奴隷歌姫、王女様に戸惑う。Ⅱ
ぴちょんぴちょんと水音が響く。立ちこめる湯気と香る花の香りに包まれて、私はお湯に浸かっていた。──つまり、お風呂に入っている、のだ。
どうしてこうなった。エレアノーラさんにどこかの部屋に連れていかれ、そこにいた沢山のメイドさんにあれよあれよという間に身ぐるみはがされ、お風呂場に連行された。そしてなにがなんだかわからないまま、全身を洗われ、湯船に浸からされ今に至る。
「お加減は如何ですか、アイリス様」
「あっ、ちょ、ちょうどいいです! ありがとうございます……!」
隣に控えていたドライシンガーのメイドさんが話しかけてきた。そろそろあがりましょうか、とタオルを差し出され、促されるままに湯船からあがった。瞬く間に体と髪を拭かれ、気づけばバスローブのようなものを着せられた。そして、化粧水のようなオイルのような謎の液体を髪に馴染まされて、ドライヤーのような魔法石がはめられた道具で髪を乾かされ始めた。
もう一度言おう、どうしてこうなった。連れてきた張本人のエレアノーラさんもいないし……何か気に入らないことをしてしまって、水をかけられたのだと思ってたんだけど、苛められるどころか待遇が良すぎて訳がわからない。
ぽかんとしながら呆けていると、コンコンとドアがノックされる音が聞こえた。「失礼致しますわ」とかわいらしい声が聞こえると、ドアが開く。そして、焦げ茶色の瞳がひょこんと姿を現した。エレアノーラさんだ。
パチリと目が合う。かと思うと、その瞳は大きく見開かれ、ずんずんと私へ向かってきた。そして、私の目の前にくると、すう、と息を吸って、一言、
「だ、騙されましたわ……!」
と言うと、がくんとその場に脱力した。「姫様、お気を確かに……!」と、私の髪を乾かしてたメイドさんが駆け寄っている。
「え、え、え……!?」
騙された、と確かに言った。でも、私はなにも騙した記憶もないし、そもそも初めて今言葉を交わしたし、心当たりがない。どうして騙しただなんて……? でも、何か気にくわないことがあったのかも。
「ご、ごめんなさい。私、心当たりがないのですけど、もし、なにかエレアノーラ様にしてしまったのでしたら、本当に申し訳……」
と、崩れ落ちたエレアノーラさんの前に正座して、頭を下げようとした。すると、エレアノーラさんは「違いますの、貴女のせいではありませんの……! お顔をお上げくださいませ!」と言うと、下げかかった私の頭を押さえた。
「貴女に騙された、ということではなくて……アーロンに、あの愚弟に……」
「アーロンさん? それに、愚弟って……?」
「……申し訳ありません、謝るのはこちらのほうですわ。いきなり水をかけてしまって……本当に、本当に……!」
今度はエレアノーラさんの方が平謝りし始めた。怒ってるかと思ってたのだけど、どうやら違うらしい。何か、訳があるみたいだ。多分、アーロンさん関係で?
