奴隷歌姫、招待される。
アインスリーフィア帝国に、冬が訪れた。
今日も私は、練習着に着替えて訓練所のグラウンドに一人立っていた。起きて、軽く鍛練に励んで、それから使用人のミーティングに向かう。これが私の今の生活スタイルである。
使用人のミーティングは朝早いから、朝練は起きてから一時間ぐらいにしている。それでも、帰ってシャワーを浴びて着替える時間を考えても、割りと過密なスケジュールになっているかもしれない。ただ、朝のシャワーは軽く汗を流すだけだから、濡れない水魔法で手っ取り早く片付けてしまえる分、楽といっても過言ではないかもしれない。
雪が降ることは滅多にないこの国でも、流石に早朝となると寒い。口から出た吐息が、白くふわりと宙を舞った。
「1、2、3、4……」
日課のアスカロンの素振りを黙々と続ける。私の呟く声が、しんと静まりかえった辺りに響いていく。その静けさを感じながら、夜が明けていく鮮やかな空を眺める。それはとても穏やかで、お気に入りの時間だったりする。もともと運動はあまり得意ではなかったから、昔の私には考えられなかっただろう。
暫く素振りをしていると、東の空が明るくなってきた。この時期は大体日が昇る時間に朝練を終わらせることにしている。
「……あれ?」
ささっとメイド服に着替えて、自室から出た瞬間のことだった。廊下の奥の角を誰かが曲がるのが見えた。ちらりと見えた銀髪、あれは──皇帝? なんで皇帝が、こんな時間に……。
足音を殺して皇帝が曲がった方へと急いだ。オズいわく、皇帝は確か寝起きが悪いとかで、早起きは苦手なはず。私は起こしたことがないから見たことないけど。それなのに、こんな時間にどこに行くんだろうか。こっそりついていってるのがバレたら怖いので、透明魔法をかけておこう。
また皇帝が角を曲がる。曲がる。曲がる……。そろそろ城の端までついちゃうんじゃ、と疑問に思い始めた時、ついに皇帝が立ち止まった。そして、廊下に置いてあった銅像に手をつく。
「あ、あれ!?」
皇帝が光に包まれたかと思うと、ふっと消えてしまった。慌てて透明魔法を解いて銅像に駆け寄ると、「皇帝?」と呼び掛ける。当然、答えは返ってこない。
──ぞわりと足元が寒くなる。もしや、幽れ……ごほん、いやそんなことはない。きっと何らかの魔法だろう、そうだ、そうだよ。
朝早いせいで静まり返った廊下で一人、銅像を見つめた。そして、ためらいながらも手を伸ばす。これに触れば、どこか違う場所に行けたりなんて……?
「アイリス様」
「っ、ぁひっ!!」
銅像に触れそうになった瞬間、耳元で声がした。驚いて飛び退くと、「おっと」と肩を抱かれた。
「大丈夫ですか?」
「お、おおおおオズ……! は、はぁ、びびびびっくりした……!」
声の主がオズだと知って、ほっとして床にへたりと座り込んだ。お、驚いた……急に話しかけられるんだもん、気配もなかったし腰が抜けるかと……! 人間、真に驚いた時って悲鳴がでないって言うけど本当だね。ああ、びっくりした……。
「すみません、驚かせてしまいましたか」
「勘弁してくださいよ……ところで、オズはなぜここに?」
「たまたま通りかかったのです。そこにアイリス様が立ちすくんでいるのを見かけたので。アイリス様こそどうされたのですか」
「皇帝が、見えて」
「……ルイス様が?」
こくん、とうなずくと、はて、と手をあごに当てた。
「ルイス様なら先程、私が自室にいらっしゃったのを確認いたしましたが」
「えっ? そんな、でもさっき……」
皇帝が触ってた銅像に、ちょんと指先を置いた。……が、何もおこらない。
「あれ……?」
「何かの間違いでは? もうそろそろミーティングの時間ですよ、行きましょう」
柔らかく微笑まれた。確かにあれは皇帝だった……けど、何回もぺたぺたと銅像に触ってみても、変化なし。うーん、やっぱり見間違いだったのかな?
「そうだ……アイリス様、今日もミーティングの後は私の元へ来て下さい」
「え、何かあるんですか?」
ミーティングの後は、メイドの仕事を少し手伝ってから皇帝の部屋のお掃除して、時間が空いたら鍛練して、皇帝のお昼を運んで、そのあとは日によって変わる、という感じのスケジュールだ。たまにミーティングの後に呼ばれて一緒に皇帝の所へ行くこともあるけど、大体無茶振りだったり散々な目にあったことしかないから嫌な予感しかしない。やだなあ。
「……そんなに嫌そうなお顔をなさらないでください。今回はいつもとは違いますよ」
「ええ……うーん、そうだといいんですけど」
でも、毎回そんなこと言われてそそのかされてる気がするのは気のせいでしょうか。……まあいいや、無茶振りじゃないことを祈るしかないかー……。
◇
「年越し? ドライシンガー王国で?」
「そう! 僕の国では年で一番盛り上がるんだけど。舞踏会やったり結構楽しいんだよ。どう? 来てよ!」
皇帝の部屋へ連れていかれて、その目に飛び込んできたのはドライシンガー王国第四王子、アーロンさんだった。まだ朝だというのにキラッキラの笑顔で、ソファーに長い足を組みながら座っている。
例のごとくまた押し掛けられたのだろうか、皇帝は自分の椅子にぐたりともたれながら、眉間にシワを寄せている。まだ朝が早いから不機嫌なんだろう。
にしても、そんな「ちょっとコンビニ行かない? 行こうぜ!」みたいな軽いノリで言わないでほしい。だって、アーロンさんだよ? 女の子なら誰でも口説くような人だ。ちょっと山に一緒に登ったぐらいで、では一曲踊ろうか! って誘うでしょ……。踊りたくないし、断れない。承諾しても周りの目線が痛くなるのは必然、断ってもアーロンさんの面子が丸つぶれ。押しても引いても地獄。
それになにより、いいですか。私踊れないんです! 踊ったことが、一度もないんです! 一度も! だって、元ごく普通の日本人でこっちの世界にきてからは奴隷になって、それで今に至るんですもん。最近やっと、すらすら文字が読めるようになったばっかりの転生者なんですから……。
「で、でも年越しだなんて迷惑じゃ」
「いやーそんなことないさ。っていうか、この招待状は僕からじゃなくて、父上から直々にだから。巫女様宛だよ」
「えっ」
ひらひらと揺らしていた封筒を、はい、と私へ手渡した。おもむろに開いてみると、かっちりとした文字で書かれた手紙が出てきた。ええと、なになに……?
