ビッグ・ブラザー 21
中田達は逃げていた。エスポワール戦隊から、戦場から、死の恐怖から。
対抗できるだけの自信はあった。事実、幹部級の人間を二人も撃破して、カラードと化した構成員達も撃破した。だが、全ては一人の人間に覆された。
「ぐっ。クソっ……」
中田は己の体を抱きしめていた。歯の根が噛み合わず、寒くも無いのに震えが止まらない。極道の世界を生き、エスポワール戦隊との戦いにも身を投じて来た。理不尽な暴力は散々に見て来たはずだったが、アレは別次元だった。
「中田、剣狼。ジャ・アークは壊滅した。槍蜂も殺されたし、生き残ったのは僕達だけだと思った方が良い。これからどうする?」
軍蟻が冷淡に告げた。これからの皇はエスポワール戦隊が支配していくのだろう。敵対していた自分達が見逃して貰えるとは考え難い。
もしも、生き延びようとするなら、これからも逃げ続けなければならない。そんな生活に耐えられるだろうか?
「俺はやる。一人になっても戦う」
剣狼の答えに迷いはなかった。再び巨大な狼へと変形して、来た道を戻ろうとする彼を、中田が止めた。
「ま、待てよ! お前1人で行って何が出来るんだ!?」
「何が出来るかじゃない。何をするかだ」
中田が焦っていたのは、何も剣狼の為だけではなかった。彼が最後に一矢報いようと尽力すれば、生き残った自分達まで殲滅しようと本腰を上げてくるかもしれない。
今、追っ手の気配が無いのは泳がされているか、捨て置かれたのかは定かではないが、自分からリスクを増やすような真似は控えたかった。普段の彼を知っている者達からすれば、余りにも逃げ腰な考えだった。
「お、お前が死んだら! 芳野ちゃんが悲しむだろ! 誰が、彼女達を守るってんだ!?」
「行きたくないなら、俺一人で行く。アニキ達は付いて来なくていい」
「そうじゃねぇ! お前の行動で、俺達まで危険になるじゃねぇか!」
剣狼の交流を知った上での交渉も通じないと分かった中田は、本音を口にした。自己保身を図る自分を顧みる余裕も無い程に、彼は憔悴していた。
「俺が行っても、行かなくても同じだ。連中は俺達を決して許さない」
「ま、まだ分からねぇだろ。ほら、今も追撃は来てねぇし。見逃してくれるかもしれねぇし……」
「いや、そんなことは無いみたいだよ」
軍蟻が双眼鏡を渡して来たので、覗き込んでみた。するとバイクに乗ったカラード達が、こちらに向かって接近してくるのが見えた。
「嘘だろ」
「暫く、現れなかったのは準備を整えていたんだろうね。下水道で見た奴らもいるし、本気で僕達を殲滅するつもりだ」
自分達に逃げ場所など無い。絶望が生きようとする意思まで奪っていく。
だが、意外なことに。接近して来たカラード達は、いきなり攻撃を仕掛けてくるような真似はしなかった。代表の様に出て来たカーマイン色のカラードが言う。
「お前達に最後の提案をしてやる。このままリングと戦う意思を捨てて、俺達の捕虜になれば、生存は許してやろう」
「ほ、本当か!?」
中田の心が一瞬揺れ動いたが、直ぐに思い留まった。言い方が妙に引っ掛かる。まるで、生存以外の何物も許さないようだった。
「僕達をどう扱うつもりだ」
「質問できる立場にいると思うのか。従属か死か、選べ」
「戦って死ぬに決まっているだろう」
軍蟻の質問を突っぱねて、全員が臨戦態勢に入る。逃れられない死を押し付けられれば、中田も臆病風に吹かれ続けている余裕は無かった。
「嗚呼! 畜生! やってやるよ!」
リングを起動させた。魚型の怪人を経由することなく、長く伸びた巨体を持つ龍その物へと変貌をしていた。