「あの、水なんて大したことないですし、大丈夫です。それより、どうしたんですか? アーロンさんに騙されたって……」
「……お気遣い頂いて、光栄ですわ。……私、私……」
涙ぐんでいた目元を指でさすり、うなだれたままエレアノーラさんは話し始めた。
「あの愚弟……アーロンに、旋律の巫女様のお話を聞いていたのです。そして、巫女様は漆黒の黒髪と黒い瞳をお持ちだと、聞いていて……。ですが、それは、あのどうしようもないあの男の虚言であったのですね。申し訳ございません、騙されたとはいえ、巫女様に大変失礼なことを……」
「え、じゃ、じゃあ、エレアノーラ様は、私の髪と瞳が黒くないから、それで……?」
「……ええ。最初は、何かの染め物で茶色になってるだけかと思いまして、それで、どうにか湯浴みして頂いて、それで染め物が落ちるのではないかと、そう思ったら体が自然に……」
な、なるほど。そういえば、今日は人目にも触れるだろうし、アインスリーフィアを出た時からすでに光魔法で髪と瞳の色を変えていたんだった。
大変申し訳ございませんでした、とまた頭を下げようとしたエレアノーラさんを必死で止めた。そして、
「ご、ごめんなさい。今日は、魔法で色を変えてて……本当に、黒いんです」
と告げ、光魔法を解いてみせた。
すると、エレアノーラさんはこの部屋に入ってきた時のように、真ん丸に目を見開くと、恐る恐る私の髪を一束手に取った。
「あ、ほん、とに……! 貴女、地毛がこの色、なの?」
「はい。気味が悪い、ですよね。黒の申し子の、黒髪なんて……」
アインスリーフィアに来てからは、沢山の人に異様な目で見られてきた、この黒い髪と瞳。最近では城の中では偏見もなくなって、そのままでも怖がられなくなったけど。それでも、あのチェモーナス祭の時のように、普通の人だったら奇怪に思われてしまう。だから、あれ以来、どうしても人目が多いところに行くときは、そのままの姿でいないべきだと思った。驚かさないように、怖がられないように。そして、私自身のためにも。だから、きっと魔法を解けば、気味悪がられると思ってた、のだけど……。
「まあ、まあ、まあ……! 気味が悪いだなんて、そんなことありませんわ! 素敵ですわ! アーロンの言っていた通り。なんて美しい色ですこと! 目も、よく見せてくださいませ……!!」
予想とは正反対の、えらく興奮した反応が返ってきた。エレアノーラさんは、白く、すらりとした手で私の顔を優しく包み込むと、親指で目の下をなぞった。
この反応や話からして、本当に私が気に入らなくて怒ってたりしたわけじゃなかったんだ。そうか、良かった……。
「本当に、吸い込まれそう……。寒い時期の、澄みわたった夜空のような瞳ですわね。とても綺麗ですわ……!」
頬を赤らめて、満面の笑みを浮かべたエレアノーラさんが、私の髪と瞳を誉めちぎる。なんだかむず痒いような、でも温かいような、複雑な気持ちが胸に広がった。
「姫様、少しはしゃぎすぎですわ。アイリス様を地べたに座らせたまま、そのままいつまでもいらっしゃるおつもりですか?」
エレアノーラさんに駆け寄ってきたメイドさんが、痺れを切らしたように声をかけた。すると、そうね、そうよね、とエレアノーラさんは私の手をとって、立ち上がった。
「申し訳ありません。私、お洒落をすることに目がなくて。どうも、その事に関したことになると我を忘れてしまう傾向があって……。驚かせてしまって申し訳ありませんわ。それでその……また、我が儘に付き合わせてしまって申し訳ないのですけど、見せたいものがありますの」
そのまま私の手を優しく引いて、部屋の出入り口のドアとは違う、もうひとつのドアへと向かった。メイドさんがそのドアを開けてくれて、促されるままにその部屋に入った。
「わっ……! これ、全部、ドレス、ですか?」
そこには巨大な空間に、次々ときらびやかなドレスが収納された部屋だった。赤、青、黄色……沢山の種類の色や、丈や、デザイン。どのドレスも同じものはひとつも見当たらない。すごい、これ全部、エレアノーラさんのドレスってこと?
