2日目 アリシア、膝枕する
遅い昼食も終わり、ソファーに腰掛け食後のコーヒーを嗜みながら千堂は端末を開き、仕事のチェックをしていた。休日とはいえ彼に決済を求める案件が完全に無くなることは滅多になく、結果として彼の仕事は無くならないのである。それでも最近は減らすことは出来たのだが。
昼食の片付けが終わり、キッチンの清掃が終わっても、千堂の仕事はまだ続いていた。さすがにアリシアも彼の仕事中は大人しくしている。その辺りはわきまえているものの、仕事が一段落したように見えると、千堂に甘えたいという欲求が抑えきれなくなるという点はやはり変わっていなかった。
「千堂様、隣に座ってもいいですか?」
幼い子供が甘えるような顔でそう尋ねる彼女に、仕事モードだった彼の表情がふっと和らいだ。
「ああ、いいよ。おいで」
その言葉にアリシアの表情がぱっと朗らかになり、すっと千堂の横に座った。本当は飛び付きたいくらいだったのを、辛うじて抑える。何しろ千堂よりずっと小柄に見えても、ロボットである彼女の体重、と言うか重量は90kgを超えているのだ。生身の人間である彼では、彼女に飛び付かれてはさすがに怪我をする危険性もある。
だから彼女がソファーに座ると見た目に反して思った以上に沈む。元よりメイドやハウスキーパーの役目をするロボットであるアリシアシリーズが家人と同じにソファーなどに座ることはそうあることではない。大抵は立ったまま待機するか、自身に与えられた待機用の椅子に腰掛けるかくらいなので、あまり問題にならない筈なのだ。
それに、一般向けのアリシアシリーズだと、他社製のメイトギアよりも軽量化が進んでいる為に重量は70㎏程度で済んでいる。要人警護用に特別な構造を持つアリシア2234-LMNはそれ故に重量が増しているのだった。それでも一般的な他社製のメイトギアよりは若干重い程度なのだが。
ちなみに、土木工事や建築工事の現場などで活躍しているレイバーギアと呼ばれるロボットなら、一般仕様のメイトギアよりも高出力を発揮し過酷な条件下での運用にも耐えるように設計されている為に100㎏超えのモデルも珍しくないが、こちらはそれこそ一般家庭の日常の家屋内で運用するようなことはまずない上に、機種にもよるが見た目にもいかにも重量感があるものが多いのでむしろ違和感は少ないだろう。
しかし彼女は、一般的なミドルティーンからハイティーンの少女の平均的な体格を持ちつつ90㎏超の重量である為、やはり人間には違和感を与える結果となってしまっているのであった。
なお、千堂も一見すると痩せても見えるが筋肉質で引き締まった体をしており、加えて長身なのでこれでも90㎏近くある。ただ、体が大きい分、ソファーにかかる圧力は分散されて沈み込みは人間の感覚として『こんなもの』と感じる程度なのに対し、彼に比べれば体が小さく面積も小さいにも拘らず彼より重いアリシアがソファーに座った時のそれは、とても同じソファーに腰掛けてるようには見えない、明らかに違和感を感じるものだった。
もっとも、この時、その違和感を覚えていたのは千堂だけであって、アリシア自身はそれには気付いていなかったのだが。彼女としては『こんなもの』という認識だったからだ。
そういう認識のズレもありつつ、アリシアは千堂の傍にいられることに幸せを感じていた。そしてもっともっとという欲求が何処かから湧いてくるのも感じていた。もっと近付きたい、もっと触れ合っていたい。愛錬のように人間をただ受け留めることに徹したいと思いつつも、彼を求める気持ちを抑えるには彼女はまだまだ未熟だった。
千堂にもたれかかるように触れると、彼のバイタルサインが勝手に自分の中に流れ込んでくる。これは、人間と直接接触した際にはその人物の平時のデータを蓄積し健康管理に役立てようという、アリシアシリーズに共通する基本的な機能によるものだった。人間の感覚を知らない彼女は、それを触れ合った時の感覚なのだと認識していた。そのデータにより、彼が今、概ねリラックスしてくれていることが感じられて、彼女も安心した。自分がいることで彼がリラックスしてくれている、少なくとも自分は彼にとってストレスを感じる存在ではないということが実感できたからだ。
