傍観―そして手に入れたもの
――どこかで小鳥が鳴いている。
その声を、白継は央雅の屋敷、離れへと続く廊下が見える桜の木の根元で聞いていた。
近くで鳴いているのだろうか。白継が気だるげに視線を彷徨わせると、白継の視界に小鳥の影が映った。
金色の小鳥――
白継の視線など気にしてないのだろう小鳥は、颯爽と白継の視界から飛び立った。
「……あの時の、“カナリア”」
その小鳥の色彩は、声は、白継に湖の廃墟で一方的に出会った一羽のカナリアを連想させた。
「継ちゃん」
不意にかけられた少女の声に、白継の意識は現実に引き戻された。自分の名前を呼んだ声の方向に視線を向けた白継は、ひとつ、少女に気づかれない程度に息を吐いた。
「……彩香」
「あ、起きてたんだ。よかった。おはよう、継ちゃん」
呑気に微笑む目の前の、同じ年の少女が、白継は自分の母親と同じ程度には苦手だった。
「……何だ」
「うん……」
廊下と桜の木の根元。その距離を保ったまま顔を伏せ言葉を濁した彩香に、白継は眉を寄せた。
「彩香」
促すように彩香の名前を呼ぶと、彩香は躊躇った末にその重い口を開いた。
「……やっぱり、白薇様はわたしのことが嫌いなのかな」
「白薇……姫蜜月華? 白真様の姉君?」
「あ……もちろん無視されたり、何か意地悪をされたりっていうわけじゃないけど……あまり好かれてないような気がして」
さすがに訝しげになった白継の声に気がついたのか、彩香は慌てたように付け足したが、ため息を吐いた。
「……気にしすぎかなって思ったりもしたけど……洗礼名を継いでからの白薇様は、琥珀様と白真様以外とはあまり親しく言葉を交わさないから」
「あぁ」
“洗礼名”――彩香の告げたその言葉に、白継は自然と納得していた。
洗礼名を継いでからの白薇の態度の変化は当たり前だ。彼女は――
「白真様と親しいから、嫉妬しているのかしら。今の白薇様がまるで“別人”みたいな気がするなんて――」
鋭いとも思える彩香の言葉に、白継は彩香に気づかれないように顔を伏せたまま口元に笑みを浮かべていた。
××××
そう、彩香のいうとおり。今の白薇――志央姫密月華仙女は、洗礼名を受ける前の西園寺白薇とは別人だった。
「もうすぐ婚礼なんだろ? 姫蜜月華と白真様は双子だという事もあってお互いにべったりだったから、白真様を独り占めできなくなって軽く彩香に嫉妬しているんだろう。気にするほどの事じゃないと思うけれど」
淡々と、白継は彩香が望んでいるだろうと思われる答えを口にしていた。だがうつむき加減のその表情は、酷薄に笑っていた。
「本当に? 嫌われているわけじゃないと継ちゃんもそう思う?」
「もちろん。姫蜜月華は、彩香のことを嫌ってはいない」
「そっか。ありがとう」
断言されたことで安心したのか、それまでの不安げな表情を消した彩香は、微笑みながら立ち上がった。
「婚礼祝いに何か送るから、邪魔にならないものでも考えておいてくれ」
「うん。白真様と相談してから伝えるね」
笑いながら手を振り、軽く駆け足でその場を後にした彩香の気配が完全に感じられなくなってから、白継はどこか哀れみすら感じさせるような表情で顔を上げた。
「馬鹿だな」
ポツリ、と零すつもりなどなく零れた言葉に、白継は苦笑しながら前髪を無造作にかきあげた。
「嫌ってなんかないさ……」
前髪を手のひらから落とすと、そのまま手のひらを頭上に上げた。
「白薇は他人に対して“嫌い”なんて感情は持たない」
“嫌われている”という可能性の感情までをも読み取っていながら、最後の最後で白薇を信じることに賭けた。純粋でありながらも愚かしい従姉妹に対して、白継は告げた。
「白薇は憎悪しているんだよ――彩香。彩香だけを」
彩香の背には届かない、彩香に聞かせるつもりも無いその言葉を呟くように吐き出した白継は、とても複雑な表情でただ嘲笑った。
××××
あの日、あの場所でたった一人で歌っていた金色のカナリア。
その光景は何よりも美しく、気高かった。
一目見ただけの白継の心を簡単に奪っていったが、その瞳だけは何よりも深く昏かった。
ただ、引き込まれそうなほどの闇を見つめていたその瞳に、白継は畏怖を感じる前に魅入られた。
姫蜜月華の持つ禍々しいとも言えるあの気配に、全てに引き込まれていた白継は、だから告げなかった。
白薇の持つ憎悪を。それに伴って起こる出来事を。
彩香の、従姉妹の死を。
ただ、見ていただけ。
それだけの話――