「ええ。頼んで作っていただいたり、自分で作ったものもありますわ」
じ、自分で!? すごい……普通の服作るのも大変そうなのに、こんな豪華なドレスを自作しちゃうの!? 本当に、お洒落が大好きなんだな。
「やはり、人に頼むと自分の思ったようにいかないこともありますし、私自身で作った方がより、イメージ通りのものが作れるのかしら、と思って始めたのですけれど。なかなかうまくいかなくて、お恥ずかしい限りなのですけれど」
「そんな! とっても素敵です。私、こんなに素敵なドレス、見たことないです」
少しずつ歩きながら、一つ一つのドレスを見る。どのドレスも素敵で、とても丁寧に作られている。そう言っていただけると嬉しい、とエレアノーラさんはまた頬を赤らめながらにこりと微笑んだ。
「……それで、見せたいものというのは……これなんですけれど」
連れていかれた部屋の隅には、カーテンがひかれた大きな空間。そこの壁にはこれまた大きな鏡。世に言う、フィッティングルームみたいな場所があった。そして、そこの壁には一つの服がかけられていた。
白を基調としたドレス──いや、でもこれ、ドレスにしては袖が長い。それに、襟が胸元でクロスしていて、腹部には朱色や、赤、金のきらびやかな帯が巻かれ、後ろで華やかに結ばれている──と、日本の着物の要素を取り入れられたような、というか、下がスカートなだけで、ほとんど着物だ。和風ドレス、といったらいいのだろうか。
「ズバリ、今の我が国の流行は"ワヒュー"ですの!」
熱のこもった声で言いながら、エレアノーラさんは拳を握りしめた。ワヒュー? ……もしかして、和風? じゃあ、それこそ日本の着物じゃない! まさか、この世界に来てまで着物に巡り会えるだなんて思ってなかった……! よくみたら、帯や着物の柄もちりめんのお花だった。
「それで、このようなドレスがブームですの。なのですけれど、ワヒュースタイルには派手すぎるとよくないと言いますか、全身のコーディネートを考えたとき、余計な部分を引いていく、という考え方がありますの。"ワビシャビ"といいます」
ワビシャビ……私の知っている意味とはなんだか違うけど、わびさび、のことかな。
「ここで問題が生じてしまいまして、私のような髪の色ですと、ドレスのアクセントに金や赤のような差し色を入れると、どうしても全体的に派手になってしまいますの。それに、こう、少し浮いてしまうと言いますか……着せられている感じがする、と言いますか……」
なるほど……確かに、きらびやかな着物って髪の色が明るいと、派手に見えやすい、かも。このドレスも白地とはいえ、銀の刺繍が至るところに施されてるし、帯もかなり派手だ。エレアノーラさんだと髪の色が金だから、ごてごてに見えてしまうかも。
「その点、黒髪であればどんな派手な色も刺繍もオビも髪飾りも、かなり自由に色が使えますわ! ですので、その……よろしければなんですけど、こちらのドレスで舞踏会に出ていただくことはできますでしょうか……? 絶対に、貴女にお似合いだと思いますの!」
瞳をきらきらとさせながら、エレアノーラさんは私の手を握りしめた。うーん、一応今回の為に持参したドレスはあるけど、折角用意してくれたんだし、着てみようかな?
「えっと、じゃあお願いします。折角ご用意してくださったのだし」
よろしくお願いします、と笑いかけると、エレアノーラさんはパアッと顔をほころばせた。
「精一杯頑張りますわ! 私にお任せくださいませ!」
やりましたわ! と小さくガッツポーズをしながら、また私の手をとって握りしめた。
「では、早速ですが髪飾りを選びに参りましょう! 一応選んでおいた物はあるのですけど、もっとお似合いの物があると思いますの! 本当はお会いしてから特注でお願いしたかったところなのですけど」
「そ、そんな、特注だなんて……。エレアノーラ様に選んで頂けるだけで、十分です。一国のお姫様にコーディネートしてもらえるだなんて、光栄です」
すると、「あらやだ、そんな畏まらなくていいのよ」と笑いながら、エレアノーラさんはこう続けた。
「それに、呼び方もエレアでいいですわ。エレアノーラ、じゃ長いでしょう? それに、聞いたところ私と同い年ぐらいではなくて? 折角仲良くなれたのですし、呼び捨てで呼んでいただきたいですわ!」
そして、同じ年頃の女の子とこんなに話すのは久しぶりなの、と付け加えた。
「それなら、私のこともアイリスって呼んでください、エレア」
早速エレア、と呼んでみると、顔を赤らめさせながら「わかりましたわ! 行きましょう、アイリス」と呼んでくれた。ううっ、かわいい……! 普段のきちんとした正当派お嬢様の笑顔も素敵だったけど、今みたいな無邪気な笑顔もかわいらしいなあ。
舞踏会は少し億劫だったけど、エレアとお友達になれたしお誘いを受けてよかったな。あとでアーロンさんにお礼言っておこうっと。
お嬢様言葉って難しい。エレアさんは当初はTHEお嬢様って感じのお淑やかなキャラだったはずなのだけど、どうしてこうなった。
当初考えてたキャラやストーリーとは全然違ってきたりするのは多々あります。行き当たりばったり執筆だからね……。