ただ、この時の千堂の状態が『とてもリラックスしてる』ではなく『概ねリラックスしてる』だったというのが、彼が覚えていた違和感によるものだということには、彼女はまだ気付いていなかったが。
穏やかな時間が流れ、千堂が自分を拒んでないと分かると彼女はますます触れ合いたいと思い始めた。腕を絡めて彼の肩に頭を預けると、彼は変わらず落ち着いているのに自分のメインフレームには不思議な負荷が掛かってくる気がした。それは人間で言うところの『ときめき』というものだったのだろうが、彼女は彼女なりにそれが自分の千堂に対する想いなのだということは理解していた。彼のことを想い、彼に触れると起こる現象だからだ。そしてそれは彼女にとって決して不快なものではなく、むしろずっとそれを味わっていたいと思わせるものだった。
しかしそれは同時に、彼女がまだ『自分がそう感じることが優先』であって、彼にそう感じてもらう為に自分は何をするべきかというところにまでは辿り着けていないという証拠であるとも言えるだろう。さりとてそれは、誰かにそうしてもらい、どうしてもらえばそうなれるのかというのを実感として感じ取ることが出来て初めて、他人に対して出来るようになるものであるとも言えるだろう。そう、今はまだ、彼女はそれを学ぶ為にそうしてもらわないといけない段階なのだ。赤ん坊が、親の愛情を十分に受けることで自分以外の誰かを愛する方法を学ぶように。
千堂もそれが分かっているから、彼女が甘えるのを受け入れているのである。ただしそれは、彼の方もあくまで『知識としてそれを知っている』レベルの話ではあったが。
そう、これは彼女の心を育てるだけでなく、彼自身も彼女と接することで成長していくことが目的にもなっているのだった。
とは言え、事情を知らない他人から見れば、単に、甘える娘に和んでいる父親か、もしくは歳の離れたカップルがイチャイチャしているようにしか見えないだろうが。
穏やかな時間が流れる中、アリシアはいつしか、千堂のバイタルサインが『非常にリラックスしている状態』のものに変化していることに気が付いた。彼の体から力が抜け、若干、自分に体重をかけてくる感じになってるのが分かる。眠っているのだ。
「千堂様…?」
ついそう声を掛けてしまったが、彼女はもうそれ以上何も言わなかった。ただ彼の重みを受け止めていた。
アリシアは嬉しかった。こうやって自分と一緒にいることで彼が眠ってしまうほどに安心してくれることが。すると、さっきまで自分から彼に甘えたいと思っていたものが逆に、彼に甘えてもらいたいという気持ちに変わっていくのも感じていた。自分が甘えるのを許してくれた分、彼が自分に甘えてくれるのならそれを許したいという気持ちになっていた。
この時、彼女はまだ気付いていなかったが、それこそが人間同士の関係というものの一面なのだろう。自分が大切にされた分だけ、誰かのことを大切にしたい、大切に出来る心の余裕が生まれるというのが人間の性質とでも言うべきものなのかも知れない。千堂は、それを彼女に教えていこうとしているのだ。
だがそんな理屈は抜きにしても、彼女はこの状態を心地良いと思った。いつまでもこうしていたいと思った。だから彼の体からますます力が抜けていつしか自分の膝枕で千堂が寝てしまっていても、とにかく嬉しかった。
『私が、この人をお守りする』
今、自分が首に手を回すだけで命を終わらせることも出来る程に隙だらけの状態を見せてくれていることに、たまらない喜びを感じていた。自分がこれほどまでに信頼されていると実感できることこそが幸せなのだと感じていたのだった。




