幼馴染は世話を焼きたい
「ねぇ。起きなさいよ」
ホームルームが始まる五分前。
俺――綿矢和也は机に突っ伏して眠っていたのだが、棘のある言葉と共に、肩を少し強めに揺すられる。
「んー。あと五分だけー」
「いいから早く起きなさい」
腹の底から出た冷えた声が聞こえ、流石にまずいと思った俺はゆっくりと身体を起こしては大きく伸びをして欠伸をする。
「なんだよ愛莉。俺になんか用か?」
俺は眠い目を擦り、目の前で仁王立ちしている少女――鈴代愛莉に尋ねる。
腰ほどまでに伸ばされた黒髪。透き通った水色の瞳に長い睫毛。真っ直ぐ伸びた鼻筋。艶やかで潤った桜色の唇。
まるで絵本の世界から飛び出してきたと言われても納得がいくほどの美貌の持ち主だ。
実は彼女とは幼稚園からの幼馴染で、家も隣のご近所さんなのである。
周りの友人からは「鈴代さんが幼馴染とか羨ましいな!」とか「俺も鈴代さんにあんな風に怒られてー」とか言ってくる。
今もこの現状に、友人たちはニヤニヤと笑みをこちらに向けてくる始末だ。
愛莉は呆れたように深いため息を漏らして、ジトッとした目をこちらに向けてくる。
「和也。昨日は何時に寝たの?」
「え?なんで言わなきゃなの?嫌だよ」
「いいから答えなさい」
「……二時だよ」
「なんでそんな夜遅くまで起きてたの?」
「……勉強してたからだよ」
「嘘ね」
愛莉はバッサリと切り捨てて、俺を咎めるような冷ややかな視線を向ける。
「和也のことだからどーせゲームしてたんでしょ」
本日二度目のため息を漏らして、やれやれと頭を抱える。
「あのね。わたしたちは幼馴染なの」
「うん。知ってる」
「和也の評判が悪くなると、わたしまで風評被害を被ることになるの。そこのところをもう少し自覚を持って行動してくれないと」
「まぁまぁ。そんなにカリカリするなって。せっかくの美人が台無しだぞ」
眠そうな瞳を浮かべたまま頬杖を付いて、俺は愛莉に言った。すると愛莉の顔が見る見ると赤くなり口元をパクパクさせる。
「か、和也ね……美人とか適当に褒めればわたしが許すとでも……」
「いやー、愛莉が幼馴染で良かったよ。俺がだらしなかったら今みたいに注意しにきてくれるし、俺のこと気にかけてくれるし本当に感謝しているよ。いつもありがとう。これからは気をつけるからさ」
俺が満面の笑みを見せると、愛莉は照れ隠しするようにそっぽを向きながら「わ、分かればいいのよ……」とだけ言い残して自分の席に戻り腰を下ろす。そうは言っても俺の前の席に愛莉はいるのだが。
俺は欠伸を噛み殺して、朝のホームルームが始まるのを待っていた。
▼▽
昼休み――
クラスメイトが弁当を食べたり食堂へと向かう中、俺は朝のように机に突っ伏していた。俺の両親は二人とも出張が多く、家に一人で過ごしている時間が多い。母さんがいないときは俺が弁当を作るのだが、今日は寝坊してしまったので弁当を作る暇がなかった。
しかも運悪く財布も忘れてしまったので食堂にも行くことができない。空腹を凌ぐには眠ってしまうのが一番だと考えた俺は、腹の虫が鳴るのを抑えながら目を閉じていると、「和也」と声をかけられる。
顔を上げれば、職員室に提出物を出しに行っていた愛莉が立っていた。
「お昼は?食べないの?」
「弁当がない上に、財布がないから食堂どころか飲み物すら買うこともできん。詰んだ」
空腹に耐えるように言葉を発すると、愛莉は「ふーん」とだけ言って、鞄から弁当箱を取り出す。蓋を上げればタコさんウインナーに卵焼き、そして弁当箱サイズに作られたハンバーグが視界に入る。
