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翌日の午前、渾身の最高傑作と温めたハンカチ、それに羊皮紙数巻を手にして、私は王子の執務室を訪れた。
「なにか用か?」
王子はこちらをチラと見ただけで、また手元の書類に目を戻した。シルバーブロンドに青い目のすっとした美男子で、ゲーム一番人気のキャラクターらしく、こうして不機嫌そうにしていても絵になる。
「殿下、今晩の舞踏会で婚約破棄を宣言しようと思っていらっしゃるでしょう。私としても婚約破棄をお受けするつもりですので、どうぞもっと穏便に事を運ぶことはできないかと、不躾ながらご相談させていただきたく思ったのです。」
婚約破棄計画を察知している、とアピールすれば王子は動揺するかと思ったけど、私の方を見もせずに苦笑した。
「私もお前のところの情報網を侮っていたな。動揺してダメージコントロールに走るとはお前らしくもない。」
うちの密偵が察知したと思われたみたい。王子は久しぶりに私をすっと見据えた。
「だがお前がクラウディアにしてきた仕打ちの数々を思えば、生ぬるい処置にするつもりはない。それに私とクラウディアの婚約をこの国の上流階級に認めさせるには多少のショックが必要だ。お前の家の汚職とお前の陰湿ないじめは渡りに船だ。」
そう、この王子は腹黒いキャラクタ−。なんでこんな人が好きだったのかしら。
「殿下、私の叔父上もこのことをご存知なのですが、もし殿下が一門に恥をかかすようなことがあれば、配下の者も含めて、黙っているとは思えませんわ。」
さすがに冷や汗をかいてくれるかと思ったけど、王子はまた真っ黒な笑みを見せた。
「ついに脅しに来たか。私もすべて平和に終わらせられるとは思っていない。この国から膿を一掃する荒療治が必要だ。お前の叔父上の方面にはすでに近衛連隊が向かっている。今晩の花火が掃討の合図だから、今から急報を送っても間に合わない。」
ゲームにそんな血の流れるシーンがなかったから油断していたけど、おもわずゾッとする。
こうなったらハッタリをするしかない。
「殿下、私は自らの命を差し出す覚悟ですわ。私の命で・・・」
「今更情に訴えるつもりか?」
「いいえ、実を申しますと、クラウディアに夢中で私を遠ざけたい殿下が私を遠ざけ、難癖をつけて一族を葬り去ろうとしている、そして私は殿下に最後の説得をするつもりだ、との手紙を家に残して、写しを友人にも送っておきました。これが私の遺書になれば、クラウディア様との結婚を祝ってくださる方が、どれだけいるでしょうね。下手したら内乱にもなりかねませんわ。」
王子はついに薄笑いをやめた。額から怒りを隠せていない。
「なるほど、心中か。自らの手で招いた不幸を撒き散らすのだな。」
「ええ、ですが、幸いなことにまだ不幸にはなっていおりません。殿下にとあることをお許しいただければ、自らの不幸に甘んじ、内戦を起こしたりはしませんわ。」
「とあること、とはんだ?」
私は手元にあった耳かきを持ち上げた。
「これで殿下の耳を掃除させていただくことです。おかしいと思うかもしれませんが、数々の王妃を輩出してきた私達一門の秘密の伝統儀式でして、王族の方の耳かきをするのは大変な栄誉なのです。無事耳かきをさせていただけるのなら、これを誇りに、黙って修道院に入りましょう。自殺はいたしません。」
王子は警戒するように目を細めて耳かきを見つめた。
「その道具で暗殺する心づもりか。」
「冷静に考えてください。私が残してきた手紙の内容を考えれば、王子が死んだときに一番に疑われるのは私です。一族の生き残りを気にかけているのに、結局私自身で滅亡させてしまうほど馬鹿じゃありません。」
