奴隷歌姫、踊りまくる。
一回ダンスを踊り始めてしまえば、最初の緊張もどこへやら。気づけば私は、次々と代わっていく相手と楽しくダンスを踊っていた。
ずっと一人の相手と踊るわけでもなく、曲の合間とか、はたまた曲の途中で周りの人と一緒に踊ったりすることもあったりで、相手が目まぐるしい速さで変わっていく。無礼講ということもあるのだろうか、相手は性別は問われないようで、女の子とも楽しく踊れたので、私はとっても満足です!
ふう。しかし、普通の舞踏会より気軽だからあまり緊張しないものの、さすがにずっと踊ってるのも疲れたな。そろそろ休憩してお菓子でもつまもうかな……と。
ダンスを躍り続けている人々を掻き分けて進むのは至難の技で、どうしてもぶつかりそうになってしまう──と思った矢先に早速人にぶつかってしまった。バランスを崩して こけかけた私の腕を、がしっと掴んで誰かが助け起こしてくれた。掴まれる力の強さ的に男の人だろうか。ありがたや~。
「ご、ごめんなさ──」
思わず言葉を止めてしまう。振り返った私の目と鼻のすぐ先には、引っ張って助けてくれた人のマスクの先っぽが、今にも刺さりそうになっていた。
顔をあげてその人をよく見る。刺さりそうになっていた真っ黒なマスクは、鳥のくちばしのようにとんがっていて、目のように二つ、丸い穴が開いている。だけど、なぜかそこも真っ黒で肝心の目は見えない。カラスのマスク? ……あ、昔教科書か何かで見た、ペスト医師がつけていたマスク。あれに似ている。ただ、ペスト医師のように帽子は被っていなくて、頭まですっぽりとマスクで覆われていた。
服装は、黒で統一されている山伏装束だった。……もしかして、烏天狗、かな。足元を見ると草履を履いている。きっとそうだ、これ、烏天狗を模した衣装なんだね。
「あ、ありがとうございます」
頭がすっぽり覆われているからどんな表情をしているのかは分からないけど、じーっと見つめられているのだろう、ってことは分かる。でも、そのマスクで見えるの? 見えるだろうから歩けてるんだろうけどさ。
お礼を言ってもなお、何故かがっしりと腕は掴まれたままだ。……ええと。
「……あのう」
……返事はない。
「あ、あの。私に何か、用でしょうか?」
……またもや、返事がない。え、生きてる? 人だよね? と感じてしまうほどだ。表情が一切読み取れないからだろうか。
しかし、困ったなあ。助けてもらった手前、放して下さいとは言い難い。かといって、一向に放してくれそうな気配がないのだけども……。どうしよう。このまま二人して固まってるのはどう考えても周りの人に迷惑だろう。ここ、ダンスホールのど真ん中だし。そして、若干握る力が強くて、ちょっと……いや、かなり、痛いです。
「……あの……折角だし、お、踊ります?」
気づけばそう口走っていた。もう休憩しようとしてたけど、このままだと邪魔だし、何より放してくれなさそうだ。それなら、いっそのこと踊っちゃって、曲の終わりと同時にこちらから立ち去ればいいかと。ていうか、これ以上もう方法が思い浮かびません。
それにしても私、誘い方下手すぎて笑えないぞ。ダンスに誘ったことが今まで一度もないとはいえ、流石にこれはひどい。
それまで頑なに動こうとしなかった烏の人(名前がわからないしこう呼ぶしかない)は、小さく頷いた。こんな投げやりなお誘いでも了承してくれたみたいだ……だよね?
