表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/5

後日談

その日は珍しく、王子から城に出向くようにとの指示があった。


「なんの用事かしら?」


馬車から降りる段になっても、私はなぜ自分が呼ばれたのかわからなかった。


最近耳かきの回数を制限してから王子の機嫌が良くないので、城に軟禁される心配も少しした。でも城の警備に当たっているのは叔父様の部下たちだから、いざとなれば逃げられる体制は整っているはず。


王子は自分がふやけた顔を周りの人間に晒すのは恥だと思っているらしく、初回を除けば耳かきはもっぱらうちの屋敷で行われていた。王子の情けない顔はうちの使用人にはばっちり見られているけど。


知り合いの将校を見かけて挨拶をしていると、見慣れた顔が私を迎えに来た。


「テオドラ嬢、私についてきてください。」


眼鏡の奥の冷めた緑の目が私を見据えて、同じように冷たい声が広間に響く。


「これはセウェルス様、ごきげんよう。」


「挨拶は省略しましょう。」


そういうとセウェルスは踵を返して私に背を向けた。少し眺めのダークブロンドの髪がなびいて、セウェルスファンにとっては綺麗なシーンだったと思う。


それにしても、挨拶を省略する手間をかけるなら挨拶をすればいいと思うのだけど、私とこの王子の腹心との間には埋めがたい溝があった。ゲームの断罪イベントは回避したけど、ゲーム通り断罪にむけて奔走していたセウェルスにとっては王子にはしごを外された気分だったと思う。


無言のまま後をついていくと、王子の執務室よりも手前の、待合室には殺風景な部屋に通された。木の机と長椅子があって、何かの書類とペンが用意されていた。


「この部屋は・・・」


私が言い終わらないうちに、セウェルスは部屋の内側からドアに鍵をかけた。


「その書類にサインをしてもらいます。」


頼むというよりも命令する口調でセウェルスは言い放った。この仏頂面とねちねちした性格で、ゲームの攻略対象者の中ではそこまで人気が高くなかった気がする。攻略していくと別の一面を見せるせいで、コアなファンがいたのは確かだけど。


「なんの書類か知りませんけど、私は脅しに屈してサインをするほど落ちぶれてはいないわ。それにしても、王子の許可なく勝手に行動しているのでしょう?叔父様が知ったらなんと言うかしら。」


王子は耳かきに屈してサインするほど落ちぶれていたけど、私を閉じ込めるような卑怯なことはしない。それにセウェルスは王子個人の秘書のようなものだから、監獄や城の警備についての権限はなかったはず。


「あなたの叔父上の汚職疑惑が不問に付されたこと、私はまだ納得していません。証拠の多くは失われましたが、『不幸な事故』で濡らされる前に、いくつか私のところで保護しました。」


せっかく王子に証拠隠滅を約束してもらったのに、こうして王子に無断で秘書が暴走していると困ってしまうわ。


「そう。でも裁判に関わる人間は王子を含めて私の味方ばかり。あなたの努力は無駄に終わるのよ?」


「裁判で勝っても、家名に汚名がきせられることはあなたも望まないでしょう。クラウディアを公然といじめ抜いたあなたなら気にしないかもしれませんが、叔父上の評判を保つことはあなたの政治的な生き残りにもつながります。これ以上騒ぎ立てられたくなければ、その書類にサインしてください。」


そういえばセウェルスは王子ルートで当て馬みたいになるケースがあるのよね。クラウディアとセウェルスの間にどんな交流があったか分からないけど、王子以上に私を恨んでいることはひしひしと伝わってきた。


ちらと羊皮紙にかかれている条件を見る。『個室で王子と二人きりにならない。』王子と婚約破棄の交渉をしている私からすれば、無理難題というわけでもない。


「こんな場所に閉じ込めずに、もっと丁寧に応対してくれたら交渉の余地もあったのですけど、ここで脅しに屈する気にはならないわ。それに、後で罰せられるのはあなたの方よ?王子が私に甘いのは知っているでしょう?」


考えてみれば、王子に私の要求を通すには耳かきが必須で、個室で二人にならないという条件は思ったより難しいかもしれない。


「殿下はあなたに体で籠絡されたことに罪の意識を感じていらっしゃるようで、ここ数日お悩みのところをお見かけします。しかし本人はあなたを前にして強く出られません。殿下は私の行動に一時的には狼狽するかもしれませんが、長期的には正しいことをしたと納得してくださることでしょう。クラウディア様もいらっしゃることですし。」


セウェルスは冷めている割には正義感が強いキャラクターだった。いじめをしながら結局おとがめなしに終わった私のことを許せないから、王子は反省しているはずだと自分に都合よく考えているのね。


