番外編: 王子の憂鬱
舞踏会の翌日、王子視点です。
クラウディアが執務室に来た時、私は昨日の一大事件をどう説明すべきか、まだ決められていなかった。
「入ってくれ。」
「ありがとうございます。それでは失礼いたします。」
完璧な所作で部屋に入ったクラウディアは、今日もうららかな美しさをたたえていた。少し落ち着いたダークブロンドの、シルクのようになめらかな髪が優雅に結われている。美しい大きな目は私を心配するように見据えている。明るい色の装飾の少ないドレスが、クラウディアの清楚な美しさを引き立てている。
「急に来てもらってすまない。」
「とんでもありません。それよりも、お具合はよろしいのですか?」
「いや、すこぶるいい。」
いつもは執務をしている時間帯、テオドラに耳かきをされて眠ってしまったので、私は爽快感と罪悪感が相混じったなんとも不思議な感覚に襲われていた。さっきまで爽快感9割だったが、純粋に心配してくれているクラウディアをみると罪悪感が頭をもたげてくる。
「舞踏会に来られないと、珍しく慌てたセウェルス様から報告を受けたときは、とても心配申し上げました。」
「心配させて悪かった。急用ができてしまったんだ。」
右耳だけをいじられて放って置かれたら、私の命に関わるところだった。あの時点で、テオドラの屋敷についていく他に選択肢はなかった。
「ええ、聞き及んでおります。こちらでテオドラ様と面会されたあと、テオドラ様のご実家で夜通しの協議が開かれたとお聞きしました。今日付でテオドラ様の親族が昇進されていましたね。」
「ああ、すまない。私としては、テオドラのいじめと一族の汚職疑惑でもって強行突破するはずだったのだが、予想外の抵抗にあってしまってな。いじめを耐え抜いたクラウディアの気持を思うといたたまれないが。」
実はまだ婚約破棄さえ約束できておらず、テオドラの要求をすべて飲んだだけなのだが、ダンスパーティーで私を待っていたクラウディアのことを思うと口には出せない。それに耳掃除に屈服させられたなどと、恥ずかしくて言えない。
「私の受けたいじめなど構いません。それよりも、私などのために大きすぎる妥協をされているのではありませんか。私と結婚することを引き換えにテオドラ様の一族が国を牛耳るようになっては、殿下の将来にマイナスになってしまいます。」
そうだ。クラウディアはいつも真っ直ぐで、斜に構えた私の心を洗ってくれるのだ。
「いいんだ、クラウディア。私は君を愛している。テオドラの親族は私腹を肥やしているが、統治能力に優れた者が多い。」
「ええ、どちらの噂も存じております。テオドラ様も自身の隠遁と引き換えに一族を守るという、彼女なりの筋の通し方をしたのですね。ご立派です。」
あれだけいじめられていて、なおテオドラの良い点に言及できるとは、頭が下がるばかりだ。
言うべきか。いずれバレるのなら今言うべきだろう。
「それについてなんだが・・・実はテオドラは修道院に入らないことになった。婚約破棄で彼女の嫁ぎ先がなくならないよう、詳細を詰めている。」
修道院に入ったら修道院に耳かきをされにいくだけの話だが、テオドラ本人はそんな条件を飲まないだろう。
「殿下、それはいくらなんでも、テオドラ様に有利すぎる合意ではありませんか?」
クラウディアは正しいと思ったことを口にするが、いつもは相手を慮って回りくどい言い方になる。驚いてしまったのか、今日は言い方がストレートだ。無理もないか。
「頭では分かっている。心もこのことを悔いている。でも体が・・・テオドラに逆らえなくなってしまって・・・」
「殿下・・・まさか・・・」
クラウディアがもともと大きな目をさらに見開いた。この目には、驚くほど多くのことがお見通しなのだ。
「そうか、勘のいいクラウディアなら察しがつくのだな・・・この部屋で二人きりになったとき、テオドラが・・・その・・・」
「殿下・・・それはいけません・・・おわかりでしょう・・・」
バレている以上、申し開きをするしかない。
「分かっている・・・分かっていたんだ・・・だが、王妃を輩出してきた一族の意地だと言われ、それを最後の思い出に修道院に入るとまで言われたのだ。私も気が緩んで・・・すまない、本当にすまないクラウディア!」
クラウディアの瑪瑙のように美しい目が涙をたたえていた。めったに泣くことをしないクラウディアが。
「殿下、一夜限りの思い出、というのは良い終わり方をしないものですわ!長年の婚約者の涙ながらの訴えで情にほだされたのはわかりますが、殿下の初めてを好きでない相手に捧げてしまうなんて・・・」
「本当に反省している。このとおりだ。どうか許してほしい。だが、世間では初めてを気にするものなのか?」
聞いたことがないが?耳かきには特別な意味があるのだろうか。
「殿方はあまり気にしないかもしれませんが、愛する相手がいる場合は別です!」
「そうだったのか。確かに、初めてで夢中になってしまったのかもしれない・・・クラウディアが初めての相手だったらどんなに素晴らしかっただろう・・・だが、テオドラの技は信じがたいほど気持ちよくて、私は何度も昇天しかけた・・・」
思い出すだけで体がソワソワしてくる。クラウディアを前にしてなんたる様だ。
でも耳かきがされたい。気持ちよくなりたい。
「テオドラ様は経験が豊富そうですものね・・・殿下、お話を効くだけでも辛いのですが、テオドラ様のお屋敷で行われたのはひょっとすると交渉ではなく・・・」
「ああ・・・その・・・続きを・・・一晩中・・・」
