*「馴れ合い」と「向上心」
はっきり申しまして、私はオフでの知り合いには、小説を読ませたくないです。なんでって……、めちゃ恥ずかしい!!
だから、昔からの友人で全部知ってるって人以外には、創作活動してることも、ヲタクってることも、秘密!! 自分の親にも兄弟にも見せられません。夫はまあ、そういうつながりで知り合ったのでさて置きとして。
学生みたく、「小説書いたからさ、掲示板にでも感想書いておいてよ」なーんて会話は、私にはないのです。
オンはオン、オフはオフ。それでええやん! って、考えなんですね。
だから、とりあえず、読んでくれる人がいて、「客観的な」ご感想などいただけたらめちゃハッピーなわけです。
第一、馴れ合いには飽きました。
昔、同人していたんですよ。恥ずかしながら。同人界では、まず、「馴れ合い」「褒めあい」が横行してます。ホントはそうでもないのに、「上手いですね」って、社交辞令のように言い合うんです。色々話を聞くところによると、やはり今でもそのような風潮らしいですね。 イラストや漫画は、文章と違って視覚で攻めてきますし、すぐに個性がわかる。だから、褒めるにも、「この辺がいいです」って、ピックアップして言うんですよ。「眼の書き方がいい」「髪の毛の塗りが素敵」とか。決して当たり障りのないところで、相手の弱点には触れず、長所を見出していく……、実に大変な作業です。
シビアな意見は、「御法度」らしいので、どんなに親しくなっても、本音では喋りません。商業誌レベルに達するくらいになって、初めて互いに欠点を探そうとするくらいですかね。(それまでは、思っていても、口が裂けても言いませんね)
プロを目指して同人する人なんてほんの一握りで、大体は趣味の世界だし、ヲタクっていうのは、自分と同じ感覚を持った人間と仲良くなりたい、共感しあいたいだけだったりするんです。そういう人たちに、本音でぶつかっても逆に失礼になってしまう。それがわかっているから、多分、無駄に「馴れ合う」「褒めあう」ことをするんですね。
私は、やはりイラスト系の仲間には、今でもあまり突っ込んで批評しあうことはしません。自分と違うスキルを持っていると、一目見てわかるし、仲良くなって、技術を盗みたい(嫌な言い方ですが)って、思ってるからかも知れません。(正直、仲の良いイラストサイトの方はプロ並の方ばかりなので)
出来ることならば、それでも無駄な褒め方はしたくないので、本当に「上手い」と感じた以外は、基本的に、スルー(通りすがり)で済ませています。たとえ趣味が同じでも、センスが合わなかったり、管理人の態度が横柄だったりしたら、仲良くなるのは無理ですし。
ケータイサイトに限らず、PCサイトでも、イラスト・漫画系のサイトで、掲示板に「批評」めいた書き込みはまず、ありません。絵を描くことは、別に特別じゃないのに、管理人=神・崇拝の対象っていう考えが根本にあるのだろうなぁと、思うことがあります。
イラストを描いて、批評してほしいと思ったら、専用の掲示板に行って、添削を乞うしか道がないといっても過言ではないくらいですからね。
そういう環境からか、心では、大した事思ってないのに、「上手いね」「面白いね」言ってたんだよな、あの頃。褒められて伸びる時期だったから良かったのかもしれないけど、そういう時期って、はっきり言ってあんまり長くない。ある程度成長すると、褒められるだけじゃ駄目になってくるんですよ。
「ドラゴン桜」って、漫画ありますよね(以前ドラマ化しましたが)。あれは東大を目指す話ですが、その中で、全然勉強したことのない生徒のやる気を引き出すために、最初は無駄に褒めるところから始めるってのがありました。
創作初心者にとってもそれは同じ。最初は、とにかく、褒めてもらいたいんですよね。褒めて、見て、注目して!!
ところが、作中でその生徒たちが、褒められ続けていくうちに、やる気をなくしてしまう場面が出てくる。褒められることを当然だと思うと、感動を覚えなくなってしまい、更に、向上心さえなくしてしまう、というものでした。
これはやはり、創作についても言えることで、あまりに褒められ続けると、それが当たり前になってしまい、満点評価以外は受け付けられないような状態に陥ってしまうのです。
そのとき、難易度の低めの問題(現レベルでの)を与えられると、それを乗り越えようとほんの少し努力します。そうすると、今度は達成感を味わうことが出来るようになる。満足感を達成感に変換していくことで、更に上達できる。これは、勉強や創作だけでなく、すべてにおいて共通していることです。
最初は、褒められたい。だけど、どんどん、書きなれてくると、自分と他人の違いってなんだろうって、考えだす。
更に上級者になれば、他人が云々じゃなくて、自分との戦いになってくる。
さて、そんなときに、延々と友人知人同士の馴れ合いを続けてるのは、得策なのか……。
趣味=何でもあり?