でもそれは希望的観測。王子が悩んでいるのは私が突然耳かきの制限を通告したからであって、あなたの言うような崇高な理由じゃない。


セウェルスには同じように効くかしら。


「王子を尊敬しているあまり味方をしてくれると信じてしまう、というようにも見えますが。さて、セウェルス様、私としてもサインをするのなら、叔父様の免罪に加えて、もうひとつお願いがあります。」


「あなたにどう見えようと関係ありません。要求はなんですか。」


不機嫌さを隠そうとしないセウェルスは、警戒するように言い放った。


「私の家の伝統として、レディが殿方とこういう表に出せない約束をするときには、耳掃除をするという・・・」


「あなたの家の伝統に沿う気はありません。サインをしてください。」


私の言葉は途中で遮られた。王子には効いた我が家の伝統アピールが効かない。どうしよう。


「そうですか・・・あ、痛い、痛いです。膝が急に痛くなってしまって、よろしければ手を貸していただけませんか。」


「ひと目で演技だとわかります。そうやってその罪深い体で王子を籠絡したのでしょう!」


軽蔑しきった緑の目が私を射すくめる。向こうから耳かきをしに来てくれることはなさそう。


それにしても罪深い体って、膝枕以外は何もしていないけど?


「どうやら密室で何がおきているかについて誤解があるようね。まあいいわ。こうなったら私にも考えがあります。」


もう強行突破しかない。相手がセウェルスなら大丈夫なはず。


私は立ち上がって、ゆっくりとセウェルスに詰め寄っていく。


「なんのつもりですか。その場で止まってください。あなたにはレディの恥じらいがないのですか?」


セウェルスは身構えているようだった。すこし緊張しているように見える。


「あら、殿方とダンスをするときにはもっと近づくでしょう?ダンスを軽蔑して一切参加しないあなたには分からないかもしれないけれど、世間ではこのくらいの距離、何もおかしくはないのです。」


そのまま近づいて、セウェルスの肩の上に手を伸ばしてドアに手を当てる。


壁ドン。セウェルスの方が背は高いから絵にはならないけど、今はどう見えるかは二の次。


「なっ!なんと破廉恥な!離れてください!」


急に耳まで真っ赤になったセウェルスが、必死そうに間近の私の顔から目をそむける。


そう、実はこのクールメガネ男子、ゲームでは「実は純情」という設定なのよね。女の子に免疫がなさすぎて、近寄ってくる女には冷たい対応をして避けてきたはず。


「どうなさったの?顔が赤くていらっしゃるわね。」


「くう・・・私はあなたの誘惑になど負けません。早く離れてください!」


眼鏡が少し細かくふるえ始めた。目を瞑っているみたい。


「いそぐことはないわ。ところで、私はあなたと会う前に、叔父様の部下の将官と話をしたのですけど、私が城に登ったことはもう別ルートで王子の耳に入っているはずよ。」


「だからどうしたと言うのです。込み入った話をしていたと言えばいいだけです。いい加減に離してください。」


私から目をそむけながら話すセウェルスだけど、すこし息が荒くなっている。


「離してって、私はどこを掴んでいるわけでもないけれど。さて、王子がこの状況の私達を発見したとき、どう思われるでしょうね?あなたは女に弱いことなど、王子に隠してきたのでしょう?」


「どうしてそれを・・・近い!近すぎます!離れてください!」


驚いて私をみたセウェルスが、私が近寄っているのに動転して慌てて天上を見上げた。首まで真っ赤になっている。


「あなたが普通人だと仮定しましょう。王子の婚約者を密室に連れ込み、二人だけ入った後で鍵をかけたのはあなたね。いくらあなたが私にいたずらされたといっても、王子があなたに憤慨することはあきらかだわ。」


「それは・・・」


セウェルスは言葉に詰まったみたいだった。


「そしてあなたは息が荒く真っ赤。ここで私が『レディとして、ここであったことは恥ずかしくてお話しできませんわ』などと思わせぶりなことを言えば、あなたは王子からの信頼を失うわ。」


