?
桜を見上げてはいても、目の焦点は合っていなかった。
「仕方のない事だ……」
ぽつりとつぶやいた煌珠は前を向くと、今度は足早に歩いていく。
ほどなくして、宴会を行う建物にたどり着くと、無言で外門をくぐった。
玄関の先まで進んだところで、後ろがにわかに騒がしくなったので振り向いてみると……。
女物の駕籠が門の外側に到着しているのを見た。
——相手が来たのか。
せっかくだから顔を見ておこうと、煌珠は足を止めて片手を腰に、駕籠の方を向いて観察し始めた。
控えめに着飾った女が、侍女に手を引かれてゆっくりと出てくる。
上がった顔を見るとおっとりと優しげな顔立ちで、今日の穏やかな春の似合うような美しさがあった。
——容姿は抜群。立ち居振る舞いにも品がある。さすがジジイ(閃珠)が即決で決めるだけあるな——ん? コケたぞ。トロいのか?
小さな段差でつまづいて派手に転んでしまった女の周りで、侍女がオロオロしている。
息をついた煌珠は、歩み寄っていくと女の前に立ち、スッと手を差し伸べた。
突然顔の前にきた手に、女は不思議そうな顔をみせて見上げると、目が合った煌珠に恥ずかしそうに笑って、
「ありがとうございます」
そう言って、差し出された手を取ろうとした——。
「えい!」
突然、横から手刀が振り下ろされたかと思うと、煌珠の手をしたたかに打つ。
さらに次の瞬間、どーーんと後ろに吹っ飛ばされた煌珠は尻もちをつきそうになってしまった。
「はぁ⁈」
驚いて前をよく見ると、転んだ女を別の女が優しく立たせている最中であった。
「何をする⁈」
腹を立てて怒鳴りつけたが、バッと振り向いた手前の女の顔を見て、煌珠は再び驚いた。
「す、鈴星⁈」
この場の誰よりも着飾った姿の美しい鈴星が、穏やかな形の目元に涙を溜めると、ズンズン歩いてきて煌珠へ詰め寄ってきた。
「駄目! 今日だけは絶対に! 明日からはちゃんと何も言わないから、お願いです! 今日だけは……他の人を見ないで……」
鈴星の瞳から、ぽろぽろと溢れ出てきた涙の理由がさっぱり分からず、煌珠にしては珍しく、オロオロと狼狽え出した。
「いや……な、何のはなし——」
「どうされたの⁈」
今度は後ろから涼やかな女の声が響いて煌珠が焦ったまま振り向くと、妹の美紗羅が玄関から急いで出てくるのをみた。
「え? なぜ泣いてるの? ……兄上! どうしてこのような日に鈴星を泣かせるの! ひどいじゃないの‼︎」
鈴星の涙をそっと手巾で拭いながらブチ切れてくる美紗羅に怒りで反論しかけたが、煌珠は一度素早く深呼吸をし、つとめて冷静に返した。
「待て。勘違いをするな。おそらく俺は何も知らない。さっき屋敷で父上にここへ来るよう呼ばれただけだ。一応、側室がどうとか簡単に聞いてはいるが」
「え? ……このような大事を……今、聞いた……? ならば、もしかして兄上は……お相手が誰だかご存知ないの? まさか……」
信じられない思いであっけにとられた美紗羅だったが、あの父(閃珠)なら驚かそうなどと言ってやりかねないと、だんだん顔が引きつってくる。
すると、二人の会話を聞いて涙を止めた鈴星が顔を整え、きちんと煌珠へ向き合うと、落ち着いた声で話をした。
「律ノ進様……。今日は私が、あなた様の側室として迎えていただける日なのです」
「何⁈ お前が、側室で⁈」
しまった、と煌珠は内心で動揺した。
なぜならばその実、鈴星を自身の正室にする為に煌珠は裏でいろいろと手を回していたのだった。
——横やりが入ったのか、それとも……。
チラリと鈴星の後ろにいる女へ目を移すと、美紗羅へ問いかけてみる。
「あの者は?」
「あら? 兄上は前にお会いした事があるのでは? 奈由桜さんよ。都方の御神野のお方で」
「…………」
全然覚えていなかった。
どうやら奈由桜を自身の相手と間違えたのだと察した美紗羅は、煌珠の耳元でこそっと補足を加えた。
「……こんど刀之介殿とお見合いになるの」
「……そっちか」
以前に自身の荒小姓であったあの端正な顔立ちの刀之介が頭に浮かぶと、似合っていると納得した。
——だとしたら……。恐らくあのジジイは俺の心を見透かしている。となると……。
煌珠が鈴星を正室に望んでいるのを分かっている上で、側室として先手を打ったとなると、閃珠としては正室は別の者が良いと反対しているのだ。
先ほどの父の姿が思い出される。
『もっと俺を尊敬しろ』
——もちろん、嫌というほど尊敬してやっているさ。