王子は逡巡していたようだったけど、思い切ったように席をたった。
「お前は妙に約束に関しては真面目だ。耳掃除で何を達成するのかは知らないが、それでお前が死なないというのなら特別に許してやってもいい。」
やった、ついに説得できた。
「ではあちらの長椅子に移動してください。」
「待った、耳を掃除するのなら、この椅子にかけたままでもいいだろう。」
「手元が滑ると危ないのです。私の膝で固定しますゆえ。」
王子は不承不承という感じで、長椅子に移動して私の膝に頭を乗せた。前世の感覚からいうとクラウディアについての浮気みたいだけど、この王子は髪のセットやら着替えやらすべてメイドにやらせているから、そういう感覚ではないと思う。
「では始めていきますね。」
王子の耳を覗き込む。すこし暗いけど、やっぱり耳かきする習慣がないだけあって、けっこう汚れている。
「これはやりがいがありそうですね。」
「なっ・・・」
「殿下、動かないでください。危ないですからね。」
王子はムスッとした顔をしたけど、意外にも何も言わずに頭を私の膝に乗せ直した。
まずは温めたタオルですこし耳をふやかしてから。耳たぶから耳の裏にかけてゆっくりともんでいく。
「んっ・・・」
じっとしていた王子が少し声を漏らした。
「どうしました?」
「いや・・・なんでもない。続けて構わない。」
一瞬、すこしだけ王子が赤面した気がした。貴重な映像。
「気持ちいいですか?」
「・・・」
この王子が返答なしということはイエスだと思う。
さて、いよいよ耳かき本番。まずは外側から耳の溝にそうように。
「うあっ?・・・」
今度は王子の体がびくんと跳ねた。
「危ないですからね、じっとしていてくださいね。」
「・・・分かっている。」
王子は少しふてくされたように体を戻した。少し力んでいる感じがする。とりあえず続行するけど。
「痛くないですよね。」
「痛くないが・・・少しむず痒い・・・」
「ここは?」
「・・・そこだ・・・」
王子は目をつむって、だんだんリラックスしてきたように見える。
「どうですか?」
「・・・じわじわくる・・・」
王子もついにポジティブなコメントをせざるを得なかったみたい。さっきまでのブラックな表情はどこかへ行ってしまって、平和な顔をしている。
でもまだここから。
「それでは、耳の内側もしていきますね。」
耳の奥に進出していく。
「んあっ!?」
王子は混乱した顔をして私を制しした。
「痛かったですか?」
「・・・痛くないぎりぎり手前だったが・・・これ以上は危ない気がする・・・ここでやめておこう・・・」
「儀式はまだおわっていませんよ、殿下。大丈夫です。」
さっきよりだいぶ力の抜けた王子の頭を無理やり私の膝に乗せると、私はさっきより慎重に耳の奥をいじりはじめた。
「・・・あっ・・・そこは・・・」
王子が梅干しを食べたときのような顔をして震えた。梅干しなんて食べたことないと思うけど。
「ここが気持ちいいんですか?」
「・・・いや、違・・・んっ・・・」
王子の顔が緩んできている。ちょうど私には大きめの耳垢がへばりついているのがみえた。引っ掛けるようにして、ゆっくり剥がしていく。
「ふおっ!?」
王子が今度は正座にしびれたような顔をして体を痙攣させた。やっぱり正座なんてしたことないだろうけど。
「痛かったですか?とれましたからね。もうすぐ終わりますね。」
「・・・痛くない・・・ただ・・・その・・・」
いつもは弁舌だけは爽やかなのに、しどろもどろになる王子。
「ひょっとして、もっとしてほしいんですか?」
「・・・そうだ・・・悪いか?」
私の方から目を反らしながら照れている王子は貴重。ここまでは狙い通り。
あえてカサカサと軽めに中をひっかいていく。
「・・・んっ・・・」
王子は少しもじもじし始めた。