「そんな・・・」


私に迫られて真っ赤のままプルプル震えているセウェルスは少し気の毒になるけど、ここは強引にいかないと。


「私に誤解を解いてほしければ、そして私にあなたの体から離れてほしければ、私の要求に従ってもらうわ。」


「・・・要求はなんですか。」


いつものセウェルスなら簡単に譲歩はしないけど、女の近くにいるせいでIQが大幅に下がっているみたい。


「私のお父様が婚約を円満に解消する交渉をしているのは、セウェルス様もご存知だと思うけど、王子がとあることに夢中になってしまって、首を縦に振ってくれないの。」


「とあること・・・とは?」


まだ真っ赤だけどすこしだけ落ち着いたみたいなセウェルスが、私の話に興味を示した。


「そう、それは耳掃除。でも耳掃除なら、練習すればセウェルス様でもできるわよね。今回私流の耳掃除を体験してもらって、もしセウェルス様がそれを王子に再現できたなら、私はお役御免になれるわ。そうなった場合に限って、王子と個室で二人にならないという条件も飲みましょう。でも私の技はあなたが体験しないと再現できないでしょう?」


「しかし、あなたの手で体を掃除されるなど、そんな破廉恥なことはできません。モラルがなっていません。」


目がキョロキョロしている。あとひと押しね。


「あなたのクラウディア様は王子と幸せになれるわ。じっとして、耳かきをされるだけでいいのよ?」


セウェルスは顔を赤くしたまま唇を噛んだ。


「く、何という屈辱でしょう。・・・しかし殿下のためなら、殿下とクラウディア様の幸せのためなら、私はあなたの耳掃除などすぐに会得してみせます。」


よし成功。こういう一見クールなのに理想に燃えるタイプは、大義名分をあげれば乗っかってくれると思った。


「その意気ですわ。さて、この部屋には適切な家具がないわね。気の長椅子に横たわって、私の膝の上に頭を乗せてくださる?」


「ひ、膝?まさか、そんな!」


首がちぎれそうなくらい左右に振るセウェルス。たしかに接触なしの壁ドンでゆでダコみたいになってしまったこのひとには、刺激が強すぎるかもしれない。


「大丈夫。これも王子様とクラウディア様の幸せな未来のためよ?ええい、もう、ちょっと来て。」


まだ恐ろしそうにしていたセウェルスの手を引っ張ってベンチに連れて行く。


「何を企んで・・・ぐあっ!」


私に手を触れられて慌てた眼鏡くんは、連行途中にバランスを崩した。私はよろよろするセウェルスを手際よく耳かきポジションにセットすることに成功した。


「なっ!なっ!何をするのですか!!」


目をキョロキョロさせながら大声を出すセウェルス。煙が出そうなほど頭が熱を持っている。耳が天狗みたいに真っ赤だけど、おかげでどこが汚れているのか見やすい。


「いいですか、動かないでね。危ないですからね。」


いつものように用意していた耳かきを取り出す。でもまずは揉んでいきましょうか。


「なっ・・・私の耳に何を・・・恥を知りなさい・・・くっ・・・屈辱です・・・」


混乱するセウェルス君の声が部屋に響いているけど、命令を守るのが体に染み付いているのか抵抗はしなかった。でも王子のときとちがって耳つぼマッサージはあまり好評ではないみたい。