と、いかんいかん。腹が減っているときに食べ物を見たら余計に腹が減ってしまう。俺は机に顔を埋めて食べ物のことは何も考えないようにする。
「和也。顔を上げなさい」
愛莉にそう言われて顔を上げると、爪楊枝に刺したハンバーグをこちらに向けていたのだ。
「ほら、口開けて」
「いいのか?」
「いいからやってんのよ。みんなの視線もあるんだから早く食べなさい」
周りの生徒は俺たちを温かな視線で見守っていた。俺もこんな視線をこれ以上浴びるのは勘弁なので、あーんの体勢でハンバーグを口にする。
「美味い」
「そうでしょ。わたしが作ったんだから」
「マジで?愛莉って料理得意なの?」
「まぁね。お母さんに教えて貰ってだいぶできるようになったのよ」
愛莉はフッと笑い胸を張る。張ったところでないものが特に強調されるわけでもないので、少し寂しい気もする。
「……なによ。何か言いたいことでもあるのかしら?」
「いえ、なんでも」
視線で感じ取ったのか、鋭い目つきで睨んできて俺は視線を逸らす。本日、何度目かのため息を漏らしたあと、愛莉はタコさんウインナーを爪楊枝に刺して再びこちらに持ってくる。
「ほら。これも食べなさい」
「いや、そしたら愛莉の食うものなくなるだろ」
「授業中にぐーぐーお腹を鳴らされるのが迷惑なのよ。いいから早く食べなさい」
愛莉は無理矢理タコさんウインナーを口に捩じ込んでくる。少しむせそうになりながらもジュワーっと美味しさが口の中に広がる。
「次は何が食べたい?」
「じゃあ……卵焼きを……」
結局、俺は愛莉の弁当の半分をいただいてしまい非常にいたたまれなくなってしまった。
▼▽
「和也。夕飯はどうするの?」
放課後、帰り支度していると肩に鞄を担いでいる愛莉が言葉をかけてくる。
「準備するの怠いからカップ麺でいいかな」
「ダメよ。栄養が偏っちゃうわ。……仕方ない。今日はわたしが作りに行ってあげる。和也のお母さんにもお願いねって頼まれてるし」
「え?何それ?聞いてない」
「ほら。買い出しに行くからとっとと帰り支度を済ませなさい」
「……おす」
学校を出たあと、スーパーに寄って食材を購入したあと、愛莉はエプロン姿でキッチンに立っていた。今日の夕食はカレーらしい。
「できたわよ」
「おぉ……」
俺は椅子に座って手を合わせると、早速カレーを頬張る。
「めっちゃ美味い」
俺は素直な感想を言うと、愛莉は「そう。良かったわ」と安堵の言葉を漏らす。
「愛莉のご飯ならいくらでも食えるなー」
「そ、そう……もし和也さえ良かったら、お母さんとお父さんがいない間、わたしが作りにきてあげてもいいのよ」
「マジで?」
「うん。朝の起こしに来てあげて朝ご飯作って弁当も作って夜ご飯も作りに行ってあげてもいいのよ」
「いや、朝は無理だろ。どうやって家に入るのよ」
「和也のお母さんにスペアキー預かってるわ」
「嘘やん」
「まぁわたしもあんたの世話を焼くのは嫌じゃないし……むしろ世話を焼いてあげたいって言うのが……本音というか……」
俺は掬っていたカレーが皿にぼとぼとと落ちる。
「あんたはわたしがいないと生きていけないんだから、あんたは黙ってわたしにお世話されてなさい!分かった!?」
顔を赤くして半分勢い任せで言った愛莉は人差し指を真っ直ぐ俺に指した。
「あ、はい……」
どうやら俺の幼馴染は相当の世話焼きなようで、これからもお世話をされるようだ。