5-21 調略は、情報が命
読んでくださり、ありがとうございます。
○この回の主な登場人物○
御神野 緋凰(通称 凰姫)……主人公。この国のお姫様。八歳。
瑳矢丸……緋凰の世話役。十歳くらい。
「え〜っとぉ……」
月明かりの元、御殿の奥にある庭で、緋凰は金柑の小木をガサガサさせながら実を探している。
その後ろでは、瑳矢丸が猛烈な勢いで作戦を練っていた。
——もう、これが最後の機会かも! くっ……こうなったら『好きだ』、とか言ってみて様子を見るか?
前々から考えていた事ではある。
しかし、これを言ってしまうと何か大事なものが壊れるような気がして、瑳矢丸はこの方法が使えないでいた。
——迷ってる暇はもうない! これで反応が良ければ……。
『——すこしくらいなら——』
煌珠の言葉が瑳矢丸の心を誘う。
——輝薙兄上が言っていたみたいに、ギュッてしちゃえばいいのか? ぐぅ、恥ずかしいが……もはや背に腹はかえられない! ……あれ? でもその後って確か——。
さらりと得意げな顔で最後まで説明した輝薙之介が思い出される。
——うおぉ‼︎ その後は子供じゃ無理‼︎ 絶対駄目だ‼︎ ……しかし、『好き』だなんて言って、それが嘘だと知ったら凰姫は——。
瑳矢丸の胸にとんでもない罪悪感がひしめいてきて、なんだか息苦しくなってきた。
すると、急にパッとひらめいた。
——そう……だ! 『好き』っていう気持ちは、何も恋に限った事ではないじゃないか。友達や家族へのそれだって『好き』となるし。とりあえず、今は『好き』と言う言葉で関心を俺に向かせて、事が終われば『友達として好き』っていう意味だと説明すればいいのでは?
一瞬、瑳矢丸の気持ちがパァッと明るくなったが……。
すぐにまたザワザワと心に罪悪感が戻ってくる。
——なんか俺……ひどくない? だけど実際の戦さとかでの調略なんて……もっと酷いし……。
書物や包之介ら大人が語る話で得た知識は、それはもう、凄惨だと思ったものだった。
——あ、でも、そもそもこれは、凰姫を守る為の『嘘』で……。
自然、かぶりを振る。
——いや、違う。少なくとも、友達としては……俺は凰姫の事、好きだと思う。だから『嘘』とはまた違って——。
「瑳矢丸!」
突如呼んできた緋凰の声に、瑳矢丸は口から心臓が吹っ飛びそうなくらいビクッと驚いて、我にかえった。
「取れたよ、金柑の実。さあ、戻ろう」
実を包んだ手巾を懐にしまうと、緋凰は瑳矢丸の横を通って歩き出した。
「待っ——」
この機を逃すまいと、瑳矢丸は通り過ぎる緋凰の袖を掴んだが——。
「わっ!」
振り向きざま足がもつれて、倒れそうになってしまった。
あっ! となった緋凰は、とっさに手を広げて瑳矢丸の下に潜りこむと、その身体をガシッと受け止めた。
ところが。
衝撃が強すぎて受け止めきれず、緋凰の身体がグラリと揺れる。
——危ない!
