*目立つためには何をやっても許されるのか
自分が目立ちたいという欲望は、誰にでもあります。認められたい、知られたい。創作活動を行っているものであれば、誰だってそんな気持ちを秘めているはずです。
しかし、そのエネルギーを負に向かわせることは、あってはならないと思います。
自分が目立つためなら、相手を蹴落としてしまえ。──つまり、「荒らし」です。
そのような心理状態にはならないようにと気を付けている、一般人には無縁の話だ、などと思わぬよう。
いつ、白羽の矢が立つかはわかりませんし、また、自分自身も荒らし行為をしてしまうことだって、起こりうることを、忘れてはなりません。
ランキングなどで、上位にいればいるほど、プレッシャーと戦うことになります。ちなみに、私は、プレッシャーとは無縁です! と、堂々と言い切れるくらいの知名度の低さなので、このような記事が書けるのですが。
マラソンでも、常にトップを走る人には、かなりのプレッシャーがかかりますよね。相手との距離を測りながら、それでも、自分のペースを崩さずに、孤独に走る選手には、頭の下がる思いです。スポーツでは特に、このプレッシャーというやつは、随所に潜んで、選手を追い込みます。打ち勝つことの出来る者のみが、真の王者になれる。当たり前のことです。相手がどうのこうの、そんなのは言い訳に過ぎません。結局は、自分との戦いなのですから。
ところが、たまに、とんでもない輩が現れます。僻みから、相手の足を引っ張ろうとするやつです。
自分の地位を確保するためなら、相手にどんな汚い手で勝っても構わない。陰で何を言われようが、全くもって気にしない。だって、自分がやっていることは、自分にとっては必要なことで、正当なことだと信じて疑わない。確信犯です。
このような信念を持ってしまった場合、単純に「やめましょう」と制するのは不可能に近いでしょう。根底にある「考え方」は、その人の成り立ちに深く関係していますから、余程、話術に自信のあるものか、心理学などを深く学び、相手の思考回路を着実に理解できるかでないと、難しいと思われます。
寄せられた反論は、自身への否定意見として頭に入ってしまいます。どんなアドバイスも、すぐには薬になりません。したがって、反対意見も、賛成意見も、かえって火に油を注ぐ原因にしかならないでしょう。
こういうときは、「右から左に受け流す」ムーディー勝山で行くのがベスト!
攻撃されたからと、すぐに削除してしまうと、危ないです。紳士的態度で、さらりと交わすのです。
例え、作品に人気があっても、そのような思考の人間の作った作品は、独りよがりだと思われかねません。人に読ませる作品を作るということは、第一に、読者のことを考えて文章を練るということ。すなわち、人の心の痛みがわからない者には、面白い話は書けないということになります。
前記事、「作者の人物像」にも書いたとおり、読者は意外にも作者の人柄に注目しています。
面白い話を書いている人がいる、さて、どんなやつか。プロフィールは、案外、読まれているものです。
例え表向き、善人面をいていても、作品にその人の本心が現れてきます。相手の評価の低下などに現を抜かしていれば、いずれ、邪心が蔓延って、どんどん自身の作の質が低下してしまうでしょう。
まあ、要するに、人のことは構わず、自分の作品に力を入れましょうってことです。
僻んでる時間がもったいないと思わないのかなぁ。