閃珠はひょうきん者で表向きはよくヘラヘラとしまりのない顔をしているが……食えない男である。
だからこそ、敬意を表していつも呼んでやるのだ。
『タヌキじじい』と。
ギリっと歯ぎしりをした煌珠は、向かいで心配そうな顔をしている鈴星の手を取ると、そのままぐいぐい引っ張って門をくぐって外へ出ていってしまった。
「兄上! どこへ行くの⁈」
美紗羅が慌てて声をかけたが、返事は返ってこなかったのであった。
ーー ーー
宴会場から少し離れた所に伸びている立派な赤松の木の下で、背を向けて考え込んでいる煌珠の後ろで鈴星は静かに、根気よく、邪魔をしないように立っていた。
鈴星は煌珠が自身を正室に望んでいる事を知らない。
だがあの日、幼い時に出会って一目惚れをしてから、ずっと煌珠をよく見ている。
ゆえに、このように無表情で動かない時は、とにかくそっとしておくのが一番なのを鈴星は分かっていた。
……ふと、煌珠が動いた。
ゆっくりと……こちらを向いてくる。
いつも以上に真剣な顔の煌珠に、鈴星の胸がキュッと緊張した。
静かな声で、煌珠が問いかける。
「……本当にお前の願いは、俺の妻になる事なのか?」
鈴星は、当たり前のように微笑んで頷く。
「はい。生涯、律ノ進様のお側にいる事が、私のただ一つの願いです」
「……なれば——」
煌珠が鈴星の前に片手を差し出した。
「その願い、叶えてやる。今からお前は……俺の妻だ」
ドキリと大きく胸が弾み、ハッとした鈴星は、一瞬だけ胸の前で手のひらをギュッと握ると、
「はい‼︎」
嬉しさのあまり、満面の笑顔で煌珠の胸に飛び込んでいった。
「……まずは手を取るものだ。いきなり飛び込んでくるな。子供じゃあるまい」
そう呆れて言うも、煌珠は微笑みながらしっかりと、想いと共に鈴星を受け止めているのであった。
ーー ーー
広間では、賑やかに宴会が進んでいる。
主役である煌珠の隣に鈴星が座り、両脇には閃珠やその妻である珠、鈴星の親である菜夜月冴之丞冬峰などが談笑していた。
ふと盃を置いた冴之丞が、煌珠の前へ進み出てきて膝をつく。
「この度は我が娘、鈴星を若殿(煌珠)にお迎え頂きまして、この上なく喜ばしい限りです。またこのような場を設けてくださり、恐悦至極に存じます」
頭を下げた冴之丞と共に、席で座ってこちらを向いた鈴星の兄である雪之丞も、礼を取っている。
煌珠は笑った。
「なに、こちらこそ『顔合わせ』にここまで賑やかにして頂けるとは恐縮にございます」
「え? ……顔合わせ……?」
側室として迎える為の宴会だと思っていた冴之丞は、これはいわゆる『結納』(正室として迎え入れる前段階)だと言われて、何の事か分からず激しく狼狽した。
その様子を見た周りの者達の談笑もピタリと止まり、反対にざわざわと戸惑いの雰囲気が流れてくる。
閃珠に嫌な予感が走った。
そして、冴之丞の目をまっすぐに見据えて、煌珠は高らかに言い放ったのだった。
「私、御神野律ノ進煌珠は、菜夜月冴之丞冬峰殿の御息女、鈴星殿を『正室』としてお迎え致す」
「ええ⁈」
寝耳に水の言葉に度肝を抜かれた冴之丞ら菜夜月の一族は、言葉を失って茫然としてしまった。
「待て、煌——」
焦った閃珠が腰を浮かせた時。
煌珠の最終手段が発動した。
パッと片袖が掴まれた閃珠が振り向くと……。
「まあ。良かったですわね、あなた。私も嬉しいです」
あの珠が。
閃珠の愛してやまない最愛の妻が。
笑っている!
極上の笑顔で——。
——な。何ぃ‼︎ 珠が笑っているだとぉーー‼︎ しかも、こんな人前で!
珠は普段から滅多に笑顔が出ない人である。
その為、
——御前様がお笑いになってるぅーー!初めて見たぁ‼︎
と、その場にいる全員が珠の笑顔に釘付けとなってしまった。
「そうか、そうか、嬉しいか。そりゃあ良かったなぁ」
この笑顔を見るために生きていると言っても過言ではない閃珠は、もはや何もかもがどうでも良くなり、にこにこと笑いながら珠の手を取ると、喜んでその笑顔を眺め始める。
見事、煌珠は母を味方につけてこの嫁とり交戦に勝利を収めたのであった。
晴れ晴れと澄み渡る青空に、クチナシの香が華やかに匂う初夏の吉日。
互いに笑顔を見せながら、改めて煌珠と鈴星の婚礼の儀が無事に行われている。
あの日、庭で願った小さなお姫様の大きな想いが、叶った瞬間なのであった。
ここまでお読み頂き、本当にありがとうございます。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。




