第一章 第一時界の添乗員・2
「んじゃ、今日は手間をかけてみるか。時間も食材もあるからな」
我ながらなんと単純な性格か。
祈哉は苦笑いを浮かべつつ、キッチンに入り冷蔵庫の前で画面を表示させる。
夢の件でいつもより早くに目が覚めたことと、自分以外の人間にも食事を振舞うこと。それらが重なって、珍しくしっかりとした朝食を用意したくなったのだ。
リストには野菜や果物、パンなどの食材の数と賞味期限が表示されている。
「そういやこの前、泉果が買い足してくれたんだっけか」
その食材の数の多さを見て祈哉は呟いた。
一人暮らしだとどうしても食生活が雑になる。楽をしようとしてレーションのみでさっさと家を出てしまう事も珍しくない。
そんな祈哉の暮らしぶりを見兼ねて、泉果が食材を買い込むようになったのだ。
そのまま賞味期限が過ぎて腐らせたりすると正座をさせられ延々と説教されるので、ちゃんと朝食をとるようになった。
祈哉は今ある食材から調理可能なレシピリストを表示し、その中から今日はいつもよりも手間の多いレシピを選び出すと、冷蔵庫を開ける。
「きゃああああああああ――っ!」
「いい――っ!?」
唐突の悲鳴。
一瞬、地面から引っこ抜いてはいけない野菜が冷蔵庫にでも入っていたかと思ったが、特に金縛りになったわけではない。
そして自分が今、家に一人ではない事を思い出し、同時に駆け出していた。
――まさか、もう狙われたのか!?
リビングを抜けてバスルームに向かう。
この家は十年前に火事で消失した際、未来技術によって建て直され、その時にセキュリティも第一時界の最新鋭のものが取り入れられた。
それを突破したというのであれば、相手は相当の手錬に違いない。
ならば事態は一刻を争う。
祈哉は魔珠から魔力を引き出しつつ、躊躇う事なくバスルームのドアを開け放ち――、
「どりゃあぁぁっ!」
「へっ――ぶほおっ!?」
目に飛び込んだ場景に思考が止まった瞬間、すらりと伸びた足に顎を蹴り上げられ宙を舞った。もし魔力で身体強化をしていなければ、間違いなく顎が砕かれていただろう。
「いきなり風呂場に突貫だなんて、どういう了見かな、この変態クンは」
目の前には一糸纏わぬ姿で足を高々と振り上げたままこちらを見下ろす泉果が。その後ろでは、目を見開き愕然とした表情のエリスが、同じく泡まみれの生まれたままの姿で自らの身体を抱いてへたり込んでいる。
「いや、これは……!」
祈哉はひっくり返った体勢のままエリスと目を合わせ、言い訳をしようとして言葉を詰まらせた。
こんな状況だというのに、透き通るような白い肌に思わず見惚れてしまったのだ。
「うむ……あまり見ないでもらえるか? 見られて恥ずかしい身体をしているつもりは無いが、さすがに裸を直視されるのは気恥ずかしいものがある」
「わ、悪い……つい魅入っちまった」
頬を染めるエリスを見て、祈哉は慌てて首を横に向けて視線を逸らす。
「っていうか何やってんだよ、泉果は」
「親睦を深めるために裸の付き合いを少々。ついでに身体検査もやっちゃいました。げへへ、エリっちはほんと肌が綺麗だなぁ」
泉果はわしゃわしゃと指をいやらしく動かしながら、悪戯っ子の笑みを浮かべている。
「まったく、襲撃者かと思っただろ。あと、スキルは使ってねぇだろうな?」
泉果のこれもある意味立派な襲撃のような気がするのだが、そこを突っ込むと話がややこしくなりそうなので口にはしない。
「使ったりしないよん。そんな事したらエリスがおいらナシじゃ生きられない身体になっちゃうじゃん」
「それが冗談じゃないから怖ぇんだよ。ほんとに使ってねぇな?」
「くどいなぁ……ほんとに使ってないよ。さっきの蹴り以外は」
「だからタイミングがドンピシャだったのか……」
祈哉は泉果の言葉に、自分が綺麗に蹴り上げられら事を納得する。
「それに言ってなかったっけ? 今日からおいらもここで暮らすんだけど」
「はっ!? 聞いてねぇぞ、そんなの!」
「指令書に書いてあったじゃん。それに護衛任務なんだから一緒に暮らすのは当然だよね?」
「俺のには書いてなかったぞ。……さてはあの女兎、わざと書かなかったな」
