水魚之交【春】
観光用のライトアップが終わり、残されたのはぼんやりと光る街頭。
花見客もいない夜の桜並木を、彼と二人で肩を並べて歩く。
満開の桜はひらひらと花が散り始め、少し強い風が吹けば一斉に吹雪のように散ってしまいそうだ。
行く先を照らすのは月の光だけ。
けれど、歩くのに困りはしない。
盛大に咲き誇った桜の花びらの一つ一つが月の光を反射させているせいで、周囲がぼんやりと明るいからだ。
特に会話はなく、あっても一言か二言。
一緒に過ごす時間の中で、真面目な話もくだらない話もするけど、無言の時間も割と長い。それなのに、彼とはそれが苦に感じない。
多分、相手が彼じゃなきゃそうは思わないだろう。もし同じ状況で相手が別の誰かならきっと俺の方が耐えきれずに話し掛けてる。
「...さみぃー」
深夜に近い今の時刻は、春とは言え日中に比べればぐっと気温が下がり、かなり寒い。
パーカーのフードを被り、デニムの前ポケットに手を突っ込んで隣を歩いていた彼がそう呟いて上を見上げる。
見上げた先には、桜のアーチとその隙間から覗く夜の空。
暗闇に目が慣れたせいか、彼の吐く息の白さが視界の端に見えた。
寒さを確認するように、はぁっと息を一つ吐いたかと思うと、不意に彼が何歩か前に出た。
トンっ、と弾むような足取りで、散りゆく桜の花びらの一つを摘むように腕を伸ばす。
振動で被っていたフードが取れたが、それも構わず、指先は花びらを追っていた。
何度か指先に掠りはするものの掴めず、追い続けるその指先や腕がまるで踊っているように見えた。
時折見える彼の仕草や姿を、綺麗だと思う自分の感情に戸惑う事が無くなったのは、いつからだったか。
気付いたら彼の姿を目で追っていて、過去に異性に対して抱いた感情を彼に感じた事で、これは同性の友人に対する感情じゃないと気付いた。
戸惑いはあった。
でも、彼への気持ちに気付いた事でホッとしたような、納得できた気がする。
どうして彼と一緒の時は無言でいても居心地が良いのか。
理由が分かったから。
友人以上の気持ちがある事を伝えるつもりはない。
ーーー少なくとも、今は。
居心地の良いこの空気と、彼の隣にいられるこの時間を自分の手で捨てる事はできそうにない。
いつかは、打ち明けたいと思うけど。
今はまだ。
「...さみぃし、帰ろうぜ」
花びらを追うこと諦めて、上を見上げたまま立っていた彼が、振り返る。
「んー...うん。あ、俺ん家汚ぇからお前ん家な。あと、何かあったかいもん食いたい」
また俺ん家かよ...と思わず顔を顰めたら、それを見た彼がニッと笑った。
その顔に若干動悸が上がる。
「...鍋でいいか」
おー!と嬉しそうに笑った後。
「つかさ、お前が作るメシって何でも美味いよな」
俺にとっては殺し文句と満面の笑みが怒涛の如く襲ってくる。
「...鍋なんて誰が作っても大して変わんねぇだろうが...いいから、帰んぞ」
動揺しながら返せたのは、そんな一言。
気持ち隠して一緒にいようとしてる俺もズルいけどな。
お前も結構ズルいと思うよ、俺は。
花が散る前にまた来よう、一緒に。
また桜の中のお前の姿を見たいから。