「気を付けろ! 龍型の怪人はブルーさんを撃破している!」
「ケン! こうなりゃ、お前に付き合うぜ!!」
自らの体に剣狼達をしがみつかせ、天へと登る。カーマインを始めとしたカラード達が胴体を狙って攻撃を放つが、堅固な鱗に阻まれた。来た道を逆走しながら、中田は考える。
「(もしも、最初から俺が、この形態に変身出来ていたら)」
槍蜂を助けることも出来たのではないか、下水道から逃げ出すとき、皆を死なせることは無かったのではないか、豊島が犠牲になることは無かったのではないか。様々な後悔が過ったが、逃げると言う選択は無かった。
「レッドの野郎にカチコミを掛けるぞ!」
「応!!」
「こうなったら、地獄まで付き合うよ」
たった3人。今更、どうした所で組織の力に潰されるだけということは分かり切っていたが、合理性も何もかもを超えた感情だけで動いていた。
~~
「そうか。連中、諦めていないのか」
殲滅の為に出向いていたカーマイン達から連絡を受け取っていたレッドは立ち上がった。戦勝ムードに酔いしれていた仲間達に対して宣言する。
「君達は良く戦ってくれた。これが本当の最終決戦だ。龍型の怪人は俺が相手をする。諸君らは残りの二人を頼む」
「たった二人ですよ?」
「甘く見るな。前・エスポワール戦隊の頃から戦い続けて来た百戦錬磨であり、シアンを葬った手練れだ。心して掛かれ」
エスポワール戦隊における実技の訓練を担っていたシアンを倒した相手。先程までの空気が一変し、全員が自らの得物をチェックしていた。
隊員達の戦意が高揚するのを見届けた後、レッドは傍に立っていた七海に目を向けた。
「リーダー。私はどうすれば?」
「桜井が今も何処かを彷徨っているだろう。保護してやれ」
「それは、私の為? 彼女の為?」
今回の事態を通して、七海は自分がどの様に扱われているかを感じていた。リーダーは自分を争いから遠ざけようとしている。
自分の特性上、今回の様な乱戦や激戦が繰り広げられる場合は戦力として数えられないということは納得できなくも無いが、この様な局面においても遠ざけられることについては、思うことが無い訳ではなかった。
「両方だ。それに、これは俺の為でもある」
「リーダーの?」
「……七海。ヒーローと言うのは、意思なんだ。例え、誰かが倒れても。想いは受け継がれて行く。もしも、俺に何かがあったとき。俺の意思を継いでくれるのは、お前なんだ」
つまり、この戦いは決死の覚悟を持って挑まねばならない程であるということだ。ジャ・アークの総帥も撃破し、脅威は全て取り除かれた物だと思っていたが、彼はそう思っていなかった。
「彼は、そんなに恐ろしい相手なの?」
「追い詰められた奴は手強い。奴はブルーをも倒している。大丈夫だ、帰ってくるつもりで戦うんだから」
グシャグシャと頭を撫でられた。本当は一緒に脅威に立ち向かいたくはあったが、こうも真剣に頼まれたのであれば、無碍に扱う訳にも行かず。彼女も直ぐに行動を開始した。……少し遅れて、シャモアが現れた。
「リーダー。観測されているスピードから、そろそろ辿り着くと思います」
「よし。これが、本当の最後の戦いだ! 皆! 生きて帰るぞ!」
既にジャ・アークは組織としての形態を失う程の被害を受けていた。ここでエスポワール戦隊に立ち向かうのは、一矢報いる行為でしかない。と、考える者は誰もいなかった。
自分達が勝利を収める為に必要な最後の戦い。戦いの中で犠牲になった仲間達に報いる為、皇を理想の世界へと導く為。彼らは号令を上げた。……望んだ世界が、本当に皆の為にあるのだということを信じて疑わない、純粋な善意とどうしようもない程の無知があった。