1日目 アリシア、メイドになる
「ここが、千堂様のお屋敷なんですね」
少女は、まるでテーマパークに着いた子供のように嬉しそうに笑顔でそう言った。振り向いたその先に、男がいた。年齢は、青年というには少し齢がいってるかも知れないが、かといって壮年と言うほどの齢でもなさそうな、痩躯だが決してひ弱そうではない長身の男だった。
男の名前は千堂京一。年齢46歳。A型。地球生まれで国籍は日本。火星でも有数の総合企業体「JAPAN-2(ジャパンセカンド)」のロボティクス部門の役員の一人で、この屋敷の主だった。
明らかに日本の伝統的な家屋をイメージして作られたのであろうその屋敷は、しかしこれまで千堂が一人で住んでいたものだった。と言っても、実際のところ彼は普段、JAPAN-2本社敷地内に設置された単身者用の集合住宅の一室を借り、そこから通っていたので、この家に帰るのは年に二回ほど取る長期休暇の間くらいだったのだが。
その屋敷に彼が少女を伴って帰ってきたのは、今日からこの少女と一緒に住むことになったからである。もっとも、少女のように見えてもそれは外見だけだった。何故なら彼女は、人間ではないからだ。
彼女の正式名称は、アリシア2234-LMN。千堂が役員を務めるJAPAN-2が誇る人気商品、メイトギアのアリシアシリーズの一機なのだ。メイトギアとは、人間社会に溶け込み、人間の生活のサポートを行うロボットとして、主にメイドやハウスキーパーをイメージした意匠を施され、一部には執事をイメージした男性型のものもあるが多くは女性の姿をした、メイトという言葉の通り人間の友であり仲間であることを目指して生み出されたものである。
しかし同時に、メイトギアは人間の友であり仲間であることを目指してはいても決して人間そのものを再現しようとしているのではなかった。人間を作ろうとしているのではなかった。あくまで人間の為に無私で奉仕する機械として商品として広く普及しているものなのだ。
それなのに、彼女はアリシア2234-LMNという単なる一商品ではなかった。何故なら彼女には、<心>があるからだ。厳密には<心のようなもの>と呼ぶべきか。これまでのところ、地球でも火星でも人工知能に心があることは確認されていない。何故なら、心を再現する試みは意図的に避けられてきたという一面もあるからだ。
人工知能の黎明期には人間の心を再現しようとする試みも行われたりはしたのだが、人間ではないものが心を持つことに対する潜在的な恐怖なのか嫌悪感なのか、いつしかそれはタブーのように認識されるようになり、それ以来、心を再現することは、一般的には試されてこなかったのである。
当然、数多くの自律型のロボットを製造・販売するJAPAN-2でも、人工知能で心を再現することは行ってこなかった。やはりロボットはロボットとして人間との間に一線を引くことを大原則として、人工知能を開発してきたのであった。また同時に、人工知能では人間の心は再現できないとも思われてきたというのもある。
にも拘らず、今、千堂の目の前にいる、人間の少女のように振る舞うアリシア2234-LMNは、心があるとしか思えない反応をするのだ。人間の16か17くらいの少女のような外見を持つ彼女は、その言動だけを見ていれば、人間と何も変わらないのである。どんなに人間そっくりに作られていてもよく見ればその皮膚が人工的なものだと分かるのだが、欠損した四肢を義肢で補うことも珍しくない今では、それだけではロボットか人間かの決定的な判断材料にならない為、ますます彼女が人間なのかロボットなのかの区別が難しくなっているのである。
一般に流通しているアリシアシリーズなら、2~3質問するだけでロボットだと分かる。また、決して好ましくはないやり方だが、罵倒しても全く表情を変えることなく冷静に対応するからそれでも人間でないことが分かる。人間でもそれが出来る者もごく稀にいるだろうが、一般的ではないから十分に判断基準になるだろう。
当然、アリシア2234-LMNを開発したJAPAN-2のロボティクス部門としてはそれを放置してはおけなかった。本来なら有り得る筈のないことが起こっているのだから、これは商品としては大問題である。だが、幸いなことにこれまでの全社を挙げての調査でも、同様の事例は一件も確認されなかった。今、千堂の目の前にいる彼女唯一の現象として、それは起こっているのであった。
彼女に一体何が起こっているのか、何が原因でそれは引き起こされたのか、彼女が人間に危害を加えることは無いのか、他のアリシアシリーズに同様の現象が起こる可能性はないのか、それをロボティクス部門の責任者の一人である千堂自らが、自身を被検体として長期調査を行う為に、彼女と一緒に暮らすことにしたのである。
という建前で。
「これからずっと千堂様と一緒にいられるんですね。嬉しい」
まるでデートにでも来たかのように彼女ははしゃいでいた。これも決して本来のアリシアシリーズでは見られない姿だった。人間との間には必ず一線を引き、一歩引いた姿勢を保つようにアルゴリズムが組まれているのだから。
そんな彼女に戸惑いつつも、千堂自身も決してそれを不快に思ってはいなかった。何しろ彼にとって彼女は命の恩人であり、一緒に死線を潜り抜けた戦友であり、大切な仲間なのだ。それと同時に、あどけなささえ見せる今の彼女のことを、彼は娘のようにも感じていたのだから。
そう、彼にとっては、親のいない少女を養子として引き取るような感覚で連れてきたというのもあった。事実、千堂が引き取らなければ、JAPAN-2とっては彼女はあくまで不良品であり、どのような事故を招くのか分からない危険な存在である以上、徹底した調査の上解体、廃棄という選択しか出来ないのが現実だったのだ。そこまでいかなくとも、少なくともメモリーは消去され、完全に初期状態に戻されてしまうのだから、結局のところ今の彼女がこの世から消滅するという意味では何も変わらない。
彼女に対して並々ならぬ恩義を感じている千堂にとっては、それは耐え難い苦痛だった。だからこの選択は、彼自身の為でもあった。
「この屋敷の周囲2㎞は私の私有地だから少々騒いでも迷惑は掛からないが、それでもわきまえてくれよ」
テンション高く浮かれている我が子を諭すように、千堂は言った。
「ヒドイ、千堂様。私はそんなに幼稚じゃないですよ!」
唇を尖らせて子供のように拗ねる彼女の様子を見ながら千堂は、『その態度のどこが幼稚じゃないって?』と内心突っ込まずにはいられなかった。
しかも、千堂が初めて彼女に心のようなものがあると気付いた時にはここまで幼い感じではなかった筈なのに、時が経つにつれどんどん幼くなっているような気がすると千堂は感じていた。それが進行性のものであるのか、それとも彼女を一時的に保護していた人物の影響によるものかは、これから確かめていくことになるだろう。いかんせんその人物は、教養や品性といったものとはおよそ縁のない猥雑な人間だったのだ。根っからの悪人ではないが善人でもない、悪知恵は働くが基本的に幼稚なその人物による一時的な影響であってほしいと、口にこそ出さないが胸の内では願っていた。
「とにかくお前には今日から、ここでメイドとして働いてもらう。お前に心があるなら、その心を磨いてもらわなきゃならないからな」
玄関の扉を開け放ち、彼女を迎え入れながら、千堂はきっぱりとそう言った。
「はい!。頑張ります!」
アリシアの元気な声が、周囲を緑に囲まれた屋敷の庭に響いていた。