私は途中で寝てしまったので、耳かきがいつまで続けられたのかは分からない。
「殿下!」
「すまない!本当に済まない!だがテオドラがあまりにもすごすぎて、子供のようにおねだりまでさせられて、でも気持ちよくてやめられなかったんだ。」
もうあれを味わってしまったら、もとには戻れない。
「殿下・・・今まで甘い夢を見させていただいて、ありがとうございました。今までの幸せに感謝こそすれ、この件で殿下をお恨みすることはございません。それでは失礼いたします。」
優雅な、だが決然とした動作で、クラウディアは踵を返した。
だめだ、このままでは、私は惚れた女を失うことになる。
「まってくれクラウディア!私の心はまだ変わらずクラウディアを想っている。体がテオドラを求めるようになったとしても、私の愛は変わっていない。許してくれないか。」
「殿下、恐れながら、そうして私にずっと苦しい思いをしろとおっしゃるのですか!」
振り返ったクラウディアは泣いていた。私が泣かせたのか。
耳と心が別の相手を求めるなど、たしかに納得するのは難しいだろう。
「クラリッサ、提案がある。私もテオドラのくびきから、逃れたいと想っているのだ。そこでだ、初めてでなくて申し訳ないが、私に、その、してくれないか?」
「ダメです!対抗するようにことに及んでも、幸せになれるとは思えません。それに私達には早すぎます!私達は、その、初めて口づけをしたばかりではありませんか。」
断られる気はしていたが、口づけと耳かきの関係性が分からない。
「関係があるのか?テオドラには口づけなどしたことがないが。」
「物事には順序というものがあります、殿下!百戦錬磨のテオドラ様は例外です。」
そうだったのか。王族はなかなか市井と交流がないから、テオドラのような特殊な相手を普通だと思ってしまうケースがある。
クラウディアはこほんと咳払いをすると、決意をしたような目で私を見据えた。
「殿下、殿下もお年頃なのに、清い交際を押し付けてしまったのは私です。そして、私はテオドラ様と違って、殿下を惑わすような豊満な体付きをしておりません。」
「違う、私はクラウディアの見た目を好ましく思っている!テオドラは単に技術が異次元だっただけだ!」
「私にとっては同じことですわ!」
いつも冷静なクラウディアが感情的になっていた。このままでは領地に引きこもってしまう。
どうすれば・・・
私は名案を見つけた。
「そうだ、テオドラに頼んで、クラウディアも順番に・・・」
テオドラの耳かきを味わってくれれば、きっとクラウディアにも私の気持ちがわかってもらえるはずだ。
「目を覚まして!!殿下!三人でなど、狂気の沙汰です!不潔ですわ!」
クラウディアはいまだかつて無いくらい取り乱した。
「不潔?むしろ衛生的ではないのか?」
「殿下、どうか落ち着いてください。私も聞いたことがあります。初めてを経験した殿方は、しばらくそのことしか考えられなくなってしまい、まともな思考ができないと。」
クラウディアが気の毒なものを見る目で私をみてくる。今までになかった事態に、私も混乱し始めていた。
「そんなことはない。クラウディアも一緒に、テオドラに気持ちよくしてもらえば、きっと私の気持ちが分かる。」
「殿下、私は女です。殿方とは体の作りがちがうのですわ。」
体の作り?耳の形がそんなに違うようにはおもえないが、男女差があるのだろうか。
「そうか、男のほうが気持ちよく感じるのか?」
「・・・存じ上げません。もしよろしければこの話はまた後日にいたしましょう。大変申し訳ありませんが、今日私は気分が優れませんので、お暇させていただきとうございます。」
クラウディアは再び私に背を向けた。本来ならマナーに厳しい彼女は私を向きながらドアを開くのだが、本当に気分を害されたのだろう。
だが、ここで終わりにしてはならない。
「待つんだ!まってくれクラウディア!もう一度、もう一度チャンスをくれないか。」
「そのセリフを言った方と、結婚がうまくいったことは無いと聞いておりますわ。」
クラウディアのいつもより冷たい声が部屋に響く。
「私にはリハビリが必要なんだ、クラウディア。今は体が驚いてしまっているが、そのうちたいしたことはないと思えるようになると思う。時間が私を癒やしてくれる。」
もちろんそう思っているわけではない。テオドラの耳かきを何百回されてもその度に昇天する自信がある。
クラウディアを騙すのは忍びないが、私がこれからこの国を統治していくには、クラウディアの曇りのない目が必要だ。彼女の真っ直ぐな心、私をさとしてくれる賢さ、私の疲れを癒やしてくれる優しさ、テオドラの耳かき・・・
「少し距離を置きましょう、殿下。今はお互い、冷静に議論ができるとは思えませんから。」
クラウディアの悲しそうな後ろ姿は、しかし私に愛想をつかしたようには見えなかった。
「クラウディア、愛している。私はいつまでも待っている。」
「・・・ありがとうございます。それでは、ごきげんよう。」
クラウディアが少し頬を赤くするのがわかった。
ドアが閉められた。その閉め方には敵意はこもっていなかった。
一国の王子たるもの、二兎を追って二兎を得られずにどうする。
今晩はクラウディアの心を取り戻す作戦を考えよう、テオドラに耳かきをしてもらいながら。
ありがとうございました。今回はアイデアも展開も長編(『指魔法を〜』)から転用しているのですが、こちらの方が読むハードルが低いかなと思いました。番外編なので、王子が幸せになる予定は特にありません。