私の心配は杞憂に過ぎなかったようで、烏の人は掴んでいた腕を離すと、手を握ってきた。そして、片腕は腰に。そして、ぐいと腰を引かれた。
一言も言葉を発しないけど、身分が高い人だということだけが分かった。何故かって、ダンスがとっても上手い。上手な人にリードしてもらうと踊りやすいのだけど、いつも練習台になってくれるオズと同じぐらい踊りやすい。いくら仮面で隠れているとはいえ、普段の身のこなしや高貴さって隠せないものなんだね。沢山の人と踊ったけど、ちょっと踊りにくい人はなんとなく一般市民なのかなと思ってしまう。私が下手くそなのもあると思うけど。でも、前より上手くなったもん。
しかし、リードしてもらってダンスは踊りやすいから、失敗して恥をかくことはなさそうだけど、どうも緊張して落ち着かない。
まず顔が近い。とてつもなく。烏の仮面の先っちょが長くてとんがってるから、面と向かって顔を合わせてるわけじゃないんだけど、頬と頬がくっつきそうだ。相手が仮面ですっぽり覆われてて本当によかった。これ、素顔同士でやってたらもっとやばかった。
そして、繋がれてる手が……その。結構強い力で握られてるのが、なんとも恥ずかしい。無理もない、普段からそんなことしないから、耐性などないのです。
おかしいなぁ、さっきまで踊ってた人と手を繋いでてもそんなこと思わなかったのに。この人がなにもしゃべらないからだろうか、妙にむず痒くなってしまう。
「あ、あの……ちょっとだけ、手が、痛いです」
ためらいつつもそう告げてみると、烏の人は無言のまま手の力を弱めて、今までの力の強さはなんだったのかと思うほど優しく、握り直してくれた──のはありがたかったんだけど。指と指が絡んでいる、つまりは恋人繋ぎ。あの、それ、ちょっと恥ずかしいんですが……! でも、すでに手の力にケチつけてしまったから何も言えず。烏の人が中指だけ通すタイプの黒い手袋(名前がわからない)をしているから、緊張して出てきてしまう手汗がばれないことだけが唯一の救いだった。
どきまぎと緊張しながらも、なんだかんだ一曲踊りきってしまった。長かったような短かったような、複雑な心境だ。
「あ……と。踊ってくださってありがとうございました」
会釈してそう告げると、ようやく烏の人は放してくれた。そして、そのまま人混みへと消えていってしまった。
ふぅ、なんだったんだろう、あの人。時間が時間だし、眠かったとかかなぁ……。最後まで表情どころか、声すら分からず仕舞いだ。ま、いいか。もうきっと会うことはないだろうしね。
ようやくダンスホールの中心部から抜け出して、はじっこの方へとやってこれた。中心部は人の密度のせいか暑かったけど、雪が側に積もっているのも助長して、ひんやりとした空気に包まれる。
何やらいい香りがするな、と思ったら、空中に美味しそうな料理と飲み物がぷかぷかと浮かんでいた。これも魔法? すごいなあ、これならテーブルもいらないし、給仕さんもいらないし皆が舞踏会を楽しめるし。こんな大掛かりな魔法、どうやってかけてるんだろうか。
側に浮かんでいた飲み物をとって味わいながら、ぷかぷかと浮かんでいる物を眺めていると、くいくいと袖を引っ張られた。誰?
「やっと見つけましたわ!」
後ろを振り返ると、うさぎの和風の仮面に、大正時代の女学生のような袴とブーツスタイルの女の子が立っていた。やっと見つけた? 私の事を知っているのだろうか……あ、もしや!
「もしかして、エレア……?」
「ふふっ、その通りですわ! まあまあまあ、やっぱり私の見立て通り、アイリス、よくお似合いですわ!」
金髪じゃなくて、限りなく黒に近い焦げ茶の髪だけど、にっこりと微笑んだ表情と弾んだ声でエレアだと確信する。見つけた、ってことはずっと探しててくれたのか。私がエレアの格好を知らなかったとはいえ、大変だっただろうに。
「貴女に似合いそうなものをお渡しして、いざ着ているところを見るのを楽しみにしていましたのに、仮面舞踏会が始まったら居場所が分からなくなってしまうのをすっかり忘れていましたの。ふふ、我ながらお馬鹿さんなことをしてしまいましたわ」
エレアも空中に浮かんでいた飲み物を手に取ると、「折角ですし乾杯しましょ!」と、チンと私のグラスにぶつけた。
「アインスリーフィアの方々──ルイス陛下と、オズ様にはお会いしましたか?」
「えっ、いや……まだ、会ってないと思います」
「あら、そうなんですのね。お二人とも良くお似合いでしたから、是非会っていただきたいですわ」
二人とも? ってことは、オズも仮面舞踏会、参加してるんだ。へぇー、なんか意外だ。でもきっと、オズの事だからおめかししたらモテモテなんだろうなあ。普段顔面偏差値が異様に高すぎる王族の人々と一緒にいるから忘れがちだけど、顔整ってるし。落ち着いててかっこいいし、何より紳士だからね。──ああ、そう、ちょうどあそこに女の人たちに遠巻きに見られてるあの人みたいな──って、あれ?
