5-32 いつもと違うって不安だ
読んでくださり、ありがとうございます。
○この回の主な登場人物○
御神野 緋凰(通称 凰姫)……主人公。この国のお姫様。八歳。
瑳矢丸……緋凰の世話役。十歳くらい。
若虎……西国の清滝家の家臣、旗守家の嫡男。十歳くらい。
真瀬馬 輝薙之介 澄桐……瑳矢丸の兄。十四、五歳。
「では、城内を案内して下さい」
練兵場を出た所でそっと緋凰の手を繋ぐと、
——うん、いい雰囲気だよな。
若虎がわずかに緊張してドキドキしている。
しかし、その手はやはり、瑳矢丸の手刀で切り離された。
「ほんとお前、いい加減にしろって!」
「俺が言いたい。いちいち手を繋ぐなっての!」
ずっと邪魔ばかりされていい加減、うんざりしてきた若虎は、
「緋凰。少しでもいい、お前と二人でゆっくり話がしたい。瑳矢丸殿に少し外してもらうように言ってくれないか?」
ついに緋凰へ直接頼みにかかった。
——厄介だな。二人きりでは確実に凰姫は口説き落とされそうだ……。
瑳矢丸はとっさに頭の中で二、三個言い訳を用意して緋凰を見る。
「じゃあ瑳矢丸、少しだけ向こうで待っててくれない?」
「三歩くらいなら離れますよ。私は凰姫様の護衛でもありますし、客人も守らねばなりませんから」
「ちょっとだけだよ」
「ですが、その間にあなた方に何かあったら困るのです」
「……そっか」
普段から理屈で瑳矢丸に勝てたためしのない緋凰が、今度も納得するそぶりを見せた為、若虎が口を挟んできた。
「それなら十歩下がって頂きたい。別にさほど遠くないのですから、何かあってもすぐに駆けつけられるでしょう」
「矢が飛んできたら間に合わない」
「なぜに城内で矢⁈」
若虎と瑳矢丸が睨み合いを始めようとした時、もうどうにでもなれとため息をついた緋凰が何かに気づいた。
「あ、瑳矢丸。輝薙之介さんが来たよ」
「え?」
慌てて振り向いた瑳矢丸につられて、若虎もそちらに目を向けると——。
確かに男が一人、歩いてくる。
近づいてくるにつれて、若虎の目が見開いていった。
朱色に似た鮮やかな赤の小袖に、紺色の袴。
腰ではさり気ない洒落た小物があったり、金地の刀鍔が太陽の光を返して時折りキラッキラしていた。
そしてその男は知っている。
どのように振る舞えば自身が人の目によく映えるのかを。
三人の前に来た輝薙之介は、片手をさり気なく腰に当て、重心をわずかに片足へずらし、無意識に、ごく自然に、嫌味なく完璧なポーズを決めたのだった。
——絶対すげーモテるであろう男ぉーー‼︎
衝撃を受けた若虎は、言葉を失いながらも輝薙之介へ目が釘付けになる。
——す、すごい! あんな着物、普通のやつが着ていたらとんでもない事になるが、違和感が全然なく着こなしている! こんなカッコい——え、ならば緋凰は……惚れてたりするのか?
慌てて緋凰を見るが、
こんにちは〜と、何でもない感じで輝薙之介と話しているので、それはそれで若虎は驚いた。
——こんなにカッコいい男なのに関心がないだと? 緋凰の周りにはこんな奴らばかりなのか? まてよ……。
思い返してみると、初めて自身と松丸に出会った時も、普通の女の子のようにはにかむ事もなく、緋凰は何でもないように話しかけてきている。
——もしかして、緋凰にとっては俺の容姿など、取るに足らないものなの……か?
若虎の緋凰に対する自信が、ぐらりと揺れた。
小さい頃から美しいともてはやされてきて、自身の容姿に絶対的な自信を持っていた若虎が、ここで初めて挫折を味わったのである。
青い顔をしている若虎に輝薙之介は、
——フッ、青二才が。
内心で余裕を見せると、緋凰へにっこり笑いかけながら鳳珠の言付けを伝えた。
「凰姫様、月ノ進様より若虎殿を二の丸御殿へお連れ致しますよう言われて参りました。なんでも、凰姫様が山で修行なさっておられた時の話など、お聞きしたいそうで」
「そうなのですね! じゃあ、行こうよ若虎!」
声をかけられた若虎がハッとすると、
——ま、負けるものか!