『突然お手紙を差し上げる失礼をお許しください。
この度のおくりび山の件につきまして、大変お世話になりました。お陰様で、我が国の平和な日々を送っております。ありがとうございました。
急な来国だったとはいえ、お力添え頂いたにも関わらずおもてなしをすることが出来ずに申し訳ありませんでした。そこで、ドライシンガー王国での年越し舞踏会にご臨席頂けないでしょうか。お待ちしております。
トリスタン・キャベンディッシュ・ドライシンガー』
「トリスタン・キャベンディッシュ・ドライシンガー……って。ほ、ほんとに国王様から……!?」
「ね。だからほら、おいでよ! 巫女さんだってことは隠してお忍びでもいいしさ」
「でも私……この髪と瞳じゃ、目立っちゃいますし」
黒髪に黒い瞳。この世界に来て、大体はあまりいい顔をされない。それもそうだ、黒の申し子なんだし。まあ髪と瞳の色を変える魔法は使えるけど、これを口実に断らせていただけないだろうか……。舞踏会は、真面目に勘弁です。
これで大丈夫、ラッキー! と心のなかでガッツポーズをすると、アーロンさんがへらりと笑った。
「ああ、うん、それは気にしなくていいよ。いくらでも隠す方法はあるし、まぁそのままでも多分大丈夫だよ」
「はっ……? え、そんな」
「まあまあまあ。はいこれ、招待状。確かに渡したからね!」
「あ、ちょ!」
ぐいっと私に招待状を押し付けると、じゃあね! とアーロンさんは輝かしい笑顔を振り撒いて出ていってしまった。
「い、行っちゃった……どうしよう」
「お言葉ですがアイリス様、先日は日の出をご覧になるのを楽しみにしていらっしゃったのでは? ドライシンガー王国の新年の日の出は筆舌に尽くしがたい光景だそうですよ」
「ええと、うん……日の出、は楽しみですけど。でも、舞踏会が……」
その後の言葉を濁らせると、オズが納得したようで、ああ、と声を漏らした。
「それならば、これからレッスン致しましょう。舞踏会は一週間後ですし、十分間に合うかと」
ゲッ、こ、こうきたか……! しかもレッスンってことは、きっとあの鬼家政婦長エミリーさん直伝ってことですよね?
私ががくりとうなだれると、オズは口に手をあてて微笑むと、一礼して部屋を出ていってしまった。しん、と部屋が静まり返る。皇帝は何事もなかったかのように、だんまりと頬杖をついて書類を眺めている。……き、気まずい。私もとっとと退散しよう。
「あの、皇帝、私もこれで……」
返事はない。うん、まあいつものことだけど。
一礼してそそくさと退散した……が、その瞬間。
「っ、冷たっ!」
ばしゃあん、と音がする。ぽた、ぽた、と自分の頬や髪から雫が滴っているのを見て、やっと自分が濡れていることに気づいた。そして足下には転がった花瓶と花が見え、続けて舌打ちが聞こえた。
「……なんのつもりですかこれ」
「知るか、勝手に動いたんだろ」
んなわけあるかぁ! 花瓶が勝手に動くわけが、なかろうが! ……はぁ、まあ魔法ですぐ乾かせるからいいけど、全く今度はなんのつもりなんだか……。花瓶が割れてないから、ちょっとは成長した、のかな? いや、人に水かける時点でどうかと思うけど。
とりあえず花瓶を拾って魔法で水を入れて、床に散らばった花をもう一度生けなおした。そして、今度は皇帝を警戒しつつ、部屋を後にする。
うーん、前々から皇帝の言動は訳わからんことばっかりだったけど、相変わらず分からない。ていうか、皇帝って炎魔法以外にも魔法使えたんだ。多分、風魔法かな?
なんだかんだでここにきてからそろそろ一年を迎えようとしてるけど、未だに皇帝は謎が深い。今朝のあれも、私の見間違えではないと思う。絶対、あれは皇帝だった。
うーん、わからん。でもま、いっか。
大変お久しぶりです。遅れまして本当に申し訳ありません……!新しい環境って結構忙しいものですね……。今まで電車で書いてたのに、満員電車で書けなくてもどかしい思いをしています。
これからも不定期更新になってしまうと思いますが、完結は絶対にさせます!よろしくお願いします!




