◎批評する、感想を送る
批評を目的とした、批評サイト。
レビューを目的とした、レビューサイト。
色々ありますね。
個人同士で掲示板に書き込みしあうのとは違って、専門にやってやろうという強い意志のある人にお願いして批評、レビューしていただくので、作者側にしたら、緊張はするけれど、同じくらい期待もしちゃうわけです。
ここで、批評とレビューについて。
-----------------------------------
批評……[名]スル物事の是非・善悪・正邪などを指摘して、自分の評価を述べること。「論文を―する」「印象―」
[用法]批評・批判――「映画の批評(批判)をする」のように、事物の価値を判断し論じることでは、両語とも用いられる。◇「批評」は良い点も悪い点も同じように指摘し、客観的に論じること。「習作を友人に批評してもらう」「文芸批評」「批評眼」◇「批判」は本来、検討してよしあしを判定することで「識者の批判を仰ぎたい」のように用いるが、現在では、よくないと思う点をとりあげて否定的な評価をする際に使われることが多い。「徹底的に批判し、追及する」「批判の的となる」「自己批判」
レビュー(書評)……書物について、その内容を紹介・批評した文章。
[大辞泉より]
-----------------------------------
一般的に、「批評」というのは、上記にありますように、良い点も悪い点も同じように指摘し、客観的に論じることです。また、「書評」は、紹介を目的とし、その上で、良い点悪い点を指摘する、と捉えて間違いないでしょう。
完璧な作品というのは、この世にはありません。人間の作ったものなのですから、どこかに欠点があるのは当たり前。それを指摘した上で、しかし、ここが良かったと良い点を上げる。それが、批評なのだと思います。
批評・書評は、批評者の客観的視点から、作品を評価します。
作者が意図したことと違う点を、指摘されてしまうことも十分考えられるのです。
私の尊敬する感想・レビューサイトさんは、大変残念ながら、昨年一杯でサイトを閉鎖されたのですが、作者のやる気を盛り上げるレビューをしてくださいました。もちろん、欠点を指摘した上で、です。
かなりの作品をレビューなさっていましたが、どのレビューも、作品に対する尊敬、愛情が感じられました。それゆえ、レビュー願いが絶えず、その方は大変なご苦労をなさっていたようです。
全ての批評・レビューサイトが、そのようであれば問題はありません。そういったものに特化したサイトだけではなく、読者が掲示板などに書き込む感想・作品に対して寄せる批評についても、同じことが言えます。皆が皆、作者を気遣って感想・批評を述べてくれるのであれば、よいのですが……。
ネット上に多数存在する「批評サイト」。殊に、携帯サイトの「批評サイト」では、厳しい批評が目立ちます。また、投稿サイトなどの感想・批評欄にも、たくさんの厳しい批評が寄せられています。
切磋琢磨するための批評なのか、相手(該当作品の作者)を叩くための批評なのか。後者であれば、批評ではなく、「批判」ということになります。上記辞書によれば、「批判」は、否定的表現の場合に利用されることが多いということですから、本来のサイトの目的、「批評」とは、全く異なるものになってしまいます。
相手に意見を言うとき、どのような気持ちで伝えるか、どのような立場から話すのか。批評する側の意思が、全て文章に表れてきます。
読者として批評する、一人の物書きとして批評する、──批評家として批評する。
自分の立ち位置やサイトの目的を明確にせぬまま批判に走ってしまうと、場合によっては、相手を酷く傷付けます。
短所や欠点を指摘した場合、必ず後で、長所をしっかり褒めることを忘れないように、と、聞いたことがあります。少し褒められてから、たくさん指摘されるのって、ちょっと複雑。とりあえず、気になったところは聞きたい、仕方ない、聞く、で、最後に、うんと褒めて、今まで指摘されてきたことを上手く生かそうと思わせる。
子供の叱り方に似てますね。「○○はよくない、でも、××は最高にいい、もっと伸ばせ」又は、「こうすれば、もっと良くなる」などの、具体例。
ただ、悪かった、面白くなかった、だけでは、作品は向上しないのです。批評という行為を成す場合、少なくとも、良い点悪い点同じように指摘する必要があるわけですから、悪い点がよい方へ移行するためのアドバイスは少なからず必要ではないかと思います。
若い人の作品に多いのですが、論点がうやむやになってしまっている場合。批評する側、感想を送る側も、気を使いますね。「ここを強調するとよかったです」など、遠まわしに指摘することも考えなければなりません。ただ、褒めちぎるだけでもよいのでは、と、言う人も多いでしょうが、本当にもっと面白い話を読みたいなら、私は少しでも、本音を伝えることが必要なのではないかと考えています。
これは、レビューサイトだけに言えることではありません。
個人として感想・レビューを送るときも、やはり同じこと。
このとき、一体どのように書き込むことがベターなのか、少し、考えてみましょう。
感想・レビュー欄は、その作品に初めて触れる人にとっても大切なもの。
読んでみて面白い、ここがよかった、悪かった、など、具体的に書いていれば、読む方もそれを意識します。過去に読んだ人がどのような感想を持ったのか、読者は知りたがります。ですから、書き込む人も、きちんと自分の思いが伝わるように書く必要があるのです。
ただ単に、「面白かった」「よかった」だけではなくて、「ここのシーンの○○という台詞に感激した」「あそこで××があのような行動に出るとは思わなかった」など、ネタバレになるかならないかスレスレのところで、後々、その作品に共感する読者、すなわち同志を増やしていくようなレビューが望ましいでしょう。
指摘する場合も、客観論として述べ、決して「叩き」「荒らし」的行為だけを残さぬように。上に書いたように、具体的アドバイスを添えましょう。足跡として、感想・レビューした人物の足跡が残る(その人物のサイト・ページへリンクされる)場合は特に、自分の発言に責任を持たなければなりません。どんな人物がそのような発言をするのか、別の読者が辿っていくかもしれません。感想・レビューを送られた作品の作者が、訪れるかもしれません。
責任のない発言と足跡が、全く思いもしなかった展開を呼ぶことだってありえます。
つまり、今度は厳しい発言をした、自分に、同じような目が向けられるということです。
感動のあまり、興奮だけを綴った文章をついつい、私も送ってしまいます。思わず、ファンになってしまう、そんなときですね。勿論、誰にだって、そういうことはありますから、そこは正直に!