さっと両脇に腕を滑り込ませて、緋凰の身体をグッと引き寄せながら、ガッと前に出た片足を、瑳矢丸はめいっぱい踏ん張った。
すると……。
ようやく二人は、転倒を回避できたのであった。
わずかな刻の後、
「……ふぅ〜、あぶなかった〜」
二人はその体勢のまま、安堵の息を吐く。
「すまない。だいじょ——」
身体を離そうとしたら、緋凰の顔が間近に飛び込んできて瑳矢丸はドキリとすると、現状を瞬時に理解した。
——うぉぉ! 俺、今……抱きついちゃってる⁉︎
意識した途端、緋凰を両腕に包み込んだまま、カチンと身体が硬直してしまう。
(あれ? また瑳矢丸が止まってる。なんだろう? てか、顔近っか! なんか……)
緋凰は顔を見上げたまま、目をぱちくりさせた。
ここ最近、育ち盛りの瑳矢丸は、また背がぐんと伸びている。
緋凰も同じ年の女の子達と比べれば、背は高い方なのだが、それでも引き離されて瑳矢丸の胸の辺りまでしか追いついていない。
がっしり捕まって、ず〜ん、と上から見下ろされている様はどうにも……。
(こ、怖いなぁ〜。早く離してくれないかなぁ)
たまらず押し返そうと、緋凰は両手を瑳矢丸の胸の前に持ってきたが。
無表情のまま、琥珀色の瞳だけが揺れている瑳矢丸の顔に気圧されて、その手がリスのように胸の前でしゅ〜ん、と拳になってしまった。
——今だ、今! 早く! 『好きだ』と言うんだ!
内心で火が付いたように焦っている瑳矢丸は、震える口を懸命に動かすと、
「緋……凰……」
やっと名を呼んだ。
(あ、もしかして瑳矢丸は——)
緋凰は、美しく輝く瑠璃色の瞳を真っ直ぐに向けると、
「はい……」
ドキドキと胸を緊張させながら、小さく返事をする。
その声を聞いた瞬間——。
ボッと瑳矢丸は顔が熱くなって、慌てて身体から手を離すと、そのまま緋凰の横を通ってスタスタと早歩きで行ってしまった。
「え⁈ え? 瑳矢……丸?」
予想外の出来事に驚いて、緋凰はバッと振り向く。
(何か頼み事があるんじゃないの⁈ そんなに……言いにくいものなの? 困ってるの? ……よし!)
グッと拳を握って意を決すると、緋凰は瑳矢丸の背を追いかけて行った。
——無理! やっぱ駄目だぁ……。何で言えないんだ? 俺、そんなに意気地が無いのか……。
自分を情けなく思いながら、瑳矢丸が早足で歩いていると、
「待って!」
突然、はっしと片腕が捕まったと思ったら、勢いよく身体が反転した。
緋凰が振り向かせた瑳矢丸の両腕を、しっかり持ってずいっと迫る。
「もう! ちゃんと言ってよ!」
勢い込んできた緋凰に、瑳矢丸はギョッとした。
それでも緋凰は言葉を続ける。
「何をそんなに困っているの? そりゃ私、子供だから頼りないけどさ、何か役に立つかもしれないでしょ? もうずっと瑳矢丸、悩んでいるじゃない!」
——えぇーー⁉︎ 見破られている⁈ 何で? どうして分かったんだ?
魂が消し飛ぶ思いで仰天した瑳矢丸は、
「何で……悩んでいるのが……」
ついつい、自白するように尋ねてしまった。
「いつも一緒にいるんだよ? 見ていればわかるもん。何かずっと、そわそわしてたもん」
緋凰の回答に、
——そんなに俺、態度に出てたのか……。
瑳矢丸はますます情けない思いが募ってゆく。
「大丈夫! きっと何とかなるよ! 私も手伝うから! ね!」
力強さをたたえた、その瑠璃色の瞳が、月の光できらきらと輝いている。
頼もしい顔つきで緋凰が、笑った。
——あぁ……。可愛いな……。
心配してくれた事を嬉しく感じて無意識に瑳矢丸は思ったが、自覚はしていない。
代わりに、……声が出た。
「緋凰……俺——」
そこで、ハッとした瑳矢丸は、またもや意識してしまった。
「うん! どうしたの?」
きゅっと掴んでいる袖を握りしめて、緋凰は根気よく言葉の続きを待つ。