祈哉に知られずに同居人を増やす事が出来るのは、保護責任者である眞白しかいない。
「けど納得がいった。だからセキュリティが反応しなかったのか」
いくら幼馴染の泉果とはいえ、家主の許可もなしに家に入る事は出来ない。だが同居人登録が済んでいるならば話は別だ。
「これからは毎日この第一時界製のお風呂に入れるんだね。はぁ~~ほんと最高だよぉ」
いつの間には泉果は湯船に浸かり、気持ちよさそうに息を漏らしている。
すると湯船のお湯が蠢きだし、透明な手が泉果の手足を揉み始めた。
この湯船には魔力により硬化させた水によるマッサージ機能がついている。また簡易的だが治癒魔法も施されており、風呂に浸かりながらにして身体のケアができるのだ。
泉果は画面を出すと車内の映像を映し出した。
そこには様々な雑貨がいくつかの買い物袋に分かれて入っている。それぞれの袋は別々の店のものだった。
「女の子の暮らしは色々と物入りだからねぇ。昨日は家具の手配をした後、あちこちまわって買い物してたわけ。エリっちが普段使ってるシャンプーがなかなか見つからなくて、探すの苦労したよ」
「そうだったのか……手間をかけさせてしまってすまない」
「いいのいいの。エリっちはこっちの世界に到着したばかりなんだし、慣れない場所で生活必需品を探すのは大変だからねぇ。でも次は案内がてらエリっちも一緒に買い物に行こうか」
「ぜひそうさせてくれ。ついでに美味しいスイーツの店も紹介して貰えると助かる」
「うんうん、おいらがとっておきのお店を紹介しちゃうよん」
二人の間には早くも和気藹々とした空気が流れている。裸の付き合いで親睦というのもあながち間違っていないのかもしれない。
――それにしても、この状況は妙だな。
祈哉の中で不意に疑問が浮かぶ。
転属がある場合は通常一ヶ月以上前から通知があるものだ。たとえ緊急であった場合でも、最低限居住スペースの確保くらいは済ませているものだろう。だがエリスの場合、事前の転属通知どころか、寝泊りする場所の確保すらも出来ていなかった。
まるでそんな余裕など一切無く、身一つでここへとやってきたかのように……。
「ところで祈哉クン……」
呼びかけられ我に返る祈哉。いつの間にか、泉果が自分を見ていた。
「いつまでそうやっておいら達を覗いているつもりかな? いや、むしろがん見?」
「わ、悪い! ――ご、ごゆっくり!」
泉果の口調も表情も柔らかだが、目が笑っていない。
それを見た祈哉は慌てて跳ね起きると、そそくさと風呂場から退散するのだった。
「んじゃ出発するか」
祈哉はバイクに跨ると胸元から黒い石を取り出す。
そしてその石に意識を集中して魔力を引き出すと、ハンドルの窪みにはめ込み魔術回路を通じてエンジンを起動。車体全体に魔力が行き渡っていく。
魔珠――。
今から約四百年前、その石は当時の西暦2130年の時界に突如として現れた。
それは内燃機関が無いにも関わらず、無限にエネルギーを生成し続ける球状の物体で、そのエネルギーは世界の外側から流れ込んできている事、さらに生命体に取り込まれると様々な現象を引き起こす事が研究によって判明する。
ファンタジー等の創作物で広く知れ渡っている名称として、そのエネルギーは『魔力』と呼ばれるようになり、その力の源たる魔法石は『魔珠』と名付けられた。
世界に一番最初に現れた魔法石は『源初の宝珠』と呼ばれ、今各時界に存在している魔珠の半数はここから複製されたものである。
「わざわざ自分の魔力でバイクを動かしているのか? そんな事をしなくとも、エンジン用の市販の魔珠を組み込めばいいのではないか?」
泉果の車の助手席に乗っているエリスは、祈哉の様子に首を傾げる。
泉果建の乗る車にはエンジンに市販の魔珠が使われている。
市販の魔珠は魔力出力自体は低いが、目的に合わせたチューニングが行われているため術者に負担がかからない。一方、祈哉のような術者の能力を高める目的で生成された凡庸型の魔珠は、目的に応じて自ら魔力制御を行う必要があり、多かれ少なかれ肉体に負担がかかってしまう。