「気持ちいいですか?」
「・・・ん・・・だが・・・もう少し強く・・・」
「ご注文は具体的にお願いします。」
「・・・もっと強くえぐってくれ!」
王子はトラップにはまったみたい。
「しょうがないですね、耳に悪いので、ちょっとだけですよ?」
ちょっと焦らしながら王子の弱そうなところをかいていくと、王子の綺麗な顔がどんどん緩んでいく。さっきから王子の体は小刻みにひくついていた。
「・・・あっ・・・だめだ・・・そこは・・・」
「ここですか?」
「うはっ!・・・だめだと言って・・・あう・・・」
そろそろ交渉開始かしら。
「気持ちいいですか?」
「・・・ぞ・・・ゾクゾクするっ・・・んんっ!・・・」
「気持ちよくないならやめましょうか?」
王子は驚いたように、かすかに涙が溜まった目で私を見上げた。
「・・・や、やめるなっ!・・・気持ちいい・・・あっ・・・すごい気持ちいいからっ!・・・気持ちよすぎてだめになるっ・・・」
今みたいに頭が働かなくなっているときがチャンス。
「もうすぐこの儀式は終わりを迎えるんですけど、もし殿下がいくつかの事務的な書類にサインしていただければ、特別に、例外的に、反対側の耳も同じようにして差し上げます。」
「・・・あっ、・・・頭が・・・とろける・・・すごい・・・」
言語が通じなくなっていたら困るわね。
「続きもっとしてほしかったらサインして。」
ちょっと手を緩める。
「・・・なっ・・・ほしい・・・サインする・・・だから・・・続きを頼む・・・」
「いい子ですね。」
退化した王子の耳を弱く刺激したまま、目の前の低いテーブルに三枚の羊皮紙を広げる。
「はいこちらから順番に。ペンはちゃんと持てますか。そうですよ、綺麗なサインですね。日付も忘れずにね。」
王子はわれにもあらずという感じで全部の書類にサインした。これで私は穏便に実家に帰れる。
「・・・サインした・・・ほらここに・・・だから続きを・・・もっと激しく・・・」
すっかり耳かきの奴隷になっている王子が私におねだりをしてきたけど、正直言って書類が揃った今となっては、王子は用済み。一方で王子の恩赦を今もらったとはいえ、叔父様たちが心配だからさっさと終わらせたいのだけど。
そういえば昨日、綿を集めてつくった梵天があった。耳かきを持ち替えて、すこし乱暴に動かしてみる。
「あっ、あああああっ、テオドラっ!」
王子はお気に召したみたいで、久しぶりに私の名前を呼んだ。ちょっと可愛い。
なんとなくいたずらがしたくなって、耳に息を吹きかけてみる。
「ふあああっ・・・」
消え入るような声があって、背筋を反らせたまま王子は動かなくなった。
放っておいても大丈夫そうね。
「叔父様たちを助けにいかないといけないから、私はここで失礼しますね。」
慎重に王子の頭をどけると、私は部屋の出口に急いだ。控えていた侍女を捕まえる。
「ミルヴィア、勅許をいただいたわ。あとは早く叔父様たちにしらせないと流血騒ぎになりかねないわ。」
侍女に羊皮紙を渡していると、うしろから肩をぐっとつかまれた。
振り返ると、息も絶え絶えの王子が私を掴んでいた。いつのまに起き上がったのかしら。
「・・・反対側も・・・すると・・・言ったでは・・・ないか・・・」
「殿下、てっきり聞いていないかと思いまして。」
「・・・約束は・・・守るべきだ・・・早く・・・」
王子の目の焦点が少し定まっていなくて、若干怖くなる。
「残念ですが、叔父様のところに参らねばなりません。殿下が送った兵といざこざがおこっている頃でしょうから。」
「・・・さっきのは・・・ハッタリだ・・・心配ない・・・」
「えっ?なんだあ・・・」
すこし力が抜けて、私はよろよろと壁に寄りかかった。王子が私を抱きしめる。
抱きしめる?