「耳かきを始めるから、じっとしていてね。」


王子と同じように耳の縁の近くから、なぞるように始める。


「あっ、・・・なんのつもりで・・・そんなっ・・・そんなことをしたら、・・・あっ・・・」


効果てきめんだったみたいだけど、悶えているのは恥ずかしいせいなのか気持ちがいいのかは判別がつかない。


「動かないで。ちゃんとやり方を覚えて、王子にしてあげてくださいね。」


「・・・で、ですが・・・耳がおかしな感じに・・・こんな・・・あっ、あっ・・・」


目が閉じてきたから、さっきよりは落ち着いているのかな。


すこし奥に耳かきをいれていく。


「ひうっ!」


「動かないで!危ないから!」


しびれるように震えたセウェルスの体を手で抑える。


「続行しますよ?」


セウェルスの耳は王子よりも綺麗だったけど、今回の目的は耳を綺麗にすることじゃない。


「・・・ああっ、・・・待って、待ってください!・・・ひゃうっ!?」


「動かないでってば。」


「・・・ううっ・・・でも我慢ができ・・・あっ・・・く、屈辱です・・・うっ・・・」


かなり効いているみたいだけど、王子と違ってなかなかご機嫌になってくれない。戦略を変えないと。


耳の奥の、耳の皮膚にギリギリあたらないくらいでくるくると耳かきを回す。


「えっ、・・・えっ?・・・」


戸惑った目を私に向けるセウェルス。気にせずにそのまま耳にぎりぎりあてないでおく。


「なっ・・・なぜ・・・」


真っ赤な顔が抗議の表情をしていた。


「どうしたの?」


「・・・そ、そうされると、かゆいです・・・あと、じ、焦れったいです・・・その・・・ちゃんと・・・」


眼鏡まで恥ずかしそうに震えている。


「そう、でも耳かきはそういうものなので、それは仕方ないのよ。」


「そんな・・・」


すこし絶望したような緑の目が見えた。手を止める。


落ち込んでいたセウェルスは、堰を切ったように話し始めた。


「・・・責任を・・・責任をとってください!途中で手を緩めるなど、貴族としてあるまじき振る舞いです!」


私の膝の上で真っ赤な顔で叫ばれても拍子抜けしてしまう。


「それが人にものを頼む態度かしら。」


「うっ・・・」


逡巡していたけど、膝の上の頭は意を決したようにこちらに向けられた。


「このままでは耳が気になって何もできません。ちゃんと耳を掃除してください!」


本人のプライドと折り合いがつくお願いの仕方がこれだったのかしら。


「悪い子ですね。素直に頼めないあなたはもう少し焦らしてあげましょう。」


先程の作業を再開する。


「な・・・んんっ・・・焦れったい・・・むず痒いです・・・うう・・・もう限界が・・・許し・・・」


ちょっと嘆願調になってきた。チャンスだと思う。


「セウェルス様、叔父様の書類の残りは、どちらにあるのかしら。」


「んっ・・・そんなこと・・・教えるはずが・・・ないでしょう、あっ、あっ・・・」


「さもないとこれがずっとこの状態が続きますよ?半永久的にですよ?」


泣きそうな目がちらとこちらに向けられた。手は止めてあげない。


「そんな・・・そんなの・・・あっ・・・とても耐えられな・・・神様・・・」


「書類はどこにあるの?」


「・・・すみません、殿下・・・僕は、僕はもう・・・ああっ、だめ・・・調達部門の・・・金庫・・・ひうっ・・・32番・・・」


32番ね。この人はいつも慇懃無礼だから砕けた喋り方が面白かったけど、殿下と違って耳かきをしても幸せそうじゃないのは心苦しいところ。


「鍵は?」


「あっ、在り処は言いましたっ!・・・だからもう、・・・ううっ・・・許してください・・・」


気の毒だけど、こちらも叔父様の立場は万全であってほしいし、やっぱり譲れない。


「手を止めてあげてもいいけど、しっかり耳かきをしてほしかったら、鍵の場所も教えてもらえないと困るわ。」


「・・・うう、屈辱・・・んっ・・・でも・・・とられ・・・む、無理・・・もう無理っ・・・か、鍵は懐に・・・懐にあります・・・今出しますからっ・・・待って、あっ、待ってっ・・・」


セウェルスは震える手で懐から鍵を取り出した。丁重に受け取る。


「ありがとう。では約束通りちゃんと耳かきをしてあげますね。」


耳肌に沿わすように、強すぎず弱すぎず、しっかりかいていく。


「ふうあっ・・・しびれて・・・あっ・・・それ以上は、それ以上はダメですっ・・・あっ、あうんっ・・・ひゃっ・・・はわっ・・・」


「動かないで。」


セウェルスには王子ほどの安定感がない。でもさっきよりは明るい感じになってきた。


「・・・で、でもっ・・・あ、そこはっ・・・そこだけは・・・んんっ、そんなあっ・・・」


「大丈夫?」


「・・・頭が・・・あっ・・・頭が変になって・・・もう・・・目の前・・・あんっ・・・ぼやけて・・・」


ついに王子ほどにはお楽しみいただけなかったみたい。悔しいけど、鍵は手に入れたし、まあ良しとしましょう。


「この辺で開放してあげましょうか。」


「だめです・・・もっとしてください・・・もっとです・・・ああっ、しあわせっ・・・」




その時だった。


突然ドアの鍵がガチャガチャと乱暴に開けられて、勢いよく扉があけられた。


「セウェルス、テオドラ、一体何をしている。」


憤怒の形相で仁王立ちしているのはまさに王子その人。


「これは殿下。セウェルス様が内密な話があると密室に案内していただいたのですが、内容は机の上にある羊皮紙にかいてあります。」


王子は大股で机まで歩くと、乱暴に書類を取り上げた。


「『個室で王子と二人きりにならない。』だと!?確かにこれはセウェルスの字だ。」


怒りでふるふると震えている王子は、その綺麗な顔を鬼のようにして私の膝の上のセウェルスを見下ろした。


「セウェルス、貴様、テオドラの耳かきを・・・膝の上を独占しようとしたな?」


いや、違うでしょ?セウェルスは曲がりなりにも王子を私から開放しようとして、こうやって返り討ちにあったわけだけど。


まあでも、本人が弁明してくれれば、誤解を解くのは難しくないだろうけど。セウェルスと私はウマが合わないけど、悪人ではないから王子に処罰されてほしくもない。


セウェルスがゆっくり口を開いた。


「殿下は・・・あなた様はお幸せです。富も名誉もお持ちです。でも私はこの、ささやかな幸せを糧に生きるしかないのです・・・どうかお許しを・・・ 」


何を言っているの、セウェルス?