「あら、噂をすればなんとやら、ですわね」
私の視線の先を見たエレアがそう呟いた。や、やっぱりそうだよね? あれ、オズだよね? 普段と格好が違いすぎるから分かりにくかったけど、間違いない。こんな偶然があっていいのだろうか。
中庭に植えられた木に寄りかかって、手元の飲み物を少しずつ飲んでいる。服装はというと、大正時代の将校さんのような、カーキの軍服。寒さ避けにその上に羽織った外套と、黒いロングブーツがすらっとしたスタイルとキリッとした緑色の瞳に抜群に似合っている。そして、いつもはオールバックにしているブラウンの髪を、なんと下ろしている。わあ、珍しい! 初めて見たよ。下ろしているせいかいつもの三割増しぐらいで色気がむんむんです。オズの大ファンのジェーンがこの場にいたら、卒倒しそう。現に、遠巻きにオズを見つめているお嬢さん方も頬を染めて小声でヒソヒソと話している。そうなるのも無理ないよね。
「おや……その黒髪に黒い瞳。もしや、アイリス様ですか?」
近づくのをためらってると、私たちの視線に気づいたのか、オズの方から寄ってきてくれた。さすが有能執事オズ、気づかいの塊です。
「はい! オズですよね? 仮面してるのに良くわかりましたね」
「アイリス様こそ。それに、貴女の髪と瞳の色は魔法では表せないような純粋なお色ですから。すぐにわかります」
え、周りにも黒髪の人多いけど? そんなにわかるもんなの?
「えぇ、アイリスの髪色ほど真っ黒には魔法では再現できませんわ。私だって真っ黒にしたかってのですけど、どう頑張っても濃い焦げ茶にしかなりませんの」
へえー、そういうもんなんだ。
「その声はエレアノーラ様ですね。……私めの衣装まで用意してくださって申し訳ありません。恐悦至極でございます」
とは言ってるものの、少し困ったように笑った。うんうん、オズのことだから、遠巻きに見つめてるお嬢さん方の視線もばっちり気づいているんだな。
「ふふ、お安いご用ですわ。どちらかというと私のわがままに付き合わせてしまっているのですから、こちらがお礼をしたいところですし。良くお似合いですわ!」
「恐れ入ります」
「私の見立てに間違いはありませんでしたね……ですが、壁の花では美男子がもったいないですわ。折角ですし、一曲どうですか?」
あ、いいじゃん。美男美女でとってもお似合いだし。エレアとオズが踊ってるところ見てみたいなぁ、と思っていると、エレアが「アイリスと」と付け加えたのが聞こえてかくんと脱力した。ちょっ、私かーい!
「だ、だって……折角お似合いですから、優雅に踊ってらっしゃるところを客観的に拝見したいのよ。ねえアイリス、お願い!」
え、えー……。エレアにそう言われちゃうと断れないです。
「……じゃあオズ、踊りましょうか」
「かしこまりました。お手を」
切り替え早っ。少したじたじだったのはどこへやら。実にスマートにエスコートし始めた。私だから気軽でラッキーとか思ってそうだ。こちとら、いつもの練習みたいでさっきとは別の意味で緊張するってのに!
「先程、とは?」
「ああ……烏みたいなマスクを被った人と踊ったんですけど、なんか妙に緊張しちゃって」
「烏、ですか」
それはそれは、と、オズはにっこりと笑った。な、なに、そのいつになく楽しそうな微笑み……。まあいいや、楽しいならそれで。緊張しながら踊る甲斐があるってもんです。
いつものように踊り始めると、オズはこっちをじっと見つめてきた。な、何?
「……アイリス様」
「はい?」
「帰ったらまたダンスの特訓、しましょうか」
ええ~!? 前よりましになったじゃんか! なんでじゃ! もう懲り懲りですよ!
「はい、もっとしゃんと背筋を伸ばしましょうね」
にっこりと、そして黒々しく微笑まれる。がっくりと私はうなだれると、帰国後の鬼特訓決定に憂鬱になりながら、出来る限りしゅっと背筋を伸ばし直した。
およそ2か月ぶりです。お待たせ致しました!
大正ロマンっていいですよねぇ。女学生の格好は本当に大好きです。それと同じかそれ以上に、軍服も大好物です。
仮面舞踏会もあと1話で(多分)終了です。前々から考えてた衣装を一気に出せて楽しかったです^^