下手をすれば体力を根こそぎ持っていかれるため、機械の動力として使うのはあまり実用的な方法とは言えない。
「これも師匠から言われてる魔力制御訓練の一環なんだ。それに有事の時にはリミッターを外して最高速を出したり、武装したりも出来るしな」
「武装?」
「そうそう。このバイク変形するんだよねぇ。祈哉の中二病七つ道具の一つなんだよ」
そう言いつつ、泉果は黄色の野球帽を頭に被ると、車のエンジンをかける。
「誰が中二病だ、コラ」
そんな泉果に思わず祈哉は目を吊り上げる。
「中二病七つ道具?」
「うん。祈哉はね、ワイヤーで竜を作ったり、バイクを変形させて武装したり、コンタクトレンズで魔眼を再現したり、ナイフの刃にわざわざ波紋の模様つけたりしてるんだぜ。発想がいちいち少年漫画の主人公なんだよ」
「別にいいだろ。どれもちゃんと役に立つんだから」
祈哉は唇を尖らせ、音声通信を通じて不平を漏らす。
「確かにね。まぁ意味があるならおいらも文句はないけどさ。でも演習場でこっそりやってたカ○ハメハは無駄だったね」
「うっ……!」
「他にもいろいろと漫画の技を再現してたよねぇ?」
「み、見てたのかよ! ってか、なんでここでその話するんだよ!」
祈哉は動揺でハンドルをぶらすが、バイクのコンピュータ制御がそれを修正する。
「……想像するだけで痛々しい光景だな。中二どころか最早小学生ではないか」
「言っとくけどそれ、リアル小学生の時の話だからな。さすがに今はやらねぇって」
エリスの中で浮かんだであろう光景を祈哉は全力を以って訂正する。
「ま、まぁはっきり言って普通に魔法放った方が強かったのは事実だな。一度放った魔法をそのまま押し留めたり収束するのは難しいし、技を忠実に再現しようと思うと、魔術プログラミング的に無駄が多過ぎる」
「思った以上に本格的に取り組んでいたのだな……」
「そのお蔭で戦闘用だけじゃなく、こうやってバイクやロボット用のプログラミングもできるようになったんだ。決して無駄じゃなかったぜ」
「構築系特許まで持ってるくらいだしねぇ」
「なんでそんな空想遊びからそこまで実用的なプログラミングが実現できたのだ?」
エリスは心底不思議そうに唸る。
そんなやり取りをしている間に魔導バイクと車は河川沿いの幹線道路に出た。
朝日を反射し輝く河川は海が近いためか、川幅も広くわずかに潮の香りが漂う。
そして河川を挟んだ向かい側には背の高い摩天楼とも呼ぶべきビル群が見えていた。
白を基調とした一つの城のようにも見えるシルエット。それは『未来時間的平行世界開発特区』、通称『時界特区』と呼ばれる場所である。
今から十年前、この世界に三十年後の世界からやってきたという一団が現れた。
最初は半信半疑だったこの世界の住人も、現代の医療では治せない病気を治したり、現代科学では説明できない超常現象を引き起こしたりと、未知の科学技術と魔法の存在により、その突拍子もない話を信じざるを得なくなった。
その際、彼らの手により様々な技術や情報がこの世界にもたらされ、それらが引き起こす様々な問題が考慮されて、現在は指定された区画内でのみ未来技術による開発が許される事となっている。
結果その限られた区域を有効活用するために、世界トップクラスの高層建築が乱立するという現在のような都市の姿になったのだ。
開発区へと続く鉄橋を渡って魔法結界を抜けると、目の前に光の道が現れる。
同時に祈哉のバイクと泉果の車が自動走行に切り替わり、手元に小さな画面が現れルートが表示された。
空中を進む光の道は、摩天楼の合間を縫うようにして枝分かれを繰り返しながら広がっていく。並行した複数の道には、それぞれに車列が出来上がっていた。
そうして自動運転に任せていると、正面にこの都市にあって、一際背の高いビルが近づいてきた。
ATTビル。
時間的平行世界連合――通称『時界連合』が管轄するTTC。その第十三時界支社である。
バイクと車はそのまま建物に吸い込まれると、駐車場の契約スペースで停止する。
祈哉達はそこから職員用のエレベータホールに入り、エレベータに乗って更衣室へと移動するのだった。