奴隷歌姫、登山する。Ⅰ
まだ日も昇りきっていない朝早くから、私たちは城門をくぐっていた。くぐった先には凛々しい馬が一頭、こちらを向きながら立っている。四肢はすらりとのびていて、毛づやのいい黒い馬だ。
皇帝はその馬に近づくと、一撫でして馬に股がった。え? あれ? 今日は馬車じゃないの?
「今日はオズが先に行っていていないから無理だ」
「え、でも私馬に乗ったことなんかないんですけど……」
せいぜい乗ったことがあるのは、小さい頃に動物園で乗ったポニーぐらい。いきなり馬なんて乗れっこない。
「……何も一人で乗れるとは考えてない。乗れそうに見えない」
「わ、悪かったですね……」
じゃあ私は歩けってことか。まあしょうがないね。
「じゃ、行きましょう皇帝」
「……は?」
「え、だから行きましょうよ」
「……お前は頭が弱いな」
「なんでいきなり貶されてるんですか!?」
はあ、と皇帝はため息をつくと、くいっと顎をしゃくった。……??
「……チッ、めんどくせぇ」
「え、……いててててて!」
ぐいっと契りのツタを出されて、私のからだが持ち上がったかと思うと馬の上に。皇帝の後ろに座らされた。……ええと、この状況的に、まさかと思うんだけど……。
「飛ばすから覚悟しろよ」
「は? う、うわっ……はや! はやすぎ! ああああぁぁぁ!」
急に馬を走らせた皇帝に、必死でしがみついた。ちょ、待って。速い、速い!! 落ちるってば!
「うるさい。黙って乗ってろ」
「ぐぇ」
契りのツタを発動されて、ぐいと引っ張られた。ちょ、いくらなんでも飛ばしすぎでしょ! ……でも、このシチュエーションって国中の女の子達が憧れのことなんじゃなかろうか。腐ってもイケメンだし。私的にもこれはなかなか憧れではあったんだけど。
……でもなんだろう、この、契りのツタといい速度といいロマンチックじゃない状況は……ていうか、皇帝の腰に手を回して乗ってるのが嫌すぎる。皇帝じゃなけりゃいいのに……。
「振り落とすぞ」
「はっ……ちょ、ほんとにやろうとしないでくださいよ! 死ぬ死ぬ死ぬっ!」
◇
「ようこそ~二人とも! お疲れさまあ」
火山麓につくと、従者を数人引き連れたアーロンさんが立っていた。従者に何か言ってから、爽やかなオーラを纏いながらこちらに歩いてくる。
それとは正反対のテンションの私は、ゾンビのように馬から降りた。うっぷ、皇帝ってばとばしすぎ……酔うって。
「こんにちは、王子……」
「元気ないねえアイリスちゃん。まあ、それでも君は今日も美しいね。素敵な黒髪だ」
被っていたフードを脱がされると、アーロンさんは私の髪を指ですくった。
今日は町に行くわけでもないし、黒髪でも大丈夫だと思って変化魔法はかけずに、皇帝みたいにフードを被っていたのである。
「ど……どうも」
「それにしても、王子って呼び方はなんだい? 昨日はアーロンさん、と親しげに呼んでくれたではないか!」
そ、そうだっけ。あまりにもキラキラオーラが激しすぎて、なんか王子って呼ばなきゃダメな気がしたんだよね。
「呼ぶときは下の名前で呼んでくれたまえ」
「じゃ、アーロンさん」
「それでいい! ほうら、見たまえこの壮大な山脈を!」
ぱっと手を後ろに振り上げたので、それに合わせて目線を上にあげた。……お、おお、これはなかなか……馬に乗ってた時も大きいとは思ったけど、近くで見ると圧巻だ。
ただ、火山だっていうからもっとゴツゴツしたもんだと思っていたのだけど、見た目は日本とあまり大差ない。というかまんま日本の山と同じ感じで、ちょうど今の季節と関係しているのか木々がほんのり色づいている。
「おい、さっさと行くぞ」
ぼうっと景色を眺めていると、皇帝がツタをだして私を引っ張った。
そうか、これだけ高い山だと早く登らないと夜になっちゃうもんね。
「じゃ、ルイス先頭頼んだよ」
「……いいようにこきつかいやがって」
え、アーロンさんの国の山だから、アーロンさんが先頭の方が良いんじゃ……。
「ところがどっこい、ルイス先頭の方が何かと便利でいいよ」
と、指を指したのでそっちを向くと……。
皇帝が何の前触れもなしに山道を一気に駆けていった。……え? ちょ!? 坂道でしょここ! なんで全力ダッシュしてんの!? しかも速っ!