緋凰の手をとり、
「あ、ああ……。では連れて行ってください」
ぎこちなくではあるが、笑顔を作った。
「あれ? 若虎ったら緊張しているの? 大丈夫だよ、兄上って優しいんだ〜」
そう言って、緋凰は手を繋いで歩き出したので、瑳矢丸が急いで手刀を作るのをみて輝薙之介が軽く制すると、
「あれしきの挑発に乗るな。くだらん」
こともなげに言って、緋凰達の後へ歩き出した。
——どんな分野でも、突き抜けている人ってのはすごいな……。
久々に次兄の偉大なる人たらしの能力を見て妙に感心した瑳矢丸は、輝薙之介に嫁がいて本当に良かったと、ホッとしている自分を不思議に思っているのであった。
結局この日、戦意を挫かれた若虎は何の成果もあげられずに、客殿へ引き上げる事となったのである。
ーー ーー
「夕餉に出たあの味噌! すんごい美味しかったよね〜。鶴姉上がお土産に持ってきてくれたやつ〜」
自室に戻った緋凰は、先程のお膳にあった味噌田楽の味を思い出してうっとりしながら打掛けを脱いで、ポイっとその辺に置いてしまった。
ハッと気付いた緋凰は、
(しまった! 瑳矢丸に怒られる!)
般若のような顔つきの瑳矢丸を想像し、そのままのポーズで、恐る恐る振り向いてみると……。
部屋の入り口付近にいる瑳矢丸は——何事もなく微笑んでいる。
(あ、あれ? 怒られない。どうしたんだろう。……そういえば、私って今日、瑳矢丸に一度も叱られていないような……)
夕餉の時も、こんにゃくを目の前に大口を開けてしまったのを目撃されたのだが、『食べにくいですよね、切り込みを入れますか?』などと、笑っていただけである。
(どうしたんだろ? 若虎がいたから後で怒るのかなって思ったのに……。じゃあ、これならどうかな?)
不思議に思った緋凰は、腰についている巾着をわざと目の前でポイっと打掛けの上に投げてみた。
しかし……。
(え? 怒らない……。それどころか笑ったままだ。何で?)
じっと瑳矢丸を見つめると、緋凰は大きく戸惑い出した。
(ま、まさか、瑳矢丸は……。そんな、どうしよう‼︎)
無意識に、片手が胸の前でこぶしになり、しばし懸命に考えた緋凰は、ゆっくりと一歩を踏み出した。
近づいてくる緋凰に、笑顔を作っている瑳矢丸まで内心で動揺し始める。
——ん? どうした? なんであんな神妙な顔で来るんだ?
笑顔を崩さないように、瑳矢丸は考え出す。
——ま、まさか⁈ もう俺に惚れてしまったのか? え? 早すぎないか?
緋凰が近づくにつれ、瑳矢丸の胸がドキドキと大きく鼓動を打ってくる。
——でも、成功したならいい……よな? いやしかし、たったこれだけで落ちるなんて……。身なり整えて笑ってるだけだぞ⁈
動揺が激しさを増してきた瑳矢丸の目の前に緋凰は立つと、おずおずと顔を上げて見つめてくる。
その目は潤んで揺れていた。
——ほ、本気なのか? そんな……そんな軽くて良いのか⁈ 違う! そんなんじゃ無いはずだ! だって緋凰は……喧嘩するけど優しくて、だらしないけどちゃんとした所もあって、ちゃらんぽらんだけど気高くて、くだらない事ばっかいうけど品はあってそれに——。
褒めてるのか、けなしているのか……、瑳矢丸は表情こそ変えないが、どんどん混乱してゆく。
そんな中、緋凰がそっと片手をあげて控えめに瑳矢丸の袖をつまんだ。
たったそれだけで、ドキンと瑳矢丸の心が跳ねてしまう。
「ねえ……」
自分に向けて聞いた事もないか弱い声が出されて、瑳矢丸に緊張が走り、
——やはり成功しているのか……。嘘だろ……。
ぎりっと、歯ぎしりをした。
——なに……やっているんだ緋凰! ちょっと優しくされたからって簡単に惚れるとか情けない! あなたは御神野の姫君なのだぞ! 崇高であるべきなんだ! 幼いからと言って、こんな策に引っかかるんじゃない!
自分で仕掛けているのに、瑳矢丸はいつもの世話役としての感情が密命を上回ってしまってしまい、変な所で腹を立ててしまった。
「瑳矢丸ぅ……」
緋凰がもごもごと言葉を続けてくる。
——ど、どうしたら……。でも、命令があるから受け入れてもいいんだよな……。ぬああ! でもぉーー!
好かれる事に嬉しい気持ちはあるように感じるのだが、じわじわとまた、罪悪感に似た感情が心に広がってきて、瑳矢丸からついに笑顔が消えてしまった。
手に汗を握り、ごくんと唾を飲んだ時、緋凰がかすかに震える声で自身の思いを告げたのである。
「……私を、見捨てないでよぉ〜」
「……………………何の話だ⁈」
いつものように叱られない事で、緋凰はついに瑳矢丸から世話役として愛想をつかされてしまったのだと、勘違いをしていただけなのであった。
ここまでお読み頂き、本当にありがとうございます。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。




