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SPICY!≪辛口小説談義≫  作者: 天崎 剣


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☆残酷な「死」を扱う

 殺戮、暴力、戦争、いじめ、児童虐待、家庭内暴力、DV。大小に関わらず、力をもってして、死に至らしめる行為。現実社会において、決してなくならない、これらの重大な事件を作品として扱うとき、作者の質が問われる。

1996年、某青年誌で、遭難した教師と教え子が、出会った直後に死んだ子供の人肉を食って生きながらえるという漫画を掲載したところ、倫理的によろしくないということで、発売日店頭から回収される騒ぎがあった。

 当該作品については、ネット検索すればヒットするので、興味のある人は検索されたし。


 漫画や映画、ドラマやアニメなど、視界に直接入ってくるものに限っては、特に厳しい規制が敷かれる。アダルトものと同じように、残酷描写は常に正当な倫理感が求められるのだ。

 それは、小説についてもやはり同じ。ちょいエロのつもりが、描写の細かさからアダルト指定になってしまうこともあるわけで。軽い気持ちで殺人シーン書いたら、あまりの凄惨さにX指定かよ、なんてことも、あるかもしれない。

 あの、バトルロワイヤルが映画化されたときだって、物議を醸し出したんだから、世間は本当に、そういうことには敏感だとわかるだろう。


 話を作るとき、なにをテーマに置くか、というのも関わってくると思うが、「死」を扱うときは、本当に、慎重にならなければならないと思う。昨今、恐ろしい事件が日本中で起きているけれども……、それらにさえ、隠された「主張」「動機」があるのだから。


 戦争は、時には必要だ。話し合いで解決できないとき、武力行使することはある。ファンタジーやPRGなどでは、必要に駆られて戦争をするのだから、現実社会でも同じことが起きているというのは理解できるのではないかと思う。人を殺す、傷付けあう、日常世界では考えられないことだが、人類史上では至極当然のこととして続けられてきた行為だ。戦争によって、国は拡大し、歴史が紡がれる。正当化するつもりはないが、真実である。


 しかし、市民生活において、殺人行為は卑劣であり、あってはならないこと。そこには加害者のほかに、命を奪われた犠牲者がいる。加害者の人格、被害者の人格、それぞれ確実に存在し、無視することは出来ないものだ。

 人は、何故加害者が事件を起こしたのか、何故被害者が事件に巻き込まれたか、解き明かすために裁判をする。原因がわからなければ、根本的な解決にならないからだ。

 自分の身近なところでも起こりうる事件、事故、そして、「死」。

 その扱い方を誤ると、とんでもないことになってしまうことを、忘れてはならない。


 先のカニバリズム(人肉を食す行為)漫画だが、問題視された点として、行為の必要性の低さがあげられる。

 この漫画では、幼女を丸焼きにし、それを無神経に食らい、その後、あっけなく助かってしまう。人肉を食らってまで助からなければならない必要性に欠けてしまっていた。それによって、行為の残虐性だけが目立ち、結果、回収騒ぎになってしまったのだ。

 作者が何故カニバリズムを描いてしまったのか(しかも、あまりに軽率に)不明だが、これは何も、この作品のみに言えることではない。あちこちに潜んでいる、残虐性をうたった「グロ」系の創作物全般に言えることだ。


 いきなり、登場人物が誰かを殺す。その行為を鮮明に、残酷に描いていく。しかし、何故、そこに至ったのか書いていない作品があまりに多いのには危惧を覚える。

 私も、殺人シーンを書いたことはある。血反吐が出るような強烈な描写が嫌いなわけじゃない。自分が書くときは、そこにたどり着くまで、何があったのかを出来るだけ、一緒に書き添えるようにしている。殺人者の心境になりきることは難しいが、なるべくそこに近い気持ちで書こうとする努力は必要だ。日常から非日常に移り変わるとき、何がきっかけで、何が起こり、どうしてそういうことをする羽目になったのか。殺人という行為、グロテスクな描写の必要性を、読者に伝えなければならないと思って書いている。

 ところが、私があちらこちらで見かけたのは、殺される登場人物の人格を無視した「グロテスクな描写をするための死」を演出している作者。そこに、感情などない。ただ、死体や殺人行為についてだけ、綺麗に描写されている。殺人現場は、この場合、感情のぶつかる場所ではなく、「作者が血や死体を見世物にしている」場所なのだ。


