終わりにしよう
彼女は、取り立てて美人でも可愛い訳でもない、ごく普通の女の子だった。
ただ俺に向けられた声が、裏もなく案じてくれたその心が、何よりも愛しかった。
「死にたい」
「おい、うっとうしいなクラウス」
友人の家に上り込んで膝を抱える俺はみっともなくうざったらしいことこの上ないだろう。
それでも呆れた声を出しつつ追い出そうとはしない友人の優しさに、じわりと涙が浮かぶ。
「で、愛しのニナちゃんがどうしたって?」
「ニナちゃんとか、名前で呼ぶな」
ぐしぐしと目をこすりつつ不満を口にすれば、困ったように微笑まれる。
「そんなに好きでたまらないのに、なんでまた誤解させたままだったんだよ」
彼の言葉が正しすぎてぐうの音も出ない。そう、誤解、誤解だ。
きっかけは自分で作った期限付きの恋人宣言。卒業までの風よけになってくれという、今思い返すととんでもない傲慢な言葉。
確かにあの時の俺は疲れ果てていて、それはもう世の中の女性をすべて嫌悪するほどに疲れていて、だから彼女のことも傷つけるのに躊躇いがなかった。
彼女はただ、純粋に俺を心配してくれただけなのに。なにも悪くなかったのに。
彼女の優しさに付け込んで傷つけて、その報いを受けているだけで全面的に俺が悪い。
「好きに、なったんだ」
ぽつりとつぶやいた俺の声に、おうと小さな返事が返ってくる。
なんだかんだ言いつつ付き合ってくれる友人の優しさが、止まっていたはずの涙をまた呼んでくる。
目を閉じれば涙がこぼれるから開いたままなのに、目に浮かぶのは最後に見た綺麗な彼女の笑顔だ。
『もういいよって、言って』
そう言った彼女は、何を思っていたんだろう。少しくらいは俺を特別にしてくれていたのだろうか。
こんな情けない俺のことを、ずっとどう思っていたんだろう。
「卒業までの恋人役だなんてひどいことを言って、それでも彼女は傍にいてくれた。俺を気遣って、自分に向けられた敵意を笑顔で跳ね飛ばして、そんな彼女に本気になった」
手を繋いだ時、驚いたように目を丸くして、ほんのり頬を染めて俯いた姿が可愛くて仕方なかった。
デートに誘った時、挙動不審に視線を泳がせて、待ち合わせに二十分も早く来たくせに俺の方が早かったからと何度も謝るのが愛しくて仕方なかった。
クラウスとはじめて名前を呼んでもらえた時、泣き出しそうなくらい幸せな気持ちになったんだ。
「全然、大丈夫なんかじゃない。ニナがいなくちゃ、駄目だ」
「お前、それ本人に言ってやれよ。ただでさえ最初を間違えていたんだ、言葉にしなきゃわかるはずがない」
「ジーク、簡単に言ってくれるな」
「だってそうだろう? 一度別れてしまったんだ、そんなに好きなら膝をついてすがりついてでも許しを請わなきゃ戻ってきてはもらえない。彼女を失う以上に怖い何かがあるっていうなら別だけどさ」
行って来いと友人に背中を押されて、無理やりに部屋を出る。
彼女になんと言えばいいのだろう。ぐるぐるとまわる思考はまとまらないまま、それでも思うのは彼女を好きでたまらないから手放せないということ。
あの時、望まれた言葉を返せぬまま逃げた俺を、彼女はどう思っているだろう。
とりあえず家まで行ってみようと歩いて、途中の公園であり得ない光景に足を止める。
子供むけのブランコにさみしげに座っているのは、間違いようもなく。
「ニナ!」
しょんぼりと肩を落として俯いていたニナが、俺の声に顔を上げる。瞳からポロリと涙がこぼれたのが見えた瞬間、頭の中が真っ白になった。
駆け寄り、抱き締め、ただひたすらに名前を呼ぶ。愛しい彼女をこんな風に傷つけたくなんてなかった。
「ニナ、ニナ……」
「どう、して」
呆然と俺を見上げるニナの目じりや額に唇を押し付ける。やわらかくてあたたかで抱き締めるといい匂いがして、吸い取った涙は少ししょっぱい味がした。
いつもなら抱き寄せれば体を預けてくれるのに、今は拒絶するように胸を押しやられる。それが苦しくて、だけどもう二度と手放せないから、その抵抗ごと抱き締めた。
「大丈夫じゃない。ニナがいなきゃ、大丈夫じゃないんだ」
「なんで」
「無理だ、駄目だ、ニナがいなくちゃ」
「なんで、いまさらそんなこと言うのよぉ……」
腕の中で彼女が声を上げて泣いている。苦しめた、悲しめた、なのに彼女が腕の中にいるだけで幸せな俺は最低な男だと思う。
それでももう、俺には彼女がいなきゃ駄目だから。
「終わりにしよう、ニナ」
この期限付きの恋を、きちんと終わりにしなければ。