「追いかけるよ」
「えっ、いや、はい?」
アーロンさんもそれに続いて走り出した。いやいやまてまて、登山でしょ? 何故走る必要があるんすか……まいっか、私も加速魔法かけて走ろ。ついでにおろしてた髪も結ぼうか。
先を走っていたアーロンさんに追い付いて前を見やると、すでに皇帝は豆粒ほどの大きさになっていた。ええええ……どんだけ速いの。よ、よく見えん……。
顔の大きさぐらいの楕円状の水を出して、レンズのようにして覗きこんだ。
拡大された皇帝の先に、何かが茂みから出てきた。ぎらりと光る目に、もふもふの毛皮……あれは、一般的なウルフかな。皇帝は剣をスラリと抜くと、そのウルフに向けて一振り。ウルフは後方へと吹っ飛ばされていってしまった。
ウルフってたしか、初心者の冒険者が狩るあれだよね? だとしたら、オーバーキルすぎる。御愁傷様です……。
「あれ? アイリスちゃん何か見えたの? ふーん……それも魔法かぁ、面白いねえ」
「あ、あのう……なんであんな走っていってるんですか? ゆっくりいっても、三人いれば魔物も楽に倒せるんじゃ……」
実際、冒険者はパーティを組んで狩りをするってイーリス様が言っていたし、普通なら五人ぐらいで倒すんじゃないかな? ウルフはまあ強くはないとはいえ、あんな全力で走ってたら絶対疲れるし、バテそう……。
「そうだね、君の言うことも一理あるんだけど……ルイス的にはとっとと終わらせたいんだろうね。それに」
アーロンさんが一拍おく。
「あれ、ただ走っているように見えるけど、実は魔力を纏って魔物避けしてくれてるんだよね。変なこと起きるようになってから、魔物が大量発生しててさ」
「魔物避け?」
「ルイスぐらい魔力があると、それを纏っておくと魔物事態もそれを感じ取って寄り付かなくなるんだ。たまに、飛び込んできちゃうバカなやつもいるけど」
なるほど……巨大魔力の塊が全力疾走してるところには、確かに行きたくないかも。
試しに探知魔法をかけてみて魔物の分布を調べてみる。山道を爆走する巨大な魔力反応が一つ、それに合わせて、点在した魔物反応が避けていく。おお~、すごいすごい。
「とまあ、そういうわけでルイスが先陣切ってるわけだよ。昔からそうなんだよねぇ……速くてさ。引きずられるし、首根っこ掴まれて走られるし……大変なんだよね、へへ」
そう言いながらもにやついてるってことは、ご褒美なんですよね? それ。
うーん、やっぱり皇帝の友達ともなると変人……って、あれ?
水魔法レンズに写し出された皇帝が、立ち止まっている。なにやら茂みを覗き混んでいるけど、剣を構えてないし、魔物反応がないから魔物ではないみたいだ。この反応は……生物反応だ。
「どうしたの?」
突然レンズを凝視し出した私を見て、アーロンさんが不思議そうな顔をした。
「皇帝が何か見つけたみたいです。魔物ではないようだし、立ち止まってます」
「ほんと?」
「急ぎましょう!」
走るペースをぐんとあげる。私は加速魔法だから楽チンだけど、皇帝の所についた時にはアーロンさんはバテまくって突っ伏していた。体力は乏しいらしい。
「はあ、はぁ……アイリスちゃん速……」
「遅い」
「ごめん、ってぇ~。……で、何か、あったの?」
伏せたまま問いかけるアーロンさんに、情けないとでも言いたげな皇帝が茂みへとあごをしゃくった。それに沿って目線をやると──
さっきまでの穏やかさとはうってかわって、陰湿な空気に満ちた林。
そこの奥のほうに……ぼやっと、何かかが見える。あれ……もしかして!
「ひ、人……?」
慌てて茂みに入ろうとした……のだけど、皇帝に止められる。
「早まるな」
「で、でももしかしたら負傷者かもしれないし……」
「馬鹿か。よく見ろ、あんなしっかりとした足取りで負傷者が歩くか?」
言われると確かに、人影は虚ろではあるけど、動きはわりとしっかりしている。どっちかというとなんかキョロキョロしてて怪しい。
「そういうわけだ、いくぞ」
「えっ、いくぞって」
と言いかけた時には、皇帝は人影の頭上に飛び上がっていた。そして、急降下すると頭を鷲掴み……えっ、そういう捕まえかた!? 雑すぎません!?
