11日目 アリシア、小動物と邂逅する
その日アリシアは、千堂を見送った後、ちょっとした異変に気付いた。屋敷の中から、何か物音がするのだ。一瞬、また奴が!?と身構えた彼女だったが、それにしては音が大きい。非常に身軽そうではあるが、それでも奴に比べれば確実に質量の大きい何かだ。どうやら屋根裏に何かがいる。
音を分析してみると、重量は百g以下、恐らく四足歩行し、大きさは前足と後ろ足との間が十センチ前後、足音以外に何かが天井を擦る音も微かに探知出来ることから、比較的長い尻尾を持つ小動物と推測された。その条件にあてはまるものでこの近隣に生息するものと言えば、リス及びネズミが該当する。
どちらも当然、人間が地球から持ち込んだものが自然繁殖したものである。特にリスは、周囲を木々に囲まれたこの屋敷の周囲には比較的数多くの個体の生息が以前から目視によって確認されていた。また、ネズミは、姿こそあまり見せないが、個体数そのものはリスよりも多いかもしれないと推測されていた。さらにそれらの小動物を狙う小型の肉食動物であるヤマネコやヘビ、フクロウ等の猛禽類の生息も確認されている。元はと言えば人間が作った人工的な環境ではあるが、既にここには自然のサイクルがほぼ確立されていた。なお、この屋敷の周辺での観測例こそないが、少し山の方に行けばクマもいる筈だった。その中の、リスかネズミが屋敷の屋根裏に入り込んでいるものと思われた。
リスであればさほど害はないものの、ネズミとなれば屋敷の構造材をかじったりという被害が出ることも想定される。見逃していてよいものではなかった。しかし屋根裏は基本的にアリシアにとっては管轄外である。と言うのも、この屋敷で働くロボットは、アリシアやアリシア2305-HHSの他にも、警備役のレイバーギア<キョウリキ3673-GMS(ガードマン・スタンダード)>二体と、庭の保全役の<キョウリキ3673-GS(ガードナー・スタンダード)>一体、屋敷の設備の管理役の<ホビット1229-IS(インスパクター・スタンダード)七体が現在稼働中であり、屋根裏はホビット1229-ISの管轄なのだ。
また、余談ではあるが、先日の襲撃事件の際にテロリストに乗っ取られた門番役のキョウリキ3673-GMSは、潜伏型ウイルスが仕掛けられていた可能性があった為にJAPAN-2によって回収され、現在は別の機体が役目に当たっている。さらにホビット1229-ISは、当時、屋敷のシステムが乗っ取られたことで早々に機能を停止してしまっていた。
それも今は当然回復し、屋根裏や床下等の、メイトギアが入れない、手が届かない箇所の保守点検は、クモに似た本体に、作業用アーム二本と、先端が高速移動用のタイヤを兼ねたゴム製のボールになった四本の脚を持つ、全長20センチほどの昆虫型小型ロボットであるホビット1229-ISの役目であった。アリシアは屋敷のシステムを通じてホビット1229-ISを制御し、屋根裏の捜索に当たらせた。それと同時に自身も、ガレージから脚立を持ち出してそれに登り、廊下の天井に設けられた屋根裏点検用のドアから中を覗き込む。そこから見えた空間そのものはアリシアでも入れそうな広さはあるものの、さすがに重量が90Kgを超える彼女が入り込んでは天井材が抜け落ちてしまう可能性があり、それ以上は進めなかった。
屋根裏と言うと一般的には埃などが積もり放題という印象があるが、千堂の屋敷はホビット1229-ISの働きもあり綺麗なものである。本来ならゴキブリ等の勝手に住み着く昆虫類も同時に駆除される筈だったのだが、昨日の奴は、ホビット1229-ISさえ入れない隙間などに潜んで生き延びたのだろう。今回の屋根裏に侵入したと思しき小動物も、いずれは追い払われて出て行ってしまう筈だった。
しかしアリシアはそれを自ら確認したいと思い、このような行為に出たのである。
「いない…?」