うーん、私は違うと思います。
趣味って言うのは、とことんやることじゃないのかな。いつもとは違う、自分だけの世界に浸って、生活を忘れ、本当の自分になれる場所、じゃないですか?
仕事は勿論ですが、趣味ってなると俄然やる気を出す人も多いはず。社会では認められない自分の隠された才能を発揮したい、表現したいって、思うからこそ、上達するし、時間だってかける。職業芸術家、作家の方々とは違う、「兼業であるからこそ出る味」を、搾り出そうと努力するのではないのか?
「趣味なんだから、余計なことを言わないで」という雰囲気がひしひしと伝わってきて、誰かに読まれているだとか、誰かが何かを感じてるとか、そういうことはどうでもいい、みたいな……、言うなれば、「気持ち悪い」という状況が、どこにもかしこにも、見え隠れしています。
自分がその枠から少しでも抜け出そうと思わなければ、もしかしたら上達などありえないとしたら、思い切って抜け出すべきだ、と、私は思いますけどね。
切磋琢磨なんて、古い言葉だと思っている人が、案外多いのではないでしょうか。
別にプロになるつもりなんてないんだから、馴れ合いだって何だって、いいじゃんって、思ってるのか。自分の作品を読んで下さいって、知り合いにお願いして、その結果、社交辞令的高評価を入れてもらって、それで自分のポイント稼いで、それで満足なのか。
知ってる人なら、オフラインやメールで感想貰えばいいじゃん? きちんと客観的批評として送るならともかく、馴れ合い評価・感想を送りあうのって、恥ずかしくない?
しかも、それが、ランキング上位に食い込むのが目的だったとしたら、どうよ?
私は、同じ創作者として恥ずかしい! 何が楽しくて、そんなことをするのでしょう!
ランキングという名の数字の魔力に見せられた愚か者の末路は、その仲間の楔が切れたときに、一気に奈落に転落するという恐ろしいものです。
殆どのランキングは累積ではなく、期間ポイントで計算されています。ある一定の区切られた期間内に、ポイントを稼いだことで、ランキング上位へと滑り込むことが出来る。しかし、そのためには、「真の読者」の手助けが必要となる。真の読者とはすなわち、お願いして読んでくれる「一時的な読者」ではなく、本当にその作品に感動を覚え、応援をしようとしてくれる読者です。
一時的な読者に評価ポイントやランキングクリックをしてもらったところで、何度も同じように(期間がリセットされるごとに)評価やクリックをしてくださいとお願いできますか? その手間を執筆時間に変換した方が、有意義だとは思いませんか?
そういった手法をとるというのはすなわち、コミュニケーションの下手さを露呈しているような。
本当に、人と人との関わりで大切なのは、相手を思いやる、真摯な心、だよね。だとしたら、「馴れ合い感想」って、変じゃない? 本当に、素直に「上手い、最高!」っていうなら別だけど、「本心じゃないのに」、「適当に」褒め言葉、書いちゃってない?
客観的に意見を求めるなら、私は「感想募集」や「評価募集」については賛成ですよ。元々、辺境のサイトには固定読者すらいませんから、何とかして自分の実力を知りたいと思って、あちこちの批評サイトやら感想書きますコーナーに書き込むのは、物書きとして間違った姿勢だなんて決して思いません。寧ろ、物書きなら誰にだって沸き起こる、自然な心境から来るんですから。
……とまあ、馴れ合いが大好き、ぬるま湯がたまらない、という人を責めているわけではありません。向上心の持ち方というものが、作品の質をよくしていくのだということを言いたいのです。
仲間を作り、わいわい賑やかに、その中でも、常に高みを目指すことを忘れないで!
自分に対して「高評価を入れてくれる人」ばかりを囲い込もうとするのは、見苦しいです。必ずしも、自分の回りにいるのが全て味方でなくても良いと思いますよ。だって、人にはそれぞれの価値観や考え方があるのですから。
結局、全部、作品に対する信頼度を左右していきます。
日本人は特に、人目を気にする民族だから、売り込み(宣伝)方法、レスポンス、苦情(荒らし)対応、全部纏めて、作品の付加価値にしていくのです。
本当に、恐ろしいことだけど、事実。
作品に、自信があるなら、正攻法で行きましょう! 余計なことをすると、自滅しちゃいますよ!