奴隷歌姫、散歩する。
「…………、い、いて……」
ふと目が覚めると、見慣れない景色が飛び込んでくる。しばらく重い頭のまま、ぼけーっとしたあと、テントの中にいることに気がつく。周りを見渡すと、ジェーンとメアリーが固まってすやすやと寝ていた。どうやら自分のテントで間違いないようだ。
そうか、皆でキャンプに来てて……お酒をのんで、皇帝のお酒に酔って、それから──どうやってここに帰ってきたんだろう?
「う、あたまいた……」
上体を起こすと同時に、頭がずっしりと鈍い痛みに襲われる。気持ち悪い……、これが世に言う二日酔い、なのかな……。どう考えても皇帝のせいじゃないか、会ったら文句の一つや二つ言いたいものだ。
ちらりとテントから顔を出すと、まだ日が上りきっていない。少し霧がかかっていて、人の話し声は聞こえない。昨日のどんちゃん騒ぎのせいか、起きている人はまだいないみたいだ。
とりあえず、とにかく顔を洗いたいな。水魔法で洗ってもいいけど、酔いざましがてら散歩しようかな。神代の泉までそう遠くないはずだし。
「さ、さぶ……」
春先とはいえ、まだ寒い。上に薄い上着を羽織って、神代の泉へと向かう。しばらく歩き続けて十数分たっただろうか、青々と生い茂る、神代樹が姿を現した。前来た時は枯れていた泉も、すっかり元通り。底まで透き通った水が、徐々に射し込んできた朝日に照らされて、きらきらと反射して眩しい。
泉の水をすくって、顔を洗った。ぼやけた頭が少しはすっきりとする。そして、足だけ泉につけて、後ろにごろんと寝転がった。そのまま目を閉じると──遠くに聞こえる鳥の声、まぶたに降り注ぐ朝日、水のせせらぎ、鼻をくすぶる草の香り──その全てが二日酔いの私の身体に染み込んでいくようで、とても心地が良い。
しんと静まり返った空気を吸い込んで、吐いて、を繰り返す。繰り返していくうちに、どうしてか頭痛が和らいでいくような、不思議な感覚が。
「っわっ!?」
そっと目を開けると、私のおでこに座り込んでこちらを見る、小さな小さな人──人というより、妖精というべきだろうか。水のように透き通った、つるんとした水色の肌に、肌よりも少し青みがかった髪。目は白目がなく、深海のような藍色の瞳が爛々と輝いている。その瞳を縁取るまつげをぱちぱちと上下させながら、私をじとっと見つめていた。
「あ、あなた誰……?」
〔────! ──っ〕
びっくりして思わず上体を起こしてしまうと、その妖精はふわりと宙に浮いた。呆然とした私とは反対に、にこりと微笑んだその妖精は、ふわふわと私の方へと近づく。そのままおでこに手を添えると、ちゅ、とキスをした。……すると、まだ少し残っていた頭の痛みがすうっと和らいでいった。
「あ……もしかして、頭痛が治ったのって、あなたのおかげ……?」
妖精は、鈴の音のような声をあげながら、くるくると私の周りを回った。ぴちょん、ぴちょん、と、妖精の体から水が流れ出てくる。……もしかしてこの子、水の精なのかな?
〔──! ──!〕
水の精の口から放たれる声は、翻訳魔法をかけなおしても言葉がわからない。ただ、水の流れるような、風のような、ころころとかわいらしい声が聞こえてくる。
ふと気づけば、その声の主が増えていた。泉へと視線を移すと、泉の中から、同じような姿をした水の精が、何人も何人も飛び出し始めた。宙をふわふわと漂いながら、神代樹をくるくると回っている。
ころころ、さらさら、と、言葉のわからない声が、次々に歌を歌い始める。すると、歌声に応えるように、神代樹と泉が淡い光を放ち始めた。その光にびっくりして、水につけていた足を思わず引っ込めようとした。
「えっ、ちょ、わっ……!」
すると、最初に現れた水の精が、小さい腕で私の指を一本掴むとぐいっと力一杯引っ張った──すると、ふわっと私の体が宙に浮いた。そしてそのまま、水の精たちの元へと連れていかれる。水の精の力なのだろうか、水の上のはずなのに、何故か立つことができている。ゼリーのような、ぷるんとした感覚が足裏を包んだ。
〔──、────♪〕
くるくると回っている水の精たちが、私に向かって手を差しのべた。導かれるままに手を伸ばすと、2人の精から両手の指先をちょん、と掴まれる。そしてそのまま、水の精たちのダンスの輪に加えられてしまった。い、一緒に踊ろうってこと……?
状況がよく分からないまま、引っ張られるがままにゆっくりと回っていると、目の前に1人の精が飛んできた。そして、不満げな顔で私を指差し、次に、自分の口元を指差し、歌い始めた。……ど、どういうこと?
「……もしかして、一緒に歌ってほしいの?」
そう呟くと、花の咲くような笑顔を浮かべて、くるくると宙返りをした。なるほど、一緒に歌って踊ろうってことね。
全然知らない曲だけど、水の精たちの真似をして歌を口ずさむ。すると、神代樹と泉から溢れていた淡い光が、だんだん強くなってくるのに気がついた。そして、まるで蛍のように、ふわふわと光が舞い始める。宙に浮かんだその光は、途中でぱちんと弾けて、私たちに降り注いだ。
水の精たちはその光を見て、ころころと笑い声をあげた。そして、水の精同士で繋いでいた手をほどいて、私の周りへと集まってくる。──その光景に目を奪われていると、背後から、がさりと草木の音が聞こえた。
「……わっ! ど、どうしたの、急に」
その音につられて後ろを振り返ろうとすると、水の精たちが私を押して、神代樹の元へと連れ出した。押されるのが収まってから後ろを振り返ると、誰もいない。気のせいだったのかな……?
水の精たちはそんな私を気にもせず、しきりに神代樹を指差している。まるで、どうしても気づいてほしいことがあるかのような必死な姿を見て、思わず手を伸ばした。
「神代樹に触ってほしい、ってこと……?」
そっと幹に触れる。
すると、その瞬間。幹に触れたところから、思わず目を覆ってしまいたくなるぐらいの光が溢れだした。驚いて手を引っ込めようとしても──手が、取れない。というよりも、これ、神代樹に引っ張られてない!?
「ちょっ、なに、これ、まっ……!」
待って、と言おうとした頃には、既に口まで光に飲み込まれてしまった。そのまま、神代樹へとずぶずぶと取り込まれていく。
息苦しくて視界が狭まる中、最後に見えたのは──真っ黒い影。そして、左腕に何かが巻き付く感触がしたかと思うと、私の意識は途切れてしまった。