「どうしたのですか、殿下!?」
「・・・もう戻れない・・・お前の耳かきなしでは・・・生きていけない・・・」
「大丈夫ですよ、人間は耳かきをしなくても問題なく生きていけますから。」
腹黒王子の耳かき係になるのはあんまり気が進まない。あとちょっと苦しい。
「・・・婚約破棄はやめる・・・耳かきは死活問題だ・・・」
なんですって?
「殿下、クラウディア様はどうするのです?あなたが愛というものはその程度の薄っぺらいものなのですか?」
「なぜ今になってクラウディアの肩をもつ?」
「ええと、今までのわたしは、殿下が身分違いの恋を遂げる覚悟はあるのか、それをテストする目的でクラウディア様にちょっかいをだしていたのです。」
もちろん違うけど、そういうことにする。
「そうだったのか・・・疑って済まなかった・・・だから耳かきを頼む・・・」
「関係ないでしょう!」
崩れていた王子の顔は元の美形に戻りつつあったけど、頭は戻りきっていないみたい。
「・・・そっちがそうくるなら・・・こちらにも考えがある・・・その書類はお前が耳かきで強要したものだと訴えたらどうする・・・」
「あら、私などが殿下に言うことを聞かせられるなど、だれが信じるでしょう?」
「なら破るまでだ。」
急に王子は羊皮紙に手を伸ばそうとした。
「ミルヴィアに手をだしたら二度と耳かきをしてあげません!」
強く言い放つ。王子が悔しそうに手を引っ込める。
大丈夫、立場上は私が優位にたっているんだから。
「ぐぬぬ・・・この王室のすべての権威をもってしても、お前の膝の上を手に入れてみせる!」
殿下が格好悪い宣言をしている間に、ミルヴィアを逃がす。
「殿下、実は本邸にはもっと多彩な耳かきの道具がそろっていますの。今晩は本邸にいらして、じっくり反対側の耳かきを堪能するのはいかがでしょう。」
「・・・悪くない提案だ・・・」
「では馬車を仕立てましょう。殿下自信で宮廷にお話を通してください。婚約者の家ですから、許可が下りれば問題はないでしょう。私室に護衛をいれないとの条件でお願いします。」
「・・・分かった。」
私はこうして王子の拉致に成功した。
その晩のダンスパーティーは、メインゲストであるはずの王子がキャンセルして、なぜか花火まで中止になったせいで、なんとも盛り上がらないものになったらしい。
ダンスパーティー当日、偶然にも私の叔父様が元帥に昇進、大叔父様は大法官に就任したおかげで、私達の婚約問題は身内で話し合えるようになった。あとなぜか私の一族に関する会計の書類が、私を告発しようとしていたメイドの不手際で濡れて読めなくなってしまったそうだけど、結局は彼女たちが責任をとって退職しただけで大事にはならなかった。
その後の私はと言うと・・・
「・・・あ、そこっ・・・最高・・・」
「かきすぎは耳に悪いですからね。」
王子はすっかり私の耳かきにハマってしまい、耳かきを条件に私の言うことはたいてい聞いてくれる様になった。私の希望で婚約は穏便に破棄する方向だけど、お父様は私にお嫁の行き先がなくならないよう、王室と詳細を詰めているらしい。
私の身分と家族の安泰が保証されれば私は喜んでクラウディアに王子を譲る予定だから、交渉がスムーズにいくといいんだけど。
さてと、この先どうしようかしら。本当は別の攻略対象がタイプだったのだけど、王子を家に呼んでいる私と婚約したいとは思わなさそう。
耳かきしてあげたら何かかわるかしら?
「・・・うくっ・・・今のもう一回・・・頼む・・・」
「はいはい。」
「いふっ・・・気持ちいい・・・」
腹黒王子が幸せそうにしているのはいいことだけど、すっかり王子の威厳がなくなったふやけた顔を見ていると、私は耳かきを利用するのはこれきりにしようと思い直した。
ありがとうございました。
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