 大変恐ろしいことだが、「死」について、実感のない若者が増えている。

「生」と「死」、決して切り離すことの出来ない、逃れることの出来ないもの。誰かが生まれている一方で、誰かが死んでいる。命は必ず尽きる。──そんな当たり前のことを、理解できない人間が、確実に増えてきている。

 以前、テレビで「人は、死んだら生き返る」と信じている小中学生が今増えているのだと知った。インターネットによる検索でも、中学生のおよそ2割が「生き返り」を信じ、また、身近で起こる「生」や「死」に感動を覚えていないことがわかった。


 現代社会、核家族化が急激に進んだこともあり、「生」や「死」の現場に立ち会うことが少なくなってしまった。

 家庭で出産する人は、一握り。今では殆ど病院で出産する。立会い分娩しなかった場合、男性が「生」の瞬間に立ち会うことは困難だ。女性が必死に産み出す「生」の瞬間に立ち会わないためなのか、それまでの人生がそうさせるのか、自分の子供を虐待する父親がいる。女性においても、自分で産み落としながら、虐待死させる事例が後を絶たない。生まれることに対する敬意が揺らいでいる。

 同じように、家庭で臨終を迎える人は、少なくなった。大抵、病院で死ぬ。病気で、入院し、そのまま帰らぬ人になってしまう。そうすると、同居家族でも、人がどんどんとやせ細り、ろうそくの火が消えるように、ある日突然死を迎えることを理解できなくなってしまう。

 核家族化のため、一緒に過ごしていた誰かが死ぬ現場に立ち会うことも少ない。葬式、法事への参列も、経験することがなくなってきている。


「生」や「死」は、「性」の問題とともに、どこか神格化され、タブー視されてきた。

 本当なら、もっと小さい頃、物心つくかつかないか、そんなときから積極的に教え込まなければならないことを、なぜか避けてしまう。その結果、誤った認識が根付く。

 なぜ、避けるのか。ちゃんと話せば子供だって、理解する。なのに。


 酒鬼薔薇聖斗の事件以来、問題視されていることだが、残酷描写への憧れを抱き、それを文章としてしたためることによって発散している人が、ごく一部だが存在することは事実。八戸の一家放火殺人事件の長男も、やはり殺人小説を書いていたという……。そうなってくると、流石に危険思想と思われても仕方がない気がしてくる。

 残酷な表現を決して非難するわけではない。「ひぐらしのなく頃に」は、私も漫画で少し読んだが、残虐な行為が前面に押し出されていても、決して残虐性を助長しているわけではないことはすぐにわかる。

 物語の本質を見抜けない、その上、「生」と「死」に対する敬意が薄らいでいる、そんな人間がフィクションと現実の境界線を越えてしまったときに、実際に殺人・殺傷行為に及んでしまうのではないか。また、そうした事件のあとに、犯人宅で残虐漫画やゲームが発見され、その影響が有識者の中で問題視されるのは、確かに辛い。

 全てがそうした残虐性の強い媒体のせいだけじゃないにしても、そのように感じる人は少なからずいる。そういうことを、もっと認識していくべきかも知れない。


 作品を仕上げる上で、「死」を扱うことはある。しかし、「死」に対し、きちんと理解し、向き合えない者は、「死」を軽々しく扱うべきではないと思う。若年層の「生き返り」信仰もさることながら、「残虐行為に対する正当性」を持たれてしまっては、たまったものではない。


 勿論、個人の表現の自由、言論の自由という観点から、「残虐な死を扱ってはならない」という拘束をすることはできない。

 アダルトに関しても、残虐作品についても、需要と供給はいつの時代にもあった。童話の中にさえ、残虐な設定は幾らでもある。しかし、それらは社会風刺や教訓として、強烈に印象付けさせるための道具として用いられてきた。そう考えると、今横行している「残虐な行為を描写させるための死」とは一線を画している。

 結局のところは、「死」を扱い、その描写の先に何があるか、ということだろう。

 上記のような事件が発生した場合、世間はすぐに漫画や小説、ゲームの影響だという。そうした非難の目を少しでも避けるためにも、起承転結の中で動機をしっかりと描かなければならない。残酷描写をするためには、作者側からの「残虐描写にも勝る作品全体を通した強烈なメッセージ」を織り込む必要があるのだ。

 読了後に何かしらの作者のメッセージが見出せないような作品では、やはり簡単にグロテスクな描写はして欲しくない、というのが私の考えだ。

 物語を提供する側としては、「死」に対する畏怖と「生」に対する敬意を、忘れないようにしなければならないのではないか。単純に興味本位で「残虐行為」を美しく書こうとすることは、本来ならばあってはならないと、私は思う。


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