「俺……俺……」
瑳矢丸の顔が、またもや熱くなってくる。
だが、袖を取られていて逃げられない。
心臓がもう、破裂するのではないかと思うほど早鐘をうっていた。
——もう、言ってやる‼︎
観念した瑳矢丸は、じっと緋凰の目を見た。
「俺!」
「うん!」
「———の事どう思っているぅぅ……?」
「……ん?」
ぷしゅ〜っと脱力した瑳矢丸を見て、緋凰の目が点になった。
——何故だぁ〜。どうして言えなかった? なんて事だ……。あ、でも。これはこれで、気にはなるか。
ノロノロと顔を上げてみると、緋凰は不思議そうな顔をしている。
「瑳矢丸の事?」
「……うん」
「好きだよ」
息が止まった。
「え? えぇ⁉︎」
口を開けて驚いた瑳矢丸の気持ちが、ぐ〜んと、跳ね上がった。
「だって友達でしょ? 嫌いなわけないじゃない」
……スン。
瑳矢丸の心がうって変わって冷静になった。
——そうだ……そりゃそうだ。まだ緋凰は幼い。『友達』としてに決まっているじゃないか。何を期待した? バカじゃねぇの俺。
琥珀色の瞳が、急に感情を失くしたように見えて、緋凰は戸惑いながら袖を離すと、
「あ、もしかして! また道場の男の子達、私が瑳矢丸のお嫁さんなるんだろ〜って、からかってきたの? 前言われたのをずっと気にしていたの?」
目線をずらしている瑳矢丸の顔を覗き込んだ。
「別に……」
「大丈夫!」
「何が?」
「私が瑳矢丸に惚れる事は、絶対にないから!」
「え?」
スッと胸が冷えた瑳矢丸は、慌てて緋凰と目を合わす。
「どうして、『絶対』にないんだ?」
「だって瑳矢丸は『他人の者』だもん」
「へ? 何それ?」
よく分からない言葉が出てきて、瑳矢丸は眉根を寄せた。
「だっていつも『惚れないで』っていうでしょ? だったら、瑳矢丸はいつか私ではない『誰か』をお嫁さんにするんじゃない。だから瑳矢丸はそのお嫁さんの者でしょ?」
「はぁ⁈」
「私は父上達みたいに、私だけをお嫁さんにしてくれる素敵な人と一緒になるのが夢なの♡ だから、『他人の者』には好きになっても無駄だから興味ないの」
「はぁーーーー⁈」
度肝を抜かれた瑳矢丸の脳裏に、いつぞやの弓炯之介の話が浮かんできた。
『——もう私に興味がないであろう——だから大丈夫なのだ』
——あれって……。こう言う事だったのかぁーーーー‼︎
あっけに取られていて声が出せない瑳矢丸へ、緋凰はぐっと拳を握って励ましてくる。
「安心して! 今度のお稽古で道場の男の子達、全員ぶっとばして、二度とそんな口をきかないようにしておくから!」
「い、いや、そんな事しなくても——」
「大丈夫! 瑳矢丸が悩んでいたなんて言わないから」
「だから、ちが——」
「あ! しまった! 早く戻らないと、お祖父様の喉が!」
勝手に問題を自分の中で解決してしまった緋凰は、くるりと背を向けて走り出す。
その後ろ姿をぼう然と眺めながら、瑳矢丸はある事に気がついた。
——え? じゃあ、そう思われているって事は……。まずそこを改めないと、何をしても緋凰が俺に興味を持つはずがなかったって……事?
ガーーン! と打ちのめされると、
——俺のこのひと月って、いったい何だったんだぁーー‼︎
膝から崩れ落ちてしまった。
このたった一つの情報が得られなかったばかりに、最初から『間違った努力』をしてしまったのだと、瑳矢丸は途方に暮れたのであった。
「俺を……勝手に『他人の者』にするなぁぁーーーーーーーー‼︎」
ヤケになって、瑳矢丸は仰向けに倒れ込む。
その琥珀色の瞳に映った青月は、ただただ冴え冴えと、光り輝いていたのだった。
ここまでお読み頂き、本当にありがとうございます。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。