ただ、だからといって、感想が一言だけなのは……ちょっと、寂しいかな。
何度も書きますが、「具体的に」「何に」「どのように」感動したのか、作者は、他の読者は、知りたいのです! お願いですから、出来ればもっと詳しく、お書きくださいませ!
詳細な感想は、作者のモチベーションに関わってきます。
更新をもっと多めにして欲しい、もっと作品を盛り上げて欲しい、など、読者側の欲求だけでは、更新頻度の向上には繋がりません。それどころか、時間を割いて必死に連載している作者の方に向けられるそのような言葉は、脅迫に似た感覚をもたらしてしまいます。催促をしたい気持ちもわかりますが、出来れば、ぐっと抑えて、いたわりの言葉に変換してみては。
「続き、待っています。くれぐれもお体をご自愛ください」「無理せず、頑張ってくださいね」など、ほんの些細な挨拶でさえ、作者の心は和むのです。
批評にしても、レビューにしても、作者への「贈り物」であることに違いはありません。
ただ、伝えればいい、だなんて、思ってはいませんか?
だとしたら、少し、考え直してみる必要がありそうです。
以前、「感想とレスポンス」「作者の人物像」でも語りましたが、せっかく貰った贈り物へ対する、作者の態度。贈り物へ対する、お返しは、きちんとしていますか。
日常生活では、必ず「お返し」をしますよね。「お礼」を言いますよね。貰いっぱなしでは失礼です。せっかく寄せられた「感想」という読者の心を、ないがしろにするのは、いただけないと思います。
自分にとって、厳しい意見だからと削除してしまう。点数にマイナスに働くから、削除してしまう。──このような行動は、一見、誰でもしてしまいそうな、些細なことだと思われがちですが、そんなことはありません。
皆が皆、同じ感想を持つなんてことは、あり得ないのです。感性は千差万別、当たり前のことなんですから。
それから、最後に、私が一番気にしていることを。
他者の感想・レビューが厳しい、又は甘すぎる、自分と違う意見だからといって、「おかしい」「ありえない」と、堂々と感想欄や掲示板に書き連ねる人がいます。
まず、それは「感想」でもなければ「レビュー」でもありません。
趣旨に反しますから、そのようなことは書くべきではないと考えます。
例えば、ケータイ小説上位の恋愛作品(書籍化、映画化された作品など)のレビュー欄。感動した、面白かったという一言感想と、具体的にこの辺が面白くなかった、期待していたほどではなかったという厳しい意見が対立しています。
どちらも、率直な感想なわけですから、相容れなくても構わないのでは?
ところが、「なぜ面白くないなんて言うのか」「つまらない、という言葉は荒らしだ」という書き込みや、「こんな作品に面白いだなんて言うのは、おかしい」という書き込みが、あちこちに見受けられるのです!
せっかく感想・レビュー欄を参考にその作品に触れようとしている人たちにとって、そのような書き込みは大変不愉快です。それに、よしあしに関わらず、その作品に触れた人たちの心を踏みにじる行為ではありませんか。
誰が、どのような感想を持ったって、それはその人の感性なのですから、いいじゃありませんか!
作品に対して、様々な意見が寄せられることを、何故嫌うのですか。
一方の言動を削除する動きは、「情報操作」になってしまいます。読者が「不当」だと思われる、過度の「削除行為」は「情報操作」の疑念を抱かせてしまうので、推し進めることは出来ません。
「荒らし」は当然、削除するべきです。私もそう思います。
しかし、「感想」「レビュー」に値しない、「他者の感想に向ける敵意」は「荒らし」ではないのでしょうか?
さあ、果たして自分が書いた「感想」「レビュー」はいかがなものか。
改めて考え直してみては?