オムツと最初の街
ザーッと川の流れる音がする。
「うーっ。あー。」
腕の中でもぞもぞと柔らかくて温かいものが動く。
目を開けると、小さな手で私のおでこをペシペシ叩く勇人。寝る前に見えた勇人の向こう側に居るはずのリトの姿はなく、でもそこに確かに彼が居た証拠としてほのかに温かい彼のマントが私達に被せられていた。
相変わらず大きな木々が生い茂って、朝だと思うけど薄暗くて、どれくらい眠っていたのかはわからない。
身体を起こそうとして…い、痛い。
毛布を敷いてるといっても、石の上で寝てたことには代わりなくて、施設のせんべい布団が早くも恋しい。
どうにか痛い身体を起こしたところで、ザッザッと人の歩いてくる音がする。
振り返るとどうやら水浴びをしてたらしいリトが、水も滴るいい男状態で歩いてきた。
「お、起きたか。ゆりも勇人もおはよ…ってゆりどうした?」
物凄い勢いで目をそらせた私を見てリトが尋ねる。
「服着てよ!服!」
年頃の女の子の前に裸体を晒さないで欲しい。確かに隠す必要もないくらいに割れた腹筋にがっちりとした身体…ではあるけど、父親の顔も覚えてない私からしたら男の人の裸は全くもって見慣れない。
リトか服を着たのを確認したところで、勇人が泣き出す。
「勇人どしたの?お腹すいたー?」
うーむ、この泣き方は…。
オムツ変えなきゃいけない!?
長年の勘から、勇人を仰向けにして手早くオムツを外す。
案の定、今までこっちに来てから泣かなかったのが不思議な状態だった。
流石にこの状態は不衛生だけど、問題が一つ。
異世界での子育てに早くも試練が訪れた。
オムツの替えがない!
ないよ!オムツがない!
流石に近所のスーパー行ってすぐ帰るつもりだったから、少し遠出する時みたいにオムツの替えやウェットティッシュは持ってない。
念のためにリトにも聞いてみたけど、
「オムツって何だ?」の一言で撃沈。
とりあえずは清潔にってことで、川の水で勇人のプリティなお尻を洗って、リトに懇願して彼の下着を勇人用に借りた。
今後の勇人のオムツ問題は、街に着いたら聞き込みの上で解決しよう。
リトの話を聞く限り、この世界の文化水準は中世ヨーロッパや江戸時代。紙おむつなんてもってのほか。布オムツがあることを願わないと。
そういえば中学の社会の先生は昔は垂れ流しだったと言ってたような…。いくら異世界でも、勇人にそんな思いはさせない!
異世界で私が初めて欲したものは、食事でも武器装備でもなく、赤ちゃん用のオムツでした。
その後は、余ってた食パンと兎肉と玉ねぎのスープで朝食をとった。
余った食材や荷物はリトの背負い袋に入れさせて貰う。
ちなみに私の異世界からの持参品は、財布、施設の鍵、勇人を括ってた抱っこ紐、人参、じゃがいも、玉ねぎがそれぞれ一袋ずつ、カレールーが一箱、卵ボーロ、離乳食パック、フルーツゼリー、みかん缶、サランラップだ。
どれも一つずつしかないけど、貴重な食糧も多い。特に離乳食とか買った自分を褒め称えたいレベルだ。4食分しかないけど。
あとは旅の食糧として消費しよう。財布と鍵は何かあった時の保険として大事に保管。
機械音痴過ぎて携帯というハイテク機器を持ってないのは残念だったかな。高く売れそうなのに…。
夜営の片付けをして、昨日通っていた道に戻る。
昨日のこともあって、魔物避けの魔石を使いながら進めないのか聞いてみた。
魔石には使用時間があるらしく、リトの魔石は3刻(約6時間くらい)が使用限度で、次に使えるのは3日後らしい。
人生そんなに上手くは出来ていないようです。
それでもこの頻度と使用時間の魔石は貴重らしく、私達と合流したタイミングで使えて良かったと心優しいイケメンは言ってくれた。
それからは私も異世界知識を身につけるべく、リトにいろいろと聞きながら道を進んだ。