顔を見るとどこか恍惚としたような顔をして、宙を見つめている。


「おのれ、震えるがいい、お前の心は読めた!だがお前の心を押しつぶすのだ!」


王子は当然怒っている。


「殿下、殿下はお幸せです。どうかこの惨めな私に御慈悲を。私には耳掃除しか、もう耳掃除しか生きる希望が・・・」


「知ったことか!その格好で慈悲を乞うとは思い上がったものだな。お前の訴えは聞き入れられない。私はお前の運命の支配者なのだからな!ああ、憎悪と復讐の心が私の心にたぎっている。」


なんなのこの展開。血なまぐさいことになるまえになんとかしないと。


「お待ち下さい、おふたりとも、誤解です。殿下、セウェルス様は今、五歳児ほどの頭脳しかありません。それとセウェルス様に耳かきをしたのは今日が初めてで、テーブルの上にあった書類はまったく関係ありません。」


「ではなぜセウェルスを膝に載せた?」


それは正論ね。


「私がいなくなっても、殿下に耳かきができる人間が絶えないよう、耳かきを伝授していたのです。」


「そんなことを考えるな!セウェルスの耳かきなどでは私は満足できないに決まっている。テオドラの耳かきこそ至高の心地に連れ去ってくれるのだ。それをセウェルスに味わせるとは・・・」


王子は苦々しい顔を見せた。


「さあ、その私だけの特等席からどくのだ、セウェルス。お前は以後、テオドラの耳かきを味わってはならない。永遠にだ。」


「そんな!どうか私の苦しみをお憐れみ下さいませ 。私から耳掃除を奪わないでください、殿下!」


待って、なんで私の前で私が取引されているの?


「テオドラが申し出たとはいえ、この裏切りは高く付くぞ、セウェルス。」


「殿下、もうこの体は、耳掃除なしでは殿下のお役に立てません!」


セウェルスも裏切りとかいちいち否定してほしいのだけど、フォローしようとしても展開が早すぎて間に合わない。


「セウェルス、お前にしばらく暇を出す。」


「殿下、お待ち下さい。提案があります。殿下がクラウディア様ともテオドラ様とも一緒にいられるよう、議会工作を行いましょう。その代わり、時折こうして、ささやかな幸せを味わってはいけませんか。」


待って、なんで潔癖症のセウェルスが王子の二股のために働くの?


「ぬ・・・確かにテオドラの家に通うようになってから家臣がうるさかったのは事実だ。悔しいが、私が同席するという条件で、半年に一回でどうだ。」


「そんな・・・その頻度では心が枯れてしまいます!二週間に一回でお願いします!」


そこは私に交渉すべきところではないの?


「馬鹿な!その頻度では私と大してかわらないではないか。却下だ。」


「それでは、私はクラウディア様と殿下のご成婚をバックアップせざるを得ません。テオドラ様のもとに通われるのは難しくなるでしょう。」


「ぐぬぬ・・・一ヶ月に一回でどうだ。」


「・・・わかりました。月一回です、殿下は妨害しないでくださいね。」


いまだに私の膝の上からどかないセウェルスは王子と握手した。


色々おかしいよね?


「ちょっと待ちなさい、ふたりとも!」


二人がぎょっとしたように私の方を向いた。


「私の合意なしに私の労働を取引する、というのは目に余ります。身勝手も甚だしいわ。明日から私は耳かきストライキに入ります。」


「ストライキ?」


「そう、二人に反省の色がみえるまで、一切耳かきを凍結します。」


二人の綺麗な顔に絶望の色が現れた。


「そんな、それはひどいです!私がこうなった責任をとってください!」


「そうだ、認められないぞ、テオドラ!そんなことをしたら世界が滅びる!」


「私は何の責任を請け負った覚えもないし、世界は平和です!」


私達はしばらくの間、ぎゃあぎゃあと部屋でわめきあった。



短編が想定外に好評だったので、後日談をかいてみました。今回は他の話からの使いまわしがあるので、読んでいただいた方は「またか!」と思ったかもしれませんが、予定調和を楽しんでいただけたら嬉しいです。


あらためて、長編「指魔法を使う魔女と恐れられているけど、ただの転生したマッサージ師です。」をよろしくおねがいします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