屋根裏を見渡しながらアリシアは呟いた。確かに自分のセンサーにも気配は感じ取れない。屋根裏にそれぞれ配置についている三機のホビット1229-ISのカメラでも、小動物の姿は確認出来なかった。他の四機は床下用なので今回は関係ない。
もう、出て行っちゃったのかな…?。
彼女がそんなことを思ったその瞬間、ホビット1229-ISの一機のカメラに、闇の中から凄まじい速度で走り出た影が映り、カメラを飛び越えて再び闇の中へと消えていく光景が確認されたのだった。
「いた!」
アリシアの聴覚センサーにも、屋根裏を駆け抜ける小動物の足音が確認された。記録された映像を再生し、正体を確かめる。だが、やはり光量が足りず画像が不鮮明ではっきりした姿は捉えられなかった。それでも、
「リスだ!」
アリシアによる映像解析で、辛うじて映っていた姿が若干だが鮮明になり、それが間違いなくリスであることくらいは分かるものになった。
正体が判明し安心すると同時に、愛らしいその姿に彼女は自分のテンションが上がってしまうのを感じていた。そして思わず言葉が漏れる。
「かわいい~!」
ロボットとは思えない仕草で彼女は体をくねらせた。ネズミでは無かったことでひとまず心配は去った。
実はリスもネズミと同じで伸び続ける歯を削る為に固いものをかじったりする習性があり、稀に家屋の構造材をかじったりすることはあるもののその発生頻度はネズミに比べて高くなかったのだった。また、火星に生息する野生のネズミは地球のそれより狂暴と言われていて、時には人間を襲うこともあるとされていた。一方でリスはその点でも人間に危害を加える可能性は低いとされているのだ。ただし、リスに人間が襲われて怪我をした事例が無いかと言えば必ずしもそうではないのだが。とは言えやはりそちらも発生頻度は決して高くない。
ただ、実害が無いと言ってもあまり屋根裏を走り回られては千堂も気にするかも知れない。取り敢えず出て行ってもらって林に帰ってもらうことにした。
「よーし…!」
そう言って気合を入れたアリシアは、屋敷のシステムを通じてホビット1229-ISを再び操作し、リスを捜索する。動物だから、少し可哀想だが追い回せば危険を感じて逃げてくれると思われた。ホビット1229-ISのカメラと自身の聴覚センサーを駆使し、リスを追った。
だが、肝心のホビット1229-ISの性能では、リスの動きには全くついていけなかった。無理もない。要人警護の為の戦闘すら想定されるアリシア2234-LMNと違い、ただの建築物の保守点検用の小型ロボットに過剰な性能を付与する合理的な理由はないのだから。しかしアリシアは諦めなかった、いや、諦めなかったというのは少し違うかも知れない。
「わーいわーい、リスさん待て待て~!」
そう、いつしかアリシア自身が当初の目的を忘れ、リスとの追いかけっこを楽しみ始めてしまっていたのだ。が、脚立の上に乗って屋根裏を覗き込みながらきゃあきゃあと歓声を上げる少女という、少々理解しがたい異様な光景は、さすがにどうかと思われた。そしてそんな有様を容認する筈のない者が、この屋敷にはいたのだった。
アリシア2305-HHSだ。自身の仕事の為に屋敷内を移動中だったアリシア2305-HHSが、廊下の真ん中で脚立に登り屋根裏に上半身を突っ込んできゃあきゃあ歓声を上げているアリシアを見て、一喝した。
「何をしているのですか!。アリシア2234-LMN!!」
本来、大きな声を出すことが無いアリシアシリーズだが、さすがに今回は騒いでいるアリシアにも確実に届くようにボリュームを上げたのだった。それが怒っているように聞こえてしまった。それに驚いたアリシアが脚立のステップを踏み外し、床に転げ落ちる。
「せ、先輩…!?」
焦った彼女は慌てて脚立を片付け壁際に寄って頭を下げた。それ以上は敢えて何も言わず通り過ぎたアリシア2305-HHSの目がピクピクと痙攣していたのを感じながら。
そして、屋敷に帰ってからその話を聞いた千堂は、また笑いを堪えるのに必死になるのだった。