やっぱり魔物のいる森だからか、道中に芋虫みたいなモンスター、鼠みたいなモンスター、懐かしの一角兎さんにも出くわした。
そんな時は決まってリトがいち早く気配に気づいて、私達を庇いながら物凄いスピードで魔物を撃退する。
リトが強いのか、魔物が弱すぎるのか。ひとまずこの森がリトが苦戦するような森でなくて本当に良かった。
魔物に出会うついでに、魔物の種類や魔石、ドロップアイテムについてなど、冒険者らしい知識も教えてくれた。芋虫はグリーンワーム、鼠はビッグマウスで、この世界では本当に初心者級の魔物らしい。一角兎さんは初心者級の中でもやや強めの位置付けだそうだ。
森を抜けると、そこから先は草原だった。ところどころにポツンと木があるが、緑の平原が広がっていて、目に見える距離に街らしき建物が見える。
ようやく着いたら街は石壁に囲まれていた。
出入り口は1つの大きな門しかないらしく、そこで入る為の検問を受ける。
異世界の学生証なら持ってる私だけど、こちらの世界の身分証はない。どうしようかと不安になっていると、すぐに出番が回ってきた。
見た感じでも大きな街だからか、門番の人も鎧を纏ってて厳つい。そしてデカい。日本人を基準で見るのが間違いで、こちらの平均身長はヨーロッパやアメリカを基準にすべきだと認識した。
「身分証と入国の目的を。」
厳ついおじさんにギロリと見られる。
「俺は冒険者のリトだ。」
そう言ってカードの様なものをおじさんに渡すリト。
「えーと、この通り赤ん坊がいるんで、里帰りの途中でこの街に寄らせてもらった。妻のゆりと、息子の勇人だ。」
え。
思わずリトを見るが、視線と笑顔で黙ってろと言われたので口を噤む。
「冒険者カードには既婚の記載はないが?」
「…旅先で身籠って、妻の親に承諾を得てないからな。まだ結婚はしてないことになってる。これからその許しを得に行くところだ。」
リトさん凄いね。詐欺師になれるよ。
その答えを聞いた門番さんが、突然リトの肩をガシッと掴んだ。
え、もしかして嘘ってバレた!?
「兄ちゃん、若いのに筋を通すたぁ偉いじゃないか。まぁ順番は間違えてるがな。そういうことなら街で英気を養ってくれ。奥さんと子供を幸せにすんだぞ。」
うん、優しいおじさんだった。
「にーぃ!」
勇人がおじさんを指さしながらきゃっきゃしてる。
「お、坊主小さいのに分かってんじゃねぇか。そうさ、俺はこんな風貌だがまだ若いぞ!何か困ったら遠慮なくいいな。」
ガハハと笑うおじ、…お兄さんに見送られて私達は街の中に入った。
「リト凄いね。私詐欺師って初めて見たよ!」
「詐欺師言うな。仕方なくだ。あれが一番いい方法だと思ったんだよ。兄妹にしちゃ俺たちが似てねぇし、夫婦と子供ならなんとかなるだろ。」
「うーやー。」
勇人が腕の中でいじいじと暴れる。
むむ、そうかそうか。
「そんなパパに勇人が抱っこしてほしいって。はい。」
そう言ってリトに勇人を渡すと、勇人はご機嫌に、リトは何故か少し照れた様子でリトを抱き上げた。
それにしても、勇人もリトもまだ出会って1日なのに仲良しさんだ。
「ちなみに勇人はみんなを『にー』と呼ぶのか?」
あ、そこ引っかかっちゃうのリトさん。
「男の人は全員『にー』って呼ぶね。私は『まー』だけど。」
「…父親は『ぱー』って呼ぶのか?」
父親?なんでここで勇人の父親?
「うーん、どうだろう?そう教えたらそう呼びそうだけど。勇人が言ってるのは聞いたことはないかな。」
なんでかリトの顔が暗い?気の所為?
「じゃあ俺のことは『ぱー』と呼んで貰おうかな。他の奴と一緒はいやだ。」
一緒が嫌だったのね。
それから勇人に『ぱー』呼びを教え込みながら、私達は冒険者ギルドへ向かった。