「え、えぇとアーロンさん行きますよ!」
「んぇ~、僕疲れたぁ」
「ほら! 仮にも王子なんですから地べたで寝そべらない!」
寝っ転がって動こうとしないので、彼を風魔法で持ち上げて皇帝の元へ走った。
私たちがついた頃には、一人の男の人が縛り上げられていた。
◇
「ヒィィィィィ! 助けてください! お願いしますぅぅぅぅぅ!」
縛られたのは成人男性だった。ボサボサの髪に真っ黒なぼろきれを着ていて、どうみてもこの山にきた冒険者とは言い難い格好だ。登山客も今は入れないらしいし、確かに異常ではある。
皇帝に睨まれ、復活したアーロンさんに にこやかに微笑まれながら囲まれた彼は、まさに袋の鼠だった。
「あの……皇帝、何も縛らなくてもいいんじゃ」
「うるさい」
邪魔すんな、とでも言いたげな表情で冷たく言い放って、皇帝はまた手のひらから火の玉をちらつかせた。軽い拷問でしょこれ……ま、まあいいや、お二人にお任せいたします。
「さあ、これはなんだろうねぇ~? 君、これどこで手に入れたんだい?」
「だっ、だから知らないって! 信じてくれよ!」
アーロンさんが男の目の前に、鈍く光るナイフ──彼の手から取り上げたもの──を突きつけた。ただ、それがただのナイフではないのが一目瞭然だ。
ナイフから、例の、あの黒いオーラが見えている。私が男が持っていることに気づいて触ったら、急に真っ黒に光り始めたのだ。その光り方は、私が奴隷のころに見たあの隷属術具の光とそっくりだった。光り始めた瞬間あの吐き気がし始めたから、間違いないと思う。
「最初は見えなかったんだけどさ、アイリスちゃんが触ったら弾けとんで闇属性の魔力が溢れ始めたんだけど。……これ、ほんとに普通のナイフなの?」
「だ、だからぁ! 俺にはなーんも、なんも見えねぇってば! それは落ちていたのを拾っただけで……!」
目から大粒の涙を溢しながら、男はわめいている。
見えない? それに拾った、か……こんな表情で言われると、信じてあげたくはあるんだけど……どうも信じがたいなぁ。
めそめそと泣きじゃくる男を気にもせず、皇帝は剣先を首筋にあてている。……よ、容赦ない。顔怖いしあんなのに睨まれたら泣きたくもなりますよね。
「どこで拾った?」
「ヒッ、こ、この山のぉ、麓おお! 空から何か光って落ちてきて……!」
「何故山に入り込んでいる? 今は立ち入り禁止だ」
「な、なんかこれだと魔物が倒しやすくて……冒険者じゃなくても、楽に倒せるから、ヒッ……金を稼ごうと思ったんだよお!」
魔物が、倒しやすい?
冒険者じゃなくても……ってことは、この人は一般人ってことだよね。そんなことが本当にあるの?
「ふうん。……試してみる? ルイス」
「んな危険なものここで試す馬鹿がどこにいる。大体、俺たちが試しても意味がない」
「だよねえ。どうしたものかね……」
うーん、と考え込んだあと、アーロンさんは急に真顔になって男の髪を掴み上げた。ひっ、目が据わってるよ。
「ヒィッ」
「なあ、本当になあにも知らない?」
にこり、と笑みを浮かべたアーロンさんに、男はコクコクとうなずいた。
「……そ」
「う、うわあああああああ!」
ジャキッと音がしたかと思うと、男は一目散に駆けていった。
「おまっ……何してる!」
「彼はシロだよ、このナイフのオーラの件とは関係がない」
「だからといって逃がすやつがあるか! はあ……」
追いかける気力も失せたのか、皇帝は額に手をあててため息をついた。アーロンさんが逃がしたのか。
それなら追いかけようか、と彼が走っていった方を見ると、アーロンさんに制止された。
「いいよアイリスちゃん、あいつはこれ以上問い詰めても意味がない」
「そ、それなら……いいんですけど」
「それよりも、頂上に行く方が先決じゃないかい? ……空から落ちてきた、ってことは、持ち主が空を飛んで頂上に向かっていたかもしれないし」
う、うーん……説としてはちょっと曖昧なところもある気がするけど、まあ他に目指すところもないし。とりあえず頂上目指すのがいいかもね。
「……まあいいだろう。ここにいても収穫はない」
「そうこなくっちゃ!」
「てめぇ、勝手に逃がすんじゃねえ」
皇帝の回し蹴りがアーロンさんにヒット。「うぐっ……そ、そこに痺れるんだよねえ~……」とニヤニヤしているアーロンさん、さっきまでの真剣さはどこへやら……。
「大分ここで手間取ったんだ、スピードあげるぞ」
「えっ、まだスピードあげるんですか……」
「当たり前だ。行くぞ」
私たちの同意もそこそこに、皇帝は崖を登り……いや、小刻みにジャンプして、あっという間に登りきってしまった。えっ、そこから行くの!? 山道戻らないの!?
うう……行くしかないかぁ。なんと強引な……。